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天才魔導士とカナンの猟犬  作者: もにみぃ
魔導士アレットと傾国の美女
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第24話:マッド・ティーパーティー

「アレット、そう。アレットというのね。貴女に相応しい可憐な響きだわ」

 

 どういうわけか、アレットは美しい難敵と呑気にお茶をしていた。澄んだ空気と心地の良い風がテラスを拭き抜ける。あんなに霧が掛かっていたというのに、月がテラスから見下ろす夜の森を照らし、木々の輪郭が分かるほど明るかった。

 先刻、彼女の手を取った途端、アレットは洒落た机と椅子に腰かけた状態で二階のテラスへ移動していた。奇妙な現象を目の前で見せつけられ、もともと恐怖で萎えた戦意が、更に削がれていく。


「せっかく淹れましたのに、お茶が冷めてしまいますわ」


 アレットは死人のような顔をした使用人が淹れた茶に、口を付けずにいた。綺麗に磨かれたトレイに茶菓子が並んでいる。アレットは茶菓子を見つめながら、村を出る前に腹を満たしてきて良かったと安堵していた。死霊が差し出す食べ物など、間違っても口にできない。


「ここに来る前、たくさん食べてきてしまったから……お腹が減ってないの」


「まぁ、そうなんですの? それなら無理せず、気分が向いたらでいいですわ。そこの貴方、もう少し消化にいいものをご用意してくださる?」


 虚ろな目をした使用人が、深々と頭を下げ、テラスを出て行った。あの使用人たちは、生きているのだろうか。もし死んでいるのなら、死体が動き回っていることになる。そんな恐ろしい考えを隅に追いやって、アレットは目の前の美しい人へ視線を集中させる。せめて何を考えているのか、探れないかと思ったのだ。


「それでアレット。貴女の家の商会は主に何を扱っていて?」


「……、……どうして知ってるの?」


 名を聞かれたから、答えはしたが、稼業の話までした覚えはない。悪霊も精霊と同じで、思考を読んで精神攻撃を仕掛けて来るのだろう。危険といわれる中でもトップクラスだと聞き及んでいたこともあるが、アレットはこうして彼女と対峙していても、ちっとも勝機を見出せなかった。


「まぁ、少し揶揄っただけですわ。そんなに睨まないで」


「中庭の墓標もそういう趣味の悪い冗談なの?」


「ああ、あれは貴女とお話がしたくて――連れ二人の気を逸らすために用意したものですわ」


「二人はどこにいるの? 無事なんだよね?」


 ミレーヌは悲しそうな表情を浮かべ、頬杖をついて溜息を漏らした。アレットが女性でなければ、その仕草に一瞬で心を惑わされていただろう。


「気になりますか? 無事と言えば無事……ですわね。けれど、男は皆この場所に囚われてしまうのです。わたくしの意志とは無関係に」


「それは……どういう意味?」


「気が滅入るので、あまり話したくありませんの。別の話題にしませんこと?」


 はっきりと語気を強めたミレーヌに、アレットは小さく唾を飲み込んだ。彼女には一瞬でアレットをホールからテラスへ移動させる能力があるのだ。それに、今の言い分だとアレットの目の前からジャンとクリスを消したのも彼女の仕業だ。そんなことが可能な相手に下手を打つわけにはいかない。


「逆にミレーヌは気にならないの? 私たちがどうしてここに来たのか」


「そんなことはとっくに承知しておりますわ。承知した上で、どうにもならないと判断いたしましたので、わたくしは自分の好きなようにしているのです」


「それじゃあ――」


「ああ、それと……わたくしの前では自然体でいいですのよ、アレット? この邸宅では、誰もわたくしに隠し事はできませんもの」


「……、……」


 アレットの思考は全て読まれていると言っても過言ではなかった。生い立ち、トラウマ、その性質に至る部分まで筒抜けだ。水魔などとは比べ物にならないほど、強力な精神干渉である。

 宮廷魔導士は、アレット以外男しかいなかった。仕事仲間は殆ど年上の男性であったため、少しでも対等に接してもらえるよう似たような口調で話す癖がついていた。ミレーヌはそれを見抜いて、アレットに語り掛けてきている。


「……わかったわ。でもそれじゃあ、ミレーヌさんは私となにを話したいのかしら? もう全部バレちゃってるのに」


「やはり、そちらの方が自然でいいですわ。賢い振りをした男性の口調など真似なくても、貴女は優秀ですもの」


 実家の母や姉と会話している気分になる。緩みそうになる気持ちを、必死に引き締めた。アレットは、慎重に言葉を選んだ。目の前にいるのは、何人もの命を奪った悪霊だ。クリスの言葉は真実である。しかし、アレットにとってミレーヌは歴史に埋もれた才女であり、憧れの淑女でもあった。

 現状、無暗に攻撃をしかけても無駄である可能性が高い。ならば、相手の要望に乗り、話を合わせて機会を伺うしかない。


「ミレーヌさんの好きな話題を提供できるか分からないけれど、努力するわ。だからお願い。二人の無事だけは確認させて欲しいの」


「まぁ……そんな風にお願いされたら、わたくしが断れないと分かっていてのことかしら? 仕方がありませんわね。礼には礼を尽くさなければなりません」


 どうやら正解だったみたいだ。アレットは内心で安堵の息を吐いた。罪深いほどの美貌を持ち、好みの男性を欲しい侭にしたと謳われる悪女ミレーヌ。しかし、こうして話してみるとロマンスが絶えなかったという逸話がまるで嘘っぱちのように思えた。寧ろ、異性よりもよっぽど同性を好意的に見ているような印象を受ける。

 ミレーヌが美しい所作でテーブルの上に置かれていた呼び鈴を鳴らした。すると、恰幅のいい男がテラスへ入って来た。


「……っ、……!」

 

 そして、その男の顔をみて、アレットは絶句した。

 男は他の使用人たちと同じように、死人のような顔色でその虚ろな目をアレットに向けている。


「――クリスッ!」


「慌てなくても、彼は未だ無事ですわ。時間が経つと手遅れになるみたいですが……わたくしと対峙した男は皆、無条件にこうなってしまいますの。決して故意にじゃありませんのよ」

 

「……どうにかしようとは思わないの?」


「どうにもできないのです」


 対アンデッド戦の頼みの綱であるクリスが、こうもあっさり死霊の術に堕ちてしまったのは想定外だった。アレットはキョロキョロと辺りを見回しながら、ジャンの姿を探した。


「ジャンは?」


「もう一人の男性ですか? あの方は不思議と自由に動き回っておりますわね。もっとも、ここには辿り着けないと思いますが」


 ジャンはクリスのようになっていないということだろうか。しかし、一度はぐれてしまえばジャンにとってこの邸宅は迷宮に等しい。ミレーヌの言い回しから読み取るに、きっと今頃迷子になっているのだろう。

 アレットは抜け殻のようなクリスをしばらく見つめて、再びテーブルについた。

 

「私のことは帰してくれるのよね? 二人はどうなるの?」

 

「わたくしが貴女を帰すのではなく、貴女はいつでもこの邸宅を出ることができるのです。ただ、連れの二人のことはもう諦めたほうがよろしいでしょう。何故か男性はここを出られないようですので」


「悪意があってやってるんじゃないのね?」


「もしわたくしに悪意があったのなら、ここにいる使用人たちは皆、美男美女でしょうね。動き回っている方はそれなりの造形ですが……」


 ミレーヌはクリスの姿をみて、溜息を零した。


「この方、本当に神職なのですか? 少し前に来た二人とは似ても似つかない容姿ですわ。なんでもやりすぎは良くないと思いませんこと? ここまでくるといっそ醜いですわ。顔の傷などいかにも物騒で――」


 もううんざり、と言いたげな様子で彼女は華奢な肩を落とした。


「ですから故意にではありませんの。どうか許して下さいまし」


「ミレーヌさんの意志じゃないことは分かったわ。二人を助ける方法を探してみる」


「まぁ。貴女らしい前向きな言葉ですこと。それなら急いだほうがいいですわ。夜が明ければ手遅れになりますので」


 そうは言ったものの、クリスの状態を直すにはミレーヌをなんとかしなければならない。本人の意志ではないと口にしているが、例えそうであっても彼女が原因なことには変わりない。


「男性はみんな、無条件にこの邸宅へ取り込まれてしまうってことよね? 今は無事でも、時間が経つとそれが定着してしまう……そういうルールがあるんだね」


「貴女もわたくしの心が読めるのかしら? おそらく、そうでしょうね。意識がはっきりした時には既にこの状態でしたの。これでも自身が死人である自覚はありましてよ。ただ、この世になんの未練があって、なぜ満たされないのか……忘れてしまいましたの」


「この状態は不本意なんだよね? なら、未練の正体がわかって心が満たされれば神の国へ行けるんじゃないかしら」


 アレットはもう、ミレーヌを倒すことを考えていなかった。どうにかして穏便に彼女を葬ろうと、テーブルを囲って様々な話をした。流石は皇后にまでなった人物である。ミレーヌは実に雄弁で、その語り口調はアレットを夢中にさせた。享年二十二歳で時の止まった彼女は、アレットと歳の頃も近かった。ミレーヌの未練を探るつもりが、つい関係のない話題に逸れてしまう。


「まぁ。もう二百年も経っていたなんて……じゃあ今は、ラヴィアという王国になっていますのね」


「アランブール家の系譜のものが国を統治してるわ」


「……そう。そうなのね……なら、あの坊やは上手くやったということね」


 ティーカップで口元が隠れていたが、アレットは彼女が満足気に微笑んだようにみえた。


「それほどの月日が経っているなら、わたくしたちが抱えていた様々な問題もきっと解決しているのでしょうね」


「社会的な落差についてはまだまだ問題はあるわ。でも、貴女が経済基盤を敷いてくれたおかけで慢性的な食糧難はなくなっていったし、立ち上げた教育機関も立派な大学になってるわ。もう知ってると思うけど、私はそのアカデミー出身なの!」


「貴女の家は商家なのですよね? つまり、ラヴィア王国では人材育成の幅を広げているということですか」


「いえ、私の家も爵位を貰っているから、それで入学できたようなものなの。成り上がりには違いないから、以前よりはマシになっていると思うけど……教育の場も貴族の特権ってとこは変わっていないわ」


「まぁ、可哀想に……それじゃあ宮廷で仕事をして驚かれたでしょう? 優れた教育を経ても、残念ながら人の愚かさを矯正することはできません。そのいい例がさぞ溢れかえっていたことでしょう」


 今や話は逸れに逸れ、国政や国民達の暮らしぶりについての話題になっていた。


「アレット、貴女は今、わたくしが”経済基盤を敷いた”と仰いましたわよね? 後世にはそのように伝わっているのですか?」


 ミレーヌから真っ直ぐな瞳を向けられ、アレットは視線を逸らした。ミレーヌ・ド・ダンジェの名は歴史書に稀代の悪女として記されている。教育機関の設立も経済基盤の確立も、ミレーヌの功績だとは記されていない。それらは全て、彼女と関係のあった男達の功績として歴史に刻まれている。ミレーヌの功績とする説はどこにもなく、単なるアレットの歴史考察にすぎなかった。


「ごめんなさい。答え辛いことを聞いてしまいましたわね。いいのです。わたくしは自分がなんと呼ばれているか存じておりますの。以前、ここへきた女性の神官から伺いましたわ。あまりにも無礼でしたので、こちらから追い返してしまいましたが……」


「みんな真実が見えていないのよ。少し考えれば分かることなのに……」


「あら、それは違いますわ。皆、見えていないように振る舞っているだけです。そうしなければ都合が悪いからでしょう。貴女は聡明だけれど、他の者を皆、愚かと断じてはいけないわ」


「でも――、」


「わたくしは気にしていませんわ。貴女のような理解者もいてくださると分かったのです。それだけで十分、報われた気分ですもの」


 ミレーヌは自分のために造らせたこの邸宅で、なにを想って自死したのだろうか。アレットは無意識に、ティーカップの持ち手を抓んでいた。視線を落とせば、冷めたお茶の表面に思い詰めたような自身の顔が映った。

 口を付けようとカップを持った瞬間、ティーカップの中のお茶がぶくぶくと音を立て始めた。何事かと、ミレーヌに視線を向けるが、彼女はなにも気付いていないようだった。やはり、口を付けない方がいい。そもそも、なぜ得体が知れないと承知のものを口に入れようとしたのか。死人のような顔をしたクリスがすぐ傍に立っていることも、すっかり忘れていた。


『――レット、……ア、 ――レット!』

 

 我に返ったアレットの耳に聞き覚えのある声が響いた。


「……ジャン?」


 キョロキョロと辺りを見渡すアレットに、ミレーヌは美しい所作で首を傾げた。


「あら、どうかいたしまして?」


「いや、今……声が聞こえたきがして……」


 急に目の前に靄がかかり、暗くなった。月が雲に隠れたのかと空を見上げれば、濃い霧の所為で雲すら見えなかった。錆びた鉄の匂いが立ち込め、真新しく見えていたテラスは、錆びと罅が入り始めた。暗くてよく見えないが、テーブルの上の菓子はぶよぶよとした物体に成り果て、持っていたティーカップの中身はどす黒くどろっとした何かに成り代わっていた。


「ひっ――!?」


 思わずティーカップの中身を零してしまった。床へぶちまけられた液体は、アレットのタイツへ飛び散った。錆びた鉄の匂いが濃くなった。


「まぁ、無粋な方達もいたものですわ。楽しいお茶会を邪魔するなんて……そうは思いませんこと?」


 目の前のミレーヌだけは変わらず美しいまま、ぼんやりとした視界の中でも輝きを放っていた。その姿が、ぐらりと揺れて視界が歪んだ。


「――、アレット! いい加減起きやがれ!」


「……、……は?」


 覚醒したアレットの目の前には、二人の男の大きな背中があった。


「いっ――たぁ……」


 それを視界に入れた途端、酷い眩暈がしてぐらぐらと目の前が揺れた。脳を掻き回されているかのような痛みがして、アレットは反射的に眼を瞑った。


「おお、無事に正気に戻られたのですな!」


「クリ、ス……?」


 その太い声の主を見上げれば、無事な姿でピンピンしている彼がアレットを庇うように立っていた。虚ろな表情でもなければ、死人のような顔色もしていない。その姿を見て、初めてゆっくりと辺りを見回す。そこは二人とはぐれた中庭だった。


「あれ? ここどこ、テラスは……?」


「ったく、まだ寝ぼけてんのかよ。正面にいるアイツが見えてねーのか?」


 アレットは未だに朦朧とする意識を叩き起こした。その場に座りこんだまま、目の前に立ち塞がるジャンとクリスの脚の間から、前方を見た。視界に映ったのは、紅いドレスを纏った、美しい令嬢だった。

 しかし、絹糸のような滑らかな髪は黄金ではなく、脱色したように真っ白だった。空色の瞳は、真っ赤に染まり、愉快そうに上がった口角の端には鋭い牙が見えた。


「まぁ、残念……先ずは御し易そうな小娘からと思いましたが――忌々しい腕輪ですこと」


 アレットは漸く、自分の置かれた状況を理解した。

 彼女は悪霊に魅了され正気を失い、今の今まで悪霊が魅せる夢の中にいたのだ。アレットはよろよろと立ち上がると、腰にこさえた狩猟ナイフを抜いた。


「ごめん……どのくらい寝てた? 挽回させて」


「随分いい夢だったみてーだな。起きちゃこねーからもうダメかと思ったぜ。女のお前があっさり魅了されるとはな」


「解呪に時間がかかり申し訳ない。しかし、我々も苦戦を強いられていましてな……なにせ、動く死体など初めて見たものですから」


 ようやく意識がはっきりしてきた。クリスの言葉と共に、アレットの視界に複数の影が現れた。それは虚ろな目をした、死人のような顔色の男達だった。

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