第20話:君じゃなきゃダメみたい
休憩地点を経由しながらでも、アレット達は王都を出て二日ほどでサリア領へ入った。馬車に乗れなければ、あと三日はかかっていたであろう。サリアにある町で王都から一番近いのはビスタと呼ばれる町である。馬車はそこで荷物を積んだ後、また王都へ戻る予定だった。三人は一度その町で馬車を降りて、目的地まで向かわなければならなかった。
馬車が町へ到着したのは日没だった。町の食堂で夕飯を済ませると、クリスはさっそく馬の手配へ向かった。ジャンとアレットは宿屋を探してぶらぶらと町を歩いていた。
「酒が飲みてぇー……」
「酒場が近くにある宿を探そうか。ちょっとぐらいなら離れても腕が痛むだけで済むし」
腕輪の問題はまったく解決していないため、二人は相変わらず一定の距離を保ちつつ、なるべく離れないように過ごしていた。しかし、それでは自由に行動することができない。ジャンはアレットの買い物に付き合わなければならないし、彼が酒場へ行くというなら当然アレットも同行しなくてはならなかった。
「この辺のことには詳しくねーのか?」
「全然知らない。この町には初めて来たから」
魔導アカデミーはサリア領の中心部にあり、それ自体が一つの都市のようなものである。サリアの貴族や富裕層はそちらに集中している。アレットは滅多にアカデミーから外へ出なかったので他の町のことはまったくと言っていいほど知らなかった。
二人は目に入った宿屋へ入り、その店主に酒場が近くにないか聞くという作業を繰り返し、町を練り歩いた。そして、とある宿で「宿泊の値段もお手頃で近くに酒場もたくさんある宿」の情報を耳にした。二人はさっそく、紹介された”ミザーフの宿場街”と呼ばれる通りを訪れた。少し奥に入ると、途端に桃色の灯りがアレットの目を刺激した。ランタンや窓ガラスに桃色の塗料が施されている。通りには、際どい姿の女性達が並び、客引きをしていた。
「ミザーフの宿場街って……歓楽街のことだったんだね」
手ごろな価格の宿はあるが、歓楽街の宿は大抵の場合そういう目的に使われるため、衛生的とは言い難い。確かに娼館なら酒も飲めるが、普通の酒場より高くつくだろう。
「よし、ここにするぞ!」
ジャンは引き返そうと身を翻したアレットの腕を掴み、薄暗くて中の様子がまったく視えない”いかにも”な宿を指さした。
「はぁ!? 本当にこの辺りの宿に泊まるつもり? 確かに安いだろうけど……」
神に仕える神官もいるということを忘れているのか。こんな場所に泊まるなどと言えば、拒否されるかもしれない。しかし、そんなアレットの不安を余所に、ジャンは彼女の手を引いて宿の扉を開け、ぐいぐいと中へ入っていく。
「ちょ、ちょっと待ってってば!」
アレットが声を荒げると、老齢の店主がジャンを睨んだ。
「揉めごとは勘弁してくれよ」
「なんも揉めちゃいねーよ。一泊いくらだい?」
「一人銅貨10枚だよ」
「や、やすい……」
驚きの安さにアレットの心が揺れた。受付フロアを見渡したぶんには、古くても不清潔さはない。
「二部屋空いてるか? 最悪一部屋でもいい」
「は? ちょ、ちょっとなに言ってるの?!」
男女三人なら二部屋は必要だ。隣接していれば尚いいが、それが最低条件だ。
「一部屋以上は貸せないよ。どうせよろしくやるのに、なんで二部屋も必要なんだい」
「や、やらないよっ! 二部屋空いてないなら他を探すので――」
「じゃあ、一部屋でいいや。鍵をくれ」
「えぇ?!」
老齢の店主はさも鬱陶しそうにアレットを一瞥すると、ジャンへ鍵を渡した。
「面倒を起こさないどくれよ。部屋は廊下の一番奥だ」
「大丈夫だって! ほら、荷物置きに行くぞ」
アレットはジャンに腕を掴まれ、強引に部屋へと引っ張られた。部屋へ荷物を降ろしたところで、アレットはようやく言いたいことを口にした。
「なんで一部屋にしたの?!」
「別にいいだろ。今まで散々荷馬車やら休憩所の馬屋で寝泊まりしたろ」
「わざわざ宿を借りるのに、そうする意味が分からないって言ってるんだよ! ベッド一つしかないじゃん」
アレットが指さしたベッドは、存外清潔に保たれていた。
「それはお前が使っていい」
「そういう問題じゃないでしょ。クリスもいるんだよ? 本人の意思も確認しないで――」
「私がどうかしましたか?」
聞き覚えのある声に振り返れば、突然背後に大男が現れた。その恐ろしい顔に、アレットは悲鳴を上げた。
「くっ、クリス!? どうしてここに――、」
「偶然入った宿の店主に、お二人がここへ向かったと聞きましてな。ちょうどこの宿へ入っていく背中が見えたので追ってきたのです」
「おお、そいつはよかった! 探す手間が省けたぜ」
呑気に笑うジャンの顔を張り飛ばしたい衝動に駆られながら、アレットはクリスに謝罪した。
「ごめん、ジャンが勝手に決めちゃって……嫌だったら別の宿を探してもいいから」
「特に問題ございませんが……」
部屋を見渡し、はてと首を傾げたクリスにアレットは頭を抱えた。そう言う目的の宿だと分かっていないにしろ、それをアレットの口から説明するのも憚られる。
「俺はさっそく隣へ酒を飲みに行くが、クリスもどうだ?」
「酒など久しぶりですな。いいでしょう、付き合います」
「……ちょっと待った」
流石に見兼ねたアレットが止めに入った。というのも、彼女は隣の店が決して酒場ではないことを知っていたからだ。
「隣に酒場なんてないよ。両側とも娼館だったけど」
それがなんだとばかりにジャンは鼻を鳴らした。
「腕輪の所為で遠くに行けねーんだから仕方ねぇだろ。娼館にも酒はある」
「貴方のことは気にしてない。行きたいならいけばいい。でもクリスは神官でしょ?」
アレットはジャンを咎め、クリスを引き留めた。
「確かに、神官として金で女性を買うのは規律違反ですな」
「そ、そうなのか?」
「当たり前でしょ、バカ」
「ばっ――、」
二人のお馴染みのやりとりを、クリスの声が遮った。
「しかし、女性を抱くことは禁止されていません」
その台詞に、アレットは言葉を失った。確かに、王宮には妻と子がいる神官もいた。女性と関係をもってはいけないという決まりはないのだ。それはアレットも知っていたが、クリスがあまりにも直接的な表現をしたので、驚いてしまった。
「金で買うことが問題なだけです。行為に関して言うならば、神官と言えどもそれが嫌いな男などいないでしょうな」
「……、……」
「当然だな。寧ろ、嫌いな奴なんて存在すんのか?」
この場にアレットの味方などいなかった。
暫く呆然としたあと、アレットは唐突に荷物の整理を始めた。受付フロアに風呂場があったのを思い出したのである。
「アレット殿……?」
「いってらっしゃい」
アレットは男二人とこれ以上会話をする気がなかった。そんなアレットを余所に鏡で髭を整え始めたジャンをみて、クリスは長い溜息を吐いた。
「ご安心召されよ。私は娼婦を買いませんし、この男のことはしっかり監視いたします」
「別に好きにすればいい。クリスだって、好きなら我慢しなくていいんじゃない?」
着替えと石鹸を抱えたアレットは、二人よりも先に部屋の扉に手を掛けた。
「でも金輪際、私とはきちんと距離を保ってね。変な病気を感染されたくないから。あと、出るなら鍵は店主に預けておいて」
部屋を出たアレットは、店主に風呂場を借りる旨を伝え、二日分の汗と汚れを洗い流した。湯浴みを終えると店主から鍵を受け取り、アレットは三人分の荷物が置かれているだけの部屋へ戻った。
◇
「あ~~~もうっ! なんなの?! 最っっっ低ッ! さいあくさいあくさいあくっ」
一時間後、アレットは枕を抱えながらベッドの上をのたうち回っていた。
「男ってみんなそういうことしか考えてないの? ジャンはともかくクリスまであんなこと言うなんて……」
ジャンとクリスの方が付き合いは長い。考えてみれば、最初からクリスを誘って娼館で一泊過ごすつもりだったのだろう。だから、借りるのは一部屋でよかったのだ。
「なに? ちょっとも我慢できないの? あー、汚らわしい!」
最初は心の靄をなんとか発散しようと魔導書を紐解いたり、荷物の整理をしたりしていた。しかし、静かな部屋に一人でいるとどうしても心に鬱屈とした靄が溜まっていき、やがて何をしても集中できなくなってしまった。
仕方がないから、気持ちを声に出しつつ、迷惑にならない程度に暴れることにしたのだった。
「本当に、男の人って――」
ずるい。
本音を言えば、それに尽きた。アレットだけを部屋に残して二人で楽しみに行ってしまったことにも腹は立ったが、問題はそこではなかった。これから死地に赴くというとき、決して後悔のないよう己の欲望を満たす。その行為に関してはアレットにも否定することはできなかった。しかし、彼女には恐怖心をごまかせる手頃な娯楽がなかった。
趣味と言えば魔鉱石の研究だ。それは好きなことだが、娯楽かと言われると違う。アレットにとって娯楽とは甘い菓子を腹いっぱい食べるとか、そういう種類のものだ。しかし、ここでそれは叶いそうにない。
「あー、嫌だなぁ……実体がない相手なんてどうやって撃退すればいいんだろう」
実のところ、アレットは幽霊の類が苦手だった。てっきり封印の手伝いだと思っていたアレットは、クリスの目的が行方不明者の救助だと聞いて、かなりビビっていた。
「店主にお酒置いてるか聞いてこようかな……」
考えたら怖くなってしまうので考えないようにしていた。しかし、目的地に近づくにつれ考えずにはいられなくなっていた。終いには恐怖心を酒で誤魔化そうとし始めたアレットを咎めるように腕輪がキツく締まった。
「い――ッ、!」
ピリッとした痛みが手首を襲い、咄嗟に左腕へ視線を移す。すると、腕輪の縁から一筋の真っ赤な血液が垂れてきた。
「な、に……どうして血が、出て……?」
ふいに、宿の外から女性の悲鳴が響いた。アレットはビクリと肩を震わせ、部屋の窓から外の通りを確認した。見れば、何事かと隣の娼館に人が集まってきていた。窓からその様子をみていると、ジャンを背負ったクリスが娼館の入口から出てきた。
アレットは息を呑んで、すぐに外へと駆け出した。通りへ出て、野次馬を掻き分けると、ジャンを仰向けに寝かせて傍らに跪くクリスが見えた。急いで二人の元へ駆け寄ると、アレットは泥塗れの地面に膝と手をついた。
「何があったの!?」
「アレット殿……いえ、大した怪我ではないのです。突然腕輪が光り、娼婦が手にしていた果物ナイフを落としたのです。それがジャン殿の胸に突き刺さってしまいましてな。咄嗟に致命傷は避けたようですが、肺を貫いて――」
ぜぇぜぇと苦しそうに喘ぐジャンの口から、ごぼりと大量の血が噴き出てきた。ナイフは既に抜かれていて、その際に派手に血が出たのか、血痕が足跡のように点々と娼館の入口へ続いていた。そしてその終点に、裸同然の娼婦が青褪めた顔で立っていた。
「はやく治癒魔法を!」
クリスにとっては大した怪我じゃなくとも、一般的にみれば大怪我である。見ている方の寿命が縮みそうだ。クリスは静かに頷いて、血で汚れた手を刺し傷の上へ掲げた。
「救世の女神よ、枯れた大地に恵みを齎す如く、その慈しみと誠をもって再生の癒しを我に与え給え。我が心と我が身は生ける女神にむかって……」
彼の詠唱に伴って暖かい光の粒子がジャンの身体を包み、傷口がみるみる塞がっていく。アレットも治癒魔法をこれほど間近で見るのは初めてだった。治癒とは簡単に言えば相手に魔力を注ぎ込み、人体の再生能力を上げる技だ。再生するまで魔力を分け与え続けなければならないため、大怪我であればあるほど使用コストが高くなる。
「いっっ、てぇー……」
完全に傷の塞がった胸を抑えて、ジャンはよろよろと起き上がった。
「ジャン、だいじょ――」
「ジャン!」
娼館の入口から駆け寄ってきた裸の娼婦がジャンにしがみついて泣き喚いた。アレットは延ばした手をそっと下ろして立ち上がると、クリスを労った。野次馬たちも彼が無事だったのを見て、早々と散っていった。
「お疲れ様。治癒魔法もかなりの腕前なんだね。やっぱり魔力量を増やすならクリスぐらい鍛えないといけないのかな」
「とんでもない。ジャン殿の再生力が並外れているのです」
確かに治癒魔法は個人の再生力にも依存する。つまり彼はクリスさえいれば、致命傷すらその場でなんとかなってしまうということだ。
「い゛ッ――!」
ジャンが再び呻いたので、その場に残っていた全員の視線が彼へ集中した。腕輪を抑えながら悶絶する彼の右手は紫色に変色していた。それを見たクリスは娼婦の肩にそっと手を置き、離れるよう指示した。
すると、鬱血し変色した手の色が徐々に戻っていく。
「ふむ……これは――」
クリスは様子を伺いつつ、確信を持った口調で言った。
「やはり、先ほどの事故も手の変色も“誓いの腕輪”が原因でしょうな」
元の血色を取り戻した手のひらを見つめながら、どういうことだとジャンはクリスに問いかけた。
「それは婚儀の際に使用される祭具と申したでしょう。つまり、誓いを交わした相手への裏切りに対して効果が発動したのです」
クリスの言葉にアレットも目を丸くした。もしそれが本当なら、腕輪が外れない限りジャンはアレット以外の女性と関係を持つことができないということだ。逆もまた然り。
「“――左手を差し出せ。さすれば汝に永遠の忠誠を授ける”」
アレットはふと頭に思い浮かんだフレーズを誦じた。この言葉は、遺跡の台座に彫られていた文字である。クリスとジャンの視線が、アレットに注がれる。彼女は自身の左手に嵌った腕輪を見つけた。
「左手を差し出した私には、彼の忠誠が授けられたってこと……? じゃあ、右手を差し出したジャンは――」
――右手を差し出せ。さすれば汝に永遠の愛を授ける。確か、台座の左側にはその文字が刻まれていた。ならば、ジャンはアレットの愛を授かったことになる。しかしそれだけではまだ、どの行動が”誓いの腕輪”の罰則の発生条件になるかわからない。
「……とにかく、腕輪が外れないうちは迂闊なことしないほうがいいかもね」
アレットは身を翻し、考え事をしながら宿の部屋へ戻ろうと歩き出した。クリスは娼婦へ銀貨を持たせると、ジャンに肩を貸しつつアレットに続いた。
結局、ジャンのせいでその日は一つの部屋を三人で使う羽目になったのであった。




