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1 代わり

 愛とは何か。

 単語としては知っていて当たり前であっても、はっきりと答えることが難しい問いである。辞書を引けば簡単かもしれない。インターネットで調べればすぐわかるかもしれない。でも、どこを見ても、答えは抽象的に書かれており、頭だけで理解するのは難しいものである。


 すぐに答えることができないというのに、大勢の人は言う。


 ――あなたを愛しています、と。



 ☆



 何一つ物音がしない静かな夜。墨をこぼしたかのように黒く染まった空に名もなき小さな星が瞬き、静寂があたりを包む。


 時間帯もあってか、車も人も動物でさえも全く通らない道。そのそばで自然に任せて育った木々が、たまに吹く風によって揺らされ、木の葉同士かすれてやっと音を立てた。その音のおかげで、より一層あたりの静けさを強調させる。


 よく言えば自然に溢れた田舎。

 悪く言えば魅力のない場所。


 そんな人の少ない地域。その駅前にある商店街から離れた場所で、とある家族が住んでいた。

 店舗兼住居となっている二階建ての建物。見た目だけで言えば、ボロボロで古臭い印象を与える木造建築だ。一階は真っ暗になっているが、二階にある一部屋だけ明かりが灯っていた。

 明るくなっている部屋の窓は開けっ放しになっており、時折吹き込む冷たい風が入り込む。そこは狭い和室で、父、母、そして娘の家族三人が喪服を着て、横並びに正座していた。


 三人の前にあるのは、白い布がかけられた小さな台。その上には、真っ白に包まれた一つの箱と、黒で縁取られた額縁に入っている、笑顔がまぶしいショートヘアの女性がうつる写真。そして花瓶に入れられた白い花が供えられている。


 その様子はまさに写真の中の人物に死が訪れ、一通りの式を終えたところを意味していた。


理歩りほ


 死がもたらした悲しみに暮れる中、黒髪と白髪が混じった唯一の男性が、写真の方を見ながら、右隣に座る実の娘――理歩りほの名前を低い声で呼ぶ。長い髪を低い位置でまとめた理歩の目に、涙はない。理歩はまだ、現実を受け止めきれていなかった。


「何、お父さん」


 目の前に起きていることが現実。それを自分自身にわからせるために理歩も写真から目を離すことなく、口だけを動かして返事をする。

 火葬をしても、骨を拾って骨壺に詰めても、理歩はまだ泣くことができていない。それを知っていながら、父は言葉を続ける。


「理歩。果歩かほの代わりに、お前が彼の家に嫁げ。それしか私達が生きていける術はない」

「あなた……」

「仕方ないだろう。彼の婚約者である果歩が死んだんだから」

「でも……」

「顔は同じ。声も、背丈も変わらない。それに流れる血も同じ。何せ一卵性双生児だ。髪も切れば、果歩そのもの。まさか果歩ではないと気づくことはないだろう」


 台上にある写真。そこに写る二人目の娘である『果歩』を想い、母が涙ぐみ、嗚咽を漏らす。

 理歩にとって、果歩は双子の妹。

 まるで鏡のようにそっくりで、同じものを食べて育った家族だ。

 高校卒業と共に、理歩が家を出て自由に職を選択した。そのために、妹の果歩が家業を手伝いながら、近所でパートとしても働いていた。雀の涙ほどしかないその収入でさえも家へ入れていたおかげで、火の車となっていた家計が何とか持ちこたえていたのだった。

 そんな果歩の代わりに、理歩が家業を手伝うという選択肢を父は提案しない。それはなぜか。収入を増やす手があったからである。


「できるだろう? できなきゃお前がいる意味がない。家に金も入れず、全てを自由にやらせていたのだから。その分、これから働くんだ」

「っ……」


 理歩は息をのんだ。

 膝の上で爪が食い込むほどに力強く拳を握る。買ったばかりの喪服にシワが付くことなんて、気にしている場合じゃなかった。


 これほどかというほど唇を強く噛んで、様々な感情を飲み込む。

 悲しみ、憎しみ、悔しさ、情けなさ。次々とあふれてくる想いを言葉にすることもできない。


 それもそのはず、実の父親が怖かったのだ。

 厳格で、しつけという名のもとに怒鳴る父が恐ろしかった。一緒に食事することもできないほどに怯えていた。


 それで理歩は家を継ぐことも、一緒に住むこともせずに、高校卒業とともに家を出た。二十五になった今では、実家から離れた場所で自立した生活を送っている。それなりに充実した生活をしていたのだ。


 家を出て以降、何度か実家から電話が架かってきたが、ずっと無視し続けた。

 それでも、同じ日にひっきりなしに、何度もかかって来る実家からの電話にしぶしぶ出たとき、初めて果歩が亡くなったと知った。


 どうして、というような質問はできなかった。だけど、電話越しに聞く母の声が震えていて、それが真実であることを感じた。

 慌てて実家に帰れば、冷たくなった果歩が白い布を顔にかけられて横になっていた。布を取って顔を見たら、まるでそこには自分が横たわっているかのようにそっくりで、一瞬恐怖を覚えた。同時に、全く動かないことから本当に死んでしまったのだと、思い知らされた。


 自分が先に家をでたせいで、果歩に苦労を掛けてしまっていたのは事実。家を出て以来、果歩とは電話でしか話していない。家族思いな果歩が姉の理歩を心配して、定期的にくれる彼女からのメッセージは、いつも明るい内容で楽しそうだった。


 そんな彼女の代わりをやれと言う。

 見た目は同じでも、性格は正反対だった果歩の代わりを。

 できっこない。無理だと思っていても、父の言葉を拒否することなんてできずに、黙り込んでしまう。


「やれるな? 理歩」


 目を合わせることなく、父は言う。

 拒否することはできない。それは父が怖いから。加えて、拒否すれば、これから家族が路頭に迷うことになることを知っているから。


 お金がない。そして職も、家も失えば、生活できなくなる。そしてその後に待ち受ける生活など想像できない。

 どれだけ苦しい生活か。いくら国が最低限の生活を保障すると言っても、限界があるだろう。


 しかし、それは自分の自由を捨てて、父の言葉に従えば回避できる未来だった。

 理解はできていても納得はできずに、理歩はすぐにうなずくことができない。


「できるよな? いや、やるんだ」


 うつむく理歩の肩に手をかけ、無理やりに自分の方へ顔を向けさせた父。整えていた長い理歩の黒髪が、その動きでハラハラと乱れて顔にかかる。


 自分の髪の隙間から見えた、父の顔はやつれていた。一家の大黒柱として、強い意思で仕事に向かっていた姿からは想像しがたいほどに。いつからこんな顔になっていたのだろう。しばらく顔を見ていなかったため、わからない。


 そんな考えが頭をよぎったが、すぐに理歩は現実に戻る。目前に迫る父は眉間に深く皺をよせており、鬼のような目が理歩をさらに追い込む。


「やれるよな? 果歩の代わりに。そして私達のためにも」


 母に助けを求めようと父の奥に見える母へ目をやった。だけど、そこには理歩が思っていた母の姿はなかった。


 最愛の娘を失った悲しみ。待っていたはずの明るい生活。それがいっぺんに無くなったために食事ものどを通らなくなっていた母。


 目の前にある骨と写真が、果歩の死が現実であることを突きつけ、母は体を小さくし、両手で顔を覆って泣いていた。


 このままでは両親共に、いつ倒れてもおかしくない。

 いくら父が怖くても、血のつながった家族だ。倒れてしまうのなんて見たくない。

 加えてこれ以上家族を失ってしまうのではないか、孤独になるのではないかという恐怖と、目の前の父に対する恐怖。それらが理歩の背中を無理やり押して、本心では進みたくない未来へ足を踏み込ませた。


「わ、かっ、たよ……」


 今にも消えそうで震えた声。それが理歩の現状で最大限のボリュームだった。

 理歩の答えを聞いた両親は互いに見合い、少しだけ光が差したように明るい表情を浮かべる。


 自分がやれば、みんな救われる。

 生活に苦しむこともなくなるのだ。

 だからやるんだ。


 そう信じて、理歩はこの日、自分を殺した。代わりに生きるのは『果歩』。

 亡くなった妹である『果歩』として、理歩は新たな終わりのない生活が始まるのだった。



 そしてこの日の決断が、理歩の未来だけでなく、多くの人の未来を大きく捻じ曲げることになる。

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