プロローグ
夕暮れから夜の闇に変わっていく時間。
私は塾が終わると自転車で家路を急ぐ。
帰り道の道沿いには神社があり、その周囲には何百年何千年と年月を重ねた杉の木が人々を見下ろすように何本も立ちはだかっている。
そんな木々の前を通るたびに、よくCMで流れるような壮大なメロディが頭の中で再生される。
メロディでテンションが上がってくると、私の前世はきっとこんな自然に囲まれたお城に住むお姫様だったと確信に近い感覚を覚える。
「絶対そうだよ。この杉の木デジャヴ感じるし」
そう独り言を呟いて高くそびえ立った杉の木を横目に見ながら自転車で突っ走るのだった……。
星山ななか16歳。高校1年生。
中学時代から通っている学習塾に今もなお通っている。
学校から帰ると休憩もそこそこに自転車で塾へ行く。
その日も普通に学校から帰り、服を着替え、塾用のカバンを手に取った。
「あ!そういえば、この前フリマで買ったキーホルダーをカバンにつけよ」
先日フリーマーケットに行った時に見つけた黒猫のキーホルダーのことを思い出した。
結婚を機に自分の私物をフリーマーケットに出店しているというお姉さんのお店を覗く。
可愛い物がたくさん出店されている中で一際目に留まる物があった。黒猫の人形がついたキーホルダーだ。
その黒猫は品物の端っこの方で私をじっと見ている気がした。
「すみません。あの黒猫のキーホルダーを見せてもらえますか?」
「あれ?こんなキーホルダーあったかな?はい、どうぞ」
お姉さんは少し考えながらそれを手渡してくれた。
首に青いリボンをつけた黒猫はちょっとすました顔をしている。私は一目で気に入りそれを買い取ることにした。
塾からの帰り道。
カバンに新しくつけられた黒猫は自転車が進むたびにユラユラと揺れている。
しばらく自転車で走るといつもの神社の前に差し掛かった。
ふと来週の塾の模擬試験が頭をよぎり、神社で神頼みをして行こうという気持ちになった。
神社に少し入ったところに自転車を置き、鳥居をくぐって賽銭箱の前に立ったその時だった。
カバンにつけていた黒猫が急に光り出したのだ。
「えっ?何これ!何で光ってんの?」
何が起こっているのか分からず慌てていると黒猫はさらに強い光に包まれている。
すると、目が開けられないほどの光の先に薄っすらと1人の影が浮かび上がった。
光の中から現れた人物はゆっくりと私の方に近寄ってくる。
「だ、誰?」
怖くてその場から動けない私の前に彼は現れた。
「初めまして、お嬢様。私は黒猫幻想旅行社のトキヤと申します。以後お見知りおきを」
そう言ってトキヤは恭しくお辞儀をした。
清潔感のある黒髪のショートヘアに紺色のフォーマルなスーツを見に纏っている姿はまるで執事のようである。
白いワイシャツの上の青色の蝶ネクタイにはどこか見覚えがあった。そしてすぐにそれを思い出した。
「あなたもしかして黒猫の人形?!」
「はい。左様でございます」
私が驚きながら聞くとトキヤはまたお辞儀をした。
「私をお手に取っていただいたお嬢様は100人目のお客様でございます」
「100人目?お客様?どういうこと?」
私が困惑しているとトキヤが説明を始めた。
黒猫幻想旅行社は前世の体験が出来る旅行会社である。
しかし全く同じ歴史を繰り返すのではなく、前世の人物になりきってその環境を体験するというものである。
体験する前世は5つであり、前世に行くためのドアをくぐれば体験旅行がスタートする。
トキヤは同行は出来ないが客の脳内に呼びかけることで会話が出来るという。
現地には頼りになる現地スタッフがおり、客と同行して一緒にその世界を体験してくれる。
現地で問題が起きた場合は旅行が強制終了となり、すぐにこちらの世界に帰ってこれるシステムらしい。
そして私がこの旅行の100人目の客であるようだ。
「以上でございます。何かご質問等ございますでしょうか?」
「いや質問の前にさ、前世に行きたいなんて私言ってないんですけど?」
私が慌てて言うとトキヤは少し微笑んで続けた。
「お嬢様。お嬢様はご自分の前世が何であったのか非常に興味があるはずでございます。私共のセンサーがちゃんと反応したのでございますから」
トキヤはそう言うとカバンにつけていたキーホルダーを上に掲げた。
「えー!これセンサーなの?」
「左様でございます。センサーが反応すると光る仕組みになっております」
確かにいつもこの神社の前を通ると前世のことを考えていたけど何せ心の準備が出来ていない。
「でも家に帰らないと。家族が心配するし」
そう尻込みする私を安心させるようにトキヤが笑顔で答える。
「旅行が終わると元の時間と場所に帰ってまいりますので大丈夫でございますよ」
「そ、そう?」
「お嬢様。そろそろお時間でございます」
トキヤはそう言うと持っていたベルを鳴らす。
チリンチリン。
そのベルの音に合わせて1と書かれたドアが突如現れたのだった……。