第22話 古き女神
アンネトワットは走っている。すでに暗くなりつつある村の中の道。良く知ってる道ではあるけれど、足元は踏み固められているだけでまっ平らな舗装された道では無い。暗闇の中では危ない。
そんな事も気にせず、少女は走っていく。
「アンネ、危険よ」
そんな声が追ってくるけど、気にしてはいられない。行く先は村はずれの家。
デレージアはやっと追いついた。アンネトワットは運動が苦手な大人しい年下の少女。デレージアは運動は得意だし、身体も鍛えてると自認している。あっと言う間に追いつけると思っていたのに、なかなか少女の背中に辿り着けなかった。やっとその華奢な肩に手を伸ばす事が出来た。
「ちょっと、アンネ落ち着いて。
単独行動は危険よ。
自警団の人にも来てもらって一緒に行きましょう」
「いやっ!
あたし、あたしシルフィード様のところへ行かなきゃ」
……しるふぃーどさま?
なんの事?
デレージアがキョトンとした顔をすると、アンネはハッとしたように口をつぐんだ。まるで言っちゃいけない秘密を口にしてしまったように。
「……マーティン家に行くのよね?」
ナイトの家に行くのよね? とは訊かない。なにかそう訊かない方が良い気がした。
……だって、そうですと言われたらどう反応していいのか分からない。
「あの家は大丈夫よ。
アーサーさんがいる。
自警団の人たちも祖父も言っていたわ。
あの人は顔に似合わず手練れだって。
結構名の知れた冒険者だったんですって。
心配しなくていいわ」
「…………でも……
ナイトくんもナイトくんのお母さんも居るし、それに小さい妹さんも居るって聞きました。
逃げ遅れてたら……」
「……!!!
アンネ危ない!」
一角兎!
アンネトワットに背後から飛び掛かろうとしている。
デレージアはその状況に素早く反応した。年下の少女を突き飛ばし、モンスターの目前へと進み出る。
ロウクワットの木刀を握りしめる少女。上で結った金髪の毛が揺れる。
「…………!……」
鋭く尖った角が自分の腹部目掛けて飛んでくるのを躱して、木刀を横薙ぎに振るう。
「…………」
行くか? 場所は家に近い。
ナイトに任されたのは家族の家の留守番と妹の世話である。
本来、どんな用事があろうとも家を出るべきでは無い。
……しかし……
もう場所はすぐそこ、さっと行って、即戻ってくる位は難しくない。
……だけれども……
ナイトの手には妹が眠っている。少し前は一瞬むずかっていたが、現在は目を閉じて天使のような顔を見せている。
この天使を連れて戦場に赴く。
馬鹿な、在り得ない。
ではこの無力な妹を一人残して出て行く。
それも許される物では無い。
ならば…………
やはりこの家に居る。この家で素直に家の護りを固め、妹の面倒をみる。それこそが正しい選択。
……の筈だ。
手応えあった!
デレージアには確信があった。間違いなくダメージを与えた。
ぐぎゅぷっ!
と珍妙な音を出したウサギは地面に倒れてる。死んではいないがまともに立ち上がれない様子。
良し、トドメを刺す。
普通の女性ならそこまで思い切れないだろうが、デレージアは辺境の少女。さらに剣も習っていて、村長の孫娘として事件の現場にも立ち会ったりしている。
「だめぇっ!」
アンネトワットの子供らしい高い声が響くけど。
アンネごめんね。横を向いていて。これはモンスター、トドメを刺さないと。
「デレージアさん、後ろっ!」
アンネが叫んでいたのは傷ついた一角兎の事では無かった。デレージアの後ろに現れた大きな影。
邪悪犬!
GURURURURURUR!
獰猛な唸りを上げる影。その牙は鉄の鎧をも貫くという。
デレージアは革鎧すら着けていない。厚手の布の服とスカートという出で立ちなのである。
邪悪犬。
そのモンスターとナイトは戦った経験がある訳では無いが。これは手強い。気配で分かる。デレージアではまともに戦いにならないだろう。それ位は手に取るように分かる。
ナイトの身体が勝手に動く。特にそうしようと思った訳でも無いのに身体は動いて、赤ん坊をベッドに横たえていた。
薄手のシャツの上に革のベストを羽織る。革鎧では無いが、心臓を守る役目は果たせる。
普段から服に隠し持つナイフだけでは不足かもしれない。父親の予備の剣が在った筈だ。
乱雑に放り出された装備の中に一本目立つ鞘がある。黒光りする美しい拵え。とりあえず目についたそれを手に取る。ナイフと銃火器ならば使い方は身体にさんざん叩きこまれている。あまり剣を使った事は無いが、両刃の剣ならば前方に突き出せば良い。ナイフよりはリーチがある分、牽制に使える筈だ。
ソフィア・マーティンは外からは寝ているように見えていた。だがその実は薄目を開けて兄の行動を見ていた。
決意のマナザシで武装を整える少年。それはそれでカッコイイ。
イケる!
ご飯三杯はイケる!
コラ、亭主、何しとんじゃーい!
とっととミルクのお替りもってこんかーい!
ってなモノではあるのだが。
だが……しかーし!
にいちゃんが前髪パッツンとポニテ金髪の美少女に騙されるのを黙って見てる訳にはいかんのじゃ。
その目が怪しく煌めく。
赤子の背後になにかが現れようとしていた。
人間としては鋭敏な感覚を持つナイト・マーティンでも気付く事が出来ない。
神霊眼を持つ者なら見えていたかもしれない。
なにか煌めく光の欠片。宙に舞い散る神霊光の結晶。
それは形を成そうとしていた。
王杓を持ち光輝く髪を短くまとめた美しき古き女神。
何が起きているのか分かる者がいたら叫んでたかもしれない。
「……バカな!
古き語られぬ神! ヘーラー女神。
最高神を含めるアスガルズ神族以外の神はこの大陸では既に祀られていないが……
別の大陸では今でも崇められていると言う。
その中でも最高位に属する女神では無いか。
女神に近い存在、精霊であったり下位神を降臨させる、その力を借りる程度ならば、そこら辺の巫女でもやってのける。
しかし最高位の女神など……
しかもそれを視認出来る程にこの世界に実体化させるなど、どれだけの魔力があっても不可能!
そんな事遥か遠き神話の時代以降、聞いたことが無い!!!
まして!
それを起こしたのが赤子などと言う事は!
在り得ない!
在るはずがぬわぁいのどぅああああああぁあああ!!!」
物質界に突如として実体化させられた女神の目が開こうとしていた。
いかん!
いかんのじゃ!
よー分からんが勢いのまま、なんかとんでもない事をしてもうたかもしれん!
わし、もー怒っとらん!
とりあえず物騒なフンイキ収めてくれんかのう。
ソフィア・マーティンはなにが起きてるかは分かっていなかったが……
なんかやべー事してしまったかも位は感じ取れていた。
娘よ! 我に呼びかける。我らに連なる力を持つ娘よ!
えーと……あっしの事かな?……
左様である!
それはそれは。てへっ。えーと……なにか御用で……
それは此方の台詞であろう。我は其方に呼び出されたのだ。我は何をすれば良いのだ。
えーと……えーと……
そしたらなー。
あっこの美少年分かるか。
あれ、あっしのにいちゃんなんじゃ。
あれ、少し眠らせてくれんかのう。
いかんかなぁ。
あんた、女神様やろ。
人を眠らせるくらいなら出来るよなぁ。
お茶の子さいさいじゃよな。
信じとるで、なんとかお願いできんか。
眠らせれば良いのだな。
古き女神の目がその瞬間光った。かと思うと、光の粒子を残しそこに在った存在は空気に吸い込まれるように消えて行く。
この程度の用件で我を呼び出すものではないぞ。しかし其方には我は強く言えん立場の様だ。またいつでも呼ぶがいい。
ソフィア・マーティンの前から古き女神は消えて行くのである。
そしてその兄、ナイトは立ったまま目を閉じていた。
その口元からは静かな寝息が聞こえてくるのである。




