12回目 文章力がないから駄目というなら、ますます誰も書かないわな
小学生並の文章力。
小説家になろう批判とかで見るものだ。
そもそもとして、どの程度の文章力があればいいのか?
それを判断するのは誰なのか?
勝手に基準を作って勝手に判断するな。
そんで、こういう意味不明な基準を持ち出したとしてだ。
なら、批判者共の文章力はどうなんだ?
感想なりエッセイなりに出没してる連中だが。
そいつらの書いてるものの文章力はどうなんだ?
それは求める水準に到達してるのか?
到達してるとして、誰が判断してる?
もっとも、批判者が投稿してる作品はほとんどみかけない。
これ、エッセイとかで批判とかしてる人のマイページを見にいって気付いたのだが。
作品を書いてる人が意外に少ない。
書いてもエッセイくらいだ。
なので、文章力とかの判断が出来ない。
あと、評価もしてない。
ブックマークもしてない。
なので、その人が何を見て何を楽しんでるのか。
それが分からない。
なので、
「批判者が好むような話ってどんなだろ?
もしかしたら面白いかもしれないから、見に行ってみよう」
という事が出来ない
だから、「もっと面白い話があるのに」と嘆いても、それがどこにあるのか分からないという事になる。
そもそもとして、評価もしないような奴に付き合う必要も無い。
やるだけ無駄だ。
素直に評価してくれる人と仲良くしていたほうが健全である。
横道にそれたので、少しばかり本題に戻りたい。
作品を書いてる人もたまに見かけたりはする。
しかし、残念ながらそれが面白いという事もなかったりする。
文章力についてはどうなのか分からんが。
一応、意味が分かる文章になってるので、読むのに支障はない。
なので、内容の問題なのだろうと思う。
まあ、内容が良くても、見せ方・読ませ方が駄目ならどうにもならんのだろうが。
とはいえ、はっきり言う。
文章力はどうかなと思うものでも、面白いと思えるものはある。
文章力が良いにこした事は無いが。
もっとも、何をもって文章力としてるのか分からんが。
読める文章が書ける事だろうか?
話の内容も含めてだろうか?
今ひとつ分からない。
ただ、小学生並の文章力であろうと、それはそれで良いと思う。
敷居がそれだけ低いのだ。
多くの才能がやってくる可能性がある。
この敷居の低さが、良作を増やす土台になる。
あとは書き続けるだけだ。
だって、文章が駄目というなら、その文章を後で書き直せばいいのだ。
それが出来るのも投稿サイトの良さだ。
文章力はとりあえず置いておく事が出来る。
それこそ、小学生がやり始めたっていいのだ。
それが何年も何十年も続けたら、かなりの能力に成長するだろう。
その可能性を満たすためにも、文章力なんて気にしちゃいけない。
むしろ、そんな事を理由に追い出そうとする。
排除しようとする。
それが作品の質を落としていく。
今後の可能性を潰すという形で。
将来、面白いものが出て来るかもしれない、その可能性を叩きつぶしてしまう。
というわけで。
批判者は批判なんかしないでいましょう。
ただし、批判者の言い分も否定するつもりはない。
だから、批判者は小学生並の文章力ではなく、もっと高い文章力をもってくるように。
それがどんなもんか知らんけど。
知らないけど批判者が自ら言ってる事だ。
批判者の求める最低水準をしっかり超えてから何かを書くように。
他の誰でもない、批判者自身の基準に従って。




