とあるひ
なつのひ
溶けたアイスが手首を伝う。手首から腕へと伝おうとするそれを舌で舐めとり、残りのアイスにかぶりつく。口の中でチープで慣れ親しんだソーダの味が広がった。
澄んだ青空の広がる夏の暑い日。すっきりとした空の鮮やかな青色とは違って、心の中はどんよりとした灰色を描いている。だってすごく暑い。動くのも億劫なほど。
半袖のカッターシャツから晒された腕は、明るい光を放つ太陽に容赦なく焼かれていく。さっきまでクーラーの効いた教室にいた身には過酷だ。気分はフライパンの上で焼かれる野菜。こんなにも調理される野菜に心を寄せることは今後ないと思う。
あーあ、早く秋になったらいいのに。
「あー。あっつい」
そう言葉に出してはさらに暑くなるだけ。急に冷たくて、気持ちがいい風が吹いてくれることなんてない。そんなこと分かっている。
でも、自然と声は出てしまう。声に出ちゃったものは仕方ないよね、うん、仕方ない。
誰に言うでもない言い訳を頭の中で繰り返していた時だった。
「暑いって言うなよ。もっと暑くなるじゃん」
隣からもっともな意見が突き返されてきた。んなことわかってんだよ。
むすくれながら、横をちらりと見る。千秋は既にアイスを食べ終わっていたらしい。涼しい顔してタオルで首を滑り落ちる汗をタオルで拭っていた。
くそぅ。顔が整っていると、汗を拭う姿でさえ様になる。お前はいったい何なんだ。悔しい。
そうこうしているうちに、アイスは最後の一口になってしまっていた。
あぁ、頼みの綱、アイスよ。お前はいってしまうのか……。
脳内で繰り広げられる茶番もほどほどに、少し残ったそれを口の中に入れる。アイスによって、内側から冷やされた体が温まるまで時間はかからず、すぐに暑さが気になってしまった。
じっとりとべたつく肌を制汗シートで拭っても、すぐに汗が肌の表面を覆っては、べたつかせる。きりがない。
「クーラーの効いた部屋に行きたいわ」
はぁ。と零れ落ちた溜息は、きゃあきゃあ騒ぐ子供の声にかき消された。こんなに暑い中、小さな子供は元気に遊具で遊んでいる。
学校終わりの放課後だっていうのにさ、元気だなぁ。いやぁ、若いってすごい。その元気少しでいいから分けてくれないかなー。
ぼんやりと子供を見つめていたら、千秋がぼそりと言葉を放った。
「クーラー欲しいのわかるわ。ところでさ、うち、部屋クーラーあるし、新しいゲームもあるんだけど。どうする?」
クーラーという魅力的な言葉が隣から聞こえた気がして、千秋の方を勢いよく振り返る。今日の中で最も俊敏な動きをしたんじゃないかってくらい早く。
視界の中の千秋は、その綺麗な顔の上にいたずらっ子のような笑みを浮かべてる。
「で、どうする?」
え、神か。お前が神様だったのか。
今日この場において、一番うれしい提案を前に、自然と口角は上る。
その後どうしたかなんて野暮なことは語るまでもないだろう。
あきのひ
木々の葉が鮮やかな緑を美しい赤や黄色へと色を変えた頃。色鮮やかな秋の日。
夏の置き土産の暑さが、少しだけ肌をベタつかせる。夏は焼かれる具材の気分だったが、秋は蒸される野菜の気分だ。ちなみに、野菜に心を寄せるのは、年内二回目である。まぁ、どうでもいいか。
長袖のシャツを腕まくりしていても、じっとりとした蒸し暑さが気になる。半袖でも良かったかもしれない、なんて今更過ぎる後悔をした。
そんなこと考えていると、コンビニが目に入った。すると、くぅとお腹がなった。
秋の放課後ってなんだかお腹すくよね。
「ねぇ、コンビニ行きたい」
隣で歩く千秋の袖を引いて、コンビニを指さす。ついてきて、とはっきり言葉にしなかったけれど、千秋なら伝わるはずだ。
「あー……、わかった」
予想通りあっさり了承してくれたので、一緒にコンビニへと足を向けた。自動ドアが開き、よく聞きなれた軽快な音楽がなる。
「こっち見てるから」
と千秋が雑誌棚を指さしながら言うのに、頷いて了承の意を返す。スタスタと雑誌棚の方へと歩く背中を見たあと、真っ直ぐにレジへと足を進めた。
この季節はコンビニを見ると、肉まんが頭に浮かぶもんだから、どうしても食べたくなる。この現象は何なんだろうか。名前を付けたい。まぁ、センスないから無理なんだけど。誰か名付けてくれないかな~。
とか考えているうちに、レジの前に到着していた。さっさと目当ての品を買って、雑誌棚を見ている千秋に声をかける。早く店から出て肉まん食べたい。
「終わったよ」
そう声をかけると、
「あぁ、帰るか」
と返された。自動ドアをくぐると、入った時と同じように軽快な音が頭上で響いた。
色とりどりに染め上げられた街路樹が囲う歩道の中を歩む。この前まで清々しい緑色をしていたのに。季節が過ぎるのはあっという間だ。
手にぶら下げたビニール袋からアツアツの肉まんを取り出して半分に割った。
「半分あげる」
半分に割ったうちの片方を千秋に差し出す。
「ありがと」
際出したそれはすんなりと受け取られ、短い感謝の言葉が返ってきた。もっと感謝するがいい。いや、ついてきてもらったお礼だしいいけど。
二人してぱくりと肉まんを口にする。ふわふわの皮と中の餡の味が口の中を満たす。
今日のそれは何となくいつもより美味しい気がした。まぁ、いつも美味しいんだけどさ。
どうして帰り道に食べる肉まんは美味しいのか。
そんなことを考えて歩いていた。
ふゆのひ
白、白、白。
視界に風に揺られてひらひらと柔らかに揺れて舞う純白の雪が見える。吐いた息も白い。寒く、冷たい、雪の降る冬の日。
あまりに冷たく、肌を切り裂くような風が、手袋を忘れて外気に晒された手を冷やし、指先を赤く染めていく。ついでに言うとマフラーすらも忘れた。首元も寒い。
自分の馬鹿野郎。数分前の、家から出る時の自分をぶん殴りたい衝動に駆られる。悔やんだところでマフラーも手袋も降ってくることはしない。あーもうバカ。
少しでも寒さが紛れるようにと、行儀は悪いが、裸の手をコートのポケットに入れて寒さを凌ぐ。
目の前でまたひらりひらりと雪の結晶が舞う。今日はほんとに寒いなと思いながら、ゆっくりと歩を進めた。
すると、突然ほんのりと暖かい何が首筋に触れた。
「うおぁ!?」
驚いて奇声をあげる。いや、うおぁって何。言ったの自分だけど。どんな奇声?
すると、くくくっと笑う声が聞こえた。うわー。この声知ってる。よく知ってる。毎日聞いてるもん。
「うおぁってどんな奇声……」
ほんとどんな悲鳴だろうね。今自分に問いかけてたところだわ。
自分でも思っていたことを他人に、しかも千秋に指摘されると、なんだか妙にイラッとする。
ねぇ、知ってる? こんな声出したの千秋のせいなんだけどな~?
「いきなり何するんのさ。びっくりしたわ、なにしてんの」
むっとしながら何をしたのか尋ねる。いやほんとなにしたの。首に当たったのなに。怖いんだけど。
「はいこれ」
すると、千秋は手袋をした手をこちらに差し出してきた。中を覗いてみると、ホットココアの缶が顔をのぞかせた。
「お前の格好見てるだけで寒そうなんだけど。ほら、これも貸すから。早く受け取って」
ん、とぶっきらぼうにもう一度手を差し出し、ホットココアを受け取るように言ってくる。
えっ、なになに。優しい千秋が怖い。
とか思っていたら、千秋が首元までかっちり閉められたコートのボタンを一度外した。と思うと、首元までに巻かれたマフラーを外して、ホットココアと同じように差し出してきた。
「いや、それじゃ千秋が寒いじゃん」
差し出された二つのうち、ホットココアだけを素直に受け取る。マフラーまで受け取るのは、さすがに申し訳なさすぎる。
「お前のコート首元隠れてないし、手袋も持ってないし。このコート、首元隠れるし手袋もあるから。それにお前が風邪引いたらつまんないじゃん」
全くもう‼ お前ってやつは‼
イケメンなことを言ってくれる。顔が奇麗なだけじゃなくて、言動もかっこいいとかなんなんだ、お前は。照れるじゃん。さっき怖いとか言ってごめんね!
それになに、お前がいないとつまんないって。かわいいこと言ってくれるな!
そんなことを頭の中で叫んで、マフラーを受け取る。脳内では大声だったけれど、口から出たありがとうの声は、ボソボソと聞こえるか、聞こえないかってくらいの小声だった。素直に感謝を述べるとか、照れくさくて仕方ない。
肌触りの良いマフラーを外気にさらされた首元に巻く。すごく暖かい。
マフラーが首に巻かれたのを見ると、千秋は満足げに自分のコートのポケットから、ホットココアを取り出した。二人してホットココアの缶を開けて飲んだ。
ほんのりと暖かく甘い液体がのどを通り、冷えた体を暖めてくれた。
さっきは冷たいだけの白も、雪も、今はどことなく奇麗で温かく見える。
そうして、学校に向かうべく、二人で話しながら白の世界の中を進んだ。
はるのひ
太陽の暖かな光が窓から降り注いでくる頃。柔らかな光と、桜の花びらが舞い散る春の日。
窓辺の席はほんのりと明るくて、暖かくて、つい眠ってしまいそうになる。桜の花びらが優しい風に揺られて舞っているのを見ていたら、ふぁ、と欠伸がでた。
きっと眠ったら気持ちがいいに違いない。
ふと前を見てみると、いつも一緒にいる千秋がくぁっと欠伸をしていた。どうやらあいつも眠いようである。
あー、早く昼休みにならないかな。
そんなこと思っているうちに授業の終わりを告げるチャイムがなり、休み時間が訪れた。
机から身を乗り出して前に座る千秋の背中をつつく。
「ねーねー、早くご飯食べようよ。ねぇってば」
声をかけて背中をつつき続ける。千秋の身体がつつかれる度に、ピクピク震えている。
おもしろいな、これ。
「わかった、わかったから。背中をつつくのやめて。くすぐったい」
やめろと言われるのに従って背中をつつく指を止める。すると、千秋は椅子をこちらに向けて向かい合わせに座った。
そして、カバンをゴソゴソと探り、弁当と水筒を取り出してこちらに身体を向けた。それを見て、自分もカバンの中から弁当と水筒を取り出し、机の上に広げる。
「「いただきます」」
二人で小さくそう言ってご飯を食べる。ふと、向かいにある弁当を見てみると、たけのこご飯が入っていた。
羨ましい。美味しそう。食べたい。
じっと見つめていると、千秋が自分の弁当に向けられる視線に気がついて声をかけてくる。
「なに」
「たけのこご飯いいなー、食べたいなー」
千秋がこっちを見たので、待ってましたと言わんばかりに、上目遣いで見つめる。すると、千秋は、仕方がないなぁと言うようにため息をついた。
その様子に、おっ、これはもう一押しだと思って、そいつに向かって口を開けてみる。
まるで親鳥に餌をねだる小鳥のようだなと自分でも感じた。
「一口ちょーだい」
できるだけかわいらしさを醸し出し、おねだりをしてみる。すると、もう一度深いため息をついたあと、千秋は、ほら、とたけのこご飯をひとくち食べさせてくれた。
出汁が染み込んだきゃききゃきのたけのこと、柔らかいご飯が口の中を満たす。めっちゃうまい。
冷めててもこんなに美味しいんだから、あったかかったらもっと美味しいんだろうなぁ。出来立ても食べてみたい。
「ん! おいし。ありがとー」
もぐもぐと咀嚼して、感想とお礼を述べる。そして、自分の弁当の中からおかずをひとつ取り出し、千秋の弁当の中にそっと入れた。もらうだけは申し訳ないから、これでお相子。
すると、
「今日だけだから」
と釘を刺されてしまった。
ちぇ、今度また千秋のお弁当にたけのこご飯が入ってたら一口分けてもらおうと思っていたけれど。こんな思考、千秋にばれてたみたいだ。
まぁでも、なんだかんだ言って優しい千秋のことだから。今日みたいにため息ついて、仕方ないなって言って、一口分けてくれるんだ。
そんなことを繰り返しながら、今年もいつも通りと同じようにこいつと一緒に一年を過ごすのだ。