侵略者
「はいよ、ご注文の品だ」
ゼルガの森、ロザリンドの家の前で魔女から一抱えほどもある金属製の輪を受け取ったのは、トロルのギディアだ。
「へへ、ありがとよ。で、どう使うんだ?コイツぁ」
「指に嵌めるんだよ。サイズは合うかい?」
ロザリンドにとっては「一抱えもある」だが、ギディアから見れば確かに指輪として丁度いい大きさだ。
左手の親指から順に試して薬指で落ち着いた指輪は、燐光を放って装着者を覆うと、その姿を変化させていった。
小さく、より小さく――――
数秒後、ロザリンドの前には身長2メートルほどの、引き締まった筋肉質の女が立っていた。
「面ぁ、そんなに変わってねぇな」
「そのままで充分イケる顔なんだからいいだろ?」
ロザリンドから借りた鏡で確認しつつ呟くギディアに、ロザリンドが応える。
元より、ギディアは野性味をたたえた美人だった。
トロルとしては異相で、彼等の価値基準でいうと“醜い”顔だが、人間の美的センスによれば充分過ぎるほどの“美人”なのだ。
「外見が人間になった以上、元の姿ほどの能力は出せないよ。しかし……人間なんかになってどうするのさ?」
「どうって……これならコーイチと子作り出来るだろ?」
「こづ!……?!」
胸を張るギディアと、絶句するロザリンド。
「なんだよ、より強いオスと子を成すのはトロルの本懐だぞ」
「そりゃ知ってるけどさ……魔法で変身してたって、トロルはトロルなんだよ?人間との混血なんて可能なのかね?」
「前例がないからって、不可能とは限らねぇよ」
会話を交わしつつ、ロザリンドはギディアに短剣を渡す。
受け取ったギディアは、おもむろに己の腕にソレを突き立てた。
グリグリと捻り、肉片を掻き出すとロザリンドが用意していた瓶に入れる。
「トロルの肉、確かに受け取ったよ」
「こんなもんが代価になるなら易いこった」
話している最中にも、ギディアが自らつけた傷はみる間に塞がっていく。
ギディアとロザリンドは、これまで「互いの存在について知ってはいるが、会った事はない」状態だった。
ギディアはゴブリンからロザリンドという強者の話は聞いていたが、『魔法使いの強者』に関心が持てず、ロザリンドの方は「触らぬ神に祟りなし」で接触を避けてきたからだ。
二人が「知り合い」になったのは、浩一の仲介の結果だった。
ギディアは人間化の魔法を欲し、ロザリンドはトロルの再生能力を研究する材料を欲していた。
かくして初めて交渉を持った両者は、思いの外ウマが合う事に気付いたのだった。
「この格好なら、お前の家(巣)にも入れそうだな」
「……その図体でもご遠慮願いたいもんだけどね」
ミスラルの遺跡での戦利品によって更に手狭になったロザリンドの家は、本人ですら足の踏み場を探さざるを得ない状態だ。
近く、浩一とナナミの伝手でゴブリン達に手伝ってもらって改築する予定だが、それまでは来客を招くのは無謀といえた。
――――と。
にわかに空が暗くなった。
暗雲が空を黒く染める。
ロザリンドの見立てでは、今日は終日晴れの予想だった。
魔女の天候予測を覆す、それすなわち魔法だ。
『天候操作』は、かなり上位の魔法だ。
視覚を飛ばして辺りを確認したロザリンドは、黒雲が広大な森の全体を覆っているのを見た。
尋常ではない事態に、二人は身構える。
北の空からコウモリが飛んで来たのは、かりそめの夜が訪れてすぐだった。
二人の頭上で旋回しつつ、人語を喚く。
「これは先触れである!偉大なる女王シャルロット・ノーザ・ヴァンロード陛下は、この地を直轄地とされる事をお決めになられた!この森に住む全ての知恵ある者は、森の北端に転移した陛下の居城に詣で、忠誠を誓え!拒む者は悉く死滅する事となるだろう!」
一通り喋ったら、コウモリは帰るつもりだったのだろう。
だが、いくら羽ばたいても視界が動かない事に気付き、コウモリは狼狽えた。
地上に立つロザリンドが、掌をコウモリに向けていた。
その指先から伸びる金色の糸が、コウモリに巻き付いていた。
あっという間に手繰り寄せられ、ロザリンドの手中に収まる。
「魔力で作られたコウモリだね。あの言い振りだと、森の隅々に大量に飛ばしてるだろう。これほど広範囲の天候操作といい、こりゃ相当な力の持ち主さね」
コウモリを握り潰して霧散させつつ、ロザリンドが語る。
しかし、語るロザリンドにも、それを聞くギディアにも畏怖や緊張の色は無く、むしろ不敵な笑みすら浮かべていた。