宿屋にて
冒険者の宿『そよぐ木の葉亭』は、セルトロスの宿屋の中では中の上〜上の下といったランクに位置している。
冒険者登録を終えた夜、ロザリンドの奢りで部屋を確保した一行は、一階の食堂で好奇の視線に晒されていた。
「はいコーイチ、あ〜ん♪」
ナナミが満面の笑みで浩一の口元にスプーンを差し出す。
ナナミがロザリンドと浩一に同行した理由は、これだった。
浩一の為に椅子を引き、食事を口に運び、拭うーーーー
ロザリンドが「恥ずかしいから絶対に嫌」といった作業を、ナナミは遊び感覚で嬉々としてこなしていた。
「いいご身分だなぁアンちゃんよぉ」
王侯貴族やお大尽というよりは、介護老人という体の浩一に絡んだのは、中堅冒険者チーム『鷲の目』の斥候、モーリスという男だった。
神経質そうな細い目が、侮蔑をたたえて浩一を眺める。
冒険者の宿では、登録したての“駆け出し”の冒険者には難癖をつけてでも絡み、その対応を試して実力を測るという風習があった。
「ご希望なら代わろうか?」
だが浩一の対応は穏やか極まるもので、まるで喧嘩を売られている事に気付いていないかのような口調だった。
「いや結構。それより俺の酒も飲んでくれや」
軽くあしらわれて元より赤かった顔を更に赤らめたモーリスは、手に持っていたエール酒のジョッキを浩一の頭上で傾けた。
ほとんど減っていなかった中身は、浩一の髪を、顔を、服を存分に濡らした。
周囲からは呆れ半分の笑いが上がる。
――――しかし
「ごちそうさま」
浩一は怒るでもなく、むしろ微笑さえ浮かべて礼を述べた。
(舐めやがって!)
浩一の態度の中に嘲笑を幻視したモーリスは、追撃を加えるべくもう片方の手で手近な料理の皿を取った。
「それぐらいにしておきな」
モーリスを止めたのは、カウンターからの声だった。
宿屋の主人だ。
引退した元冒険者である主人は、前衛職だった。
今でも鍛錬を欠かしていない腕は、女の腰ほどもある。
鋭い眼光に射抜かれたモーリスは皿を戻すと「ヘタレ野郎が」と捨て台詞を残して自分の席に帰っていった。
食事を終え、宿泊階へと上がってゆく浩一達を見届けると、『鷲の目』の仲間達は一斉にモーリスを責めた。
「お前、いくら何でもやり過ぎだぞ」
「何考えてるんだ」
しかしモーリスは悪びれない。
「あんな冴えないオッサンの『駆け出し冒険者』にビビってんじゃねぇよ。しかも野郎、喧嘩も買えない弱虫じゃねぇか」
その悪態を遮ったのは、追加のエールを持ってきた主人だった。
「命拾いしたな」
「は?」
「あの新入り、只者じゃないぞ」
「何を根拠にそんな過大評価してんだよ、親父」
「俺の勘だ」
「勘って……」
「勘じゃ根拠として弱いか?俺はこの勘のお陰で、この歳まで生き残れたんだぞ」
その太い腕に鳥肌を立て、あまつさえ微小な震えさえ起こしていた歴戦の強者の姿に、『鷲の目』の面々は絶句した。
一週間後――――
モーリスたっての願いで浩一たちが挑戦した後のミスラルの遺跡に立ち寄った『鷲の目』の面々が目にしたのは――――
――――数片のミスリルの欠片以外は、財宝も、血痕も、攻撃魔法の跡すらも何もない、静寂に支配された廃墟だった。