森の魔女
広大なゼルガの森において、“住居”を構える者は多くない。
ゴブリンを始め、大抵の生き物は野宿か天然自然の洞窟や大木の虚などを住処とし、自ら作るとしても簡便な“巣”が殆どだ。
数少ない例外が、森の南部に集落を作り、森外の人間達とも多少の交流を持つ獣人と……
森の西部、そこだけ抜き取ったかのようにポッカリと口を開けた空き地に、その家はあった。
周囲には廃棄された数々の薬品が極彩色の斑模様を描き、それが奇樹や雑草の生育を阻んでいるのだと一目瞭然で分かる。
「屋敷」というよりは「小屋」と呼ぶのが相応しい平屋の煙突からは、カラスの羽を思わせる「七色に輝く黒煙」が上がり、魔境という言葉が似合うゼルガの森においても一際異様な光景を見せていた。
この森に住む唯一の『魔女』、ロザリンドの自宅兼研究所である。
「はいはい。今開けますよ」
前日の夜更かしのせいでまだ眠い目を擦りつつベッドから這い出したロザリンドが、根気強く軽やかな打音を放つ扉を開けたのは、太陽が真上を過ぎた頃だった。
扉を開けると、来客から動揺の気配が上がる。
ロザリンドは寝間着を着ない主義だ。
来客も、まさか家主がシュミーズ一枚で出て来るとは思わなかったのだろう。
寝惚け眼で来客を眺めると、ロザリンドはニヤリと笑った。
「いらっしゃい。ようこその御入来じゃ、異世界の方よ」
扉が開けた穴は、パーカーとカーゴパンツの中年男を吐き出していた。
薬草を擦り下ろすための鉢を退けた机の前に、空の甕を逆さに置いて椅子代わりにして、浩一は座らされた。
三方を書架と薬品棚に囲まれた上、床にも無数の書物や用途不明の素材が散乱している室内に「来客用の椅子やテーブル」などという気の利いた物を置く余裕はないらしい。
目の前に出された木製のコップに注がれた茶色の液体を、憮然として眺める。
「毒なんか入っちゃおらんよ。安心おし」
言われても手を付けない浩一を、それでもロザリンドは無礼とは思わなかった。
“魔女の出すモノ”に無警戒に手を出すのは、愚か者のすることだ。
ちなみに、今のロザリンドは濃紺のローブに同色のとんがり帽子というコーディネートに着替えている。
「……アンタは、俺の事を知ってるのか?」
結局コップには手も触れず、浩一は切り出した。
「そりゃあ知ってるさ。あの『じゃじゃ馬娘』を手懐けたんじゃろ?この森ではもう有名人じゃよ、お前さんは」
「そうじゃない。アンタさっき『異世界の方』って言っただろ?俺が異世界からやって来たと知ってるのか?」
真摯な眼差しを向ける浩一の前からコップを取り上げて中身をあおったロザリンドは、意地の悪そうな引き笑いを上げた。
「ヒッヒッヒ!そりゃ、そう推測するしかなかろうて。あんな化物をどうにかしちまうような人間が、ここに来るまで何一つ名を挙げることもなく、それこそ“湧いて出た”んじゃからな。……で、その異世界人様がアタシに何の用だい?」
「そうか、知ってるわけじゃないのか……アンタなら、俺がこの世界に飛ばされた理由を知ってるかもと思ったんだが」
落胆する浩一を、コップの中身を啜りながら眺めるロザリンド。
「ご期待に添えなくて残念じゃがの……そんなに『理由』だの『使命』だのが欲しいものかねぇ?誰からも何も言われてない?それなら好きにこの世界での生というものを楽しめば良かろ?」
「この生を楽しむ……ね。なるほど……」
心底不思議そうなロザリンドに力無く笑う浩一の顔には、しかし諦めだけではない吹っ切れたものが浮かんでいた。
「ところでアンタ、なんでそんな婆さんみたいな話し方するんだ?全然似合ってないぞ」
「……こうやって少しでも『ベテラン魔女』っぽくしてないと、周りに舐められるのよ」
傍目には十代の少女としか映らないロザリンドは、浩一の問いに歯を剥き出した。
イメージCV
ロザリンド:ゆきのさつき