魔術師リュート
リュートの眼前で展開した光景は、悪夢そのものだった。
目の前で直角行した敵軍は、聖騎士アーヴァインもろとも右翼軍を呑み込んだ。
敵の左翼中央が突撃する聖騎士達を受け止め、その間も前後端は突進を続けて包み込む。
その様子は、巨大な獣が大きな顎で獲物に噛み付くかのようだった。
ついでその後背に突撃する師と左翼軍。
本来なら、敵軍は勇者ロイシュに切り裂かれ、分断され、包囲に耐えたアーヴァインと共に蹴散らされてたはずだ。
だが、突然師匠の馬が止まったかと思うと、白銀の光が宙を跳び……それっきり、何も起きなくなった。
リュートは中央軍を率いて両軍が激突している現場に急いだが、鈍重な重装歩兵では彼我の距離が一向に縮まらない。
敵軍は右翼軍をある程度叩くと、まだ生存者がいるにも関わらず反転して今度は正面から左翼軍とぶつかった。
「右翼の生き残りは何をしている!」
思わずリュートは叫んだ。
反転した敵の背後を突くなり、こちらに合流するなり出来そうなものだ。
だが、当の本人達はそれどころではなかった。
モンスター軍のアンデッドの中には、『倒した相手をアンデッドにする能力』を持つ者がいたのだ。
普通の人間の戦争であれば残敵掃討が必要な局面でも、特殊な能力を持ったアンデッドが居ればそういった手間は殺した敵が勝手にやってくれる。
いまや左翼をも蹂躙した敵軍は、やはり掃討もそこそこに切り上げ、中央軍に向かって来ていた。
普段なら、重装歩兵に配下の魔術師団で防御魔法を重ねがけて守りを固めるのだが、そんな無駄なことをしている余裕はなくなっていた。
守りを固めている間に敵を攻撃してくれる刃は、もう奪われていたのだから。
「火球!」
「火球!」
リュート麾下の魔術師達は、必死に攻撃魔法を行使する。
「火球」とは、対象や障害物に当たると爆発する、野球ボール大の火の玉を形成して放つ魔法だ。
彼等は重装歩兵にかける防御魔法に特化しているため、攻撃魔法といえば包囲殲滅の仕上げとして使うこの「火球」くらいしか習得していない。
そんな虎の子の「火球」が、しかしまったく機能していなかった。
王国軍から放たれる火球は、そのことごとくが敵軍のはるか手前で爆発してしまう。
原因は、ロザリンドだった。
彼女は『薬品で不燃化処理した大量の木の葉』を、「風嵐」の魔法で撒き散らしたのだ。
ただの木の葉であれば、「火球」に当たっても普通に燃えるだけだ。
だが、不燃化した木の葉は燃えず、そのために『障害物』と認識されてしまう。
結果、高度な魔法を連発する必要もなく、多数の「火球」を無効化出来るのだ。
一人で数百の魔術師の攻撃を防ぐロザリンドの姿に、オリアナは苦笑する。
「あいつ……これを知っていたから私の『餓鬼玉』に対処できたのか、それともあの一件を元にしてコレを作ったのか……いずれにしても小賢しい奴だ」
魔力という才能ではオリアナに一段劣るロザリンドの創意工夫は、出会った当初こそ苛立たせたが、今ではある種の敬意さえ払えるようになっていた。
「では、私は私だけの能力を見せつけてやるとするか!」
オリアナは両手を眼前で打ち合わせ、両掌に第二第三の口を作る。
『口増やし』の魔法だ。
実は自分が開発したものの、オリアナは『口増やし』の魔法はあまり好きではなかった。
異形になるという事が、彼女の美意識に反したからだ。
そのことをロザリンドに話すと、魔女は憤慨してみせた。
「そんな強力な術を“見た目が悪いから”で封印するとか、バカバカしいね。思考の並列処理も出来るんだろ?勿体ない!アタシなんかどう頑張っても一つしか増やせないのに!宝の持ち腐れだよ!」
“見た目”にコンプレックスを抱えていた自分の事は棚に上げたロザリンドの激励はそれなりに効果を表し、オリアナは『口増やし』を使う頻度を上げていた。
今まさに、その真価が発揮される局面だった。
使う魔法は、以前ロザリンドに妨害された『広域焼却火炎魔法』。
対象は王国軍魔術師団300。
オリアナの三つの口が完全にハモり、戦場に呪文詠唱が響き渡る。
リュート他数名の魔術師がオリアナの呪文を悟り、自陣に防御魔法を展開し――――
――――オリアナの魔法は炸裂した。
生前、オリアナは特異とも言える魔力を持っていた。
それは、世に秀才といわれる魔術師が生涯を賭けた修行の末に至った「並の魔女」を、人間のままで凌駕するレベルであった。
その魔力は、リッチと化したことで更に増強された。
そんな『天才の、増強された魔力』から放たれる魔法が、三つ重ね掛けられたファイヤーストーム。
促成で大量生産された魔術師に防げるはずがなかった。
『水壁』の魔法の水は瞬時に蒸発し、対魔法防御が施されたローブは既成品と何ら変わらずに燃え上がり、術者達を焼いた。
強大すぎる魔力によって、痛みや熱さを感じる前に消し炭になれたのは、不幸中の幸いと言えるのだろうか?
数秒後、魔術師団が居た場所には、死体すら焼き尽くした黒く焼け焦げた大地のみが残っていた。




