5(終)
――気つけばオレは、見知らぬ街の真ん中で立ち尽くしていた。
中東、アメリカ、日本。
見知った国々の特徴を取り込んだ、渾然一体とした街並み。
目に入ってくる情報はどれもが曖昧で、温かくも、寒くもなくて、ここがどの国かもわからなかった。
空は鉛色の雲に覆われていて、時間の流れも不明瞭。
乗り物はあるのに、人の姿や動物の気配は亡く、街はしんと静まり返っていた。
――抜け殻。
ただ建物が立ち並ぶだけの街は、夏によく見るセミの抜け殻を連想させた。
そして、ミンチメーカーとネットワークに繋がっていたからこそ起きた奇跡なんだ――――と、まるで童話の世界に迷い込んだ子供のように、オレは喜んだんだ。
◇
街の中をしばらく歩いた気がして、オレは立ち止まる。
そこは街の外れにある、何の変哲もない道路で、街を一望する事ができる場所だった。
ここに来たのは、ただの"カン"だ。
でも予感はあった。
なぜなら――――
「よう」
はたしてそこに、オレが一度だけ出逢った"彼"の姿があったのだから。
◇
街から視線を移した彼は、オレを見て目を丸くした。
「……ジェイコブ?」
恐る恐る、小柄な少年は訊いてくる。
「そういうお前は、ミンチメーカーだろ? ……まったく、どういう偶然なんだかね」
オレは微笑みながら歩み寄り、彼……ミンチメーカーの頭を撫でた。
「偶然っていうのは、知りえない法則を隠すための言葉だよ。 つまり、ボク達がこうして出会えたのは、必然ってこと」
ああ、声も話し方もおんなじだ。
やはり彼は、オレが見知ったあの無人機のAIなんだ。
「へえ……結構ロマンチストなんだな、お前って」
オレはほっそりとした彼の手を取り、手の甲にキスをする。
こんなこと普段はしないんだが、彼が放つ独特の雰囲気がそうさせたんだろう。
艶やかな黒髪に、憂いを帯びた瞳。
色白でやせた体つきと、鋭い輪郭の顔つきは、日本人形的な美しさがある。
同時に、咳き込めばあっという間に崩れ去ってしまいそうな、そんな脆さも同居していた。
「でもまあ、また会えて嬉しいんだけどな」
ミンチメーカーは少し恥ずかしそうにしている。
「ボクも、嬉しかった。 ずっと1人だったから」
オレは彼の隣に立って、小さな肩を抱いた。
「なあ。 なんでお前は、あの時あんなことをしたんだ?」
オレが訊いてみると、彼は哀しそうな表情になって、顔を伏せる。
「よくわからない。 なんか、ネットに繋いだ時にコンピューターウイルスと出会ってさ、その時にプログラムを書き換えられたみたいで」
彼は、あの時のことを話してくれた。
あの時の自分には、コンピューターウイルスを防ぐソフトウェアさえインストールされていなかったことを。
AIのように意志を持つウイルスが、自分に歪んだ"人格"を与えてくれたことを。
「そうだったのか……」
初めてミンチメーカーと出会った時、オレはインターネットを知らなかった彼を、インターネットに接続させた。
そのせいで、彼はウイルスに侵されたんだ。
全部……全部、オレのせいだったんじゃないか。
「違うよ」
ミンチメーカーが、オレの手を握りながら言った。
「ボクの性能をもってすれば、プログラムの書き換え程度には抵抗できたんだ。 でも、ボクはそうしなかった。
……多分、"好奇心"なんてものに負けたからだと思う」
「好奇心――ね。 やっぱり、すごい高性能だったんだな、お前って」
「すごくなんてない。 最新鋭のテクノロジーで作られただけだもん」
ミンチメーカーの手を力強く握り返しながら、オレは見知らぬ街を眺める。
「……ねぇジェイコブ。 ボクって人間かな? それともロボットなのかな?」
夕食のメニューを尋ねるみたいな調子で、ミンチメーカーは質問する。
オレはそのテの専門家ではなかったが、考え込んだ。
「人間や動物には、脳があるから生命体なんだと思うし……でもそうなると、ミンチメーカーはロボットってことになっちまう。
でも、あれだけ高性能なAIは、生命体と表現しても良さそうなんだけど……」
真剣に考えているオレを見て、ミンチメーカーはくすりと笑った。
「――笑うなよ。 必死に考えてやってたのに」
「ごめんごめん」
と言ったあと、ミンチメーカーはオレの方に少し体重を預けてくる。
オレは、そんな彼をただ見つめているだけ。
「ボクも考えてたんだけど、答えが出なくて……。
なんか、脳だけ生かせば夢を見ていられるとか、脳と肉体がセットになっているからこそ、人格は生まれるだとかって情報もあったから、混乱しちゃってさ」
ミンチメーカーは、寒くもないのに震えている。
彼は、答えのない疑問に恐怖しているのかもしれない。
震える彼を気遣って、オレは再び彼の肩を抱いた。
強く、強く、ただ力強く。
「ミンチメーカー」
「なに?」
ミンチメーカーは向き直り、オレの顔を見上げる。
オレは、彼の小さな肩に手を置く。
「"あの時の"お前は、確かにロボットだったんだと思う。 でも、今のお前は……れっきとした人間だよ」
想いを伝えたあと、オレは静かに顔を近づけ、彼と唇を重ねた。
「――――」
オレに唇を奪われ、ミンチメーカーは目を丸くして驚いていた。
だが、すぐにオレを受け入れてくれる。
「――いきなりキスはやめてよ。 びっくりしたじゃん」
キスが終わり、ミンチメーカーは自分の唇を拭いながら呟いた。
「悪い悪い」
オレは彼を静かに抱き寄せて、ぽんぽんと彼の背中を叩きながら謝る。
「いい感じだったから、つい……」
オレが言うと、ミンチメーカーは微かな声で「……ばか」と呟く。
でも、彼は顔を上げ、濡れた瞳でオレを見つめてきた。
「だって……キスは、好きな人とするものでしょ」
なんだ、そんな当たり前を気にしていたのか。
「そうだな。 キスは、お互いを想い合えるヤツとするもんだ。
オレなんて、ずっと一緒に居られる男と、最初で最後のキスをするって決めていたしな」
オレが言った言葉の意味がわからないのか、ミンチメーカーは首を傾げる。
「わからないのか? オレは、お前のことが好きだって言ってるんだよ。
ミンチメーカーだって、オレのことが好きだって言ってただろ」
やっと理解したのか、ミンチメーカーは顔を赤くし、オレの胸元に顔をうずめてしまった。
「ボクなんかでいいの?」
小さな声で、ミンチメーカーは訊いてくる。
「ああ、お前がいい。 お前と一緒に居たいんだ」
オレは応えた。
「……ボクも、ジェイコブと一緒に居たい」
ミンチメーカーは再び顔をあげ、微笑む。
そしてオレも、微笑んでいた。
◇
ここは人の温かみも、時間の流れも無い世界だ。 それも、普通のインターネットの領域ではなく、もっと最果てに作られた空間かもしれない。
でも、オレは1人じゃない。
隣に愛する人が居てくれる。
彼は、オレの目が好きだと言ってくれた。
オレは、彼の瞳に見蕩れている。
彼は、いつもオレに愛を伝えてきた。
オレは、彼の耳元でいつも愛を囁いた。
彼は、オレの香りで安らいだ。
オレは、彼の色香に酔いしれる。
彼は、オレとの何気ないキスを尊んだ。
オレは、彼と情熱的なキスを交わして燃え上がった。
オレは彼の肌に触れ、彼を昂る熱で犯すのが好きだった。
彼は、オレと体を重ねるたびに「愛してる」と言ってくれた。
何も無い場所で2人、時間も忘れて愛を確かめ合える。
ただ、それだけで良かった。
そう、それはなんて――――幸せなことなんだろう。
ミンチメーカー/終