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美知代がパートの仕事から帰宅すると、その男はいつものように酒を飲みながらテレビを見ていた。テーブルには、つまみの容器やカップラーメンの残骸が散らかっている。
離婚届の用紙を黙って置くと、男はちらりとそれを見た。
やや間があって、男は立ち上がった。酔って顔が赤くなっているが、その顔はどんよりとして無表情である。
次の瞬間、拳で殴られていた。
殴られた拍子に、食器棚に後頭部を激しく叩き付けられる。
中で茶碗の割れる音がした。
一瞬頭がくらくらっとしたが、すぐに気を取り直す。
冷静にならねば。もうこれまでのようにやり返しても始まらない。もう私は決心したんだから。
そばを離れようとした。
しかし男は美知代の服を掴み、円盤投げでもするように振り回した。今度は椅子とテーブルにぶち当たる。
電気ポットが落下し、ドスンという鈍い音とともに床が震えた。中から熱湯がこぼれ出す。
はずみで倒れてしまった美知代のすぐ耳元を、ビールの空き缶がガラガラと音を立てて転がった。
彼女の脳裏に、今までの出来事が安っぽいテレビドラマでも見ているように去来する。
美知代は、婿を取って店を継いでほしいという父親の願いも聞かず、他県にある大学に進学する。
それなら学費も生活費もいっさい出さないからな。父親の一志はそう言い放ったが、美知代は耳を貸さず、飛び出すようにして家を出た。
彼女にとっては、頑固な父親ために苦労ばかりしている母親を見て育ったので、そのようにはなりたくないという思いがあったのである。
そんな娘を、母親の美紀子は遠くからそっと支え続けた。
美知代は大学を卒業しても家には帰らず、その地でそのまま就職した。やがて、そこで知り合った男と結婚する。
一志はこれにも烈火のごとく怒った。したがって、結婚式は互いの両親や親戚が出席することもなく、ごくわずかな友人だけが集まっての寂しいものだった。
夫の敏夫はおとなしい性格で、彼女にも優しかった。趣味は仕事というぐらい毎日真面目に出勤し、勤務が終わるとまっすぐに帰宅し、彼女と一緒にテレビやビデオを見て過ごすのが常だった。
それが少し物足りないでもなかったが、それでも人並みに新婚生活は幸せなものだったかもしれない。
彼女の運命が狂い始めたのは、夫の会社が倒産してからだった。