最終回 FINALE ― フィナーレ ―
最終回です。
欄干に寄りかかっていた魔族の雌は振り返る。
「ブリード……」
声音には驚きが含まれていた。
俺はテラスを横切り、ドランデスに近づいていく。
硬質な靴音が、静かな魔王城の夜にこだました。
「よ! ドランデス」
手を挙げて、軽く上司に挨拶した。
空を見上げる。
ジルデレーンの太陰――ヤルサハが、その白い肌をむき出しにし、光を放っていた。
魔王城から見るヤルサハの姿。
なかなか乙なものがある。
「いい月夜だな」
「え? ええ……」
ドランデスも振り返った。
眼鏡のレンズと緑の瞳に、女の柔肌のような白く丸いヤルサハが映る。
「ムービタルスターに数時間ほどですが、暇を与えました。おそらく今頃は地中にいると思います」
「え? 地中にいるの?」
いきなり衝撃の事実を知ってしまった。
「あの者の故郷は、地中にあります。一応、ゴースト系のモンスターですし。水蒸気に人間の怨念が取り憑いた存在ですから」
なるほど……と納得して良いのか、人間の俺には微妙なところだった。
「ところで、こんなところで何をやっているんだ」
「……どうも、ああいう席は苦手で」
「そうなのか? それにしても、さっきの歌は上手かったぞ」
「――――!」
月明かりを受け、白さに磨きがかかったドランデスの顔が、赤くなる。
つんと尻尾が立っていた。
俺から顔を逸らす。
「か、からわかないでください」
「ホントだって。みんなだって、褒めてだろ?」
「あれは…………。単なる世辞です」
「素直じゃねぇなあ……」
「……そ、それよりもですね。歌が終わった時のあのかけ声はなんですか?」
ばれてたか……。
顔を元の方向へ戻し、ドランデスは俺を睨んだ。
レンズの奥から緑の瞳を向ける。
やや頬がふくらみ、拗ねているらしい。
これまた貴重なドランデスの素顔だった。
なにげに可愛い。
「そりゃあ……。上司があんなパフォーマンスをしたんだ。部下として煽るのは、あのケースでは当然のことじゃないか」
うふぇふぇ……と、俺は笑う。
「もう――」
ますますドランデスは顔を怒らせて、ついにそっぽを向いてしまった。
俺は追求をやめない。
ここで手離すのはもったいない。
折角、仕事以外で2人きりなのだ。
ちょっとドランデスと話をしてみたかった。
それは前から思っていたことだ。
「あの歌はどこで覚えたんだ?」
すぐには応じなかった。
しかし、サービス精神が旺盛な我が上司は、片目を開けて答えてくれた。
「あれは正確には、歌ではありません。私の啼き声です」
「啼き……声……」
「知っていると思いますが、私は元はドラゴンです。今は人間との折衝が多いため、人間の形にやつしていますが、本来はこの魔王城と同じくらい大きな竜なのです」
ま、魔王城と同じぐらいか……。
そんなに大きいとは知らなかった。
昔戦った時も、この人間サイズだったしな。
ちょっと見てみたい気もするが、そういう場面に出くわしたくなかった。
彼女が竜の姿に戻るときは、少なくとも有事の際だろう。
「それを人間の歌っぽく啼いたところ、これが魔族たちにウケてしまいまして」
「で、恒例の宴会芸になってしまった」
俺は肩を震わせて、笑った。
「わ、笑い事ではありません。毎回毎回ステージに上げられるのですよ。みんなの前で――。どれだけ私が恥ずかしい思いをしているか」
「いいじゃないか。本当に下手なら可哀想だと思うけど、お前の――その――啼き声は、俺も嫌いじゃないぞ」
「お世辞はいいです」
「ホントだって」
というのだが、ドランデスはツーンとして顔をこちらに向けようとしない。
本人は相当いやがってるらしい。
「怒るなら、お前に提案した奴に言えよ」
すると、ドランデスはピンと尻尾を伸ばした。
しばらくすると、「はあ」と息を吐きながら、欄干に持たれる。
「実はですね。その提案者というのが――」
「まさか――」
「はい。そのまさかです」
「魔王か……。そりゃ災難だったな」
そうだよな。
お前に「歌え」なんて命令できる奴なんて、世界中を見渡しても1人しかいないもんな。
「まさか、この宴会も……」
「今回はエスカ様が提案をされました。あなた方は歓迎会という名目ですが……。ただこういう催しは、魔王城で度々行ってきました。魔王様がお好きなので」
「なるほど」
エスカもその血をしっかり受け継いでいるわけだ。
「あ。その……ブリード」
「なんだ?」
「申し訳ありません」
いきなりドランデスは謝ってきた。
「ちょちょちょ……。なんで謝るんだよ」
「いえ……。本来なら、あなたが来た時にこういう歓迎会をやっておくべきでした。今回も、エスカ様から提案がなければ、一生行われなかったでしょ。管理職として失格です、私は」
「だから、そんなに肩肘を張るなよ。前に言ったろ。俺はちゃんとバイトを楽しめてるんだ。そんなことに気を回さなくても、上司に文句なんていわねぇよ」
「ですが――」
「ドランデス……。心配するなよ。俺が会ってきた中で、お前は間違いなく1番の上司だよ」
「そんな――」
「本当だ。信じろよ」
何気なくいった言葉だった。
ありきたりと言ってもいい。
だが、ドランデスはキョトンとし、大きく瞼を広げた。
反応に、俺が首を傾げる。
「ど、どうした? なんか俺――悪いこと言ったか?」
「あ……いえ……。すいません。ちょっと昔のことを思い出してしまって」
「昔って、大戦の時か?」
「は、はあ……。まあ…………」
「ふーん」
それ以上追求することはなかった。
昔の話ほど、魔族にとっても俺にとっても嫌なものはない。
藪から蛇が出てくる可能性だってあるしな。
すると、ドランデスは夜空のヤルサハを見ながら言った。
「ブリード……。前からお訊きしたいことがあります」
「なんだよ、改まって」
「前に勇者ブリッドに出会ったことがあると言いましたね」
ええーええー。そんなことを言いましたね。
その本人が……。
俺は視線を逸らした。
もしかして、すでに藪をつついてしまったかもしれない。
「どんな人でした?」
「どんな人って言われてもな」
俺のことだし。
なんか言いにくい。
自分じゃあ、そう――。
「普通だな」
「普通……ですか……」
「どこにでもいるっていうか。うん。そうだな。普通に人が好きで、普通に女の子が好きで、普通に正義感があって、普通に世界が平和になればいいと思ってる――ホントどこにでもいそうな、普通の人間――俺にそう見えた、かな?」
「あれほど大きな力を持っていて、普通ですか?」
俺は首を振る。
「……力なんて関係ないと思うぜ。それはそいつが努力した証であって、人間性とは関係ない。…………つまり、俺が言いたいのはさ」
当たり前に思っていることを……。当たり前にこなしただけだってこと……。
「世界を救ったことは、勇者にとって何も特別じゃなかったと」
「ま……。そんなとこ――じゃないかな」
「なるほど。……少し彼についてわかったような気がします」
「あくまで俺の印象だぜ。意外と裏を返したら、人の仕事を押しつけたりとか、俺みたいに借金とか抱えてるかもしれないし。同僚にセクハラまがいをするようなヤツかもしれないぞ」
「それは最低のクズですね」
うん。
……でも、ドランデス。
その発言は一刀両断しすぎだ。
「ありがとうございます、ブリード」
風が吹いた。
ひどく生ぬるい夜気は、ドランデスのサラサラの黒髪を揺らす。
細い指が、髪を抑える。
その顔に浮かんでいたのは、微笑……。
どこにでもいる女性の笑みだった。
俺はぼんやりと見つめる。
自分に流れる時間だけが、スッと目の前の女性に奪われたような気がした。
その時――。
「あああああああ!! いたぁぁぁぁあああああああ!!!!」
「シショー、発見! シショー、発見です!!」
声は宴会場の方から聞こえた。
テラスの入口付近に、2人の酔っ払い――もとい――エスカとフィアンヌが立っていた。
「あ、あんたたち……。宴会場を離れて何やってんのよ!」
「何やってんの、ですです!!」
エスカが吠えると、同調するようにフィアンヌは拳を掲げた。
「いや、別に……。ちょっと涼んでいただけだって」
「本当にぃ……。ドランデスになんかやらしいことをしようとしてたんじゃないの?」
エスカは俺の方にやってくると、がっしりと肩を掴んだ。
そして顔を寄せる。
すげー、酒臭い。こいつ、相当酔ってるな。
「シショー……。フィアンヌを見捨てないでくださいですぅ」
フィアンヌは俺の腰に抱きついた。
思いっきり締め上げる。
「ちょ! フィアンヌ! 痛い痛い! ちょー痛い!! やめろ! 離れろ!」
「んごごごごご……」
可愛さのかけらもない鼾が聞こえてくる。
「おま――! こら、寝るな」
「ちょっと……。私の質問に答えなさいよ」
エスカは俺の頬を両手で掴むと、自分の方に向けた。
はあ、と息を吐く。
失神しそうになるぐらいの酒の臭いが漂ってきた。
「くっさ! 何すんだよ、お前!?」
「何ってご褒美じゃない。有り難く思いなさい」
「何がご褒美だよ!! ふざけんな! ちょっと! ドランデスからも何か言ってくれ」
「えっと……。姫様。少し飲み過ぎでは……」
「あんたも私の褒美がほしいのね」
「ちょっと! え!? くさっ!!」
ドランデスは手で仰ぐ。
一方、エスカは真っ赤な顔をしながら、「でへへへ」と満足な顔を浮かべていた。
「あ~ら! こんなとこにいたわぁ」
「うう……。ぐすぐす…………。早く我を地下に帰してくれぇ。びええええん」
そこにオネェタウロスとネグネが加わる。
オネェタウロスも、顔や上半身が真っ赤になるほど飲んでいた。
それにどうやらネグネが付き合わされているらしい。
リッチ幼女は、眼窩から涙をこぼし、子供のように鳴いていた。
上司は大慌て。
魔王の娘はくだを巻き。
獣人娘は幸せそうな顔をして、師匠をさば折り。
半人半馬のオカマは、キッスを投げ。
半骨の子供の泣き声がこだまする。
なあ、知ってるか?
ここ……魔王城なんだぜ?
こんなことしてていいのだろうか。
もっと魑魅魍魎としていた方がいいじゃないか?
でも……ここが、俺の職場だ。
苦労も多いが、案外気に入ってる。
給料はいいし、遅刻もOK。休みもあるし、有給も取りやすい。
社員寮もあるし、タダ酒も飲み放題。
しかも黒字経営だそうだ。
変なヤツも多いが、上司が美人ということは、俺が保証する。
名前はブラック。でも、中身は超が付くほどホワイト。
気になるなら、ギルドに応募しろ。
ただし、巨乳のお姉さんには手を出すなよ……。
【本日の業務報告】
業務は終了いたしました。
長らくのご愛顧いただきありがとうございました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回の「あとがき」を持って、完結とさせていただきます。
改めまして、ブクマ・評価・感想・レビューをいただき誠にありがとうございます。




