第63話 そして神の福引きは回る〈前編〉
勇者の幼年編は今日で終わらせる!
落雷が大地を穿つ。
雲間から鞭を振るわれたような音がした。
目の前がホワイトアウトする。
光の柱が立ち上った。
空気を焼くと、若干焦げ臭い臭いが鼻腔を突く。
やがて収縮していくと、昼間と見間違うだった周囲は、夜の姿に戻っていく。
若干の残響が耳の中をかき回した。
少年の瞳孔が広がっていく。
「…………!」
露わになったものを見て、ブリッドは小さく震えた。
情を察したのか、マリンが少年の肩をそっと引き寄せる。
美しい曲線を描いた顎を上げた。
視線の先は前。
これまで見てきた中で、もっとも真剣な表情を浮かべている。
それほどの事態が起こりつつあるのだろう。
ブリッドもまた前を向いた。
あったのは黒い石版だった。
奇妙な形をしていた。台形の上に、さらに平たい三角を乗せたような形。
厚さは子供の身長ぐらいだろうか。
如何にも重たそうな姿なのに、ふわふわと浮いていた。
石版には見たことがない文字か模様が描かれている。
SOUND ONLY
ジルデレーンで使われている公用語でもなければ、魔法文字でもない。
ブリッドは古代語には精通していないが、四大陸世界らしい文字ではないように思えた。むろん、紋様に心辺りがない。
「“罰”を司る女神マーリンよ」
その声は目の前の石版からというよりは、夜空のずっと向こうから聞こえてくるようだった。
「神々が世界に干渉することは禁じられている」
「お前のやったことは、大きな罰を有する」
「即刻、天界へ帰還し、調整を受けよ」
「いやよ!」
マリンは1歩踏みだし、即答した。
ほんのわずかの間、石版はたじろいだような気がした。
「これ……なんなの?」
ブリッドは唇を震わせる。
そんな少年をマリンは先ほどよりも強く引き寄せた。
「大丈夫よ。こいつらはマリンの親戚……」
「親戚? お父さんとお母さんなの」
「ついでにいうと、おじさんとおばさんと、おじさんのお姉さんと、おばさんの弟もいるわ」
なんだかクラクラしてきそうだ。
「じゃ、じゃあ……。神様ってこと?」
「正確にいえば、マリン達は神なんてたいそうなものじゃないわ。単なる傍観者……。そうでしょ、神様《ヽヽ》?」
石版――神々に向かって問いかける。
しかし、彼らは答えない。
逆に問い返してきた。
「マーリン……。なにゆえ、ジルデレーンに干渉しようとする?」
「それはマリンが訊きたいわ。ジルデレーンで争い事が起こっているのに、何故神々は何もしないの。ブリッドのような悲しい境遇を背負った子供を量産するわけは? それとも楽しんでいるのかしら?」
マリンの語気が強まる。
「我々が楽しむことなどあり得ない」
「何故なら、我々には感情が存在しないから」
「むしろ、そう結論づけるマーリン――お前に不具合があると判断する」
「調整を受けよ、マーリン」
いやよ!
またマリンは一喝した。
そしてさらに踏み込む。
「マリンは人が好き。楽しく笑っているところが、嬉しくて泣いているところが好き。顔を赤くして怒る時も、悲しみに耐える後ろ姿も好き。……でも、今はあまりにもひどすぎる。無慈悲すぎる。絶望にただ向かうだけ、滅亡するためだけに生きるなんて、それを見ていることしか出来ないなんて、マリンは耐えられない」
「それが、お前がジルデレーンに干渉した理由か?」
「そうよ!」
女神の声が響き渡る。
風が草原を滑っていく。
雨露が残る草葉に月明かりが反射し、波のように広がった。
その決意を賞賛しているかのようだった。
神々は沈黙する。
圧倒されているというよりは、今にも嘆息が聞こえてきそうな雰囲気だった。
「やはりお前は調整が必要のようだ」
「そんな理由でジルデレーンで神の力を振るおうなど」
「どうして!? 人間も魔族もマリンたちが作ったんでしょ? その種族の片方が亡くなるのを、あなたたちは何も思わないの?」
「我々が作ったのは“世界”だ。人間も魔族も副産物でしかない」
「種の淘汰は必定」
「これまで何億何万年と繰り返してきたこと」
「今さら、1つの種を救うことなど」
「神の所行の範疇ではない」
「それがわからぬようでは……」
「やはりお前は調整が必要なのだ」
「それでも――!!」
マリンは叫ぶ。
「それでも、マリンは人間が滅ぶことを許容しない。彼らが悲しむことを絶望することを許さない!」
「何故だ!? 何故だ、マーリンよ。どうして、肩入れする」
「わからないの? いや、わからないのね。神は“好き”という感情を理解出来ないから。いえ、その感情すらマリンたちは持っていない」
女神はぐっと歯を食いしばり、そして叫んだ。
「神々が持ち得なかったものを彼らは持っている。そんな存在を……。何万何千という種の屍の上で勝ち得た宝物を、マリンは愛したいの!!」
渾身の言葉だった。
側にいたブリッドは、魂が震えるのを感じる。
人の生存を説く女神の顔は、あまりに凜々しく。
震えた魂が抜き取られそうになるほど、魅力を秘めていた。
しかし、神々はあくまで無感情だった。
「やはり、お前には調整が必要だ」
「むしろ初期化だ」
「いや……。消滅であろう。バグを残しておくのはよくない」
「そう。彼女そのものこそバグ……」
口々に囀る。
「いずにしろ……」
「マーリンを天界へ強制送還することに変わりはあるまい」
すると石版が光を帯び始める。
青白く光る糸が伸び、雷を纏うがごとく広がっていく。
破裂音を鳴り、光の糸はぐるりと囲んだ石版の上を回り始めた。
再び周囲は、昼の様相へと転嫁していく。
「神々の鉄槌……」
マリンが呟くのが聞こえた。
ずっと掴んでいたブリッドから手を離す。
「ブリッドは逃げて」
「え? でも――」
「お願い。マリンは大丈夫だから」
マリンは安心させるように笑った。
でも、目は泣いているように見えた。
マリンは手を振るう。
現れたのは、暗い空間だった。
「その中に入れば、大丈夫だから」
「だったら、マリンも」
白い髪が白鳥の羽ばたきのように見えた。
「マリンは行けない」
「ダメだよ!」
そう。
ダメだ!
何が起こるかなんて、子供の自分でもわかっていた。
マリンは自分たちのためにやってきた。
地上に降りてきてくれた!
そんな神様をむざむざ消滅させるなんて出来ない。
ブリッドは眼前にあった穴から目を背けた。
そして一歩、前に出る。
まるでマリンを守るように少年は手を広げた。
――今から、僕がやることはきっと愚かなことだ。
ある意味、神の禁忌に触れること。
世界中の誰もが僕を指さし、罪人というかも知れない。
認めてくれないかもしれない。
でも、1人だけ同意してくれる人がいることを、ブリッドは知っている。
きっとそう――。
あの男ならこうするはずだ。
ヘーラならきっとこう言葉にするはずなんだ。
『美人が死ぬなんて、絶対俺は看過できないね』
その時、マリンの目に不思議な光景が見えていた。
自分の前――。
神の前に立った少年の傍らに、1人の男が立っていた。
中年と言うには、まだ若い男。
具足を纏い、手には槍を持っている。
最大の特徴は、左手を失っていることだ。
残った隻腕を少年の頭に乗せる。
唇を半ば開き、今にも――。
『うふぇふぇふぇふぇ……』
という奇妙な笑い声が聞こえてきそうだった。
ブリッドはキッと石版を見据えていった。
「ちょっと待って!」
しかし、それで止まる神々ではない。
無視と言う雰囲気ではない。
人間の事など、彼らにとって小バエが鳴く程度のものでしかないからだ。
着々と『神々の鉄槌』の準備を進めていく。
それでもブリッドは構わず言葉を続けた。
「彼女がジルデレーンで神の力を振るうのが禁止されているなら、僕が神の力を振るう。それだったら、問題ないはずでしょ?」
…………。
沈黙が流れた。
この間も青白い光はどんどんと膨らんでいく。
しかし、マリンから見ても、一瞬神々が動揺したように映った。
現にブリッドの提案に、女神をうろたえる。
「ブリッド……。何を言って――」
マリンの言葉は、哄笑によってかき消された。
「ふふふ……。あはははははははははは。わっ――――はははははは……!」
空から滝のように笑声が降ってくる。
青白い世界の中で響き渡った。
すると、光の糸が切れていく。
同調するように、青白い輝きも失われ、再び周囲は暗闇に包まれていった。
1基の石版がすぅと近づいていく。
ブリッドの危険を察し、今度はマリンが少年の前に踊り出る。
だが、見えない力によって弾かれた。
悲鳴を上げながら、女神がジルデレーンの大地を滑っていく。
「マリン!」
心配するが、ブリッドもそれどころではない。
目の前にそびえ立つ石版を見上げた。
最初に口を開いたのは、他の神々だ。
「エザル……。汝は何故、鉄槌の機能を停止させた!」
その語気は荒く、神々は明らかに怒っていた。
ちょっと中途半端ですが、長くなったので前編はここまで。
後編は今日中には更新します。
(おそらく夜になるかもです)




