第60話 そして勇者の伝説は語られる[5]
ごめんなさい……。
気が付けば、日没前を迎えていた。
村の方を見上げる。
黒煙が竜のように昇っていたが、今は沈静化しつつあった。
赤い光も次第に収まっていく。
ただ焼けた臭いが鼻腔を突いた。
ふと何か冷たいものが、その鼻先をつく。
木々の葉がパパパパパパと音を鳴らした。
雨だ。
やや冷たい滴が、小さな子供の身体を穿つ。
ブリッドは少しホッとした。
もし、村で起こっていることが火事なら、これは恵みの雨だからだ。
しかし――。
ヘーラが村の方へと向かって、しばらく経つ。
状況がわかれば、すぐ戻ってくるといっていたが、気配はない。
――消火作業に参加しているのだろうか……。
村には老人しかいない。
隻腕とはいえ、若いヘーラが参加している可能性は十分にある。
たぶん、そうだろ――。
ブリッドはそう思おう――思い込もうとした。
その時だ。
雨音に混じって、人の声が聞こえてきた。
――ヘーラかな……。
しかし、どうもおかしい。
声質がまるで別物だ。
強い酒で潰れてしまったようなダミ声だった。
同時にたくさんの足音が聞こえてくる。
まだ火がくすぶる中、ヘーラが村の人を連れてくるのはおかしい。
少年は直感的に中腰になる。
状態でそっと歩き出した。
声と足音が聞こえる方に近づいていく。
あ――。
声を上げそうになったのを必死に堪えた。
村へと続く一本道。
そこに現れたのは、屈強な男たちだ。
手には村が備蓄している麦や保存食が抱えられている。
後ろからは、村が保有する馬も引かれていた。
武器も持っている者もいる。
刃には赤い染料に浸したかのように血が付き、雨で洗い流されていた。
「あーあ、雨降ってきたよ」
「しけた村だったな」
「俺らの10日分の食料にもなんねぇぞ」
「またどっか村を襲うか」
「間引く間引く間引く間引く……」
口々に話し合う。
ブリッドは息を潜めながら、自分の血の気が引いていくのを実感した。
自然と身体が震える。
何が行われたのか。
子供のブリッドでも理解できた。
きっと……。
瞼の裏で、最悪を想像する。
それでも怒りよりも、恐怖しか沸き起こらなかった。
男たちの足音がずっと遠ざかっていく。
ようやくブリッドは息を開放した。
濡れた枯れ葉に手を突き、大きく息を吸う。
少し息を整えると、少年は立ち上がった。
幹によりかかるようにして、村を目指し歩き始める。
次第に雨足は強くなっていった。
果たして、少年の眼に映ったのは、村の無惨な光景だった。
茅葺きの屋根が立ち並ぶ村の景色が、黒く塗りつぶされている。
すべて灰になり、あるいは炭になっていた。
それを雨が洗い流そうとしている。
しかし、地面が灰色に汚れていくだけだった。
――ひどい……。
声に出せないほど、ブリッドはショックを受けていた。
ふと気付く。
村の入口に女性が仰向けの姿勢で倒れていた。
「オーディ!」
降りしきる雨に負けない声で、ブリッドは叫ぶ。
倒壊した村の門を横目に、駆けだした。
近づいてみてわかった。
はっと息を呑む。
青い修道服でオーディだとわかったが、フードから覗く容貌はまるで別人のように膨れあがっていた。
肌に触れる。
すでに氷のように冷たくなっていた。
手がお腹の当たりに置かれていることに気付く。
恐らく誰かが弔ったのだろう。
注目してみると、お腹の辺りの損傷は少ない。
赤ん坊を守ろうとしたことは、想像に難くなかった。
目頭が急激に熱くなる。
少年は泣いているのか。それとも雨に濡れているだけなのか。
ただ努めて笑顔を向け、言葉を絞り出した。
「オーディ……。頑張ったね。赤ちゃん、きっと喜んでるよ」
鼻水を啜る。
「ち、ちょっと待っててね。後で弔うから」
立ち上がる。
目の辺りを腕で拭ったが、濡れていることに代わりはなかった。
ややおぼつかない足取りで、ブリッドは村の奥へと入っていく。
老人や老婆が、惨殺され、あるいは炎にまかれ、炭になっていた。
すべて知り合いだ。
う、と胃から何かがこみ上げてくる。
ブリッドは吐き出さないように、奥へ奥へと進んだ。
「ああ……!」
村の中に入って、初めて声を出す。
視界に映ったのは、ブリッドを育ててくれた村長夫妻だった。
村長が夫人を守るように折り重なっている。
その2人を長槍が貫いていた。
夫妻の前で、がくりと膝を折る。
地面に溜まった雨水が跳ねた。
身体に触れる。
やはり冷たい。
2人とも死んでいた。
少年はぐっと歯を食いしばる。
喉から飛び出そうとした“何か”を無理矢理封じ込めた。
雨は一層強くなる。
ふと少年は顔を上げる。
……………………っ………………と………………。
かすかに声が聞こえた。
周囲を見渡す。耳をそばだてた。
雨音がうるさい。
思わず怒鳴りつけたくなったが、ブリッドは冷静に反応した。
「あっちだ」
立ち上がる。
飛び出そうとした瞬間、村長夫妻の哀れな姿が映る。
瞼を閉じ、軽く黙祷した。
ブリッドは雨で川のようになった地面を蹴る。
…………っ……。
聞こえる。
声が聞こえる。
ブリッドは建物の裏へと回り込む。
奇跡的に残っていた土壁に、男が寄りかかるように足を投げ出していた。
全身を紅に染め、むせ返るような血の臭いをまき散らしている。
「ヘーラ……」
ブリッドは呟く。
重りでも持ち上げるかのように、ヘーラは片目を開けた。
「よう……。ブリッド…………」
「良かった! 生きてる!」
「ははっ……。俺様が…………そう…………んに…………死ぬかよ」
息が荒い。
喋るたびに、力を入れるたびに、傷口から血が流れた。
特に胸の切り傷がひどい。
骨まで剥き出ていた。
「ブリ……ッド…………」
「なに?」
「村の入口を出て…………。森を抜けて、とにかく…………真っ直ぐ進め……」
「え?」
「……そ、こに。…………町がある。たぶん、まだ…………。衛士がいるだろうから…………。村の状況を……説明…………しろ」
「ヘーラ……。何を言っているんだよ」
「は…………。未来の話さ。…………好きだろ、お子さまは」
ブリッドは首を振る。
「やだよ! ヘーラも一緒に行こう。これぐらいの傷! ヘーラなら――」
「ばーか……。俺が、怠け者だって知ってるだろ? ……やっとゆっくり出来るんだ……ぜ。……美人の…………膝枕じゃねぇのが、心残りだけどな……」
ヘーラの口角が上がる。
うふぇふぇふぇ、といつもの笑声を浮かべようとして、咳き込んだ。
赤い果実が吐き出したかと思えば、それは血だった。
気が狂いそうな痛みを感じているはずだ。
なのに、槍兵の顔は妙に安らかだった。
ブリッドは地面を掴む。
灰混じりの砂を強く握りしめた。
顔を下に向け、ぐっとこみ上げてくる“何か”を少年は堪える。
再び顔を上げた時、ブリッドの目には怒りが芽生えていた。
「僕……。きっと仇をとるから。強くなって、みんなの仇をとるから!!」
「ばーか野郎……。誰もそんな……みみっちいこと……。を…………はあ………………お前に望んじゃいねぇ、よ――」
「けど! あいつら――」
「だったら、俺の望みを訊いてくれ……」
ブリッドは目を拭う。
鼻水を啜り、答えた。
「いいよ! なんでも言って!」
「デカいぞ。……俺の望みは…………」
「いい! 何? 美女のおっぱいとか……」
「それも悪くねぇな」
うふぇふぇふぇ、とあの奇妙な笑い声を上げる。
ブリッドも無理矢理口端を広げる。
笑顔を作り、同じく――。
「うふぇふぇふぇふぇ……」
声を上げた。
ヘーラは天を仰ぐ。
黒い煙に混じりの曇天の空から、依然として雨が降り続いていた。
落ちてくる雨水を掬うように、槍兵は口を開く。
「俺が望むのは…………。たった1つ――――だ。…………ブリッド」
世界を、救ってくれ……。
「この糞みたいな世界は、よぉ……。飽き飽きなんだ…………。だから、世界を」
ブリッドはまた目を拭う。
やがてヘーラの手を握った。
無数の傷が刻まれ、皮がめくり上がっている。
人に付けられた傷ではない。
何度も槍を力一杯投げたことにより、手が限界を迎えたのだ。
それでもヘーラは子供の手を握り返した。
そっと握ったブリッドも、力強く答える。
「約束するよ……。僕は世界を救う。その勇者になる……」
「うふぇふぇふぇふぇ……。そうか…………。そいつは良かっ…………った」
ヘーラの力なく項垂れた。
「ヘーラ……?」
ブリッドは覗き込む。
「ヘーラ」と何度も呼びかけた。
しかし、槍兵が再び顔を上げることも、口を開くこともなかった。
唇を半ば開き、心底嬉しそうに笑っていた。
ブリッドは顔を上げる。
顔面に強めの雨滴が殺到した。
それでも少年は、しっかりと天を仰いだ。
そして――――。
「うわああああああああああああああああああああああああああ!!」
こみ上げてきた嗚咽を爆発させた。
少年は怒り、そして悲しんだ。
滝のような雨は、そのすべてを飲み込んでいった。
【本日の業務報告】
しばらくお休みさせていただきます。
本編をお楽しみ下さい。
ここらが最底辺のはず……。
今後ともよろしくお願いします。




