第59話 そして勇者の伝説は語られる[4]
お待たせしてすいません。
黒い煙が見ながら、ヘーラは戦慄する。
――敵襲……。どうして気づかなかった!?
村の周囲には警戒用の罠が何重にも張り巡らされている。
触れれば呼び子が鳴り、村のどこにいても聞こえる仕組みになっていた。
高位魔族ならいざ知らず、低能なモンスターが罠を突破することなど不可能。
よしんば高位魔族だとしても、こんな小さな老人だらけの集落を襲うメリットなどないはずだ。
――まさか……。
二の腕が粟立つ。
もうない左手が疼いた
「ねぇ、ヘーラ。あの煙って……。なんかおかしいよ」
横に立っていたブリッドが指をさす。
子供の顔は曇っていた。
聡いブリッドの事だ。
すでに事態に気づいているかもしれない。
ヘーラはしゃがむ。
小さな肩に手を置いた。
「ブリッドはここで待ってろ」
「え? でも――」
ブリッドは手に持った棒を見つめた。
自分も戦える――そんな無言のアピールだった。
ヘーラは安心させるように笑う。
ブリッドの髪がくしゃくしゃになるまで、ヘーラは撫でた。
「大丈夫だ。ちょっと確認してくる。戦うわけじゃない。単なる火事かもしれないだろ?」
「あ……。そうか……」
「なら、しばらくここにいろ。状況がわかったらすぐ戻ってくるから」
「……うん」
頷いた。
ヘーラは小さな頭を撫でる。
そして立ち上がった。
槍を持つ手に力を入れる。
グローブが、みしりと音を立てた。
力を入れなければ、震えてしまうからだ。
おそらく待っているのは戦場……。
子供の稽古とは違う。
妥協のない死と、一瞬の気も許せない生が交錯する場所。
脳裏をよぎるだけで、鼻孔に血の臭いが漂ってくる。
足先で踏ん張らなければ、今にも震えがこみ上げてきそうだった。
だが、弱気を見せるわけにはいかない。
――強がれ、ヘーラ……。
心配そうに見つめるブリッドの方を向く。
己を奮い立たせるように笑った。
そして緊張がピークに達した瞬間、爆発的に駆け出す。
木の葉を散らし、一振りの槍は村の方を目指した。
村に近づいていくほど、絶望が層となって重なっていく。
たった1本だった煙が、次々と上がり、色が濃くなっていくのがわかる。
鼻孔を突く臭いも、次第に強まっていった。
肌を撫でる大気も、幾分生暖かいような気がする。
無事を祈るよりも、どうか逃げていてくれ、と願う気持ちの方が強くなった。
槍の足が止まる。
やっと村の入り口にたどり着いたのだ。
果たして、一振りの槍兵の前に現れたのは――。
業火に巻かれた村の無残な光景だった。
「あ……。ああ…………」
目を丸め、瞳孔が開いていく。
ヘーラは1歩引き下がった。
逃げだそうとしたわけではない。尻を付けそうになった身体を、なんとか支えた。
幾重にも立ち上る火柱。
まるで竜の炎息のように吐き出される黒煙。
道ばたに倒れた人、人、人……。
炎に驚き、馬や牛の嘶きが聞こえる。
その声に、人が混じっていた。
家も、家畜も、作物も、そして人も……。
ただ等しく火に巻かれていた。
漂ってくる据えた臭いは、まるで人を払う結界のようだ。
まさに地獄絵図にふさわしい。
ヘーラの頭に浮かんだのは、戦場の光景だった。
ふと視界に見慣れたものが映る。
青い修道服がたなびいていた。
紅蓮の炎の中にあって、なおその鮮やかさは失われてはいない。
駆け寄ると、やはりオーディだった。
横向きになり、お腹を守るようにして倒れている。
「おい!」
ヘーラは片手で抱きかかえた。
まだ意識はある。だが、虫の息だった。
彼女の生死よりも重大な事実に気づき、ヘーラは驚く。
正視できず、思わず目を背けた。
「だ…………れ………………?」
かすれた声で、オーディは尋ねた。
衰弱していることよりも、顎を砕かれ、言葉がうまく話せないのだ。
それほど無残に、いびつに歪んでいた。
トレードマークの厚縁眼鏡もなく、綺麗な素肌は欠片もない。
一方的になぶられたのは、目に見えて明らかだった。
「へ………………ら…………?」
「ああ、俺だ」
気がつけば、涙声になっていた。
存在を示すように彼女の腕を強く掴んだ。
「ぼ……ちょま、は…………」
「ブリッドは無事だ! 安心しろ!」
「そう…………。よか…………った……」
表情筋が歪む。
安らかな顔だった。
腫れ上がった瞼が、黒煙に満たされた空へと向けられる。
「ねぇ…………。ヘーラ……。わたくしを……ほ…………め、て」
片方の手で自分の腹の辺りをさする。
「わたくし…………。1どだって……。おなかを……たたかれ…………なか…………。あかちゃん…………。まも…………た」
「ああ! お前はよくやった! だから、もうちょいがんばれよ! 赤ん坊を見たいんだろ!? なあ!!?」
「う……ん…………。そう…………だね……。見たいなあ…………。あか、ちゃん。あの、人……との………………。あか…………ちゃ――――」
ヘーラは息を呑んだ。
そしてオーディは息がなかった。
唇を噛む。
流れそうになった涙を必死に瞼で押しとどめた。
丁寧に地面に下ろす。
両手をお腹の辺りで組ませた。
母親としての勤めを果たせたからだろう。
妙に達観したような、満足げな顔だった。
その怒りと無念を引き継ぐように、ヘーラは真っ赤になった瞳を開いた。
「悪いな……。あとでちゃんとするから、少し待っててくれ」
口角を上げる。
それはわずかな間だけ。
すぐに顔を引き締め、立ち上がった。
村の中心へと向かっていく。
すでに大半の家屋が火に巻かれていた。
何棟かがすでに崩れている。
その火柱の中を縫うように、ヘーラは歩いて行く。
柄についた紐を解き放つ。
口を使い、器用に手首に巻く。
唯一、己に残された手や腕には、オーディの血がべったりとついていた。
突然、横から人が飛び出す。
村の住人だ。
悲鳴を上げながら、炎に巻かれた家屋から出てきた。
ヘーラを認める。
「助けて」って声を上げた瞬間、何者かに背中を切られた。
「あ――」
血しぶきを上げ、老婆は倒れる。
事切れていた。
「――たく。ジジイとババアしかいねぇのかよ、この村。しくじったな。あのねーちゃんで楽しんでおけば良かったぜ」
老婆の後を追うように現れたのは、屈強な男だった。
背丈はヘーラよりも高く、動物の毛皮のようなものを羽織っている。
その手には斧が握られていた。
血がポタポタと垂れ、手首まで朱に染まっている。
傷ではない。すべて返り血だろう。
それも今、斬った老婆だけではない。
たくさんの人間の血が混じっていることは明白だった。
真一文字に結び、瞳孔が強く収縮していくのを、槍兵にはわかった。
男はヘーラの存在に気づく。
「んあ?」という風に、頭を掻いた。
「どうした、兄者?」
すると、次々と家屋から人が現れる。
どれもこれも、浅黒い肌と大きな体躯をしていた。
兵士崩れだろう。
いわゆる脱走兵。
それが集まり、野盗になったのだ。
「お前らがやったのか?」
ヘーラの声は震えていた。
「ああ?」
「お前らがやったのかって訊いている!!?」
「あんだよ。文句あんのかよ。……俺たちは間引きしてやってるんだぜ」
「間引き、だと?」
「そうさ」
先頭の野盗が手を広げた。
得意げな顔を浮かべ、講釈を垂れる。
「こいつらはな。戦場に出れなくなった豚どもだ! 剣も満足に振れないくせに、飯だけは食べるな。このご時世で、そんな罪深いことを許せるか? だから、俺たちは率先して老人どもを間引いてやってるんだよ!」
男の言うことに同意するように、周りから笑声が漏れる。
下品な笑いだった。
むき出した歯のシミにすら怒りを覚える。
いや、十分にもう――ヘーラは怒っていた。
「おい。あいつ、腕が片っぽないぜ」
「隻腕かよ」
「特別負傷除隊兵ってヤツか」
「じゃあ、あいつも戦場に出れなくなった豚の1匹だな」
「間引く間引く間引く間引く……」
野盗どもから殺気が沸き上がる。
目は、すでに狂人の域に達していた。
血を見たくてたまらない。
己を正当化までして、血を啜ろうとする殺人狂。
もはや病気だろう。
しかし、一片の哀れみもなかった。
ヘーラは大きく息を吸い込む。
目の前の敵に集中を向けた。
相手は多勢。
冷静になろうとするが、1度大嵐となった心を落ち着けるほど、ヘーラは完成された人間ではなかった。
「あいつ、構えたぞ」
「隻腕で何が出来るンだよ。げへへへへ」
どっと笑いが起こる。
瞬間だった――。
家屋に巻き込んだ火がはぜる。
それに混じって、風を切る音が聞こえた。
「えっ!?」
野盗の1人は最初、何が起こったのかわからなかった。
何か衝撃が加えられたと思った瞬間、胸に槍が生えていた。
否――。
槍が心の臓を突き刺していた。
柄に付いた紐がピンと伸びる。
槍が引き抜かれ、持ち主の手元に戻ってきた。
空いた穴から、盛大に血を噴き出す。
そのまま倒れ、自ら満たした血の海に倒れ込んだ。
「な――!」
他の野盗達が目を剥く。
そうしてようやく状況を理解した。
目にもとまらぬ速度で、槍を投擲され、同胞の1人が絶命したのだ。
「て、てめぇ!」
激昂した男の1人が、武器を振り上げる。
その瞬間、槍はすでに心臓を刺し貫いてた。
再び引き抜かれる。
また1人、血に沈んだ。
先ほどの状況再現だった。
「あ、ああ――――!!?」
ようやく気づく。
今、目の前の槍兵がしたことが、決してまぐれではないこと。
「冥土の土産に教えておいてやるよ」
ヘーラは槍で今は亡き左手があった部分を叩いた。
「この腕はな。戦闘で亡くしたものじゃねぇ」
「なにぃ……?」
「子供の時にバカやってな。魔族に食われたんだよ。ま――。食われたのはそれだけじゃなかったけどな」
天を仰ぐ。
父親のことを思い出しながら。
「じゃ、じゃあ……。お前、まさか隻腕で兵に志願したのか」
「まあな」
「バカか、お前!」
「よく言われるよ」
肩をすくめる。
「俺は隻腕だ。振る突くは、ちょっと苦手だ! けどな――」
ヘーラは構えを取る。
腰を捻転させ、背中を見せるように投擲体勢に入った。
「投げることは得意だ!」
3度、風切り音。
野盗の心臓を刺し貫いていた。
おお! と野盗達は声を上げる。
恐れおののき、目を剥いた。
「お、俺……。聞いたことがあるぞ。隻腕なのに、たった1人で魔族を100匹つぶした槍兵がいるって」
「それがあいつか!?」
「なんで、そんなヤツがこんなところにいるんだよ!」
「理由か?」
ヘーラは槍を振る。
ピシャリと血の線が地面に描かれた。
「仲間に悪いと思って、自分からやめた」
「仲間……?」
「俺みたいな怪我を抱えたままの兵士が活躍すると、負傷兵を特攻に使わせるような上官が後を絶たなくてな」
「…………」
「それに……。好きなもんを殺すってのは、正直辛いもんだ」
と最後に呟いた。
魔族は人間が外敵ゆえに殺す。
しかし、人間は同胞を平気で殺める。
ヘーラの父はかつて言っていた。
『魔族は人間よりも横の連携が薄い。中には強い絆を重視するものもいるが、少数だ。なのに、彼らは同族でいがみ合うことはあっても、殺し合うことはない。魔王の強い統制があるからだ。しかし、人間はどうだろう……。我々は魔族から学ばなければならないのだ』
――悪いな。親父……。俺もバカな人間だったらしい。
そしてヘーラは4度構えた。
「くそ! 一斉にかかるんだ。槍は1本! 接近してしまえばこっちのもんだ!」
一瞬、恐怖に駆られた野盗達はリーダー格らしき男の一喝で奮い立つ。
下げた武器を、再び握りしめた。
そしてヘーラへと殺到する。
「おおおおおおおおおおお!!」
槍兵もまた己を奮い立たせるように叫んだ。
渾身の力を込め、ヘーラは愛槍を投げるのだった。
【本日の業務報告[回想出張版]】
ちから 64
すばやさ 81
たいりょく 77
まりょく 33
ちのう バカ
状態 永久狂気
しばらく辛いお話が続きますが、よろしくお願いします。
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