第56話 そして勇者の伝説は語られる[1]
過去編です。
ポーン……。
階下から聞こえた振り子時計の音に、少年ブリッド・ロッドは反応する。
勉強机に向かっていた顔を、がばっと上げて叫んだ。
「終わった!」
待ちに待った時間。
嫌な勉強が終わりを告げたのだ。
ブリッドは椅子を蹴っ飛ばし、一目散に部屋の入り口を目指した。
しかし、何者かによって阻止される。
襟元辺りを捕まれると、びよーんという感じで引き戻された。
顔を上げると、青色の修道服を身に纏ったシスターの顔がある。
にこやかなのに、黒縁眼鏡の奥の目は笑っていなかった。
「坊ちゃま。まだ半分も終わってませんよ」
「えー。明日やるからさ。1週間ぐらい遊びに行かせてよ」
「言うに事欠いて、1週間と来たか、このガキきゃ……」
「オーディ、化粧が剥がれてるよ」
「え? 嘘??」
オーディという女性は、ブリッドから手を離す。
懐から手鏡を出して、顔を確認した。
「――って! わたくし、今日は化粧はしてませんよ!」
振り返る。
時すでに遅かった。
先ほどまで勉強していた少年の姿はない。
まき散らしていったであろう埃だけが、陽光を受け、渦を巻いていた。
慌ててオーディは2階まで吹き抜けになった玄関ホールに出る。
手すりに乗り出し、階下を見つめた。
すでにブリッドは階段を降りきったところだった。
「坊ちゃま!!」
修道女であることも忘れ、オーディは大きな声を上げる。
ブリッドは足踏みしながら、首だけを動かした。
「明日やるって! 絶対! たぶん……」
「どっちなんですか!?」
「じゃあね。オーディ」
バイバイと手を振って、ブリッドは外へと飛び出していった。
「ああ……。もう……」
こきん、オーディは頭を垂れる。
大きく息を吐いた。
「まあまあ……。あの子、また勉強から逃げ出したのかい?」
慌ただしい中で、のんびりとした声が階上に響く。
ブロンドに白髪が混じった老婆が、部屋から出てくるところだった。
質素な厚手のドレスは年季が入っていて、ところどころ綻んでいた。
「これは、村長夫人!」
だれていた姿勢をピシリと伸ばす。
何故か、軍隊のように敬礼した。
村長夫人といわれた老婆は「ふふふ」と笑みを浮かべた。
「村長夫人なんてかしこまらなくていいんだよ」
「いえ。目上の人には礼儀正しくなさいと母にしつけられましたので」
「そうかいそうかい。……しかし、ブリッドには困ったもんだね」
「ご心配なく、ご夫人。行き先はわかっていますので」
「あら……」
「今から、その行き先と要因を排除しにいってきます!」
「あんまり無茶はしないでね、オーディ」
老婆は軽く自分の腹を触る。
オーディはぺこりと頭を下げた。
階段を滑るように降りていくと、ブリッドと同じく外へと飛び出していく。
夫人は笑った。
「あの子達が来てから、この家も騒がしくなりましたねぇ」
「どうした?」
現れたのは、夫人の夫。つまりは村長だ。
白髪白鬚の老人は開いたままのドアを見つめる。
困ったものだという風に、頭を掻いた。
「またブリッドが勉強部屋から逃げ出したのか?」
「どうやらそのようです。遊びたい盛りなんですよ」
「一昔なら、それでいいかもしれん。だが、今は違う。子供の頃から、生き残る術を身に着けさせなければならない」
「あの子もいつか私たちの子供のように兵隊に取られるんでしょうか?」
「時代が時代だ。……また要塞が落とされたらしい。魔族の進行は止まらぬ。人類は絶滅するかもしれないな。もはや我々には女神マーリン様に祈ることしかできないやもしれぬ」
「そんな――!」
夫人の顔がみるみる青くなっていった。
階下に置かれた女神の肖像を見つめ、両手を組んで祈った。
「なのに、最近はこの辺で野盗がうろついているらしい。いよいよ世紀末だな」
「…………」
「そんな時代でも生き残れるように、オーディを雇った。今でこそ、戦線から遠ざかっているが、昔は腕の良い白魔導士だったらしい。実戦経験もあるから頼んだ」
「嫌な世の中になりました」
祈りをとく。
夫人は首を振り、息を吐いた。
「どれ……。私も行こう」
「どこへですか?」
「ブリッドの行く場所など決まっておる。どうせ能なしの門番のところだろう」
村長は帽子を取り、コートを纏う。
しっかりとした足取りで、外へと出て行った。
ブリッドの父と母は、兵士としてかり出された。
“人類総力戦”という大号令のもと――。
人種、性別を問わず、15歳以上は後方支援任務を、18歳以上は戦地へと投入された。
父と母は戦地で出会い、母のお腹に子供がいるとわかると一時的に帰郷。
この村でブリッドを産み、村長夫妻に預け、そのまま戦地へととんぼ返りしていった。
故に、ブリッドは両親の顔を知らずに育った。
それでも彼は若干の偏差はあっても、平均的な子供として育っていった。
賢い子なのだろうか。それとも幼少の頃から、両親がいない生活に慣れているからだろうか。
「両親に会いたい」とぐずることはなかった。
村にはブリッドと同い年ぐらいの子供はいない。
ほとんどが老人だ。
1年前まで、少し年の離れた子供はいたが、全員まとめて後方支援任務に行ってしまった。
遊び相手に飢えていたブリッドの前に現れたのが、つい最近村の衛兵として着任した男だった。
「ヘーラ!」
ブリッドが向かったのは、村の入り口だ。
その人物は村の門に寄りかかるようにして、立ったまま寝ていた。
ブリッドに名前を呼ばれると、「あ!」という感じで、瞼を開ける。
「俺は寝てねぇぞ」
口に吐いた涎を拭う。
慌てて周りを見渡した。
しかし、人がどこにも見当たらない。
「ヘーラ、こっちこっち」
「うん……?」
目線を下げる。
子供が大きく両手を挙げて立っていた。
「なんだよ、ブリッドじゃねぇか。驚かすなよ」
自慢の愛槍のショートスピアを肩に置き、しゃがむ。
少年の頭をごしごしと擦るように撫でた。
「ちっちゃすぎてわからなかったぞ」
「ちっちゃ言うなよ、ヘーラ! またさぼってたんでしょ」
「あほぅ……。俺ぐらいの達人になるとな。寝てても敵の気配がわかるんだよ」
「僕の気配はわからなかったじゃないか。あと寝てることは否定しないんだね」
うふぇふぇふぇふぇ……。
ヘーラは笑う。昔からの癖らしい。
あまりにあっけらかんとした衛兵の態度に、子供のブリッドの方がげんなりしてしまった。
「ところでいいのか? 勉強は? まーた、怖い怖い修道女様がやってくるぞ」
「大丈夫! 勉強の時間は終わったから」
「じゃあ、何をしにきたんだよ」
「これ」
差し出したのは、木の棒だった。
「また稽古つけてよ」
「また~。俺、これでも仕事中なんだぞ」
「パンいる?」
今度、ブリッドが差し出したのは、朝食のパンだった。
「お前さ~。子供の頃から大人の買収するなんて誰に習ったのよ?」
「ヘーラだけど」
「はっきり言うなよ」
「いるのいらないの。ねぇ……?」
「…………」
ヘーラはしばしパンを凝視する。
ごくりと喉を鳴らした。
すると――。
ヒュッとブリッドの顔の正面に風が通り抜けていった。
気がつけば、少年の手からパンが消えている。
「あーん」
大口を開け、ヘーラはパンを食べようとするが。
ガチンッ!
パンの割にはやたら硬い音がした。
「このパン、硬ぇ!」
何度もトライするが、一向に噛みちぎることが出来ない。
ブリッドは呆然とする。
「それは木で作った偽物だよ」
「な――」
「味と感触でわかるでしょ? ヘーラ、どんだけお腹空いてるの」
「うるへぇ……。昨日、お前からもらったパンを最後に、俺様の腹には1滴の燃料も投下されてないんだよ」
ヘーラはぐすぐすと泣き出した。
その衛兵の頭を、ブリッドはなでなでと慰める。
「はい。こっちが本物」
改めてパンを差し出す。
「ありがてぇ」
感謝しながら、ヘーラはうるうると涙を流しながら、パンを口に運んだ。
「ヘーラ、給料があるでしょ」
「おうよ。でも、3日前に使い果たした」
あっという間にパンを飲み込んだヘーラは、手に残ったパン屑を丁寧に舐め取った。相当お腹が空いていたらしい。
「次のお給料は?」
「さあな。……俺に給料を与えていたヤツらが生きているかどうかも怪しい」
後にブリッドも知ることになるのだが、ヘーラの給料は近くの王国から出ていた。
節季に1度ぐらいの割合で、見回りの代官がヘーラの給料を持ってくるのだが、もう随分と村に立ち寄った形跡はない。
「大変だね。じゃあ、今度2個持ってきてあげるよ」
「おお! 心の友ブリッド!」
はしっとヘーラはブリッドを抱きしめた。
「く、苦しいよ、ヘーラ。あと僕はそんな趣味ないから」
「心配するな。俺にもそんな趣味はない」
2人は見つめる。
そして――。
「「うふぇふぇふぇふぇ……」」
と笑った。
ヘーラは勉強とは違ったことを教えてくれる。
博打の打ち方。人の欺き方。魔族を騙すための死んだふりの仕方。
はっきり言うが、子供に教えるには、ろくでもないものばかりだ。
けれど、ブリッドにはすべて新鮮に聞こえた。
どんな書物も、どんな優秀な教師も教えてくれなかったことだからだ。
何よりヘーラの話は面白かった。
でも、1番ヘーラを当てにしていることがある。
槍術の稽古だった。
「じゃあ、稽古つけてよ」
ブリッドはとんと棒を地面に打ち付ける。
「お前ね。俺が腹減って死にそうなのに。この後に及んで、まだ働かすのか?」
「じゃあ、パンはいらない?」
「慎んで勤めさせていただきます」
ヘーラは恭しく頭を下げた。
「じゃあ、行くよ」
ブリッドは構えた。
足をやや広げ、右足に重心を傾ける。
棒の中程を右手で握り、腰より後ろの位置で左手を握った。
上半身は程よくリラックスさせている。
なかなか綺麗だ。
「へぇ……」
思わず感嘆の声を上げる。
ブリッドに槍を教えて、まだ1節季も経たないが、基本の構えはすでに堂に入っていた。
――もしかして、こいつ……。天才ってヤツかもな。
「なんか言った?」
「なんでもねぇ。さ。打ち込んでこいよ、坊主」
ヘーラは構える。
基本型のブリッドに対し、変則的な構えを取った。
スタンスは短く。
右手と腕を使って、巻き込むようにショートスピアを握る。
ぐっと腰を捻転させ、出来るだけ視線を前に向けた。
やや背中が見えるぐらいで、体勢を止める。
初見でヘーラの構えを見た人間は、ある違和感を覚える。
彼には左手がない。
つまり、隻腕なのだ。
「じゃ――」
ヒュッ――。
風が鳴った。
子供の上体が沈み込んだと思った瞬間、矢のように飛んできた。
――おっと!
ヘーラは上体を回し、一直線に飛んできた棒を捌く。
一槍目が弾かれた。
しかし、ブリッドは屈しない。
2、3槍目と次々と突く。
だが、これもヘーラはかわし、あるいは捌いた。
連続突き。
子供の呼吸が切れた瞬間、ヘーラは腰を回転させてなぎ払う。
その瞬間、ブリッドは2歩分飛び退っていた。
1度大きく息を吸い込む。
すぐに反撃を開始した。
横にステップして、手のない方を狙う。
隻腕のヘーラにとって、厄介だ。
――ったく。子供のくせにかわいげがなさ過ぎる。
相手の弱点を徹底して狙えと教えたのはヘーラだった。
ブリッドはその教えを忠実に守っているだけなのだが、子供というのは妙にプライドの高い。
弱点を突くことを躊躇する傾向があるのに、ブリッドにはそれがない。
ある意味、それは彼が真面目である証拠でもあった。
勇敢にも距離を埋めるブリッド。
ヘーラは体を捌く。
しかし十分ではない。棒に対して、身体を正面に向けてしまう。
槍相手の場合、ヘーラは斜に構えることを基本に習った。
正面を向くとその分、面積が増えるからだ。
「やああああああああ!」
ブリッドの気合い一閃。
ヘーラは巻き込むように持った槍を振り上げる。
棒の下方からかち上げようとした。
硬質な音が、村の入り口に響く。
空中で大気を切り、長い棒のようなものが回転していた。
やがて地面に突き刺さる。
果たしてそれは、ブリッドが持っていた棒だった。
「くっそー。また負けた」
ぺたりと座り込み、ブリッドは息を吸った。
ヘーラも「ふう」と声を上げて、顎についた汗を払う。
そして少年を見つめた。
――恐ろしいガキだな。
棒術を習い始めて、まだ数十日ほど。
それもヘーラの適当な講釈を聞いた程度なのだ。
隻腕というハンデがあるとはいえ、実戦経験のある大人を追い詰めるほど、ブリッドは極まっていた。
才能がある――といっても、過言ではないだろう。
複雑だった。
ヘーラは幾多の戦場を見てきた。
戦というのは、優秀なヤツほど前線にかり出され、愚鈍なヤツほど安全な後方に敷かれる。
このままブリッドが成長し、その時に戦争が終わっていなければ、おそらく前線へ送られるだろう。
そして待っているのは死と圧倒的な恐怖だ。
ヘーラのように隻腕になり、戦力外を言い渡されて後方任務に着くのは、むしろ幸運と言えた。
ブリッドが強くなることは、逆に言えば、それだけ死が近づいているということになる。故に複雑な思いだったのだ。
「なあ、ブリッド……」
「なに?」
話しかけようとした瞬間、声が別方向から聞こえた。
「やっぱりここにいた!」
2人は同時に視線を走らせた。
青い修道服。
フードの置くには、厚縁の眼鏡が収まっている。
オーディだった。
【本日の業務報告[回想出張版]】
少年ブリッド[ステータス]
ちから 2
すばやさ 4
たいりょく 3
まりょく 1
ちのう 2
性格 まだクズじゃない。まだ綺麗なブリッド。
前回の感想をたくさんいただきありがとうございます。
好意的な意見をいただき、励みになりました。
何度もいいますが、谷間のお話になります。
少しテンションダウンしますが、お付き合いいただければ幸いですm(_ _)m




