第51話 元勇者、同僚と同衾する。
お待たせしました。
「ふんふんふっふーん♪」
フィアンヌの鼻声が風呂場から聞こえる。
随分と機嫌が良さそうだ。
よっぽど風呂が気に入ったらしい。
俺はというと、部屋の椅子に座っていた。
机に置かれたルームサービスの一覧を、無意味に眺めている。
何故か、めくる手は震えていた。
――オチツケ。オチツケ、オレ……。
何度も言い聞かせる。
メニュー表に意識を集中しようとした。
薄い磨りガラスの向こう……。
女の子が、お風呂に入っている。
たとえ、獣人であろうと、子供みたいな容姿だとしても、慎ましい胸であっても、それが『異性』であることに変わりはない。
最初は全く意識などしていなかった。
そもそもあのロリも、貧乳も、ケモノ娘も、俺の守備範囲外だ。
大暴投も甚だしい。
断言する!
俺はフィアンヌから、微塵もエロチシズムなんぞ感じたことがない(尻尾は別)。
しかし――しかしだ!
この部屋は、まさに男にとって――ある意味――拷問部屋だった。
なんとこの磨りガラス……。
風呂場からの光に照らされ、入っている者のシルエットが見えるのだ。
すると、どうなるのか。
あら、不思議……。
女の身体が現れるのである。
胸こそ慎ましいのだが、女性らしい身体の曲線がシルエットによって、より強調され、俺の視覚が「女」だと認識してしまう。
おかげでさっきから心臓がバクバクだ。
自然と息が荒く、衝動が震えとなって襲ってくる。
意味のよくわからない鼻歌すら、美女の甘い声に聞こえてくる始末だ。
あのシルエットの正体が、フィアンヌであると連呼しなけえば、頭がどうにかなってしまいそうだった。
ああ、そうだ……。
挙動不審ぶりから、もうわかっただろう。
俺は異性と同じ部屋で寝るという行為が初めてだった(家族以外)。
それはどういうことか。
言わずともわかるであろう。
つまり、そういうことである。
師匠と呼ぶ男がこれほど苦しんでいるのに、黄狐族の少女の鼻歌は続く。
俺は理性を抑えるのに必死だった。
「師匠!」
フィアンヌの声が聞こえた。
俺はハッとなって顔を上げる。
どうやら眠っていたらしい。
いや――意識を失っていたという方が正しいかもしれない。
心の痛みに耐えかねて、脳が寝ることを推奨したらしい。
それほど激しい葛藤だった。
振り返る。
風呂場の入り口からフィアンヌが顔を出していた。
俺はぎくりと肩をそびやかす。
フィアンヌの身体は濡れていた。
風呂に入っていたのだから当たり前だろう。
白い肌からぽたぽたと水滴を垂らしている。
黄金色の髪が頬に貼り付き、その頬はやや上気していた。
その姿が妙にそそってしまった。
「ど、どうした?」
どうした、と尋ねたいのは自分自身だった。
動揺しすぎて、声がどもってしまう。
「も、申し訳ないのですが、着替えをとっていただけないでしょうか、です?」
「着替え? あ、ああ……。着替えな」
「師匠の手を煩わせるのは非常に心苦しいです。けど、濡れた身体で部屋を歩くのは……です」
そういう分別があったんだな、お前。
いや、ナイス判断だ。
濡れたままはともかく、裸のままでウロウロされたら、色々と何かが吹き飛びそうである。
「よ、よし。ちょっと待ってろ。――って、どわ!」
慌てた俺は、テーブルの脚に自分の足をひっかける。
そのまま転倒してしまった。
「し、師匠!!」
フィアンヌが風呂場から出てくる音が聞こえた。
「来るな!!」
一喝する。
床を恨みがましく見つめ、奥歯に力を込めた。
「絶対に来るんじゃねぇ……」
まるで呪詛でもかけるかのように俺は言った。
今にも目から血がこぼれてきそうなぐらい、充血しているのが自分でわかる。
俺の迫力に、フィアンヌは「ひぃ」と小さく悲鳴を上げた。
翻って、風呂場の方に戻っていく。
ふー。
一息つく。
顔を上げた。
俺は黙って、クローゼットへと向かう。
絨毯には生々しいフィアンヌの足跡と水滴の跡が残っていた。
「着替えって、制服のつなぎでいいのか?」
「は、はい、です!」
フィアンヌは今、あのきわどいビキニメイル以外に、制服しか持っていないらしい。なので、常備されたロッカールームから何枚か持ってきていた。
明日、出社前に服屋に寄らないとな。
せめて寝間着ぐらいは用意しないと。
たとえば、ちょいエロの……。
…………!?
な、何を考えてるんだよ、俺!
なんか色々と変遷していってるような気がしてならないんだが……。
「ありましたか、です?」
フィアンヌが声を張り上げる。
「お、おう。ちょっと待て」
俺は慌てて1着のつなぎを荷物から出す。
風呂場に持って行くと、入口付近に置いた。
ルームサービスを取って、部屋の中で食事を済ませた。
部屋を出る気がしない。
何度も言うが、知り合いにこんなところを絶対に見られたくない。
中にあったカードゲームを使って、フィアンヌと戯れる。
意外と盛り上がり、おかげで俺の気も静まってきた。
「また負けたです」
「ふふん。……お前は顔に出すぎなんだよ」
「師匠はやっぱりスゴいです」
えっへんと獣娘の前で胸を張る。
その横で、フィアンヌは欠伸をかみ殺した。
目を擦る。
「眠たいか……?」
「は? すいませんです。折角、師匠が自慢をしている最中に欠伸をしてしまったです」
なにげに、心に刺さるんだが……。
時計を見る。
俺からすれば、これからが活動時間なのだが、フィアンヌにとってはもう寝る時間なのだろう。
「寝るか」
「はい、です」
いざ、という風に俺たちはベッドへ振り返った。
ハート型のベッドが「待ってました(^o^)」と言わんばかりに、視界に入る。
俺は固まる。
フィアンヌも、どうしようという感じで、ゆらりと尻尾を振った。
ベッドは1つである。
ちなみに今まで言ってなかったが、枕も1つ。
ベッドと合わせるようにハート型だ。
「フィアンヌ……」
「は、はい、です」
「俺は床で寝るから、お前はベッドで寝ろ」
「ええ? そんなこと出来ないです。師匠が寝て下さいです」
「あほぉ……。ここはレディファーストだ」
「師匠に敬意を払うのが、弟子の勤めです」
1歩も引かない。
なかなか強情な弟子である。
取った覚えはないが……。
しばしにらみ合い。
すると、フィアンヌの方から口を開いた。
「では……。2人で寝ましょう」
「なんでそうなる!」
「し、師匠の気持ちは嬉しいです。けど、フィアンヌも折れるわけにはいかないです。だから、2人で寝るです」
フィアンヌの耳が、徐々に赤くなっていく。
股の辺りをもじもじさせ、尻尾をゆらゆらと揺らした。
「し、師匠の考えてることはわかってるです。……フィ、フィアンヌも男の人と一緒に寝るのは恥ずかしいです。でも――」
俯き加減だったフィアンヌの顔が、ゆっくりと角度を上げた。
俺の視線と交わる。
その瞳は、空に浮かぶ太陽よりも純粋に輝いていた。
「師匠のこと……。信じてるです」
――――!
顔が熱い。
俺は反射的に顔を隠した。
見なくてもわかる。
今、俺の顔は真っ赤に熟れた赤茄子よりも、赤くなっているだろう。
くそー。フィアンヌのくせに……。
俺の方がよっぽど動揺してるじゃねぇか。
「なんだったら……。でも、えっちぃことは――」
言うな! それ以上言うな!
てか、こいつ度胸あるな。
もしかして、経験済みじゃないだろうな!?
そうなのか?
お前は、俺がまだのぼったことのない階段の向こうにいる存在なのか。
よ、よし!
ならば、俺もこの階段をのぼらねばなるまい。
何故か?
それは目の前に階段があるからだ。大人の……。
なんか変なギアが入ってしまった俺は、覚悟を決めた。
「じゃあ、2人で寝るか」
「はい、です」
我ながら錯乱気味であることはわかっている。
部屋に踏み入れた時点で、俺の頭のねじは1本抜け落ちていたのだ。
先に横たわったのはフィアンヌだった。
対して俺は背中を向けるように寝っ転がる。
引き続き、心臓がバクバクいっていた。
ベッドを通して、振動がフィアンヌに伝わっているんじゃないかと思うほど、鼓動が強い。
「光球……。消すですか?」
先に聞いたのは、フィアンヌである。
「は、はひぃ」
声がうわずってしまった。
フィアンヌは側にあった光球に手をかざす。
すると、騒がしい桃色の明かりが消えた。
現れたのは闇だった。
どうしてか、ホッとする。
赤系の色よりも、今は闇を見ている方がよっぽど落ち着く。
次第に目が慣れてきた。
少し顔を上げ、窓を見つめた。
星が出ている。4大陸世界【ジルデレーン】の夜の空だ。
窓の外からは、夜の喧騒が聞こえる。
客引きや、酔客の叫び声が風に乗ってやってきた。
耳をそばだてていると、すぐ隣で寝息が聞こえてくる。
規則正しく――どこかかわいげがある……。
ちらりと振り返った。
いつの間にか、背を向けていたはずのフィアンヌがこちらを向いていた。
面食らった俺は、顔を背ける。
やがて、そっと少女の顔を見た。
長い睫毛が下を向き、小さな薄い唇が動いている。
黄金色の髪がさらりと揺れ、鼻をくすぐると、フィアンヌは鬱陶しそうに顔を顰めて、無意識に手で払った。
背後には、モフモフの尻尾が動いている。
いつでもどうぞ――とでも言うように、誘っているかのようだった。
とどめはソープの香りだ。
おそらく風呂場に備え付けられていたものだろう。
妙にいい香りだ。
昼間、魔物の檻にいたから、余計かぐわしく感じる。
しまいには、少女の白い頬が、ソープみたいに思えてきた。
鎮火寸前だった“ある種”の炎が、再燃する。
くるりと背中を向けた。
必死にその“火”に水をかける。
そして俺は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたのだ。
天国のお父さん……。お母さん……。
結局、大人の階段をのぼらなかったチキンな俺を許して下さい。
そうして夜は明けていった。
「師匠、おはようございます!!」
元気な挨拶が聞こえた。
「お、おう……」
枯れてしおしおになった花のような声を上げたのは、俺だった。
フィアンヌは首を傾げる。
俺をのぞき込んだ。
「どうしたですか、師匠? お目々が真っ赤です」
俺は側にあった手鏡で自身を見つめる。
ある意味、朝からギンギンだった。
手鏡を置く。
「な、なんでもねぇ……」
「もしかして寝てないです?」
「寝てる寝てる。ちょー寝てる! つーか、これは特異体質だから。朝はいつもこんなん何だよ。あまり見つめるな。魔眼が発動して、お前を石にしてしまうかもしれない」
「な、なんと! そんな能力が! さすが師匠……です!」
はわわわ、という感じで、フィアンヌは1歩退く。
いつもの反応だ。俺としては割と助かる。
昨日は、お互いどうかしていたのだ。
「ともかく、宿を出るぞ。服とか身の回りのもんとか。それに宿とか変えないと」
「ほへ? またここで泊まらないですか?」
まだ寝ぼけ眼も取れない状態のフィアンヌは、首を傾げた。
こいつ……。わざと言ってるんじゃないだろうな。
だったら、相当な策士だぞ。
そんな疑心暗鬼に囚われるほど、俺の精神状態はやばい。
一刻も早く宿屋から出て行った。
「着替えるぞ。朝食は適当に近くの食堂でとろう」
「はい、です」
俺たちは手短に身支度を調える。
そそくさと宿屋を出た。
それがいけなかったのだろうか。
それとも、俺の頭が冷静な判断が出来ず、その事態を予期できなかったのか。
俺は最大の失敗を犯すことになる。
宿屋の前。
出勤途中のアーシラちゃんに出会った。
その眼には、バッチリ――俺とフィアンヌの姿が映っている。
この時、彼女が何を思ったか。
昔、王様ににぶちんと称された俺でもわかった。
「…………」
「…………」
俺とアーシラちゃんはしばし見つめ合う。
先に動いたのは、アーシラちゃんだった。
背を向ける。まさしく逃げるように、元来た道を引き返した。
「ちょ! ちょっと! アーシラちゃん! どこ行くの?」
「早退します!」
早退って、まだギルドにすらたどり着いてないよね!!
「心的外傷後ストレス障害で早退しまぁぁあああすす!!」
「アァァァアアアシラちゃあああああああああああんんん!!」
元勇者の叫び声は、通勤の人間でごった返す朝の村の中に響き渡るのだった。
【本日の業務報告】
元勇者は、【チキン野郎】の称号を手に入れた。
フィアンヌの好感度 +4
アーシラの好感度 -1000
改めまして、
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。




