第20話 元勇者、風邪を引く。
日間総合37位。週間も99位ととうとう2桁まで来ました。
ブクマ・評価いただいた方ありがとうございます。
ううむ。おかしい。
頭がクラクラする。
2日酔いかとも思ったが、節々が痛い。
それに顔面がやたら熱い。
これはもしかして、風邪を引いたのではなかろうか。
という結論に達した時には、俺は魔王城の城門前に立っていた。
悲しい性よな。
こんだけ体調悪いのに、仕事場に来てるなんて。
アルバイターの鑑みだぜ、俺。
良い子のみんなは真似すんなよ。帰って寝ろよ。
とにかく中に入って、適当にドランデスの言うこと聞いて、スライム――じゃなかったスィームに業務を任せれば、今日も999,999,999エンがもらえる。早めに帰って、ベッドで寝れば、明日には回復してるだろ。
魔王城でアルバイトしはじめてから、そういえば休日って取ったっけ?
あれ? 俺、ずっと出勤してんじゃないのか?
てことは、別に今日休んでもいいじゃね。
でもここまで来たんだ。今日は仕事をして、明日休みを取ろう。
土壇場で申し訳ないが、いくら魔族っていっても、1日も休まずに働いてきた人間の頼みを無下にすることはないだろう。
上司は割と寛容だしな。
城内に入り、いつも通りつなぎを着る。
とりあえず道具を持って、ロッカールームを出た。
いつも通り、ドランデスが立っていた。
さらさらのボブに、色白の肌。
燕尾服も女性の姿なのに決まっている。
お尻から出た尻尾を機嫌良さそうに左右に振り、対称的に眼鏡の奥から鋭い紺碧の光を放っていた。
なんか久しぶりだな。
昨日会ったのに、何だかやけに長く見ていなかったような気がする。
やべ。俺、何を言ってんだろ?
相当具合悪いな。やっぱ早退しようかな。
「おはようございます。ブリード。今日もよろしくお願いします」
「おぶ。ぎょうぼよぼびぐ」
「? どうしました? なんか声が変ですよ」
「ぞうが? ぞぶな゛ごどば――――」
視界が急回転する。
そのまま俺は井戸の中へと飛び込むように意識を失った。
「ちょっと! ブリードが倒れたってホント!!」
いきなり書斎の扉が豪快な音を立てて開く。
勢いのあまり部屋に堆く積まれていた書籍の山が崩れた。
入口に立っていたのは、燃えるような赤い髪の少女だ。
息は弾ませ、その度に背中の小さな蝙蝠羽を激しく動かしている。
「エスカ様! お、おはようございます」
机に向かって仕事をしていたドランデスは、椅子から立ち上がった。
エスカは青い瞳を燃え上がらせ、近づいてくる。
扉と同様、激しく机を叩いた。
書類の山からひらりと1枚の紙が落ちる。
「あいさつなんてどうでもいいわ! ブリードはどうしたの?」
「今日、魔王城まで来たのですが、早々に倒れられてしまって」
「今どこにいるの?」
「早退してもらいました。部下のカーゴイルに送らせるといったのですが、強く拒否されまして。ご自身の足で」
「あの……馬鹿…………」
エスカには拒否した理由がわかった。
魔族に送ってもらえば、もしかしたら自分が勇者だとばれる可能性を恐れたのだろう。
「で? なんであいつは倒れたの?」
ドランデスは神妙な顔をして、再び椅子に座る。
机の上で指をこねた。
「わかりません。我々はあまり人間の人体に詳しくないので。――ですが、人間の特有の病気か何かだと思われます」
「そう。……まあ、風邪程度なら心配しなくてもいいけど」
「風邪? ああ、人間に時折起こる急性の上気道炎ですね。よくご存じですね」
「あんたとお父様が、別荘に私を押し込めた時に色々と調べたのよ。人間のこと」
「そうだったのですか。あの時は、その……」
「別に謝罪はいいわよ。それより聞きたいんだけど」
ドランデスは顔を上げた。
「あんた、あいつに休みをあげてるの?」
「休み? 休日のことですか?」
「そう。あいつ、毎日ように来てる気がするんだけど」
「そう言えば――」
慌ててドランデスがそこらにある書類をめくりはじめる。
やっと1枚の紙を探し当てると、机の上に広げた。
それはブリードの出勤表だった。
毎日つけてもらっているのだが、物の見事に欄が埋まっている。
それは彼が魔王城に来てから、ずっと出勤していることを示していた。
エスカは頭を抱える。
「あんた、これ見て……。どう思う?」
「まだ30日ほどしか出勤してませんね。休日はあと300日ほど経ってから……」
ドランデスの衝撃の告白に、エスカの顔から血の気が引いた。
「あんた、馬鹿なの!?」
「え? な、なにを――」
いきなり魔王の娘に一喝され、ドランデスは狼狽した。
眼鏡を上げたり、書類をもう1度見直したりしている。
ブリードが見たら、さぞ滑稽に思っただろう。
対してエスカは怒り心頭だ。
ドランデスよりもずっと細い尻尾を鞭のように動かし、床を鋭く叩いた。
「あいつは確かに普通の人間より頑丈な身体をしてるけど、人間であることはかわりはないのよ。あいつは魔族じゃないの! 適度に休ませなきゃいけないでしょ!」
「そ――そうなのですか? すいません、私が無学でした」
「これぐらい常識よ。よくそれで人間との交渉役が務まるわね。まったく……」
「…………」
ドランデスは下を向いた。
普段から白い顔がさらに白くなっていく。いつも偉そうに立っている尻尾も、雨に濡れた木々みたいにしなだれていた。
エスカも記憶にないほど、四天王の一角は落ち込んでいた。
(ちょっと言い過ぎたかしら。でもまあ……。普段偉そうにしているこいつには、いい薬よね)
「とりあえず、あいつの住所を教えて」
「住所? どうするのですか?」
「お見舞いにいくわ。あとはお詫びをしに。部下の始末をつけにいくの」
「だったら、私も――!」
ドランデスは己を奮い立たせるように、椅子を蹴った。
意気込みに水を差すように、エスカは深い息を吐く。
「言うと思った。ダメよ。……これ全部あんたの仕事でしょ。アルバイトの心配なんかするよりも、ここにある仕事を片づけるのが先決でしょうが」
「それはそうなのですが」
ドランデスは再び椅子に座る。
夜空に大輪を咲かせることなく、落ちてきた花火のようだった。
「あんたが心配してたって、伝えておいてあげるわよ」
「……はい。お願いします」
ドランデスはそう言って、ブリードの住所を書いたメモを作成し始めた。
「意外と都会に住んでるわね、あいつ」
エスカはフードを半ば上げて、街を見つめた。
王都と比べれば雲泥の差だが、かなり活気に満ちあふれている。
道路は舗装され、馬車の水飲み場、上下水道がきちんと完備されており、インフラは完璧だ。
教会も多く建ち並び、露店も多い。
特に気になったのが、新築の住宅が多いことだ。
住宅ラッシュでも来ているかと思うほど、建築中の建物が軒を連ねている。
大工が木槌を叩く音がうるさくて、苦情が出るんじゃないかというほどだ。
と思っていたら、赤子を抱えた母親らしき女性が、現場員と揉めている光景を目にしてしまった。
ふとエスカの足が止まる。
やたらと派手な店の看板を見つけてしまった。
精霊光球――いわゆる精霊を使った白灯――をふんだんに使い、これでもかと店をアピールしている。
カジノかと思いきや、酒場だ。
店の前には浮浪者らしき男がいて、昼間から顔を赤くしていた。
浮浪者の割には、身なりがいい。
エスカは住所を頼りにブリードの家を探す。
土地勘がなく、さっぱりわからなくなってしまった。
そんな時だ。
「へいへい。そこのお姉さん、暇?」
「ちょっとオレたちとお茶しない?」
背後から声をかけられた。
振り返ると、2人の人間――しかも雄だった。
――頭、悪そ……。
資料で見たことがある。
おそらくこれはナンパだ。
人間の習性の1つで、男が女にアポなしで声をかけることをいうらしい。
最初の常套句は決まっていて、今まさに一字一句同じことが資料に書かれていた。
これほど正確な状況再現はないだろう。
むしろ、そちらの方にエスカは感動してしまった。
ここまで来ると、ナンパに乗るのも悪くないと思ったが、自分の使命を思い出し、邪念を払う。
資料には、ナンパの10回のうち9回は下心があって近づいてくるのだと書かれていた。さすがに、人間に自分の貞操を渡すつもりなどない。
何度もいうが、エスカは魔王の娘なのだ。
――ちょうどいいわね。
エスカは笑う。
強大な父親の子供らしい邪悪な表情を浮かべた。
出発前、ドランデスに「人間との諍いは極力避けてくださいね」と注意されていたが、すでにこの時、エスカの頭にはそんな忠告は消滅していた。
●
「ひぃいいいい! 許してぇぇぇええ!」
「ごめんなさぁぁぁあああい!」
2人の男が裏通りを全力で走っていった。
その下半身にズボンははいておらず、己の粗末なものも全力で振り上げて逃げていく。
それを見送りつつ、エスカはピシャリと持っていた鞭を叩いた。
「張り合いがないわねぇ。……まあ、豚のような悲鳴を久しぶりに聞けたからよしとしましょう」
尻尾をぷりぷりと振った。
自身も表通りに向かって歩いていくと、急に影が現れる。
男が戻ってきたのかと警戒したが、シルエットからして女だった。
目をこらし、よく見る。
年の頃は10代後半か20代前半だろうか。
亜麻色の髪に、パッチリと開かれた桃色の瞳。
童顔で如何にもさっきの男達に好かれそうな可愛い顔をしてる。
何か形式張った制服を着ているが、それでもスタイルの良さは服の上からでもわかった。
エスカも自信はある方なのだが、もしかして負けてるかもしれない。
特に胸の辺り、とか。
――大丈夫。まだ私は成長期よ。こんな人間すぐ抜いてあげるんだから。
密かに張り合う。
そっと自分の胸元を覗いた。
「えっと……。エスカ・ヴァスティビオさんですか?」
「……? あんたは?」
女はにこやかに笑った。
なんとも無邪気で、逆に勘が働きにくい。
やりにくい相手だ。
「私、ギルド職員のアーシラと申します」
「ギルド……?」
ギルドという存在はもちろん知っている。
かつて大戦期において、その諜報能力はあらゆる国の諜報機関を凌駕したと聞く。いわば、大戦期の影の立役者だ。
今でこそ職業斡旋のようなことをしているようだが、いわゆる“昔とった杵柄”というものは残っているらしく、魔族側にも太いパイプを持つという。
ある意味、謎が多い組織だった。
「よく私がわかったわね」
「お気づきとは思いますけど、街に結界がありまして。魔族さんたちが通ると、自動的にギルドに報告される仕組みになっているんですよ」
「へ、へぇ……」
初めて聞いた。
この国の政治組織には話を通しているのだろうか。
「特にあなたのような大物が来ると、尾行して様子をうかがう仕組みになってるんです」
「尾行って? 私の前に現れてるじゃない」
「はい。けれど、あなたの目的に心当たりがあるので、姿を見せた方が手っ取り早いと考えました」
「私の目的……。へぇ。興味があるわね」
「ブリッドさんのお見舞いに来て下さったんですよね」
「な!」
「あ。失礼……。ブリードさんでしたか」
「そんなことまで!」
「ああ、勘違いしないでください。名前のことはブリッドさんから直接聞いた話ですよ。あの人、口が軽いんで色々話してくれるんですよ。聞きたくもないのに」
最後の一言に、強い怨念みたいなもの感じた。
――この子、絶対男の前ではぶりっ子ぶるタイプだわ。
魔王の娘は断言する。
「ご案内しますので。どうぞ、こちらへ」
手で指し示す。
つまり、まあ……。
騒ぎを起こす前にとっとと出てけって事なのだろう。
エスカは大きく息を吐くと、女の後を追いかけた。
【本日の業務連絡】
元勇者は風邪にかかった。
なんとバカではなかった。
次は明日のお昼ぐらいには。
今後もよろしくお願いします。




