第15話 元勇者、身ばれする。
頑張りました。
アルバイト10日目。
俺は随分と業務にも職場環境にも慣れてきていた。
業務は簡単なものだ。
職場に来て、上司に挨拶し、折りを見てスライムを解き放つだけ。
あとはすべてスライムがやってくれている。
最弱モンスターを恫喝して仕事を肩代わりさせる鬼畜勇者――などと思われているかもしれないが、案外機嫌良くやってくれている。
スライムはとにかく栄養がほしいらしい。
俺が魔王城にいない間も、自動的に動いてくれている。
出城する頃には、俺のロッカールーム前をピカピカだ。
このまま俺の仕事すべて取られるかもな。
……こいつ、まさかそれが目的じゃないだろな。
ぶよぶよした身体が、なんか悪い商人に見えてきた。
難点は増えることだな。
以前のように爆発的に増えることはなくなったが、気が付いたら2、3匹増えていたりする。3匹ぐらいならまだ目端は届くが、5匹、10匹となれば少々厄介だ。
なので、俺はスライムに隠れてこっそり燃やしていたりする。
こいつら馬鹿だから、個体数が減ってもまるで気付いていないらしい。
罪悪感がないのかって?
ドランデスも言ってだろ? こいつらを殺すのは、虫を殺すのと一緒だって。
今なら気持ちが分かる。だって、こいつら放っておいたら増えるんだもん。
1匹いたら、千匹いるんだぞ、スライムは。
職場の方はというと、思ってたより快適だな。
なんといっても、遅刻しても全くお咎めがない。
この前、夕方まで寝てしまって、夜に出社したら……。
『ブリードさん、おはようございます』
ドランデスがいつも通り挨拶してきた。
全然遅いんだけどな。
うるさい規則もないし、社歌も朝の運動もない。
上司も最初は怖かったが、見慣れてくると可愛く見えてくる。
さすがに全裸に物怖じしない対応には辟易したが、責任感はあるし、要所ではちゃんと身体も張る。
俺としては理想の上司だ。もう少し胸が大きかったらな、と悔やまざる得ない。
不満なんて何もないと言いたいが、すでに魔王城というだけで、元勇者としては問題だ。すっかり慣れているが、きっちり自分が勇者ではないことをアピールしなければならないだろう。
あと、人間関係ならぬ魔族関係だな。
特にあのオネェタウロスどもは、要注意だ。
ここ最近、毎日のようにいびるに来る。
もう1回スライムをけしかけて、消化するまで沈めてやりたい。
色々と問題はあるが、とりあえず順調だ。
なんて言っても、日給999,999,999エンだからな。
その対価を考えれば、職場の不満など些細なものだ。
こうして今日も今日とて、俺はスライムに業務を任せ、最近ガキんちょどもの間で流行っているカードゲームのデッキを組み上げていた。
トランプぐらいのカードに、絵師が書いたイラスト。その下に、体力と魔力が書かれた数字と、特殊効果が書かれているだけのカード。1枚20エンと、ガキどもが買うには割高だ。
しかし999,999,999エンも給料もらっている俺にとっては、はした金。今、品薄になっているのに、大人買いしてやったぜ。
「ウィッチを主軸にするとして、フォローをどうするかだな。エイフも捨てがたいけど、出てこなかった時を考えるとまだセランが安牌か。いや、両方を入れるというのも……」
カードを床に並べながら、俺はぶつぶつと呟いていると。
カツン……。
唐突に足音が聞こえた。
硬い物が、床を叩く音色が、ゆっくりと近づいてくる。
金属ではない。少し濁りがあることから、靴底に硬い皮か木を使っているのだろう。
気配を消すそぶりすら見えないことから、ドランデスではない。
指笛を鳴らし、合図する。
統率されたスライムは、そっと角に隠れた。
俺もカードをポケットに戻す。
作業をしているワーウルフの部屋の扉がおもむろに開かれる。
現れたのは一見、可愛い女の子だった。
白く細い腕に、指先にはネイル。
銀、黒、赤をバランスよく配置したドレスは派手で、所々に光り物が輝いている。
薄い口先はどこか自信に満ち、青い目は燃えるウィスプのようだ。
ここまで説明すれば、耽美を追求するお嬢様という感じだが、やはりそこは魔王城――目の前の女の子も、魔族らしい特徴を有していた。
まず背中に蝙蝠みたいな羽根。
小さくピコピコと動かしていた。
お尻からは尻尾が出ているが、ドランデスと違って細く愛らしく丸まっている。
極めつけは、炎のように赤い髪。本当に燃えさかっているように揺れている。
「あなたがブリードね」
俺の姿を見つめると、魔族の女の子は口角を上げて笑った。
●
ドランデスは艶やかな髪を掻き上げる。
幾度目だろうか? 頻繁に同じ所作を繰り返しているような気がする。
集中出来ていない証拠だ。
書類から顔を上げる。
堆く積まれた書類やら書籍やらが見えた。
さらに壁際には、本がぎっしり詰まった本棚が並んでいる。
すべて人語で書かれたものだ。魔族の文字で書かれたものはほとんどない。
ドランデスは書斎を持っていた。
魔族の中では唯一といってもいいだろう。
そもそも字を読める者は多いが、興味を持っている者が圧倒的に少ないのが現状だ。つまり書斎を必要としない魔族がほとんどなのである。
かくいうドランデスも、読書家かと問われればそうではない。
人間との交渉をするうちに、その文化を知る必要があったため、買い足したものばかりだ。
彼女は人間との交渉を一手に引き受けていた。
いわゆる窓口役である。
毎日、様々な国から「あーしろ。こーしろ」と要望やクレームが来る。
その仕事量は考えるまでもなく、膨大だった。
しかし彼女が集中出来ない理由は、仕事とは別にあった。
こうした仕事は毎日やっているし、もう慣れてしまった。人間の賃金労働者たちが聞けば悲しい話ではあるのだが、正直なところツラいと思ったことは一度もない。すべては魔王様への忠誠ゆえだった。
では、何故か……。
少し前、書斎に来た客人のことだ。
実に30日ぶりの再会だった。
広い魔王城ではよくあることなのだが、相変わらずの自信家だ。
たいていの魔族に偉そうな顔が出来るドランデスですら、その人の前では一歩引かなければならない。そんな相手だった。
客人がここにやってきた理由は、実にシンプルだった。
『ブリードってヤツに会いたいんだけど、どこにいるか知ってる?』
率直に言って、嫌な予感がした。
眼鏡の奥の瞳を光らせる。
誰もいない。ただ扉があるだけだった。
●
「ついてきなさい」
それ以上でも以下でもない。
さも当然のごとく、俺に命令すると、踵を返して歩き出した。
ぽけーと後ろ姿を見ていると、少女は首だけひねり青い瞳を燃え上がらせる。
「どうしたの? 早くついてきなさい」
「えっと……。俺、まだ仕事があるんですけど」
「そんなの後よ。こっちも仕事を頼みたいの」
「仕事?」
「ドランデスの許可は取ってあるわ。これでいい? なら行きましょ」
再び、やたらと高いヒールを鳴らして歩き始める。
真偽は定かではないが、ドランデスの許可を取っているというなら従うしかないだろう。
俺はスライムを睨み付ける。
大人しくしてろ、と目で訴えると、「ピキィ!」といつも通りの返事がかえってきた。これで通じるのだから、驚きである。
しばらく少女の背中を見つめながら、階段をのぼっていく。
何者だろうか。
ピコピコと動く羽根を見ながら、俺は考えた。
おそらく小悪魔系の魔族だろう。
尻尾の先が、まるで矢印のように尖っている。
歩く度に見え隠れする足首が、なかなかセクシーだし、さっき正面で見た胸のサイズもなかなかのものだった(アーシラちゃんには及ばないがな)。
人間で言えば14、5歳ぐらいだろうか。
まだ幼い魔族みたいだし、これからの成長が楽しみといったところだろう。
「ここよ」
扉の前で止まる。
結構大きな両扉には、赤い血のようなペンキが塗られていた。
ちょっとおどろおどろしい。
少女が自ら開く。
重厚そうな扉を、細腕1本で開けてしまう辺りは、やはり魔族なのだなと思ってしまう。
「どうぞ入って」
首を振って促すので、俺は「おじゃましま~す」と警戒しながら入っていった。
魔族とはいえ女の子の部屋だ。俺は少なからず緊張していた。
が、その心配は杞憂に終わる。
中は真っ暗だった。
「え? なんだ?」
突然扉が閉まる。
左右上下が判断が付かなくなるほどの闇が広がる。
その中で、少女の赤い髪だけがほのかに光っていた。
「おい。これは一体?」
狼狽する俺を、少女の青い瞳が射貫く。
そして突然、こう告げた。
あなた、勇者でしょ……。
【本日の業務日誌】
元勇者は、カードゲームを手に入れた。
子供の好感度100が下がった。
元勇者は、「嫌われ者」の称号を手に入れた。
今日の更新はここまでです。
 




