か弱き人間の切ない願い
クライネスが炎に包まれてから灰になるまでの一部始終を見ていたリーナは現状に頭が追い付かず何を言っていいのか分からないでいた。
カケルやグールという魔族の二人がかりでもクライネスを追い詰めるだけで倒せなかったのに魔王は涼しげな表情であっさりとクライネスを倒してしまった。
いくら深傷を負っていたとはいえ、一般人なら一瞬で燃え尽きてしまいそうな魔王の生み出した炎。無傷だったとしてもやはり魔王は涼しげな表情で倒していたに違いない。
「さてと……次はこっちか……」
しばらく灰の山を物思いに見ていた魔王は気持ちを切り替えるように深呼吸するとリーナの方に向き直り近付いてきた。
先程の言い方からしてリーナもクライネスと同じ運命を辿らせるように取れるのだが不思議と魔王からは殺気などの恐怖のオーラは感じられない。むしろ穏やかな感じだ。
だからなのだろうか。魔王と正面で対峙してもリーナが目線を逸らさずに真っ直ぐ見つめ返せるのも。
「俺の部下が迷惑をかけたな。すまない」
頭を下げ謝罪する魔王にリーナはすぐに何か返答することなく黙っていた。そして焼け焦げたカケルの顔を見てリーナは優しく言った。
「頭を上げてください魔王さん」
その言葉に魔王はゆっくりと様子を見るように頭を上げた。
「えーっと……魔王……さんでいいんですよね?」
「あぁ……こっちもリーナで構わないか。それともリリエラーナと呼んだ方がいいか?」
「どうして私の名前を……!」
リーナの本名もあだ名も両方知っていたことに驚くリーナに魔王は頭を掻きながら「俺は俺の目を見た人の一年間分の記憶を読めるんだ」と言われリーナは二度驚いた。
「それってカケルも知ってるんですか?」
「無論知っている。カケルには全てを話したつもりだからな。まぁ本人には誰にも言うなと口止めはしているがな」
口止めされていたからカケルはあのとき詳しく話さず所々濁すような形で話してたんだと今更ながら理解した。
「それで魔王さん……どうしてさっきは私に謝ったんですか?」
リーナは純粋に気になっていた。魔王が謝った理由を。リーナにとって魔王はクライネスから助けてくれた命の恩人で、魔王から謝られる意味はなくこっちが助けてくれたお礼を言わなければならないのだ。
「せっかく俺が謝ったのにまさか謝った理由を聞かれるとはな」
「癇に触ったのならごめんなさい。ただどうしても気になって……」
「普通に考えれば分かりそうなんだが……まぁ仕方ないか」
軽くため息をついた魔王は渋々話し出した。
「俺がしっかりクライネスを見張り制御していれば外にいる鬼の少女や脱獄囚、それにお前やカケルに危険な目にあわせずにすんだ……だから謝った」
「そうなんですか……」
「……ふっ、安心しろ。お前を助けに来たあの魔族はここに近づかないよう待機してもらっている。あと、怪我していたから手当てしいる」
リーナの記憶を読んだだけあってリーナの気にしていることも丸わかりのようだ。それならリーナが今、魔王に求めていることも分かるということ。
「あ、あの……魔王さん! あなたにお願いしたいことが――!」
「『カケルを助けてくれ』だろ……確かに俺なら瀕死のカケルを助けれるかも知れない」
「それなら――!」
「けどカケルを助けるのは本当に本人の為にも……お前――リーナの為にもなるのか?」
「えっ……」
魔王の言っている意味が分からなかった。死にかけのカケルを助けるだけなのにどうしてカケルやリーナの為などが生まれるのだろうか。
助かる手段があるならそれを試すのは当然のことそれなのにどうして……。
「カケルが死ぬことはお前にとって辛いことかもしれない。だがそれと同じくらいカケルと側にいるのは辛いんじゃないか?」
「そ、そんなことは……! そんなことは……」
『ない』とはっきり言えない。カケルが死ぬのは辛いことだ。けど、魔王の言う通り今のカケルと居るのはリーナに辛いことには違いなかった。
「お前はカケルの事が好きなんだろ? けどカケルにはアオイという自分の世界にいる子が好き」
そう。だからリーナはカケルの側に居るのが辛くなり距離を置いた。カケルを傷つける形となった最悪な距離の置き方を。
「それならカケルを助けずにここで死んでもらう方が良いのではないか? カケルが死ぬ辛さを味わうが側に居る辛さはなくなる」
「でも……でも……」
そんな身勝手な理由でカケルを死なしていいわけがない。なのに否定の言葉が出てこなかった。
「それにカケル自身もここで死ぬ覚悟があったからこそこのような思いきった策を実行したのではないか?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「本来カケルは死ぬ運命にい者……。だからカケルは死んでも後悔はしないし誰にも罪悪感を感じたりしない。あいつの記憶を読んだ俺だからハッキリ言えるんだ」
魔王の言っていることが真実とは限らない。魔王の記憶を読む能力だって万能ではないはずだ。その時のシーンや声などは分かっても本人の気持ちまではある程度分かっても完全には理解できないはずだ。
けどリーナはそれを聞いても否定は出来ずむしろ賛同してしまいそうな気持ちになってしまった。
それはカケルが頭のキレがい良いわりには自棄になりやすいと知っているからだ。だからリーナは魔王が言っていることを理解でき信じてしまう。
「お前とカケルは良き関係かもしれないが俺から言わせれば上っ面な関係でしかない。互いが本心を隠し探り合うような関係はな」
「上っ面な関係……私とカケルが……」
「カケルはお前を助けるためにズタボロになった。どんなに痛くても辛くてもな。だからもう眠らせてやれ。それが今、カケルにとっての幸せなんだからな」
死ぬことは今のカケルにとっての幸せ。
カケルの顔を見つめそっと頬を撫でるリーナは考えた。
こうなってしまったのは全部自分のせい。それ以前の怪我も全部だ。
カケルが助けに来てくれたのは嬉しいがこんな風になるぐらいなら助けに来てくれない方が良かった。
「それでどうするんだ? 助けるのか? それとも助けないのか? 生かすか死なすかはお前が決めろ。ただし中途半端な答えは許さんからな。覚悟をもって答えろ」
「私の覚悟……私の答え……」
ここでカケルが死ぬのは本人にとって幸せ。それはあくまでも魔王の意見。
ならリーナの意見は……。リーナ自身はどうしたいのか……。
きっと魔王はリーナの返答次第ではカケルを助けてくれるはず。でも魔王をそこまでさせるほどの覚悟がリーナにあるのか分からない。なら潔くここはカケルを看取るのがカケルにとってもリーナにとっても幸せで楽なことなのか。
「私は……私は……」
こうして悩んでいる今もカケルは死へと近付いている。早く決意しなければ。後悔のない選択をしなければ……。
徐に目を閉じたリーナは選択すると同時に思い浮かべる。カケルとの思い出を。
カケルとの初めての出会い。一緒にリュオを助けたこと。二人で協力して極夜の盗賊団を撒いたこと。王都でタオルを売ったこと。アマトとメルと神経衰弱で勝負したこと。
こうして思い出すとカケルとの思い出はどれも辛いこともあれば楽しいこともある充実したものだった。
今胸に抱いている好きという感情はきっと永遠に残り続けるだろう。
だってカケルはリーナにとって初恋の人だから。
「魔王さん……私決めました……」
覚悟を決めたリーナは顔を上げ真っ直ぐ魔王を見つめた。
「ほう……ならば俺に聞かせてみろ。お前の覚悟を……選択を」
「私の答え……それは……」
よくよく考えれば初めから答えは決まっていた。魔王の言葉に惑わされずに自分のありのままの気持ちを答えれば良かった。
「……私はカケルを助けたい! 生かしたい!」
「それがお前の答えか。だがいいのか? カケルを助け生かしたところでお前の事を感謝こそすれ好きになるとは限らんぞ?」
そんなのは分かっている。カケルの気持ちがそんな簡単に変わらない一途なものだと。でも……それでも……。
「私はカケルの事が好きなの! きっとこの気持ちはずっと続くと思う……。カケルが死んでも元の世界に帰ったとしても私はきっとカケルの事が好きでいるはず……ううん……好きでいたいの!」
「その選択はお前にとって辛いものだぞ。いいのか?」
この選択が自分にとって辛いのは百も承知。だからこそリーナはこの選択をしたのだ。
「私の……カケルを好きって気持ちを圧し殺すぐらいよりましだよ」
「……だがお前は過去に一度、カケルに利用されたことがあったのだろう? なのにこいつのことを好きでいるのか?」
そんな質問、もはやリーナの心を揺れ動かすほどの言葉ではなかった。
「確かにカケルは自分勝手な判断はするよ。平気で人の事を餌にするし些細なイタズラだってする。酷いときは人の気持ちなんて気にしない無責任なの発言や思わせ振りな発言もあったよ」
「そんなに嫌な点があるのにどうして好きでいるのだ。そういう男は潔く切り捨てた方が――」
「そうじゃないの魔王さん!」
思ったよりもリーナの口からカケルの悪い点が出てきたことに戸惑いを感じながら切り捨て話を持ち出した魔王にリーナは初めて魔王の言葉を遮った。
「さっきも言ったけどカケルには悪い所がたくさんあるわ。でもそれはカケルだけじゃないの。私にだって……メルにだって……アマトにだって……アーシアにだって悪い所がたくさんあるわ」
魔王は口を挟むことなくリーナの言葉に耳を傾け続ける。
「でもそんな悪い所を含めて私はカケルの事が好きなの。だってカケルには悪い所よりも良い所の方が多いって私は知っているから」
出てきそうな涙を堪えるため笑って魔王に告げると魔王も微かに笑っていた。
「そうか……それがお前の答えなんだな」
「はい……これが私の答えです」
「ふっ……合格だ。カケルを助けてやる」
「ほ、本当ですか!」
「あぁ本当だ。俺はやるといったらやる魔族だからな」
カケルの側まで近寄った魔王は懐から緑色の液体が入った小瓶を取り出した。その小瓶の蓋を外しブツブツと何かを呟くと小瓶の中身全部をカケルにぶちまけた。
緑色の液体がカケルの皮膚に触れると液体は発光しじんわりとカケルの皮膚に染み込んでいく。
液体の染み込んだ皮膚は数分経つと真っ黒い焦げた皮膚から元の肌色へと治っていく。
この調子ならもう数分すれば元の姿にまで戻るはずだ。
「ありがとうございます魔王さん」
「気にするな。お前の覚悟が俺をその気にさせたに過ぎないからな」
そんな風に謙虚な感じに言うが魔王の表情を見るとやはりどこか嬉しそう。まるでリーナの見せた覚悟が、選択が嬉しかったかのように。
「にしても人間とは面倒な生き物だな。他人を好きでいるために嫌な部分を受け入れる必要があるとはな」
「そう言われるとそうですよね。でも別に嫌な部分を全て受け入れる必要は無いと思います」
「ほう……その理由を聞かせてもらおうか」
上から目線でものを言ってくるが今の魔王には微塵も圧などは感じない。だからリーナは笑顔のまま答えれた。
「別に我慢しなくても本当に嫌なら嫌だって本人に言えばいいんですよ。実際に私もカケルに言いましたから」
「そういえば……かなり怒った表情で言っていたな」
頭に指を当て魔王はリーナの読んだ記憶を思い出していた。
「私的にはカケルが初恋の人だから他の人がどうなのかは分からないですけど……そうやって互いに言いたいことを言い合える仲が一番いい関係かなって思うんです」
「人間らしい解答だな。非力な人間は一人ではどうしようもできない。だから恥を知らずに集団で集まり群れる」
「でも非力な……か弱き人間だからこそみんなで集まって手を取り合い協力する。一人で駄目なら二人。二人で駄目なら三人、四人と手を取り合えばいいんです」
それはリーナが実際に体験したことだから。一人ではどうしようもできなかった村の発展にカケルが加わりそこからメルに、アマト、フェル、アーシアと協力者が増えていったあの絆が生まれる素晴らしい体験を。
「そうか……人間は弱いからこそ集まるのだな」
「ええ……そうね……」
「お前のお陰で俺もまた新に人間について知ることができた感謝するぞリーナ」
「フフッ……どういたしまして」
魔王の差し出した右手をリーナは握った。こうして魔族と心を通わせれたのはフェルに続いてこれで二人目。そして魔王の手を握ってみてリーナは思った。
魔王の手もフェルと同じように温かかった。人間と同じ優しさの温もりを感じれた。
「どうやらカケルの怪我も完全に治ったようだな」
「えっ……あ、本当だ!」
魔王との会話に集中しすぎたせいでカケルの怪我の治り具合をリーナは全く見ていなかった。
「思い詰めていたさっきとはだいぶ印象が違うな。あれほどカケルを生かすかどうかで悩んでいた者と同一人物とは思えんな」
「それを言われたら返す言葉がないよ……」
だがこれは裏を返せばそれだけリーナが心を落ち着かせれているということだ。
「もうじきカケルも目を覚ますだろう。その時、お前の元気な顔を見せてやれ。とびっきりの笑顔でな」
「はい……!」
カケルの瞼が微かに動いた。もうそろそろカケルが目を覚ます。そしたら魔王に言われた通り笑顔で向かえるんだ。そしてこう言うんだ。
「――おはようカケル。……ありがとう」




