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忍び寄る魔の手

 フェルの家から飛び出したリーナは暗い夜道を闇雲に走っていた。冷たい夜風が肌を撫でるが、リーナは気にすることなく走り続ける。


 いつまでも走り続けたかったが今日は慌ただしくまともに休息を取っなかったため簡単に体力が尽きてしまい、失速してしまう。


 「はぁ……はぁ……うぅ……」


 息を整えようと荒い呼吸を繰り返す。ピタッ、ピタッ、と地面に汗が落ちるがそれに紛れるように涙も落ちていた。

 辛い。今までも辛い経験はしてきたが今のリーナが味わっている辛いはそれを遥かに上回る辛さだった。


 「……イケない……こんな所に一人でいたらイケないのに……」


 ここは魔都。魔族の都市であるここで人間のリーナが一人で、しかもこんな夜中に出歩くのは自殺行為と言っても過言ではない。

 今頃はカケル達が心配して追っ掛けてきているのかと振り返るがもちろん誰も追い掛けてはいない。


 「何期待してるんだろ、私……」


 分かっていた。カケルには帰るべき場所があって待っている人がいることを。そう、カケルの帰るべき場所はハンデル村じゃない。待っている人もリーナでもない。

 そんなことは出会った時から分かっていたはずだ。全てを理解し受け入れる覚悟も出来ていたはずだ。

 けど、それは上っ面な覚悟でしかなかった。実際は現実を受け入れれず惨めに逃げ出す憐れな女性でだった。


 「おーいリーナーー!!」


 息も整いこれからどうするのか考えようとするとフェルの声が聞こえた。周囲を見渡すがフェルの姿は見えず、空耳かと思ったがドーンと空中から体当たり気味に抱きつかれ、リーナの思考は一度止まった。


 「ふーやっと捕まえられた。もー一人で飛び出すなんて何考えてるのよ」


 「ご、ごめんね。もう逃げないから離れてくれる? 今汗かいてて汚いから」


 「つーん信用できませーん! なので必要以上に引っ付きまーす!」


 ほっぺを擦り合わせ、鬱陶しいぐらいに引っ付くフェルにリーナは嫌気よりも安心感を抱いた。それでもここまで引っ付かれるのは恥ずかしくどうにかして引き離そうとする。


 「待ってフェル、私本当に汗をかいてて……」


 「あれれー? どうやら反省が足りてないようね。そんな子にはサキュバス流のお仕置きが必要ね」


 「お仕置きって……フェル何をするつもりなの」


 ムニュ。

 手をわきわきと開いて握ってを繰り返したフェルは徐にリーナの胸を鷲掴む。


 「ひゃう! な、何するのよ」


 「何って反省の足りてないリーナにお仕置きしてるのよ」


 「ごめん反省する反省するから今すぐ止めてー!」


 許しを請うリーナの言葉を無視してフェルは更に力を加え無遠慮に揉みしだく。


 「ほれほれーここがいいのか?」


 次第にエスカレートしていくお仕置きにリーナはなすすべがなく、足の力も抜けていく。


 「お願いフェル……もう止めて……」


 「えー聞こえなーい」


 もう揉むのに集中しすぎてリーナの声がほとんど聞こえない。フェルのテクニックの前にリーナの意識は朦朧としていき、目には先程の辛くて哀しいとは別の涙が浮かび上がっていた。


 「フェル……もう私……ひ、ひぁああーー!!」




 広場にある段差でリーナは座り込んで泣いていた。


 「ごめんリーナ。ホントにごめん!! アタシが悪かった!!」


 手を合わせ頭を下げ、謝罪するフェルだが、リーナはそう簡単には許せなかった。


 「うっ……何度も止めてって言ったのに……」  


 「ホントにごめん! ホントは少しだけ揉んで終わるつもりだったんだけど……リーナの胸が思ってた以上に大きくてつい……」


 「ついであそこまでやるの普通!!」


 両腕を胸の前で交差し前に屈む。フェルがしたことを思い出すと顔が真っ赤になり正常な思考が飛んでしまう。


 「ごめんね、リーナが着痩せするタイプとは思ってなくて。でもホントに意外だった。胸が大きいだけじゃなくて柔らかい上に弾力もあっていつまでも触ってたい胸だったな~」


 「わざわざ解説しなくて良いから!」


 「えーそんなに照れなくてもいいのに。どーせ毎晩カケルに触らせてるんでしょ?」


 「さ、触らせてないよバカ!」


 あんな風に胸を触られたのは初めてで女性であるフェルに触られてあの恥ずかしさなら男性であるカケルに触られたら恥ずかしさのあまり死んでしまう。


 「無いの!」


 「当たり前よ。逆になんでさ、触らせてると思ったのよ」


 「えー、複数部屋があるのに毎晩同じ部屋で寝てるって聞いたからてっきり……」


 「え、そ、それは……」


 リーナとカケルが同じ部屋で寝ていることはハンデル村に住んでいる人なら誰だって知っているし、何人かはフェルのような勘違いをしている。そう思われるのも当然なはずだ。なんたって年頃の男女が同棲……しかも同じ部屋で就寝ときたらそう考えられたってしょうがないはずだ。

 けど、当のリーナがその事に疎くカケルに指摘されても何とも思わない時点でリーナの中での男女付き合いの壁は低い。


 「わ、私がカケルと同じ部屋で寝ているのは、最初の方は一人じゃ心細いかもと思って同じ部屋でねるようにしたんだけど、いつの間にか……」


 カケルと一緒に居たいからなんて口が裂けても言えない。頬を赤らめ下を向くリーナにフェルは詰めて聞くような真似はせず、リーナの隣に座る。


 「前々から思ってたんどけど……リーナはカケルの事が好きなの?」


 「それは……」


 フェルの顔を見ると何時ものおちゃらけた顔ではなく真摯な眼差しでリーナを見据えていた。


 「…………うん。好きだよ」


 「それって人として? それとも異性として好きなの?」


 そんな目でそんな質問をしないでほしい。何時もの感じのフェルなら上手く誤魔化せる自信があったのだが、場の空気的にもフェルの視線からも逃れれる気がしない。

 

 「人としても……異性としてもカケルの事が好きだよ。だってカケルは……私にとってカケルは初めて好きになった男性の人なんだもの」


 誰にも言わなかった心の中の秘め事をペラペラと喋っている自分が不思議に思える。まだ意識が朦朧としているせいと関係があるのかなとリーナは首を傾げる。

 

 「そっか……リーナにとってカケルは初恋の人なんだね」


 「改めて言われると恥ずかしいけど……」


 「ふ~ん、でもそれなら何であんなカケルを拒むような事をしたの」


 その質問でリーナは今までフェルがしてきた質問への意味を理解した。今までの質問全てがカケルの手を払いのけ飛び出した訳を聞くために。


 「うッ…………私もよく分からないの。気付いたらカケルの手を払いのけててそれでカケルの顔を見るのが辛くなって……」


 「それで飛び出したということか……」


 本当は喋りたくない。喋れば喋るほど自分自身に『辛い』という刃が襲ってくるから。


 「みんな心配したんだよ。カケルもメルもさー、知らない土地なのに無闇に追いかけようとするから大変だったんだよ」


 「カケルが……一応、私の事は心配してくれたんだ」

 

 「ねーさっきから思ってたんだけど……どうしてカケルから距離を置こうとしてるの」


 ビクッとリーナの体が震えた。


 「アタシはあまり二人の関係について知らないからかもしれないんだけど……リーナってカケルを見るとき幸せそーな顔をしてるんだけど、たまに悲しそーな顔もしてるし……もしかして二人って実は不仲とか」


 「…………不仲じゃない……はず」


 「じゃあなんで?」


 「…………だってカケルには好きな人がいるんだもの」


 薄々たがカケルには好きな人がいるのをリーナは気付いていた。そしてカケルはその女性の元に帰るために村発展を頑張っているのも知っている。だからリーナはカケルの事を出来るだけ見守るに徹し、深く関わらないようにしていた。カケルとさよならするときに自分が辛くならないように。

 でも、そんな事なんて出来るわけがなかった。初めて異性を好きになったリーナは特にだ。

 頭の中では見守るだけ見守るだけと言い聞かせても油断するとちょっとぐらいならと甘えがリーナを襲い、結果的に今の辛い気持ちになっているのだ。


 「そっか……カケルには好きな人がいるんだ。カケルが初恋の人なリーナにとってこれは辛いよねー」


 今さら何を言ってるのか。カケルに好きな人――アオイという女性がいることはその場にいた全員がハヤトの口から聞かされている。


 「それでリーナはどうするの?」


 「…………どうするって?」


 「このままカケルを諦めるのかってことよ」


 そんなの決まっている。――諦めるだ。


 「…………諦めたくない……あれ!? 今私なんて……」


 諦めるって言うはずだった。なのになぜ……。


 「そう……それがリーナの本心なんだね」


 「…………うん。あ、まただ」


 否定したいのに口が勝手に本心とは別の事を言っている。


 「リーナ、ちょっとチクッとするかもだけど我慢してね」


 「えっ……?」


 「ハムッ」


 リーナの腕を掴んだフェルは自分の口元まで近付けるとリーナの腕に噛みついた。


 「イタッ……何するのフェル! ……あれ? 急に頭が楽になった」


 「ごめんね。リーナの胸を揉んだときにサキュバスの淫術を使ってたんだよ」


 「もしかして頭がボーッとしてたのも……」


 申し訳なさそうに頷く。


 「サキュバス淫術初級の術で意識を半分ほど奪ってリーナの本音を引き出したの。そしてそれを解除するためには噛みついたの」


 「そう……なんだ。だから口が勝手に……でも何でそんなことをしたの」


 「リーナに頑張ってほしかったの」


 この場合の頑張るはカケルとの恋愛だろうがそんなのはもう頑張る必要はない。


 「フェルの気持ちは嬉しいんだけど……私はもうカケルの事を――」


 「逃げるの?」


 立ち上がり数歩前に進みフェルは振り返る。


 「逃げるなんて……私はただ」


 「カケルに好きな人がいるから諦めるでしょ。それを恋愛では逃げと言うの」


「私は逃げてなんか!」


 「逃げてるよ!!」


 勢いのまま立ち上がって声を上げるリーナにフェルはすぐに言い返す。


 「好きな人が別に好きなものがいるパターンなんて恋愛ではありきたりなもの。それでも諦めないのが恋愛で異性を好きになるってことなのよ! なのにリーナはうじうじ逃げて!!」


 「なら……なら私はどうすればよかったのよー!」


 こんなのフェルに言ってもしょうがないし八つ当たりなのも分かっている。それでも引くに退けなくったこの状況にリーナは若干投げやりになっていた。


 「そんなの決まってる。カケルにアタックしまくるしかないでしょ」


 「アタックしまくる……私がカケルに……でもカケルには……」


 「それが何だって言うのよ! 好きな相手が別の人が好きなのはしょうがないと事だけどまだ付き合ってはないんでしょ? それならまだチャンスはあるよ!」


 つまりフェルが言いたいのはカケルが誰とも付き合っていない今なら横入り出来るということ。しかし、そんなことをしていいのだろうか。もしかしたら自分だけじゃなくてカケルにまで辛い思いをするかもしれない。

 本当にどうすればいいのか分からなくなり下を向くリーナの頭を掴んだフェルはリーナの額に自らの額をぶつけた。


 「痛い……!」


 「リーナはさっき諦めたくないって言った。アタシの術で無理矢理引き出したとはいえそれは紛れもない本心なんだよ。辛いのも悲しいのも分かるけ何もせずに諦める方がよっぽど辛いと思うの」


 「フェル……」


 フェルの一言一言全てが心に突き刺さる。これも淫術の一つなのかなと思いリーナは答えを導きだした。


 「フェルの言いたいことは分かったわ。でも、今すぐ実行するのは無理かもしれない」


 それにあんな形とはいえカケルの手を払いのけた以上、図々しくカケルの側に居座ろうなんて虫が良すぎる。

 フェルもそう思ったのかリーナの頭を掴むのを止めると腕を組み、悩みながら辺りをあちこち歩く。


 「ん~確かにこればっかりはアタシも今すぐにやれなんて言えないからな~。……でもまぁ恋愛なんて急いでやるもんじゃないしゆっくりリーナのペースでやればいいよ」


 立ち止まりリーナに向かってニシシと笑う。リーナも言いたいことを言って肩の力が下りたようでフェルに微笑んだ。


 「それじゃあみんな心配してることだし戻ろうか。そしてまず最初に謝るところから始めようか」

  

 「うん!」


 「さてと帰りますかな……ってあれアーシアじゃん! おーいアーシア!」


 来た道を引き返そうとすると少し離れた先でアーシアが視線を様々な場所に向けながら歩いていた。

 フェルの呼び声に気付いたアーシアは最初の方は怒気を含んだ表情をしていたが、隣にリーナが居るのに気付くと安堵の吐息を漏らしフェルの元に駆け寄ってきた。


 「どうやら無事にリーナを見つけれたようですね」


 「何とかね~。あ、あと置いてってごめんね」


 「その事についてはまた後程文句を言うとして……今はリーナを連れて帰りましょう」

 

 てっきり捜しに来たのはフェルだけだと思っていたが、アーシアも捜していたとは。話を聞く限りでは道を知らないアーシアを置いていって先に進んでいたようだ。

 魔族が苦手なアーシアはさぞ辛い思いをしながらリーナを捜してたのだろう。何故なら目元にはひっそりと涙が浮かんでいたから。フェルは気付いていないようだしこの事はリーナだけが知るアーシアの可愛いポイントだと胸に閉まっておこうと決める。


 「では私が先頭を歩くので道案内を――危ない!」


 ドンッ! 

 アーシアに体を押されたリーナは咄嗟のこと過ぎてバランスを保てず尻餅をついてしまう。


 「大丈夫ですかリーナ?」


 「う、うん……私は大丈夫だけ……ど……――ッ!」  


 一瞬リーナは目を疑った。アーシアが突き飛ばした右腕に鋭い一本の針が刺さっていた。


 「アーシアそれッ!」


 「問題は……ありません……それほど大きい針ではないので……」

 

 刺さる針を抜き、放くり捨てる。アーシアの言う通り大きい針ではなく小さい細めの針だったため抜いても出血はしなかったがアーシアの様子がどこかおかしかった。

 本人は大丈夫と言ったが足下がふらつき左手で胸を押さえ、肩で息をしている。明らかにこれは体調が悪い証拠でありあの針が原因なのは間違いない。

 心配して駆け寄る二人にアーシアは「来るな!」と制止させ二人の盾になるよう前に立つと腰に納めるレイピアを抜き、針の飛んできた方角に突きつける。


 「そこにいるのは……分かってるんです……早く姿を……現しなさい……」


 返事はなかった。もしかして居ないのかと思ったがしばらく経つとカツン、カツンと足音が聞こえた。警戒心を更に強めるアーシアは体制を整えいつでも攻撃できるよう準備をしている。


 「まさかあの攻撃に気づくとは……ちゃんと気配は消したんだが人間にしては中々やるな」


 暗闇から現れたのは顔の左半分を仮面で隠した紫髪の男性だった。確実に初対面な人物。暗殺者ならフードを被っているはずだがフードは被っていないどころか顔半分は晒している。

 なら、この人はと疑問に思うとフェルが一歩後ろに下がったのを見た。


 「あ、あいつがどうしてここに……」


 見るからにフェルは怯えていた。そしてフェルだけがあの男性の正体を知っている。


 「フェル、もしかしてあの人が誰なのか知ってるの! 知っているなら教えて!」


 怯えるフェルは何とか伝えようと体から嫌な汗がうっすら滲みながら荒い呼吸を繰り返す。


 「あ、あいつは……あいつは魔王様の側近の一人、クライネス……だよ」


 「クライネス、あれが……」


 リーナは先日の晩、カケルから魔都の話を聞くときに魔王とは別のとある魔族の話を聞いていた。確か名前はクライネスで魔王の側近だったはず。つまり目の前にいる魔族は昨日カケルが話していたクライネスだ。


 「何故……こんなところに……魔王の幹部の一人が……居るんですか」


 「それはアタシが聞きたいくらいだよ! クライネスは人間嫌いだけど……それと同じくらい下等な魔族が嫌いなの! ここら辺はその下等な魔族しかいない。だから魔王様と一緒じゃない限りクライネスがここに来るはずないんだよ!」

 

 「なら魔王が近くに……でも他に気配なんて……」


 いや、魔王は来ていない。カケルから魔王の事を散々聞いているリーナは魔王が優しいことも無闇に誰かを襲わないのを知っている。だから魔王は来ていない。

 

 「安心しろ人間……魔王は来ていない」


 リーナの読み通り魔王は来ていなかった。けど、それならどうしてクライネスがここにいるのか。


 「私はな……すこーしムカついてんだよ。今すぐにでも人を殺したいぐらいにな」


 

 右手で前髪をかきあげる。クライネスの瞳から発せられる殺気の塊にリーナは怖くて震えていた。


 「けど……素直にそこにいる人間を渡せば殺さないでやる」


 まっすぐ突きつけられた人差し指はリーナを捉えていた。


 「わ、私を……」


 混乱した。リーナはもう考えれるほどの平静を保ってられない。


 ――何で私を。初対面の私を。話したことのない私を。あなたには何もしていない私を……どうして


 「さぁ渡せ。別に命を取るわけじゃないんだ」


 手を伸ばすクライネスにリーナは一歩下がった。

 あの男の言葉は信用できない。あの目には殺すことしか考えていない。と本能が訴えかけてくる。


 「賢明な判断です……リーナ。そのまま私の後ろに……いてください。私が必ず守ってみせますので」


 苦しい顔をしながらリーナに安心感を与えるために頑張って笑顔でいようとするアーシアにリーナは泣きそうになった。本来はカケルを守るために付いてきたはずなの彼女がこうして自分を守ってくれるのに安心感と一緒に嬉しさが込み上げてきた。


 「あー……素直に来てくれれば穏便に済ませれたんだけど……な!」


 腰に着けていた鉤爪を瞬時に右手に取り付けたクライネスは一直線にリーナ目掛けて走ってきた。

 

 「きゃあ!」


 ガキィィイン。

 降り下ろさせた爪をアーシアはリーナの前に立ちレイピアで受け止める。


 ジリジリと競り合う二人に実力の差はほぼ無いと思った時だった。徐々にアーシアが押されていた。


 「くくく、私が用意した針を食らったんだから無理はしない方が身体のためだよ」


 「やはりあの針に何か仕込んでたのですね」


 このままではアーシアが負けてしまう。だが、リーナには何も出来ない。メルみたいな魔法もカケルのような機転も。


 「く……フェル! お願いです。今すぐメルを呼んできてください!」


 「え、で、でも……」


 「早く!」


 「は、はいッ!」


 羽を広げ空を飛び急いでメルを呼びに行ったフェルをクライネスは見向きもしなかった。


 「応援を呼んでも無駄だ。だってあなたはもう死ぬのだからな」


 「生憎……私はまだ粘れるわよ。少なくともメルが助けに来てくれるまではね」


 片手持ちから両手持ちに切り替えクライネスを押し返す。このまま押し返せれば距離を取り直せば多少はアーシアが有利になる――はずだった。


 「人間にしては力がある。だが、所詮は人間。力で魔族に勝てるわけがない」


 「どういう意味よ」


 「気づかないか。私は片手で、あなたは両手で力比べをしていることに」


 アーシアは言葉で惑わしてきたかと警戒したがクライネスの言葉の意味を知ったときにはもう遅かった。


 「まさか……」


 「そうあなたが両手を使っているのに対し私は片手……つまり私にはもう片方の手が空いているのですよ!」


 右手の時と同じように腰に着けていたもう一つの鉤爪を左手で装着した。


 「しまっ……ッ!」


 「もう遅い!」


 シュッン――。

 見たくなかった。目を逸らしたかった。けど、逸らせなかった。


 腹部中心に横一線に凪ぎ払われる鉤爪。持ち主の手から離れ宙を舞うレイピア。ゆったりと地に膝を付き俯せに倒れる動かなくなるアーシア。地面には紅い血溜まりが生まれクライネスは鉤爪に滴るアーシアの血を舐めて――。


 「あッ……あッ……あッ……アーシアッ!!」


 悲鳴に近い叫びが出た。

 急いで手当てしないと助からない。震える足に発破を掛けアーシアの元に行こうとするがクライネスがそれをさせない。


 「アッ……ガッ……」


 首を掴まれ持ち上げられる。

 苦しくて息が出来ない。このまま私も死ぬのと恐怖が襲い抜け出そうと必死にクライネスの手に爪を立てるが微動だにしない。


 「くくく……人間らしい無様な抵抗だな。しかし安心しろ。さっきも言った通り私はお前に用があるのだ。そう簡単には殺しはしない。ただ暴れられたら面倒だからしばらく眠ってもらうだけだ」


 掴む手の力が更に強くなる。


 「うッ……あ……アー……シア……」


 息が出来なくなり次第に意識が薄れていく。横目でアーシアを見るが、やはりピクリとも動いていない。


 「アー……シ……ア……」


 これがアーシアとのお別れだなんて嫌だ。手を倒れるアーシアに向けて伸ばすがその手が届くことはない。


 ――アマト……アーシア……フェル……メル……


 みんなの顔が一人ずつ浮かんでは消える。そして最後にカケルの姿が浮かぶ。


 ――カ……ケ……ル……


 涙が視界を濡らしカケルの幻影が歪んでいく。


 ――最後に一言謝りたかったな……


 たった一つの後悔を抱きながらリーナは意識を失い、暗闇の中へ入り込んだ。

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