思惑
一日の終わりを告げるように太陽が沈み夕焼けが世界を照らす。魔都は周りに大きな岩柱があるため太陽が沈もうが薄暗い事には変わりないのだが、一人の魔族は更に薄暗い建物と建物の隙間の路地裏を歩いていた。
「くそっ! 人間ごときがふざけた真似を……!」
ぶつくさと独り言を呟き歩くのはまんまと魔王を見失い、はぐれたクライネスだった。
暗さのせいで足下が上手く見えないのかあちこちに捨てられているゴミに何回か足を引っ掻けていた。
「魔王は断ったがあれは保留にしたにすぎない」
数分前、魔王を捜していたクライネスはそこら辺にいた魔族の情報の元《ゆったり喫茶・地獄》という喫茶店に辿り着いた。だが、クライネスはそこに入ることは出来なかった。無論、店内から魔王がいたのは気配で気付いていたが重要なのはそこではなかった。クライネスは目撃していたのだ。魔王と接触した人間がその店に入るのを。
偶然だと思いたかったがクライネスは無視することが出来ず建物の外から魔王のいる場所を見つけ耳を澄ましていたことろ案の定、魔王は声が漏れないように魔術結界で防音対策をしていた。
他の魔族なら高度な魔術結界が張られている事実に気付かないがクライネスは魔族の中でも幹部に位置する者。結界に気付けば破壊せずに聞くことだって出来る。
だから聴いたのだ。あの人間が魔王と何を話していたのかを。ある程度、内容を予想していたのだが話している内容はどれも予想とは的外れな事ばかり。
クライネスも知らない魔王が記憶を読める能力を持っていたこと。一部の者しか知らない魔王について。あの人間がクライネス魔族と同じ異世界人だったこと。そしてその人間が魔族と人間が共存できる村作りに魔王を説得したこと。
魔王は人間と魔族の件については断っていたがクライネスは声のトーンからして魔王はそれを本気で受け入れるつもりでいることに気付いている。
「魔王が何を思って断ったか分からないが賛同するのも時間の問題。早く……早く手を打たなければ」
人間と魔族の共存はクライネスにとって不愉快で宜しくないことだ。元々この世界を支配しに来たのに人間と共存など本末転倒もいいとこだ。
「これも全部、あの魔王が悪いんだ……! 人間ごときに遅れをとったあの魔王が……!」
違う。クライネスは冷静に考え直した。目的が全て狂った原因。それは数年前、突如現れた勇者と名乗る人物が万に等しい侵攻する魔王軍をほぼ一人で壊滅させたのが狂った最初の原因だ。
「いや、勇者だけなら我々幹部四人で倒せていた。勇者だけなら……」
一度だけ勇者相手に幹部四人で戦ったことはあった。今まで幹部四人が同時に戦った相手は後にも先にも勇者とその仲間である魔女の二人だけだ。
クライネス達、魔族は知らなかった。戦っていたのは勇者だけでなく後方で支援に特化していた魔女の存在に。
「くっ……! 思い出すだけでも不愉快だ」
魔女の顔を行動を思い出すだけで仮面を着けてる左半分が疼く。左半分を押さえるが疼きは止まらない。
忘れもしない魔女に食らった仕打ちを。軍団を倒しきり油断している勇者の背後を不意打ちで四人で攻撃したときに、勇者を守るように地面から噴き出された火柱を。
忘れもしない。その火柱に猛将と謳われる魔族の中で最も凶暴だった奴を焼き付くし、火柱を避けた二人のうち殺戮者と呼ばれる魔族の心臓を勇者が貫き、残った名将と呼ばれる魔族は独断で勝てないと判断をし一人何処かに逃げてしまった事を。
クライネスはというと火柱を避けはしたものの顔半分に治らない火傷を残していた。それが原因となりクライネスは仮面を付け醜い傷を隠しているのだ。
「人間が……人間ごときが……!」
今すぐにでも全人類をこの手で消し去りたい衝動に駆られるがそれをすることは許されない。
それは人間と魔族が結んだ和平によるものもあるがクライネスはそれよりも苦しい枷を付けられている。現魔王に命じられたこの都市から出ることを許されないという枷を。
「うおっ!」
暗い上、片目を手で押さえてたから足下が見えなかったのか、積まれたゴミに足を引っ掻けてしまい前方に転げ俯せに倒れてしまう。
「なぜ……なぜ私がこんな目に合わないといけないのだ……! これも魔王が私を縛るせいだ」
惨めだ。クライネスはそんな状況に陥っている自分に怒り、そしてそれ以上にこんな境遇にした周りに怒り、呪った。
そんなクライネスを誰も助けてはくれない。クライネスは孤独なのだ。知将と呼ばれ幹部の座にいるのにも関わらず、クライネスは孤独なのだ。
きっと魔王が積極的に人間と関わるようになり、いずれあの人間の言う人間と魔族が共存できる村にするという計画にも動き始めるはずだ。
そうなれば誰も魔王には逆らえず賛同し、流されるように人間と共存し、遠い未来にはそれが当たり前のようになっているに違いない。
「……私が……私がやらなければ魔族は衰退する……!」
そのためにはまずあの異世界の人間を始末しなければならないがそれをすれば必ず魔王は犯人を探しだし、そして殺すだろう。それはダメだ。魔族の運命を正すには魔王と異世界の人間の始末は必須。しかし、あの魔王に勝てるとは思えないし、かといって先に人間を始末すればクライネスが消される。
「ちっ……中身はダメダメなのに力が圧倒的なのが余計に腹立つ……」
前魔王の最期の死に様。全身に勇者から受けた剣の切り傷を負い、血を流し膝をついて立ったまま最期を迎えた前魔王。が、クライネスが現魔王に勝てないと思っているのはその場所に現魔王が立っていたからだ。
前魔王の胸は勇者から受けた傷とは別の何かに強引に抉り取られたようにぽっかりと穴が空いており、その肉を……心臓を片手で握り潰し振り返る現魔王。その顔は、体は全身に返り血を汚れているがそれがかえって恐怖心を注いでいた。
「どうすれば……何か方法はないなか……」
「なら……私達が殺りましょうか? 異世界の人間の方を」
不意に聞こえる女性のような声。
「……ッ! 誰だ!」
起き上がり辺りを見回したがゴミだらけでクライネス以外の人物は見当たらない。
「空耳か……にしてはやけにはっきり聞こえたような……」
それほどまでに憔悴していたのだろうか、クライネスは一旦心を落ち着かす。
心が落ち着いていくとともに、頭の中がスーッと楽になる。
「そろそろ城に戻らなければ……そして計画を立てて……」
「フフッ……」
「なっ……! 貴様ッ何者だ!」
居なかったはずの場所に黒いローブを纏った人物が立っていた。ローブに付いているフードを目深に被っているせいで顔は見えないがクライネスは不審人物と判断し、自慢の鋭い爪で攻撃するが、不審人物はひらりと華麗に躱した。
「誰だお前は……」
クライネスの問い掛けに不審人物は黙っていた。胸の膨らみや声からして女性であるのは間違いないが人間なのか魔族なのかが分からない。
「答えろ。貴様は何者だ。答えなければ――」
そう言うとクライネスは腰に引っ掛けている愛用の鉤爪を右手に装着し不審人物に突き付ける。
「……そうですね……極夜の暗殺団団長と言えばよいでしょうか?」
「極夜の暗殺団団長だと……! 貴様が……!」
極夜の暗殺団団長を名乗る人物はたじろくクライネスにゆっくりと近付いた。
「あなたは異世界の人間を始末したい。だけど自ら下せば自分が処罰される」
「どうしてそれを……」
歩むのを止めぬ女性の口元は僅かに笑っていた。
そして手を伸ばせば届く所まで距離を縮めた女性は片手を差し出し尋ねてくる。
「なら他人に任せればいいのですよ。そうすればあなたに罪が問われることはありません」
だいぶ見えてきた。この女性が何を望んでいるかを。
「つまり私がお前らに暗殺の依頼するということか」
「はい。私達の存在の黙秘とお金さえ頂ければたとえ異世界の人間だろうが足をつかずに殺せます」
「魔王でもか」
「はい。時間や準備は必要ですが可能です」
その言葉には一切の迷いはなく、絶対に出来るという自信の塊を感じる。幹部であるクライネスすら魔王に恐怖心を抱き、勝てるビジョンが浮かばないというのにこの女性は恐怖すら知らないのだろうか。
「そうか……なら誰にもバレずに明日の夜までに異世界の人間を殺してみろ。それが出来れば金もやるし、いくらでも黙ってやる」
「一先ず交渉成立ということでよろしいですか」
そっとクライネスの顎に指先を触れさせてくる女性。しっとりとした触感。ただのならず者にしてはやけに綺麗すぎる肌だったが無断で身体に触れたことがクライネスは気に入らず、パチンと女性の手を弾く。
「気安く私に触れるな!」
手を弾かれた女性はしばらく黙っていたが弾かれたのが何かの合図だったのか女性は一言だけ言い放った。
「その言葉、忘れないでね。もし破ったら――」
後ろに跳んだ女性は路地裏の闇に姿を消すと声だけが聞こえてきた。
「その身に我が同胞の怒りの刃が降り注ぐからね」
フゥーと路地裏全体に風が吹き抜ける。肌を逆撫でるような不愉快な風にイラつく言葉に腹を立てるクライネスは足下のゴミを勢いよく蹴飛ばす。
「はぐれものが調子に乗りやがって」
極夜の暗殺団については存在こそ噂の域でしかなかったのだが、クライネスは独自に部下などを使って調査を行っていたのだ。
その結果、極夜の暗殺団が指名手配中である極夜の盗賊団を隠れ蓑として活動している事までは調べれていた。だがそれ以上の事は掴めておらず結局、謎に包まれたままなのは変わらないがクライネスはそんなこと自体どうでもよくなってきていた。
「……まぁ、はぐれものでも利用できるものなら利用してやる」
魔王を始末できるとは言い切ってはいたがそれに関しては言葉だけの可能性があり、実際は不可能だと思っているが人間の方だけでも始末できるならクライネスにとってはそれだけで喜ばしい事だ。
いや、正確には自らの手を汚さずに済んだことが喜ばしい事だろう。
「あの人間さえいなければ魔王を始末するチャンスなんていくらでも増えるはずだ……」
あの人間が消えれば少なからず魔王は動揺を露にするはず。そこを突けば勝てるはずだとクライネスはそう考えていた。だが、そんなに簡単に行くとは思えないため綿密な計画を立てるつもりではいるがクライネスの頭の中ではこの手で魔王を殺すイメージが出来上がっていた。
「くくく……ようやく私にも運が巡ってきたようだな。明日が楽しみでしかたない」
考えるだけでも笑いが止まらないが万が一、極夜の暗殺団が失敗すればこの計画じたいが無に帰してしまう。そうなれば魔王を始末する事は出来ないが変わりに極夜の暗殺団を消せばいい。それだけで魔王からの信頼感を得られ新に殺すチャンスがいずれ生まれてくるはずだ。
つまりどう転ぼうがクライネスはメリットしかなく、自分に対するデメリットなんて存在しないのだ。
「同胞の怒りの刃とか言っていたが、殺れるものなら殺ってみろ。私が全員返り討ちにして魔王に首を差し出してやるよ。くくく……ハーハッハッハ」
路地裏に響き渡るクライネスの笑い声。そんな優越感に浸るクライネスは気付かなかったのだ、先程まで近くの物陰であの女性が潜んでいた事実に。




