魔王襲来
昼下がり、人の通りも増える王都の広場でリーナは一人で接客をしていた。
「ありがとうございました。また来てくださいね」
「ええ、またくるわ」
「おーい嬢ちゃん、タオル三枚くれ」
「分かりました。少しお待ちください」
間髪入れずに次の客が注文をし、リーナは本当に休む暇もなく一人で接客を頑張る。
「ねぇねぇバスタオルを二枚欲しいんだけど?」
「こっちはタオル二まーい!」
一人で切り盛りしてるためか列を一列に正すことも出来ずに二列のままのせいで客が同時に注文をする。
ちょっと前までなら隣にはカケルの代わりであるルービスがいたのだが、今彼は屋台の近くでリュオに見守られながら横になっているというか倒れているのだ。
村よりも多い人に大きな建物そして初めての接客。村を出たことがないというルービスには想像していたよりも精神的負担がかかってしまい、終いには過労で倒れてしまった。
ルービスが倒れ、現状こうなってしまったのも全て自分のせいだとリーナは思っている。
カケルと違い、長年村で暮らしているリーナはルービスを含む村の人達とは友好関係を築いてきたつもりでもちろん村人全員の名前だって覚えている。
それだけルービスが気負いすぎる性格で見た目通り体力もないと分かっているのに倒れるまでルービスが無理をしていたことに気付けなかった。
情けない。その言葉がリーナの頭の中を埋め尽くす。倒れてしまった彼を無理矢理動かすという非道な真似もリーナには到底できっこない。だからこうして一人で頑張っているのだがこれも時間の問題で、そろそろ限界が近い。
カケルならルービスが無理しているのに気付いてた。カケルなら効率よく一人でやる方法を思い付いていた。など、苦しくなればなるほど後悔と同時にいかに自分がカケルを頼っていたのか分かってしまう。
「ねータオルまだー?」
「おーいバスタオル二枚早く!」
嬉しいはずの商品を求める客の声も今は恨めしく思う。タオルの数はまだ半分以上ある。客足からして順調にいけば完売出来るはずなのに一人のせいで完売できる自信もないし、下手すれば一人のせいで客が遠退く事だってありえる。
それだけは嫌だ。カケルが必死に頑張ってここまで積み上げたモノを自分のせいで台無しにするのは嫌だ。それだけは本当に嫌なのだ。
「――あれ?」
頬に何か垂れるのを感じた。触れてみるとそれは自分の目から流れる涙だった。
「私、いつの間に……。いけないこれじゃあ接客なんて出来ない。早く……早く涙を拭かないと」
涙を止めようと我慢したり体布で抑えても涙は止めどなく溢れてくる。
泣いちゃダメ。泣いちゃダメ。と言い聞かせるほど涙の量は増えているような気さえする。
「何してんのー?」
「早くしてくれこっちは待ってんだよ!」
待ちきれない客がリーナを呼んでいる。これ以上、待たせてはダメだと言い聞かせても涙が止まらないのに腹が立つ。こうなれば一か八かで出ていこうとすると、
「お待たせしてすみませんでした。バスタオル二枚で八リベルとなります」
不意に聞こえる客とは別の接客に慣れた話し声。顔を上げ、振り返るとここにいるはずのない人物、メルがいた。
「お、やっとか。はいよ八リベルだ」
「ねー私のタオル二枚はー?」
「タオル二枚ですね。タオル二枚で四リベルとなります」
見事な接客で二人の客を同時に対処するとメルは座り込むリーナに寄り、肩に手を置く。
「ほらリーナ、私が来たからもう大丈夫だよ。だから泣き止んで」
微笑むメルの顔を見ているといつの間にか涙は止まっていた。
「うん……そうだよね。いつまでもこうしてたらダメだよね」
メルが立ち上がるために手を差し伸べてくる。その行為を素直に受け取り、メルの手を借りて立ち上がる。
「ありがとう」
「やっぱりリーナは泣いているより笑っている方が可愛いよね」
「ふふ、まるでカケルみたいな事を言うね」
「えっ、そうかな?」
どんな内容でもこんな風に誰かと一緒に話しているとさっきまで覆い被さっていた不安な気持ちが無くなっていく。
「……それにしてもどうしてメルがここに? まだ話し合いの途中なんじゃ……?」
「その話は後でするから今は接客に集中しましょ」
メルの言う通り、今は目の前のやるべきことをしなくてはならない。
「そうだね。メルが来てくれた以上、失敗は許されないからね」
「そうよ。私がいるんだから完売は絶対よ。さっ、客が待ってるよ」
「うん。……完売しないとカケルから頭を撫でてもらえないからね」
今回、タオルを完売すればカケルから頭を撫でてもらえる。リーナが今こうして必死な理由の半分以上が残念なことにこれだ。
「ん? 何か言った?」
「ううん、何も言ってないよ。ほら接客接客」
これだけは親しいメルにも言えず嘘をつく。バレれば何を言われるか怖かったというのもあるが、これを聞いてメルも「じゃあ私も」という流れになるのだけは避けたい。
「……コホン。お待たせしました、どのタオルをご所望でしょうか?」
ここから慣れた者同士での商売。完売するにはまだまだタオルは有り余ってるが大丈夫だと根拠のない自信に突き動かされながらリーナはただひたすらメルと共にタオルを売り続けた。
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そびえる山の隙間から射し込む唯一の日差しがカケルの前に立つ男を照らしていた。
深く緑がかった乱暴に短く切られた髪に、一睨みで全てを威圧出来るようなつり上がった赤い目。頭に生える二本の角の存在だけがその男が人間でなく、魔族であることを証明している。
「ほう、今日は妙な感じがすると思えば人間が俺の街で商売をしていたからか」
発せられる声は落ち着きのある青年のような感じがしたが逆にそれが更なる恐怖心を与えていた。
「しかも隣にいるのはサキュバスか。まさか人間と魔族が協力して店をやっているとはな」
物珍しそうにする魔王はぐるりと屋台の周りを歩き、時々コンコンと屋台を叩いていた。それが何を意味するかはよく分からないが恐らく強度的なのを確認しているのだろう。
「中々にいい店だな人間よ。それでここは何をしている店なんだ」
「……ん? もしかして俺に聞いてるのか?」
覗き込んでくる魔王に向かって確認がてらそう答えると、隣にいるフェルから横腹にエルボーを入れられ、咳き込んでしまう。
「ぐふっ……お、おいフェル、急に何するんだよ」
「それはこっちの台詞よ! 魔王様に向かってなんて口の聞き方をしているのよ」
フェルが怒るのも仕方のないことかもしれない。確かに魔族のトップである魔王に対してこの口の聞き方はどうかとはカケルも思っている。ただカケルはここにいる魔族と違い、魔王という存在がどれ程のものなのかを知らない。
そのため無礼を承知でこのような聞き方をしたのだが、はてさて魔王の反応は。
「人間ごときが魔王様に対してなんという口の聞き方を! 貴様、その罪は万死に値するぞ!」
魔王の反応を見ようと思ったのに叫ぶのは魔王の斜め後ろに立っている黒いローブを纏った魔族だった。
角や羽根、尻尾などは生えてはいなかったが紫色の髪の隙間から見える耳の先端が鋭く尖り、顔半分を舞踏会に着けるような黒と白の混じった刺々しい仮面を着けている。そこから覗かす真紅の瞳には明確な敵意と怒りが含まれていた。
「す、すみません。この馬鹿がとんだ無礼な口を。この通り、どうかお許しを」
人の頭を勝手に掴み、無理矢理勢いよく頭を地面に叩きつけてきた。多少は加減してあるであろうが額はじんじんとした痛みを感じる。これはぶつけた額は血は出てないけど赤く腫れているというやつの痛みだ。
「おい、もう少し加減しろ! すげーいてーんだけど」
「うるさいから黙ってて。命がいらないなら別に構わないけどアタシはごめんだからね」
ギロッと睨まれてしまえばもうこちらは何を言うこともできない。睨まれたら怯み抵抗できないこの性格に嫌気がさす。
「別によい、クライネス。今は人間と魔族が争わなくてすむ時代。これぐらい見逃せなくて何が共存だ」
「ですが魔王様……!」
「俺がいいと言っているんだからいいんだ。それとも何だ、クライネスは人間とあらば誰でも殺すというのか? 俺に歯向かったという理由で」
そう聞かれるとクライネスという男は「し、失礼しました」と頭を下げ、スッと魔王の後ろに下がった。
「クライネスがすまなかった。魔族の中では知将と呼ばれているのにこいつはいつも熱くなりやすくてな、気を悪くしないでくれ」
「は、はぁ……」
魔王のくせに礼儀正しく(もちろん魔族の中でだが)そして部下へのフォローの早さ、まさに上司として完璧な姿だ。
「それで改めて聞くが、ここは何をしている店なんだ」
視線を少し横に向けるとフェルが目線で「馬鹿な発言はするな」と訴えかけている。さすがにフェルを面倒事に巻き込むわけにもいかないため、無礼のないようにカケルは答える。
「えっと……ここはフライドポテトという食べ物を売っている店です……かな?」
「かな? って別にそこははっきり言っていいでしょ」
フェルを気遣って失礼ないように喋ったのにこれもダメなら一体カケルはどう喋れというのだろうか。だが、そんなやり取りを魔王は見て見ぬふりをして、再び屋台を見回した。
「なるほど、つまりここは持ち帰って食べる的な飲食店というところか」
「そうそう、そんな感じそんな感じ」
「ギロッ」
魔王の背後から凄まじい気迫を放ちながらクライネスが睨んでくる。今まで生きていたなかで最上級の睨みを食らったカケルのとった行動は咄嗟に口を封じて目を逸らすだった。
「あれはヤバイ。もうビビるビビらないの問題じゃない。マジで一回死んだと思ったぜ」
「どうしたのよ?」
小声でぶつくさと言うカケルに首を傾げるフェルだが、魔王はそれを察したか、後ろを向きクライネスの方を一睨みする。
「いい加減にしろクライネス。この程度は問題ないだろ。何度も言うが俺は誰にでも自然に接してほしいんだ」
「いいえ魔王様。魔王様は魔族の頂点に立つお方。そのようなお方が下等な人間と自然に接するなどもってのほかです」
「そうか……お前も父と同じで人間をそのようにしか見れぬか。ならせめて睨んだり圧をかけたりするのは止めろ。話が進まんからな」
「……分かりました」
この二人の話を聞く限り魔王は人間に対して友好的でクライネスという魔族は反対に敵対的と意見が分かれている。
「それで……そのフライドポテトというのはまだ売っているのか?」
「えっ、あ、はい。まだ売っていますよ。けど作るのに時間がかかりますから七分ぐらい待ってもらいますけど……」
「構わん!」
なんだろうか。ほんの数分魔王と触れてカケルの第一印象は裏がなく、ズバズバと言いたいことを言うはっきりした人物だということだ。
こういう性格だからこそ誰かの上に立てるというものなのだが何故、ここまで魔族のみんなが怯えるのかが謎だった。
「とりあえずフライドポテトを作ってくれるか?」
「う、うん」
恐る恐る魔王を見ながらフェルは立ち上がるとカウンターテーブルの裏に周り、フライドポテトを作り始める。
鼻歌まじりに作っていた先程と違い、一つ一つの動作がカクカクと体が固くなっているのが目に見えるほどフェルが魔王に怯えているのが分かる。
「なんでこんなに怯えるんだ?」
魔王の性格が手当たり次第、怒鳴り散らし、暴力をふるうような性格だったなら怯えるのは分かるが、優しそうで穏便そうなこの魔王の何処に怯える要素があるのか。
強いて怯える点があるとするなら後ろのクライネスが怖いぐらいだろうか。
そんな事を思っているとフライドポテト作りは揚げる工程に差し掛かっていた。油の弾ける音とジャガイモの揚げた時に出る独特ないい臭いに魔王は笑みを浮かべている。
「う~む、こんなにも完成が楽しみはあっただろうか。早くフライドポテトとやらを食べてみたいぞ」
「もうじき完成すると思いますのでもうしばらくお待ちください」
とは言ったが既にフライドポテトは揚がり、左の鍋から右の鍋に移し、仕上げにかかっている。
一分が経過し、綺麗に揚がったフライドポテトをキッチンペーパーの上に広げ、食塩を掛け三角袋に入れると、フェルはまだカクカク動きでそれを持ってきた。
「ど、どうぞ魔王様。……フライドポテトです」
「お代は一リベルです」
間髪入れずに魔王に代金を請求したカケルに周りの魔族は青ざめていた。
「あれ? 俺、何か不味いことでもしたか?」
「カ、カケル……魔王様にお金を要求するなんて……」
「え? それって不味いことか? これは商売なんだから相手が誰であろうと商品を渡すなら金をもらわないと駄目だろ」
言っていることに間違いはないと確信をもって言えるが、それゆえに魔族の反応が一々気になって確信めいたことでも揺らいでしまう。
「なるほど一リベルか。思ってたより安いんだな」
魔王は懐に手を突っ込むとそこから一リベルを手渡してきたのでカケルも快くフェルからフライドポテトを受け取り、魔王に渡した。
「揚げたてで熱いので気を付けて食べてくれ」
「おお、危ない危ない。忠告感謝するぞ」
魔王にして白く華奢な手で慎重にフライドポテトを一つつまむと一本を一口でいっていいものを半分くらいかじる。
「ほぅ……これは中々だな」
上々な反応を見せた魔王は残り半分も食べ、ゆっくりだが着実に食していく。
「なるほどここにいる魔族が並んでまで欲しがる納得のいく味だな」
「というと?」
「うむ、美味い!」
その言葉に思わずカケルは「ヨッシャア!」とガッツポーズをとってしまう。これはさすがにヤバイかなとフェルの方を向くとフェルはそれどころではないようだ。
「魔王様が……魔王様がアタシ料理を美味しって……」
誉められたのが嬉しすぎてか目元をうるうるして今にも泣き出しそう。これが感無量という表情か。
「人間よ、世辞抜き美味かった。これは後、何個買えるんだ?」
「お一人、三つまでだから後、二つだな」
「二つか。よし、なら二つもらおう」
ささっと二リベルを見せられてはこちらもすぐに用意しなければとフェルにフライドポテト制作を頼もうとしたら、既にフェルは作り始めていた。
誉められたお陰か、カクカクしていた動きはなくなり、いつも通りの鼻歌まじり料理に戻っていた。
「フェルの調子も戻ったし、言うなら今しかないな。――ちょっといいですか魔王様」
「どうした人間?」
今しかない。ここを逃せばまた魔王に会えるのか分からない。そもそも今日、魔都に来た本来の目的は魔都で商売をやっていけるかの確認ではなく、どんな方法でもいいから魔王に会い、村発展の協力をしてくれないかの話し合いに来たのだ。
「……人間と魔族についてで大事な話がしたいんだ」
「ほぅ……俺を魔王と知った上でか」
凄い威圧だ。身長は変わらないはずなのに魔王が大きく見える。睨まれてはいないのにカケルは体がすくんで声も出そうにない。
逃げろと本能がそう訴えかける。が、ここで逃げれば人間と魔族が共存する村に発展するなんて夢のまた夢。
声をふりだせ。必死にではなく余裕な、魔王なんて怖くはない、同じ対等な存在であるように話せ。
「ああ、魔王であるあんただからだ」
「…………」
今度は威圧せずにただ睨んでくる。睨んでほしくないランキングぶっちぎりの一位にランクインするそれに耐え、逆に睨み返すような勢いで魔王の言葉を待つ。
「……まず話だけは聞いてやる。協力するかどうかはお前の気持ち次第だ」
「え……?」
聞き間違えだろうか。話は聞いてくれるそれは間違いなく喜ばしいことだが、問題はその次の協力するかどうかという事だ。
「どうした? 話を聞いてやると言ったんだが、場所は変えさせてもらう。ここらは魔族が多いからな、万が一にも聞かれたら不味いからな。特に後ろにいるクライネスにはな」
「なっ……!?」
間違いなく気付いてる。これから人間と魔族の共存について話そうとしていることに。
「どこで気付いたんだ」
「さぁ、なんの事かな?」
とぼけた顔をしているが何らかの形でこちらが話そうとしていた内容を知っている。これは――。
「気を付けないと村発展の計画が破綻してしまうかもな」
「では、俺は先に《ゆったり喫茶・地獄》で待ってるからフライドポテトを持って後から来るがいい。俺は猫舌だから冷めてる方がいいしな。場所はそこのサキュバスが知っているはずだ。ではまたな人間」
踵を返し、跪く魔族の道を魔王は歩き進む。
「ま、魔王様!? 一体何処へ!」
「少しゆっくりしたくてな。クライネス、お前は邪魔だから先に城に帰っておけ」
「何を仰るんですか!? 私は魔王様のお側で護衛するという役目があるのですよ! そんなこと出来るわけありません!」
「魔王命令だ。早く帰れ」
「ですが魔王様、魔王様には立場というのがあってそう無闇に一人にするわけにはいけません。それに……」
遠のく二人の口論は姿が見えなくなるまで聞こえていた。
「あれで上手く撒けるのか?」
正直なところ、魔王の言う通りあのクライネスという魔族の前ではこの話だけはしたくない。絶対にまとまる話もまとまらない気がする。それにずっと命を狙われそうだ。
「まさかあの道化師の占いはこれを指してのことか? はは、全く笑えねー」
もし命を狙われた場合は勇気と覚悟を持って何かしないといけないなと占い後に教えてもらった回避方を思いだし頭の中で三唱する。
「お待たせしました……って魔王様が居なくなってる」
どうやら二つ分のフライドポテトか出来上がったようだ。
「魔王様なら《ゆったり喫茶・地獄》で待ってるぜ」
「《ゆったり喫茶・地獄》で? 何で?」
「まさかとは思うが忘れてないよな。今日の本当の目的を」
両手にフライドポテトの入った三角袋を持ったまましばらくかんがえこんでいると「あっ……」とフェルの口から弱々しい声が出てきた。
「やっぱ忘れてたか。まああれだけ色々とあったら無理もないか。在庫は残ってしまったが今日はここらで店じまいだ」
まだいるはずの客に申し訳ないと思う行為だが、魔族達は未だに魔王に与えられた恐怖心があるのか呆然とその場に座り込んでる。
「どのみちこれじゃ、続けても意味ないしな。さっさと片付けて魔王の待つ《ゆったり喫茶・地獄》に行こうぜ」
「う、うん」
勝手に話が進んでいたことに戸惑うフェルを他所にカケルは短時間関わって得た魔王の情報を一気に頭のメモ帳にまとめ、これからの話し合いに向けての準備を始める。
数分で油の処理、片付けを終わらしたカケルはフェルの案内のもと魔王が待つ《ゆったり喫茶・地獄》に向かった。




