第二章 狼たちの夜想曲‐3
ジンのアジトは街はずれにある。外から向かう分には楽だった。ただ、待ち伏せされている可能性は高い。遠くの木に登り、アジトの様子を探る。
外で火が焚かれている。それ以上はわからない。より詳しく知るには、近づくしかないようだ。ジンは木を降りた。
「様子はどうだ?」
背後から声がした。
ジンは驚き、反射的に横へ飛んで、声のほうへ向きなおる。
唸り声をあげようとしたが、声の主を見て脱力した。
「なんだ、お前か」
身体の緊張を解き、姿も人間に戻した。
「ああ、俺だ」
コーレイが笑う。つられてジンも笑った。だが、すぐに二人とも真剣な表情になる。
「フウに襲われた。理由はわからない」
「みんなは森の中で隠れている。話はそれからだ」
ジンはうなずき、歩き出したコーレイに続いた。
森の奥、身内にしかわからない目印をたどっていくと、少しひらけた場所がある。ユユイ、ダンド、ナナシはそこにいた。肌寒いが、煙が出るのでたき火はできない。
「無事か?」
ジンの呼びかけに、みんながうなずく。ナナシがジンの前に歩みでて、頭を下げた。ジンの記憶にある土下座に近い。違うのは、この世界では両足を伸ばしているところだ。地面に寝ているのと等しいが、これが無抵抗の証だという。
「どうした?」
「俺のせいだ」
「何があった。顔をあげて話せ」
「顔などあげられない」
「だが、こういうのを会話とは言わない」
「それでも、無理だ」
ジンはため息をついた。「わかった。そのまま教えてくれ」
「クワイの手下を殺ってしまった」
「だろうな」想像の範囲内だった。「けがはないか?」
返答はない。無言は肯定と受け取ることにする。
「じゃあ、気にするな」
この言葉で、ナナシが身体を起こし、顔をあげた。安堵ではない。困惑だった。
「俺は、お前たちを危地に追いやってしまった」
「まあ、否定はしない」
「なのに、なぜ俺を責めない」
「もうお前だけの問題じゃないってだけさ」
ジンは肩をすくめた。
「今さっき、フウに襲われた。向こうの標的は俺たち五人だし、追っ手だって何人もいるだろう。もう組織同士の戦いだよ」
ナナシは膝をつき、うなだれた。悲しみだけでもなさそうだ。多少の安堵もあるのかもしれない。クワイを敵に回したが、ジンたちは仲間である。
ジンは、ナナシの肩に触れたあと、他のみんなと同じく座った。
「俺が来る前の間、ある程度話し合っていると思うが、これからどうするか、意見が欲しい」
コーレイがうなずく。「教会と手を組もうと考えている」
「俺は嫌だ」ジンの眉間にしわが寄る。
ユユイとダンドが口を開きかけるが、コーレイはそれを手で制した。
「気持ちはわかるが、他に方法はない」
「本当にないのか?」
「ない」
コーレイは言い切るが、ジンは納得できなかった。コーレイも察したようで、言葉を継いだ。
「クワイに対抗できる組織は、貧民街にない。人数をかき集めようにも、俺たちのような若いのが海千山千のごろつきをまとめるには、時間が足りない」
ジンは、わずかに頬をゆるめた。問題は時間ではなく、実力だろうに。コーレイはあえてそこには触れなかったのだ。理由はきっと自負心。それも、五人の実力に対するものだ。とはいえ、それを指摘している場合でもない。
コーレイの目はじっとジンを見つめている。
「確かに、教会は亜人を差別する。魔獣が襲ってきても、けが人が出ても、ロトス教は助けてくれない。回復魔法は川向うの金持ちだけのもの。それでも、俺たちが生き残るためには、手を組むべきだと思う」
「俺の感情はともかく、教会が俺たちと手を組むのか?」
「組む」やはり、コーレイは断言した。「クワイは貧民街から金を吸い取り、自分の権力に変える仕組みを持っていた。それは、教会にとっても価値がある」
「教会は街を支配したいのか?」
「教会は街を支配したいんだ」
「なるほど、教会と手を組むのはいいのかもしれない。しかし、実際にそれは実現可能なのか? そもそも誰に話を持っていくんだ?」
「ああ、それなら――」
コーレイが返答しかけたとき、小屋の外から液体がかけられる音がした。それは、周囲から聞こえ、その直後、より重いものがぶつかる音がした。一つではない。いくつもいくつも、何かがぶつかる。ジンは直感していた。これは、ぶつかった音ではなく、ぶつけられた音だと。
「出られない!」
ダンドの叫び声。彼は素早く立ち上がり、小屋の扉を開けていた。
ジンたちも立ち上がり、扉の向うを見る。
炎の壁ができていた。
煙がひどい勢いで小屋の中に侵入する。
ダンドが急いで扉を閉めた。外では、ろくでなしどもの騒ぐ声がしているが、炎の上げる音が大きすぎて、内容までは聞き取れなかった。
「最初にかけたのは、油か」
「ナナシ、なんでお前が冷静になってんだよ!」
ダンドが吠えた。狭い小屋、周囲から熱を感じる。ユユイが不安げな顔をした。
「無理やり出ていくしかないのかな?」
ジンは一瞬、本当に一瞬だけためらったが、決断をくだす。
「ああ、それしかない。このままここにとどまっていても、焼け死ぬだけだ」
「敵は火だけじゃない。クワイの手下たちがいるんだぞ」
コーレイが反論するが、その声は弱弱しい。ジンの見たところ、彼も含めてそれしかないのはわかっているのだ。ただ、すんなり実行するには、おそろしいだけで。
ジンは獣人化を開始した。
「まずは俺が行く。うまくすれば、みんなの道が作れるかもしれない」
反応は待たないことにした。話している時間はないし、決意を鈍らせる余裕もない。周囲を見ると、どこも炎で覆われていた。
ジンは視線の方向に走り、炎に向かって跳んだ。目を閉じる。壁。もろく崩れる。同時に、熱さが痛みに変わる。毛が焼ける。涼しくなった。足が地面に着いた。転がる。急いで身体を起こし、目を開けた。
フウと三人の部下がいる。その先には、ジンが壊した壁が見えた。ジンが通ったおかけで、少しだが炎の隙間ができている。ユユイが跳んだ。
フウたちの目がそちらに向いた。
ジンは足を踏み込んだ。一歩、二歩、三歩、部下の一人の首をつかみ……折った。その男は、口から血の混じった泡を吹き、くずおれる。
「てめえ!」フウがジンを睨んだ。
ジンは鼻を鳴らす。部下はまだ二人いるが、無視してフウに飛びかかった。まず、頭突き。フウは仰け反るが、両手でジンの肩をつかみ、踏みとどまる。そして、頭突きを返す。
ジンの意識が一瞬飛ぶ。フウの肩はつかめなかった。ジンは仰向けに倒れ、大地に頭をぶつけた。目の前が白くなった。だが、幸い気絶せずにすむ。横に転がり、追撃を避ける。衝撃と回転で脳がおかしくなりつつも、ジンは立ち上がり、フウに向かって雄叫びを上げた。
「ジン、俺が殺してやるから、かかってこいよ」
声色からすると、フウはまだ余裕のようだ。それでも、ジンは笑う。
「強がりか?」
「違う」
「頭がおかしくなったのか?」
「違う」
「じゃあ、何が面白いんだ。追いつめられているのは、お前だぞ」
「違う。それは違う」
「何を言っておっ――」
フウは頭を押さえ、前のめりに膝をついた。
「正解は、俺がいたからでした」
コーレイは、火のついた木の板を持っていた。小屋からはがしたもので、それでフウの後頭部を殴りつけたのだ。
「てめ、うおっ!」フウが振り向こうとする前に、ジンは駈け寄り彼の顔を蹴った。
フウの顔が血にまみれる。歯が数本、転がっていた。フウはジンを捕えようと手を伸ばす。ジンが下がり、代わりに反対側にいたコーレイが、火をフウに押し付ける。
フウが声にならない悲鳴を上げた。伸ばした手は自身の顔の熱を取るために使われる。
その間に、ジンは跳び、フウの無防備な腹に着地した。
血が地面に飛び散る。
ジンが、フウの膝を踏みつけた。
「あっ――」
叫ぼうとするフウの口に、コーレイが火がついたままの板を差し込んだ。肉の焼ける臭いが周囲に漂う。
「この板はやる。好きなだけ味わえ」
もがくフウを、少し距離を取ったジンとコーレイが見守る。二人とも、必死だが顔面は蒼白だった。
「どうする」コーレイが問いかける。
「とどめを刺すしかない」
ジンが振り絞るように答える。
フウの顔面は火傷で真っ赤になっている。目も熱で白濁し、何もわからないはずだ。痛みで周囲の気配も探れないだろう。
ジンはそこまで考え、彼に歩み寄った。何か言おうか迷うが、どうせフウは聞いていないだろうと、黙っていることにした。フウの前でひざまずき、頭と胸を押さえ、喉をよく見えるようにした。フウは呻いているものの、ジンをどうにかできる力はないようだった。両腕もだらんとしていた。
ジンはためらうことなく、フウの喉元に噛みつく。深く口を入れ、歯を合わせる。そして、引きちぎった。
血が噴き、ジンの顔をかかる。ジンは、口の中にある肉片を吐き捨てた。
フウは動いていない。だが、立ち上がったジンは、確認のために、フウの頭部を思い切り蹴った。喉の肉が根こそぎ取られたせいか、ジンの膂力により、フウの首は胴体から外れ、地面を転がる。
「くそっ」ジンが叫んだ。
「くそっ」コーレイが続く。
同時にその場で吐いた。
「……そっちも終わったみたいね」
ユユイだった。彼女も血まみれだ。しかし、怪我をしている様子はない。返り血なのだろう。女でもオーガということか。ジンは内心でつぶやき、周囲を見回した。
動いているフウの部下はいない。
「ダンドとナナシは?」
ユユイが茂みを指さす。「ダンドはあっち」
ジンとコーレイはうなずいた。
ダンドはあまり荒事に向いていない。身体が小さく、動きはすばしっこいが、力はあまり強くないのだ。それに、性格も決して胆力があるほうではない。自分の命だけでも守れたのであれば、それでよかった。
「ナナシは?」
ユユイはうつむいて、何も言わない。
「ナナシはどうしたんだ?」
ジンが改めて問いかける。
ユユイは、急に涙を流した。すぐさま号泣に変わる。ジンとコーレイはユユイの背中をさすりながら、ユユイの指がさす方向を見た。
それは、炎上し今にも崩れ落ちようとしている小屋だった。
確実に間に合わない。ジンは、飛び散った火の粉に、一瞬目を閉じた。
「――自分のせいだから、自分が最後に出る。そう言って聞かなかった」
ダンドの声を聞きながら、ジンは炭の塊となった小屋を見ていた。そこには、ナナシもいるはずだった。燃え尽きるまで見守っていたが、火が消えた今、その死を確認する気にはなれない。フウや部下たちの死体は埋めた。
「クワイは、俺たちを許さないだろうな」
ナナシの死を受け止められなくなったらしきコーレイが、つぶやいた。
「きっと」と、ユユイが追従する。
ジンはダンドに視線を移した。それを受けて、ダンドも口を開く。
「このままじゃ、俺たちも死んじまうよ」
死という単語が出たとき、ユユイの肩が震えた。
みんなは、結論を出している。あとはそれをジンが言葉にするだけなのだ。ジン自身はそう考えていた。自らの決断を後押ししたくて、そう感じたのかもしれない。しかし、選択肢がほとんどないのは間違いない。
「教会と手を組もう」
ジンの声が、木々の中に消えた。