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第二章 狼たちの夜想曲‐1

 ジンの仲間に、ナナシという男がいる。

 元々は川の向う側で騎士の子供として生まれ、本人も騎士を目指していた。しかし、他人の気持ちに配慮することが苦手な性格だった。そのせいで、街の有力者であるロトス教の司祭を怒らせてしまう。教会からは破門を宣告され、親からは勘当された。彼は行き場を失った。かといって、街を出ようにも、魔獣への対抗手段や金がないため不可能。そうなると、選択肢は一つしかない。貧民街で生きていくしかなかった。

 ただ幸運なことに、貧民街の掟は、ナナシの性格によくあった。自分のことは自分で始末をつける。他人は助けてくれない。他人は利用するもの。それは、人を慮ることの苦手なナナシにとっては、わりあいすんなり受け入れられるものだった。

 やがて、ジンたちと出会い、なぜかウマがあい、一緒に行動するようになった。

 ナナシは、貧しかったが、幸せであった。

 そして、その幸福を噛みしめていた。

 ワイバーンらの襲来から数日後、彼は貧民街で売春宿が軒を連ねる通りを一人歩いていた。久しぶりの買春宿である。顔なじみができるほど通えず、どこに入ろうかと客引きの女の美醜を観察していた。騎士からの戦利品を換金したら、予想外に高値で、分け前もこのようなところに行ける程度になったのだ。

 女のユユイはもちろん、ジンやコーレイ、そしてダンドも、こういった形での欲求解消にはあまり興味を示さない。ゆえに、彼は一人で歩いているのだ。とはいえ、それを楽しんでもいる。

 ナナシは、女の顔を見て気に入れば胸の大きさを、それが己の基準に達していれば尻を眺めた。好みに合致する女はいないが、まあいいかくらいは何人か目星がついた。そろそろ気持ちも高ぶってきたので、その中の一人の店に行こうと思っていた矢先、数人の男が、ナナシを囲むように近づいてきた。

「悪いが、俺は女を抱きに来た」ナナシがため息交じりに言う。

「安心しろ。俺らも男色じゃねえよ」

「じゃあ、俺に用はないだろう。さっさと消えてくれ」

「そうもいかねえ。男に用はないが、お前には用がある」

 ナナシの真正面に立ったつり目で細身の男が、見上げるようににらみつける。彼の甲高い声は威圧に向かない。ナナシは軽くほほ笑んだ。何者かは想像する気にもならない。どこかのクズなのは間違いないのだ。掃除をしたとしても、誰かに文句を言われる筋合いはない。そう結論を出し、ナナシの表情に面喰ったつり目に対し、右の拳を思い切り叩き付けた。

 ナナシにしてみれば、それは戦いの合図みたいなものだったのだが、思ったよりもつり目にはきつかったらしい。

 殴られた彼は吹っ飛んだ。

 そのとき、不幸な出来事が二つ起きた。

 一つは、驚いたつり目はとっさに頭を守ることができなかったこと。

 もう一つは、頭が落ちる先に、たまたま尖った石があったこと。

 つり目の頭部が石にぶつかった一瞬、全員の動きが止まった。だが、すぐに動いたものがいる。当のつり目自身だ。痙攣だった。二回、全身を不自然に震わせる。すると、空気が抜けていくように動かなくなった。

 仲間の一人が駆けよる。ナナシはあくびをこらえていた。近づくまでもない。何が起きたのかは明らかだった。

「そいつ、死んだよ」

 つり目の男の仲間たちが、ナナシをにらむ。

「お前が殺したんだ」つり目に駈けよった男が叫んだ。

「からんできたのは、お前らのほうだ」

「だからって殺すことはないだろう? 俺たちはちょっと痛めつけてやろうと思っていただけなんだ」

 ナナシは表情を消した。「そんな言い訳が通ると思っているのか」

「うるせえ、仲間の仇だ!」

 ナナシの大嫌いな種類の人間だった。自分たちの理屈を優先させ、生じた矛盾は他人におしつけようとする。

「殺していいよな、こんなやつ」

 あまりに小さなつぶやきだったので、誰も聞いていなかったかもしれない。しかし、ナナシには関係のないことだった。さらに言えば、彼に襲いかかる連中にも関係ないことだった。反論する間もなく、全員がナナシに殴り倒されたからだ。

「これで終わりかな」

 ナナシは息が乱れることもなく、目的を遂げた。起き上がろうとする者はいない。生死はどうでもいい。周囲は静まり返っていた。ナナシは、近くにいた男と目を合わせる。向こうは、すぐさま逸らしてしまったが、気にせず語りかける。

「後始末、よろしく」

「よろしくされても困るな」

 男は怯えていたが、声ははっきり出した。ナナシは肩をすくめる。

「からんできたのは、こいつらからだ。俺が片付ける義理もない。後始末をしないならしないでかまわないが、放っておくと屍肉を食らいに魔獣が来るぞ」

 男が言葉につまる。それを議論の決着と見たナナシは、目当ての買春宿へ歩き出した。

 周囲に店をかまえる人々が、眉間にしわを寄せた。

「あいつ、ジンのとこの者だな」

「ああ、名前は知らないが確かにそうだ」

「やられたのは、クワイの手下だわ」

「本当か?」

「ええ。何度か店に来たことがある」

「じゃあ、クワイに知らせるか」

「それがいいな」

「そうしよう。ジンたちもかわいそうにな。クワイに正面から喧嘩を売って、この街で生きていけるわけがないだろうに」

「あの男、確か新参者よ。街を誰が仕切っているのか、よくわかってなかったんだろうな。ジンとコーレイも、つるむ奴を間違えたな」

「自業自得さね」

 幸か不幸か、この会話を聞いていたジンの身内がいた。フードをかぶり、目立たないように立っていたユユイだ。たまたま通りかかったので、何が起きたのかと見ていたのである。騒動の中心にナナシがいたことには気づいた。争いが終わって後を追いかけようとしたが、人込みで見失ってしまい、茫然と立っていたところ、人々の会話を聞いてしまったのだ。

 ジンやコーレイほどではないにしろ、彼女のことを知っている街の人は多い。だが、彼女はフードをかぶっていた。ゆえに、ジンの仲間がもう一人いることを指摘する者はいない。

 正体がばれないように、ユユイはその場を離れる。

「早くジンたちに知らせないと」

 焦りで心のうちが自然に外へ出ていた。ナナシのことも心配だが、売春宿をしらみつぶしに探すよりは、今は住んでいる小屋にいるであろうジンたちに知らせる方がいいと思ったのだ。路地を一本入り、人気がなくなったところで、フードがめくれるのも気にせずに走り出した。額にある、彼女の小さい角が露わになった。

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