第一章 絆‐2
ジンは、ウサギの肉にかぶりついた。馬車を襲う前に森で狩りをし、人数分のウサギを確保しておいたのだ。
「うめっ」
ダンドが脂まみれの口で叫ぶ。ここは街の端の端、いくら大声を出しても文句を言うやつはいない。ジンも「うまい」とつぶやくが、正直なところ物足りなかった。調味料が一切使われていないのだ。
かつて石畳の街を歩き回って塩や胡椒を探したことがある。三日ほど、街をくまなく、闇商人にまで尋ねたが、成果はなかった。どうも、調味料の概念さえないらしい。結局、ジンは自分の舌を満足させることをあきらめた。
肉の味が、腔内に広がる。噛むと肉汁が飛び出した。決してまずくはない。肉はうまい。ただ、もうひと押しほしいだけのことだ。あとは、味など意識せずにむさぼり食う。肉の部分がなくなり、しばらく骨をしゃぶると、脇に置かれている桶の水で手を洗う。手に脂のにおいが残った。
そして、木の実をかじる。ウサギと同じく、森で確保したものだ。今度は急がない。ゆっくりと、歯ですりつぶすように噛み砕いていく。
新鮮な野菜や果物は上流階級のものだった。この街で言えば、川を挟んだ先の地区に住む人々のものだった。ジンたちがそれらを口にできるのは、まぬけな上流階級の人間に出会ったときくらいである。
「コーレイ、その戦利品を明日一人で売ってきてくれ。俺たちはその間、毛皮用の動物を狩ってくる」
ジンは、最後の木の実を口に入れた。
まだウサギを食べているコーレイが顔をあげる。
「ああ、わかった。そうしよう」
脂で光っている口元がそう答えると、彼はほっとした表情になった。
「毛皮のために、わざわざ狩りに行くのか? 戦利品を売った金で買えばいいだけじゃないのか?」
ナナシだった。自分の分は食べ終わったようで、腕を組んでいる。
ジンは、自分のうかつさを呪った。そうだ、こいつは知らないのだ。だが、素直には言えない。コーレイの前では、こういう話をしてはいけない。
「ナナシは、俺たちと冬を越すのは初めてだったな」
ジンは、ダンドやユユイが説明してくれるかもしれないと、淡い期待を抱いて二人を見たが、二人ともうつむいていた。それも、しょうがないことだ。ナナシ自身も、微妙な空気の変化を気づいたらしい。
「俺がみんなと一緒に行動するようになったのは、暑くなる少し前だ。お前たち四人の掟で知らないこともあるのさ」
口ではそういうが、その割には表情に曇りが見える。疎外感だろうか。不審や怒りでなければいいのだが。この男は落伍者だ。底辺で生まれた者ではない。どこかで、自分を高く置きたがる。
「いい。気にするな」
ジンは返答をしながらも、どう納得させるかを必死で考えていた。この場を切り抜けるだけではたりない。ナナシが二度とこんな話題を出さないようにするのが必要なのだ。
「夏の間、毛皮は邪魔だ。持っていても仕方がない。置いておく場所ももったいない。となると、温かくなってきたら売ると効率がいい。俺はそう考えている」
ゆっくり、言葉の意味を考えながら、自分の言ったことでナナシがどう感じるかを計算しながら、ひとつずつ踏みしめるように声を出した。
「狩りをして、皮をなめす手間を考えれば、金で買ってもいいんじゃないか?」
ジンは舌打ちをしかけた。これがナナシでなかったら、即座に殴っていただろう。
この話題を引き延ばすんじゃない。コーレイを傷つけるな。コーレイは、毛皮が嫌いなんだ。でも、他に暖まる方法を知らない俺たちには、毛皮を使うしかない。だから、コーレイも仕方なく使っているだけなんだ。それに、店では買えない。この街の連中とは、みんな顔見知りだ。コーレイの毛皮を買うと、きっと店の奴は言うだろう。「おや、あなたに必要なんですか」と。俺とコーレイを交互に見ながら。俺はいい。俺は気にしない。だが、コーレイは気にする。コーレイを悲しませてはいけない。たとえナナシであっても。
「ずっと、そうやっている。変えるつもりはない」
「そうは言うが――ん?」
ナナシは途中で言葉を切った。ジンたちも耳を澄ます。
鐘の音だった。
カンカンと、鳴り続けている。止まる気配はない。
五人は、食事をやめ、立ち上がり、駆けだした。
鐘の音は、街を襲う魔獣が現れたのを意味する。
彼らはそれを撃退するために動いたのだ。
街に生きる者には、必ず守らなければいけないたった一つの決まりがある。それは、魔獣襲来の際には撃退に参加すること。魔獣は街を破壊し、住民を食らう。強すぎて、少数ではとても撃退できない。だから、住民はみな、協力しなければならない。善悪は関係ない。街がなくなれば、命が奪われれば、善も悪も意味をなさなくなる。ゆえに、決まりは街に生きる者全員が守るべきものなのである。
たとえ、今まさに強盗が行われているときでも、鐘の音が聞こえたなら、加害者と被害者は力を合わせて魔獣に立ち向かわなければいけない。それが、この街の決まりだ。
ジンたちもそれに従っていた。
川のこちら側、つまり貧民街は五つの区画に分けられ、その区画ごとに一つずつ鐘が置かれている。それぞれ音が違うので、鐘を聞くだけでおおよその場所がわかった。もちろん、二つ以上なることもある。だが、今回は幸い、鐘の音は一つだけだ。
「アル地区だな」
ジンがつぶやき、四人がうなずく。どの地区へ行くにも、もう決まった道順がある。一緒に走っているが、仲間を気にする必要はない。
途中、人虎が道を塞ぐように立っていた。五人は息をはずませながら、人虎の前で止まる。
「お前らか」人虎が五人を見て、眉をひそめる。
「フウかよ」ダンドが顔をしかめた。
「何が来た?」ジンは問いかける。
「ワイバーンが二体に、そいつらの残飯を漁ろうとしているのが、二十くらいだな」
「多いな。どうすればいい?」
「ジンとコーレイは東で、残飯漁りを処理してくれ。残りは南だ。竜用の罠を用意している」
「わたしも戦えるよ」
ユユイが言うが、フウと呼ばれた人虎は首を横に振る。
「ダメだ。ボスの方針を忘れるな。女子供に直接戦いはやらせない」
「ちえっ」と不満そうな声をあげるが、それ以上は食い下がることなく、ユユイはダンド、ナナシとともに南に走っていった。
「俺たちも行こう」
コーレイの呼びかけに、人もうなずく。
「おい、お前ら」
フウが、走りかけていた二人に声をかける。二人は顔だけ、彼を見た。
「人間の姿のままじゃなくて、変身していけ。そっちのほうが早いだろ」
「そうでもないさ」
ジンはそう言うと、駆けだした。コーレイも同じだった。フウが何と答えたのかは、聞こえない。ただ、偉そうに言うほど早くないのを自覚している。だが、変身はぎりぎりまでやりたくない。ジン自身のためではない。コーレイのためだった。正直、人虎のフウに会うのも嫌だった。二足歩行する虎であるフウの存在は、コーレイの心を苦しめるのだ。
ジンにとって、コーレイは前世とこの世界を通じて初めての親友だった。
「コーレイ、変身して先に行く」
「……わかった」
ジンは走りながら、変身する。
完全な人の姿から人狼へと。
顔が長くなり、耳がとがる。体毛が生え、尻尾も出る。筋力が数倍になった。一気に加速し、コーレイを置いていく。理想は、コーレイが着く前に魔獣を片付けることだ。そうすれば、コーレイは人狼の姿にならなくて済む。コーレイは、自分が人狼であることが、何よりも憎いのだ。
しばしコーレイのことは脇に置き、ジンは五感を集中させる。東地区はもう近い。どこに魔獣がいるのか探る。
唸り声がした――