第三章 毒戦‐3
四人は、カトでは気が利いた部類の居酒屋にいた。混雑しているが、それなりの客が来られるよう、奥に個室を用意してあるのだ。昔はクワイが座り、今はジンが座っている。各人の前にはぞれぞれ酒の注がれたグラスが、テーブルの真ん中には堅そうなパンと肉や野菜を煮込んだ鍋があった。
「あー疲れた」
ダンドが酒を喉に流し込んだあと、ため息とともに吐き出した。
「あたしも、もうああいうのは嫌」
一口しか飲んでいないのに、ユユイはすでに頬を赤らめている。
「昔とは苦労の種類が変わった。金の心配はしなくてよくなったが、人の顔色を窺う毎日だな」
ジンが抑制を効かせつつも、しっかりした口調でつぶやく。
「俺たちの選んだ道さ、おかわり」
疲れたような、しかしそれを受け入れたような表情で、コーレイが自分の杯を乾かした。
「でもよ、コーレイはパノにいるんだろ? 教会と一緒にいると、いいもん食べてたりするんじゃないのか? 肌につやがあるしな」
ダンドが目を輝かせている。肌という単語で、ユユイは自らの頬をつまんでいた。ジンが見てもわからないが、ユユイにとって何か気になるところがあるのだろう。
コーレイは苦笑した。
「カトならともかく、パノの、しかも教会の中で俺に媚びを売る理由なんて、向こうにはない。確かに、昔の俺たちが食べていたものに比べればましだが、パノでは残飯みたいなものばかり食べているよ」
「えー嘘ー」
幻想を抱いているらしいダンドが口をとがらせる。
「まあ、そんなものだろう。それよりも、だ」
ジンが、それ以上の追及をさせないよう、話を終わらせた。もちろん、彼もコーレイが何を食べているのか知らない。
「コーレイ、最近この辺ででかい顔をしてるってのは、どんな奴らなんだ?」
「名前はアラン、人間だ。亜人を憎んでいる」
「それだけか?」
「アランは、カトを人間優位の街にしようとしている。金や力があっても、亜人は人間の下。そんな場所にしようとしているんだ」
コーレイの語尾が上ずっている。ユユイが心配そうな顔をした。
「つらかったら、急いで話さなくてもいいよ」
「いや、いい。俺が亜人であるのは事実だ。それに、これは遊びじゃない。闘争だ」
ジンがうなずく。
「それで……アランの他に、何人いる? 拠点はどこだ?」
「数は核となっているのが十人くらい。他に声をかければ二百人は集まるだろう」
「多いな」
「拠点は、東にある。カジノを開いて、金を稼いでいる」
ジンが目を細めた。「東にも俺たちのカジノがあったはずだ。金も届いている。街も出歩いている。だが、俺はそんな奴らを知らない。なぜだ」
「答えは一つしかないんじゃない?」
ダンドが酒をあおりながら、気楽そうにいう。コーレイとは対照的だった。
「俺も、答えは一つだと思う」
「教会、か」
「そうだ。俺たちの得る情報に手心を加えられるのは、部下たちだけ。その部下たちは教会の息がかかっている。当然だろうな」
「教会はどうしたいの?」
ユユイが当然の疑問を口にする。
「俺たちの排除だろうな」
ジンの返答に、コーレイもうなずく。
「教会は、いや、ディーはカトへの進出を考えていた。だが、亜人を忌避する教会の者として、直接乗り出すのは憚られた。そこへ俺の申し出があった。ディーとしては、このチャンスを見逃す理由はない。しかし、こうしてクワイを追い出したあとは、組織のトップにすえた俺たちがかえって邪魔、というわけだ」
「じゃあ、アランは教会とつながってるってわけ?」
「いいや、たぶん踊らされているだけじゃないかな」
「どうしてそう思うの?」
「勘」
ユユイたちが苦笑した。しかし、異は唱えない。人狼だからか、ジンの勘は馬鹿にできない。
「ふーん、それで、ジンはどう考えているの?」
「アランが向かってくるなら、つぶすしかないな。昔と同じだ。俺たちは俺たちであるために、敵を排除していかないといけない」
コーレイがほほ笑んだ。
「賛成だ」
「で、どう動くか、策はあるの?」
「コーレイ、お前にはありそうだな」ジンがつぶやく。
「暴力で潰すなら、最初から暴力で押し切る。それが王者の戦いだ」
「きれいごとだな」
コーレイはすぐさまジンの瞳を見つめた。
「ああ、きれいごとだ。だが、組織とはそういうものだ。どうしても志を示さなければいけないときがある。でなければ、誰もついてこない」
ジンがコーレイの肩を軽く叩く。
「そう興奮するな。俺も賛成だよ。王者かどうかは知らないが、暴力で始めるのはいい。俺たちはどこまで行っても、それしかないんだからな。じゃあ、行くか」
コーレイもうなずき、ジンとともに立ち上がった。
「二人ともどこ行くんだよ?」
ダンドの問いに、ジンとコーレイは同時に答える。
「挨拶に決まってんだろ」
◇
「……とはいったものの、本当にこれでいいのか?」
街を歩きながら、ジンがつぶやく。
「さあな、わからん」
コーレイが肩をすくめる。
「……お前なあ」
ジンは自分のことを棚に上げて、呆れた顔をした。
ダンドとユユイは、無理についてこようとはしなかった。腕力に欠けるダンドは荒事が苦手で、比較的穏やかな性格のユユイは荒事が嫌いだった。昔と違い、無理に連れていく必要はない。それにナナシの死が、ジンに二人の同行をうながしづらくしていた。
部下もついてきていない。毎日の見回りではあれほど強引についてきたにもかかわらず、居酒屋を出るときにコーレイが話すと、あっさり拠点へ戻っていった。ディーが何らかの形で彼らに指示を伝えていたのだろう。ジンの部下で唯一教会と無関係のサイクロプスのイップのみは、一緒に行きたいと言い続けていたが、言葉で説得するのが面倒になったジンによる腹部への打撃で昏倒し、他の同僚に連れられていった。
日が暮れて、人通りのなくなった道をジンとコーレイが歩く。
時折すれちがう者は、二人が今のカトを牛耳っている存在だとは気付いていない。
「こうして歩くのも久しぶりだな」とジン。
「二人で、ただのクソガキとしてな」
「半年、たった半年前だ。あっという間だった」
「ああ、そうだな」
「コーレイ、俺は不本意だ。生きるためとはいえ教会と手を組み、麻薬をさばいている。俺は人間のクズだ」
「ああ、俺たちはクズだ。人間ではなく、人狼のな」
「そういやそうだな」
ジンは笑おうとして笑えなかった。自分は人狼という意識があまりない。人間だった前世の意識が強すぎた。だが、コーレイは違う。今の言葉は自虐ではない。嫌悪だ。
どうした。何があった。なぜこのタイミングでそんなことを口にする?
口に出すことはできなかった。
「コーレイ、アランをどうしてやろうか」
声にそらぞらしさが混じらなかった自信はない。ただ、コーレイも方向転換に乗った。
「従うならよし、逆らうなら……戦争だ」
ジンが口角を不敵にあげる。「従うと思うか?」
「アランは従わないだろうな」
コーレイも笑う。乾いているが、気乗りしないわけではないようだ。
しばらくして、コーレイが足を止めた。一軒の酒場の前だ。看板はかけられているが、暗くてよく見えない。
「ここだ」
「俺が先に行く」
そういってジンは、扉に手をかけ、ゆっくり開けた。
視線が自分に集中するのを感じる。思わず、口元がゆるんだ。
あちこちにあるランプの灯火のおかげで、中は昼間のように明るい。こんな夜は久しぶりだった。前世以来かもしれない。
奥へ歩を進めていく。
客たちは怪訝そうな顔をジンとコーレイに向けるが、直接手を出そうとする者はいなかった。進行方向に座る者は、わずかに椅子をずらし、二人の進行を妨げないようにする。
酒場の奥の奥には、扉があった。
把手に手をかけ、開ける。
さほど広くもない部屋に、十五人ほどが群れていた。三つある円卓には、サイコロのようなものやトランプのようなものとともに、金があった。
――賭博室か。
ジンは室内で一番強い目でにらんでいる男に、目を向ける。
「アランは、お前か」
男はゆっくりうなずいた。人間でいえば、三十代後半くらいだろうか。背が高く、金髪で彫りが深い。ややたれ目だが、容姿は整っている。びびっている様子はない。観察している。ただジンの様子をうかがっている。
ジンが一歩、踏み出す。
十四人は、後ずさった。
アランは前に出た。
「ジン、だろう? そして後ろにいるのがコーレイ」
アランの右眉が声とともに跳ねた。
「だとしたら、どうなるんだ?」
ジンは、背後でコーレイが鼻を鳴らすのを聞いた。
アランのたれ目が、さらに下がった。
「どうもしないさ。用があるのは、お前らのほうだろう?」
「それもそうだな」ジンは肩をすくめる。「じゃあ、用件を言おう。簡単だ。俺たちの縄張りを荒らすのをやめてもらおうか」
アランが破顔した。「お前らの縄張り? 嘘を言うな。カトでふんぞり返っている教会の縄張りだろう?」
そして、ジンに顔を近づける。
「二人で殴り込みに来たんだろう? 組織のボスが自ら襲撃をかけるなんて、ありえない話だ。よほど部下に舐められているのか、お前らがガキだからか?」
興奮して前に出ようとしているコーレイを、ジンは手で制した。彼自身は、腹が立たなかった。この程度の挑発は前世で慣れていたし、アランの言うことは正しかった。図星を突かれて怒り出すほど、精神的には若くもない。
「アラン、お前の考えではどう思ってるんだ?」
「両方さ! お前たちは、部下に舐められているガキさ!」
「……まあ、間違ってはいないな」
「ジン!」
「コーレイ、落ち着け。俺に任せろ」
「へえ、何かすごいものでも見せてくれるのかい?」
アランのつばが、ジンの顔にかかった。ジンはため息をつく。
「口が臭いから、少し離れてくれ」
「はっ、そんなので俺を煽っているつもりか?」
ジンは首を横に振った。「すまん、これは本心だ」
アランの背後で、何人かが噴き出した。アランが振り返ると、慌てて神妙な顔に戻る。
「アラン、気にするな。これは本題じゃない」
ジンが苦笑交じりに、アランの肩をたたいた。アランは、不快そうにその手を払いのける。
「じゃあ、本題ってのは何なんだ」
声はかろうじて冷静さを保っている。ジンはコーレイを見る。コーレイがうなずいた。もうこれ以上は追いつめるべきではない、ということだ。
「さっきも言ったろ。俺たちの縄張りを荒らすなって、忠告に来てやったんだ」
「俺が呑むと思ってるのか?」
アランが、二人を睨みつける。
「さあな」コーレイは、答えると同時に、アランに背を向け、部屋を出た。ジンも、ゆっくり後を続く。ジンは部屋の扉を閉めながら、もう一度アランの目を見た。
「忠告はした。後はお前自身の問題だ。口のケアを含めてな」
酒場を出ても、アランの反応はわからなかった。怒鳴り散らすことはなかったのだろう。
「案外、まともだな」
「ああ」
ジンは、コーレイの意見に同意する。二人は、また歩いて帰っていく。誰もいない。敵も味方も知らない奴も。久しぶりで、心地よかった。
「アランというやつは、野心家でプライドが高く、喧嘩っぱやくて最後の最後で打算的」
「ああ、俺たちの街向きな男だ。早く潰した方がいい」
「だが、どうやる?」
「そりゃあ、コーレイ。俺はガキだからなあ、馬鹿にされたら、仕返しをしたくなる。教会の手先って言うんなら、俺たちがそれを選んだ理由を教えてやるだけだ」
「理由? ああ、そうか、なるほどな。ジン、お前、割と陰険だな。でも、嫌いじゃない」
二人は声を殺して笑いながら、足を速めた。
酒場に戻ると、ユユイとダンドは、先ほどと変わらず二人の帰りを待っていた。飲み食いをしていた形跡はない。顔も表情も変化はない。いたって真面目な様子だ。
「おかえりー」
「二人とも身ぎれいだけど、どうだったんだよ?」
ジンとコーレイは顔を見合わせて苦笑する。
「挨拶しただけで終わった」
その後、きちんと経緯を説明する。話を聞き終えたとき、ダンドはジンやコーレイと同じように笑ったが、ユユイは顔をこわばらせていた。
「ユユイ、どうした?」
ジンが口にする。コーレイも、心配そうに彼女を見ていた。
「なんか、やだ」
「やだ?」
「うん、何がどうって具体的なことはうまく言えないんだけど、そうやって戦うのは賛成したくない」
「そうか」ジンは腕を組んだ。
ユユイの言いたいことは、わかるような気がする。貧民街の片隅、五人だけで生きていた頃は、弱者ゆえに生きるために暴力を必要とした。しかし今は、強者として暴力を振るおうとしている。生きるためではあるが、あの頃と違い、立場さえ気にしなければ、他に方法がないわけではない。
たった半年で、すっかり変わった。望んで得たものではない。だが、自分たちは染まろうとしている。それがいいことなのかどうか。ジンは考えないようにしていたが、ユユイは悪いことと感じているようだ。
賛成も反対もできない。
本音はそれだが、ジンには言えない。コーレイ、ユユイ、ダンドしかいない今この瞬間でさえ、ジンは本音を口にできない。
なるほど、俺も変わってしまったらしい。
「ジン、何がおかしいの?」
ユユイが不機嫌そうに、ジンを見つめる。
「いや、お前の言う通りだなって思ってな。志というほどのものでもなかったが、随分と理想と離れてしまった」
「なら、現状を捨てればいいじゃない」
「気楽に言うな、ユユイ」
ジンの意見に、コーレイもうなずく。
「志は大切だ。でも、それ以上に生きることは大とは思わないか。俺たちは、ナナシの分まで生きなきゃならない」
「コーレイ、それ言うのずるいよお……」
ユユイは泣きそうな顔になって、うつむいてしまった。
男三人は顔を見合わせる。ダンドが肩をすくめた。
「じゃあ、とりあえず、アランたちとは直接対決ってことでいいのかな」
ジンとコーレイは静かにうなずく。
「それで、具体的にどうすんのさ?」
ダンドがそう言っても、ユユイは顔をあげなかった。三人はそれが消極的な賛成だと知っている。少なくとも、遠慮する必要はなくなった。
「アランには教えてやらなくちゃいけない。俺たちが教会と手を組んだ理由を。そして、半年前までカトで大手を振って歩いていたクワイの野郎が、俺たちに敵対したせいでどうなったかを」
威勢のいいセリフの割に、コーレイの表情は硬かった。
ジンには、その原因がわからなかった。




