牧原
佐藤と別れ、俺たち二人は、アムを桜井の家に戻した後、そのまま公園に向かう。岸原、牧原もきっと、個人のやる事を果たして帰って来るのだろう。それを思うと、俺たちがやった事が、どうしてもバカにしか思えない。間違いなく、佐藤は傷付いた。
「あーあ」
ため息を吐く。ジャングルジムに上り、てっぺんで寝そべった。桜井も、力なくそこに掴まる。
と、そこに岸原と牧原が合流した。
「おーっす、本田……どうした?」
そう問う岸原。俺たちは、よほど沈んだ表情をしているらしい。
俺は、事情を説明した。
「あー、拒まれる、かぁ……」
牧原は茫然と、そう呟いた。牧原たちにとっても、それは予想外だったようだ。
「って言うか、猫にもそこまで感情があるんだ」
「何言ってるのよ! あるに決まってるじゃん!」と、唐突に桜井が叫んだ。
「あ、葵、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないよ! 牧原さん、猫をなんだと思ってるの! あんまり舐めないでよ! あっ」と我に返り、「ごめんね」と謝る。それこそ、消え入るような声だった。
「いや、いいんだけど……。ホントに、アムの事が好きなんだ」
「羨ましいな。俺、アレルギーだから、どうしても猫と触れ合えなくて、そこまで入れ込めるってのがなんか」
柄にもなく、岸原がそう呟く。
ちなみに俺は、唐突な桜井の激情に、あっけに取られたまま、何も言えずにいた。
「……猫は、凄いんだよ。感情表現だって、思ってるより豊かだし。気ままだけど、私の事、誰よりもよくわかってくれるし……」
「けど、サラは、そうじゃなかったな。感情の方はわかりやすかったけど、佐藤の事、気遣ってなかった」
ようやく調子を取り戻した俺の口は、恨み言をつらつら述べた。そんなつもりはなかったのだが、苛立ちが、俺の心のタガを外している。
「サラは……うん。だけど、きっと、落ち着いて話せば、わかってくれる」
あくまでも猫に固執する桜井。けれど、牧原が、現実に引き戻す。
「それはそうかもしれない。だけど、現実問題として、かなえが危険な状態になった事には変わりないよね。水曜、ピアノの発表会。そこまでは、なんとかして持たせたい。とにかく、香とかなえが話す機会をなんとかして作らないと。じゃないと、根本的解決は不可能。で、そのきっかけに一番なりそうなのが、ピアノ。本田君の見立ては間違ってない。そのぐらいのお膳立てが、二人には必要だよ。……大丈夫。さっきまで話してたけど、香は、だいぶくたびれてる。誰からも受け入れてもらえない、その苦しみは、きっと、相当だよ。元原幸人って言う強いファクターも絡むんだから、折れるのも、時間の問題。後は、少しずつ、外堀を埋めて行かなくちゃ。火曜までに、ピアノに行ってもいいぐらいの気持ちになってもらわなきゃ困る」
「外堀、か」と俺は言う。「じゃあ、俺以外に任せないとな。俺は、今までに一度も、あいつと話してない」
「うん。本田君にはそっちの方は無理だよね。ちょっと鋭すぎるきらいがあるし、しかも遠慮も少ない」
「お前にだけは言われたくないけどな、牧原。でも結局、お前が一番、そっちには適任なんじゃねぇの? 遠慮会釈はないけど、お前ならなんとなく、懐に潜るのは得意そうだ」
現実に、俺と桜井の秘密は、こいつに土足で踏み荒らされた。世の中には、そう言うのが得意な人種が、確実に存在する。確実に、牧原はその内の一人だ。相手の懐にバレバレのまま忍び込み、そのままきつい一撃を食らわせるフリをして、ジャブの連打を浴びせる。そんな奴だ。残念な事にと言うべきか、当然と言うべきか、やられた方にいい感情は残らないけれど。
「だね」と牧原は頷いた。
夕暮れ。俺たちは各々の家に帰る。マンガを買いに行ったら公園で友達に声を掛けられて、一緒に遊んでいた、と言う言い訳で母さんは簡単に誤魔化されてくれた。既に出来上がっていた晩飯を食べた。
そのまま適当に時間を潰してから眠り、そして朝を迎えた。
今朝の夢は、ひどく縁起の悪い物だった。佐藤がピアノの発表会で、唐突に立ち上がり、舞台袖に消えたのだ。その目には、涙が光っていた。俺たち四人は、永井とともに、それを眺めていた。茫然と、眺めていた。永井の横にいた女子が、永井に話し掛ける。永井は、困惑したように、首を振った。
そんなところで目が覚めた。
今朝の夢の事を説明すると、岸原と牧原の表情は、暗く塗りつぶされる。
「とにかく、何かを変えよう。みんな、作戦を説明するよ」
牧原が強く言い、続けた。
「引き続き、葵と本田君は、サラを引き取ってみて。あたしは香と話して来る。岸原君は……当初の予定通り、チクリの犯人を捜して」
チクリ。その言葉は、どうにも俺の胸に、ざらざらとした何かを残した。その言葉がふさわしいと言う事を、頭では理解出来る。が、心には、何かが引っかかっていた。チクリは、その物は間違った行動じゃない。弱い物が強者を頼って、自助をするのは当然の事だ。ただ、度が過ぎているだけ。彼、または彼女は、この現状を、どう思っているのだろうか。
「了解」と、そんな俺の感慨は意にも介さないで、岸原は言う。
とにかく、俺の脳内で、そいつの仮の名前は、「チクリ魔」ではなく「犯人」に決定する。犯人は、間違いなく、強い意志でもって、この行動を行ったのだ。チクリ、ではないだろう。直接戦う事も出来たが、わざとチクリを選んだ。大っぴらに宣伝せず、永井の佐藤に対する嫌がらせを、噂でもって広めた犯人。何かしらの意図があるはずだ。
俺と桜井は、昼までやる事がなく――サラが学校に来るのが、恐らく午後三時だからだ。昨日、佐藤もそう言っていた――岸原の犯人捜しに協力していた。と言っても何か進展がある訳でもない。家を訪ね歩いて、「お前が犯人か?」と問いかけるのも違うし、だからと言って考えるだけで何かが浮かぶ訳でもない。俺の思考は、犯人捜しに関しては、限界まで掘り下げ切った。それでわからないのだから、お手上げだ。岸原も、進展はないらしい。
桜井は、何も知らなかった。説明していないのだから当然だ。
俺が詳しく、推理の仮定を説明すると、桜井は言った。
「ねえ、なんで、牧原さんに言わないの?」
うっ。俺は、言葉を詰まらせる。そこが、一番突かれたくない所だった。岸原への疑いは、俺の中で、消えずに残っている。それを認める事になるのだから。
「……それを伝えたら、どうなのか、もしかしたら判断してくれるかもしれないよ?」
「ああっ!」と岸原が叫ぶ。
「そうか、俺、疑われた事にビックリで、そんな発想出ても来なかった」
「……そう、なんだ。じゃあ、今日、聞いてみようよ。ね?」
「ああ」
断れるはずもなく、俺は頷く。いよいよ、犯人の真相がわかる。それが、佐藤たちの事件に直接関わる事がなかろうと、俺にとっては、途轍もなく重大な真相が。
動き出した歯車は、止まらない。
今日は、昼も適当にコンビニで食べると伝えてある。一日中、友達と遊ぶ。これは言い訳なのだが、こんな事あまりに久しぶりで、「なんか最近新しい友達でも出来た?」と母さんに追及された。
「まあそんなとこ。悪い奴らじゃないから、安心してよ」
とだけ伝え、俺は外に出た。近頃は、何かと物騒だから、そう言っておかないと、母さんも、不安を感じるだろう。
と言う事で、俺は食事を軽く済ませる。家に戻って、集中力を切らしたくなかった。
「ただいま本田君」
そう言いながら、牧原が真っ先に戻って来た。「早いね」
「まあ、昼飯もこっちで食ったしな。コンビニ弁当」
「へぇ。二人は家?」
「ああ。もう昼だしな」
「そっか。あたし、実はもう、食べちゃった。おにぎり持って来てたんだ」
ジャングルジムに腰掛け、俺たち二人は、何ともなく会話を続ける。
「……ねえ、本田君」
「何だよ」
「発表会までは、確実に無事。だよね?」
「ああ。……もし、自殺がそれ以前に起こるなら、確実に助けられる。けど、その後はわからない。もしかしたら、発表会が引き金になってるのかもしれない」
「あたし、間違えたのかな。発表会、舞台装置とては最高だけど、少し、インパクトが強過ぎるのかな」
「わからない。……とにかく、出来る事をするだけだ。サラを引き取る事から始める。少しずつ、変えて行きたいからな。未来を」
「だね」
その後も、会話は続く。二人が、示し合わせたように、同時に帰って来るまで。
「お帰り」
「ただいま。なあ、牧原」岸原が言い出す。「ちょっといいか」
「ん、何」
「本田が、チクリ魔に関して推理した仮定、説明したら、お前、わかるか?」
「えっと、どうだろ。わかんないけど、考えてはみるよ」
牧原は事もなげに返す。岸原も、それを見て、言った。
「わかった。じゃあ、聞いてくれ」
その後岸原は、俺の推理を、再び説明した。懇切丁寧に。
一つ。「そもそも佐藤と永井の間のいじめを知っている人物に限られる」
二つ。「最近になって、それを言う動機が出来た人物に限られる」
三つ。「純粋に、佐藤を護りたい人物に限られる」
概略は、こんなものだ。これを聞き、牧原は、少しだけ思案を巡らせる。
そして、呟いた。
「惜しいとこまで言ってる。後一歩、発想を転換すれば、簡単に答えは見付かるはず」
「どう言う事だ牧原」と俺は問いかける。
「本田君、安心していいよ。岸原君以外にも、確かに犯人候補はいるから」と牧原は言った。
「俺じゃねえとすると、そいつだな」と言いかけた岸原は、「候補?」と尋ねた。
「うん、候補。岸原君をノーカンにしても、候補になる……のかな」
「ねえ、焦らしてないで、速く教えてよ、牧原さん」と、あの桜井までもが急かす。
「うん。……誰かから話を聞くと、やっぱり、整理されるよ」
「前置きはいいから、速くしてくれ」と、俺も急かした。
「わかった。ねえ、二つ目、それであたしたちに絞れたんでしょ。だけどさ……。そのニを、こう解釈してみたらどう? ――あたしたちが探りを入れてる事に、気が付いてる人」
「なんで?」と問いかける岸原に、牧原はあくまで冷静に言った。
「あたしたちの行動に背中を押されたか、それとも何か別口か……とにかく、あたしたちの事を知った人は、多かれ少なかれ、影響を受けるよ。止めるべきだ、って正義感に触れて、何かしら思わない人は、人間じゃないと思う。それを行動に移せるかは別問題だけど、とにかく、影響ぐらいは受けるはず。それで、チクった。こう考えたら、犯人候補は、一気に増える。けど、調べるには現実的な数なんじゃないかな」
稲妻に撃たれたような衝撃が走った。最近になって動機が出来た。それを、解釈の仕方だけで、牧原は、全く別次元の物語に作り替えた。
「あたし、一人だけ、心当たりがいるよ。弥生がそう。あたしが聞いたのをきっかけに、何か行動を起こした。……もっとも、チクリって行動と、つながらないけど。弥生なら、もっと直接言ってそう」
心当たりは、ある。あり過ぎる程に、ある。他でもない、俺自身が巻き込んだ、あいつら。
新聞をともに創り上げた、二人の顔が浮かんだ。
金沢と、竹原。俺たちが四人で作戦を練っている間、何をしていたのかは、何もわからない。
その考えを告げると、桜井の目が驚きに塗り潰される。あの二人が、犯人である可能性が浮上したのだ。桜井も新聞係。当然だろう。
「岸原君と、葵はなんもない?」
二人は頷く。
「となると、候補は今んとこ三人。口止めはしてないだろうから、ネズミ算的に増える可能性もあるけど、とりあえずは、その三人を当たればいい。だけど葵、あなたは予定通り、サラにあたって」
「え」
「問い詰めるのは、どう考えても向いてない。それよりも、少しでもかなえと一緒にいてあげて」
「……わかった」
微かに、けれど力強く、桜井は頷いた。
「あたしは、弥生に聞いてみる。本田君、美雪にお願い。岸原君は、竹原君に」
美雪。金沢の下の名前であると言う事を思い出すのに、少し時間がかかった。
「どうしてその振り分け?」と問う岸原。
「岸原君、美雪と話せる? 普通、男子と女子は、そこまで親密に話さない。係で一緒に活動してたから、本田君は美雪に割り振った。わかった?」
「わかった」
頷かざるを得なかったらしい。
俺は、金沢美雪の家を知らなかった。だから、牧原に案内してもらった。指示された通りの道を歩き、一軒一軒表札を確認して回る。そして。
「あった」
金沢と書かれた表札を発見した。
俺は、躊躇う事なくインターフォンを押す。
それに応じる声。聞いた事ない女性の声だったから、たぶん母親だ。
「すいません、クラスメートの本田です。少し、金沢美雪さんと話したい事がありまして」
「はいはい」と彼女は応じ、インターフォンの向こう側に、「美雪ー!」と叫ぶ声を残した。
しばらく後、金沢が応答する。
「どうしたのよ、こんな日曜の昼に」
「ちょっと、話したい事がある。万が一にも告白とかじゃないから、そこは安心してくれ」
「まあ、それならいいけど。とりあえず、あがりなよ」
「ごめん、外、出て来てくれないか? 少し、家族には聞かせたくない」
「……何よ。別にいいけど」
インターフォンが切られる。そして、すぐに扉が開いた。
「本田君、どうしたの? こんな日曜から、告白以外で女子に用事って」
そう言いながら、彼女は扉を閉めた。俺は、門の外側から、遮るように言う。
「永井香は、佐藤かなえの事をいじめている」
「……え?」
躊躇いがちな反応。畳みかけるように俺は問う。
「こんな噂を流したの、お前じゃないよな」
「……な、なんで?」
今のために、何かを感じた。
「話せば長くなる。まずは、言い訳を一緒に考えようぜ。男子に誘われて一緒に遊びに行ける、正当な理由を」
病気がちな友達のお見舞い。永井は今、精神的に病気なのだと考えると、あながち間違いとも言えない理由。
「あんたが桜井さんたちと一緒にいる間、あたしは、何回か、香にアタックした。一人でね。すぐに折れちゃったよ。相当、辛抱してたんだろうね、香」
「みたいだな」
一人の少年を巡って、何年も親友と憎み合って来たのだ。辛くないはずがない。
「そっからは、すぐだった。全部聞いた。元原幸人って子の事も、かなえとのピアノの事も。その上で、あたしは、隆には伝えた。伝えようとも思ったけど、なんとなく、あんたたちは気負いすぎそうだったから、伝えなかった」
確かに、一理ある。俺たちは確かに、そのタイミングでその情報を得ていたら、無神経に突撃していた。
「……隆は、作戦を組み立てたの。もちろん、香も知ってる。香の引きこもりは、パフォーマンスだよ。あたし、新聞預かったでしょ。あれ、先生に渡してない。いじめなんて馬鹿な事だって、書き替えるの」
「……ペンは、剣よりも強し、ってか」
引きこもった振り。新聞記事で、いじめその物を断罪する。あんたたちが今しているのは、あんたたちが叩いている香と、同じなんだよ。その剣を、振りかざすために、引きこもってみせているのか。
「だから、噂も当然、あたしたち。……間違った事、してるかな。救いたいんだよ、かなえも、香も。新聞の完成まで動けなかったけど」
全てパフォーマンス。牧原は、気付いていただろうか。桜井は……気付いていないだろう。
助けてと声をあげる振り。俺たちは、完全に騙されていた訳だ。
電話が鳴ったのは、そんな思考を巡らせている時だった。