岸原
は、8月中の更新、出来て良かった……。
「アムがなんでここに……」
岸原が戸惑ったように俺の事を見る。その瞳には、動揺が滲んでいた。俺は説明を試みる。
「……こいつ、桜井の家の猫なんだよ。アムって言う」
「……はっくしょん!」
くしゃみをかわし、俺は続けた。アムが、名前を呼ばれた事に反応してか、それとも俺を覚えていたのか、こっちを見て小さく鳴いた。思考は回る。よりにもよってどうして学校にアムがいるのか。そして、なぜよりにもよって、猫アレルギーの岸原がここにいて、アムを匿っているのか。そして、佐藤は一体どこにいるのか。
「そうだったのか。すげぇ偶然だな」
「ああ……。でもなんで。いや、とりあえずお前は早く帰れ。死ぬぞ。話は帰りながら出来る」
「あ、ああ……そうするよ」
ぐずる鼻をこすりながら、岸原は俺と共に立ち去った。
「で、なんでお前が猫の世話なんかを? よりにもよって、猫アレルギーのお前が」
「……仕方ねぇだろ、懐かれちまったんだから」
「さすがに嘘だろ。お前が帰るとなっても、アムは追いかける素振りすら見せなかった」
俺は、冷静に言う。岸原は参ったなぁとでも言うように、頭をかいた。
「さすがにきついか。まあ、お前頭いいもんな」
「そうか?」
「無自覚なのがタチ悪い。牧原のセリフに一番楽々とついってってるのはお前だぞ」
「まあ、それはそうだが……」
理解するだけなのだから、それが自分自身の頭のよさと直結するとは思えなかった。夕暮れの空に、影が黒く伸びる。
「ま、どうでもいいけど。で、アムっての? あっちの猫」
「ああ。送りたかったけど、お前アレルギーだし無理かなって」
「ああ、それはマジごめん」
頭を下げる岸原。俺はいいよ気にすんなと笑った。そして、冗談めかして条件を出す。
「ただし、本気で許して欲しいなら、説明してくれ。佐藤はこの件に絡んでるんだろ? じゃないとお前がわざわざ猫を育てる説明が付かない。アレルギーがあるんだぞ? それと、なんで隠してたのか」
「わりぃ。なんで隠したのかって言われたら、それは慌てててだな。アレルギーのせいでマトモな思考が出来なかったってのもある。佐藤に関してはお察しの通り」
「そうか……。まあ、そこはいいや、嘘吐いてても。お前の恋心って問題もあるからな。これだけは、正直に答えてくれ。お前は、本当にウワサを流してないんだな?」
「ああ。そこは間違いない」
「信じるぞ」
「おうともよ」
俺は、安堵のため息をもらした。こいつの口からはっきり否定の言葉を聞けたのは、かなり嬉しい。俺にだって感情はある。俺は、岸原を疑いたくない。いくら自分の超能力がそうだと告げてもだ。岸原は、にかっと笑った。
しかし、もしそうだとすると、疑問が残る。
一体、ウワサを流したのは、誰だと言うのだろう。
そんな疑問を抱えたまま、俺は家へと戻る。何がどうなる訳でもないが、俺は風呂に入り、宿題を片付け、帰って来た母さんと飯を食い、そのまま眠りに落ちた。走った疲れが今さらのように吹き出て来て、あっという間に眠りの世界に引き込まれていた。
夢すら見ない程に深い眠りだ。
翌朝、その事に気が付き、愕然とする。カーテンから差し込む陽光に、俺はボソリと呟いた。
「どうせ大した夢じゃないはずだし、うん」
と、このようにフラグでしかないセリフを。ただ、これはマンガではなく現実だ。フラグが必ずしも回収される訳ではない。それに、聞いてはいけないなんて決まりもないのだ。あんまり気にし過ぎないようにしよう。
正直、今は予知夢に頼らずともなんとかなりそうでもある。
予知夢に頼らなくともなんとかなりそうな事、その一。
アムの件を、佐藤に伝える事。恐らく何かしら愚痴をこぼしているのだろうが、それに関しては別に桜井の家でも出来る。
そのニ。
ウワサの出所。岸原が違うとすると、誰か一人、見落としがあるはずなのだ。だが、俺には残念ながら、思い浮かばない。けれど、三人寄ればなんとやら。四人で考えれば、すぐだろう。特に、俺たちには牧原がいる。あいつに頼りっきりになるのも癪だが、真相に最も速く近付けるのはこいつだろう。
その三。
逆いじめ。これも、予知夢でどうこう出来る問題ではない。クラスの雰囲気なのだから、少し大きな爆弾を投下して、その方向性を変えるってのが、最大の薬になると俺は睨んでいる。もっとも、それをどうやって実現するか、と言う事になると、てんで思い付かなかった。けれど、予知夢に関わらずに解決しようと思えば出来る物だ。
はっきり言う。この三つさえクリアすれば、自殺は止められるのではないだろうか。たぶん、大丈夫だろう。
「おはよう本田君。昨日なんか走り出したらしいけど、あれなんだったの?」
「なんでお前が真っ先に聞くんだよ牧原。まあいいけど。っつーか、結局勘違いだったっぽいしな」
「何それ」
「ウワサの出所が岸原かと思ったんだが、違ったみたいだわ」
「ああ……それで走ってったんだ」
不意に聞こえた声に振り返ると、桜井が立っていた。その表情は、納得を示している。
「そう言う事。気のせいだったけどな」
「気のせいだって証拠は?」
「ない。……だけど、あいつは、そう言う奴じゃない」
「まあ、そうだよね。あたしもこの何週間か、一緒にいてわかったもん。岸原君、めっちゃいい人だよ。いい人」
「そこ強調してやんな」
「ま、本田君がそう言うんなら、間違いないよ。他の誰かだったら駄目だけど、本田君ならね」
「どう言う事だよ」
「散文的な意味」と、ここで不意に声を落とし、言った。「自分の能力考えてみなよ」
「ああ、なるほど」
「でも……じゃあ、結局振り出し、って事?」
「そうなるね。まあ、頑張るしかないか」
そんな身も蓋もない結論に至った所で、チャイムの音が鳴り響く。
「じゃあ、私は戻るね」
「うん」
そこからも、先生が入って来るまで、牧原との会話は続く。
「ウワサの出所を捜したいんだけどねぇ。うーん、思い付かない」
「まあ、地道に調査するか……新聞で何かしら影響は与えられない事もないかもしれない」
「回りくどっ」
「だって新聞読まねぇ奴絶対多いじゃん」
「まあね。ってか、それ言ったらもうどうにもならないじゃん」
「とにかく、どうにかするにしても、まず方法考えねぇとな」
「だね。ま、とにかく、あたしもあたしでいろいろ考えないとな。だっけど、全然思い付かないんだよ」
「あ、先生来たぞ」
「まあ、また放課後に」
「だね。……授業どころじゃない気もするけど」
そんな事をいいながらも、授業を受けない訳にもいかないのが義務教育の辛い所だ。これがマンガなら、学校を抜け出してうんぬんみたいなエピソードも出て来るのだろうが、あいにく俺たちの問題は、学校の中にある。抜け出すのはお門違いもいい所なのだけれど。
眠気と戦いながら、俺の思考は混ざり合う。そして、その混沌の中に、真実を求める。求められるだけの推理力があるか否かはまた別問題だけれども。
アムを佐藤は匿っている。けれど、アムは匿われる必要性なんてないだろう。桜井は世話を怠っていないだろうし、メシも寝床も確保出来ているはずだ。佐藤が対価を出していたとしても、気まぐれな猫が居付くだろうか。いや、気まぐれだからこそ居付く事もあり得るか。けれど、桜井の家から学校まで、それ程近いとは言えなかった。どうしてアムは、わざわざ学校まで行ったのか。というか、いかにしてルートを探ったのか。
俺の共感能力も、さすがに猫には発揮されないらしい。さっぱりわからない。けれど、何かしらの違和感を感じるのだ。佐藤が匿っているのは、アムだけなのか? こんな疑問が、なぜか、脳裏を捕らえて離さない。もしかしたら、これが共感能力の発露した結果なのかもしれないが、俺にはわからなかった。
気になると言えば、ウワサを流した犯人だ。推理自体は結構気に入っているのだが、答えが違うとなると、まあ、間違いだ。それならば、正解に至る道筋は、別にある。
朝は、牧原に話せばいい、と思っていた。けれど、どうしてか、牧原には話したくなかった。あいつなら、すぐに真実を見付け出す――かもしれない。いや、理由はわかっている。怖いのだ。岸原が犯人だと突き付けられるのが。だから、他の解を探す。なるべく、誰も傷付かない解を。そもそも、ウワサの流し主を特定するのはヒントにこそなれ、佐藤のいじめを止める直接的な切り札にはなり得ない。だから、ここは、俺のワガママを通したかった。
そう、俺はまだ、口ではああ言いつつも、岸原の事を、五:五で疑っている。証拠はあいつの発言。切り捨てる理由は、俺の感情。これだけで半分も信頼出来る俺が、相当甘いのだ。普通なら、九:一判定を下しても構わないぐらい、情報がない。あいつが犯人でない事を示す情報が。それでも、俺は欲しい。岸原がウワサを流した主ではないという、決定的な証拠が。
気付けば授業も終わり、業間休みが始まっていた。
で、やる事と言えば、新聞を書く事、それだけ。
「もうすぐ終わりそうだね」と言う金沢に、俺も同調する。
記事の中身は、明るい物に仕上がっている。マンガ紹介だったり、今週頭に金沢たちが別の人に行ったインタビューだったりだ。俺は、マンガの記事を手掛ける。
どれほどこの新聞がクラスを変えられるのかはわからない。けれど俺は、些細な対抗策として、いじめに主人公が立ち向かうマンガを紹介する事にした。対抗策と言うよりは、もはや祈りに近い感情とも言える。
金沢の目は、気合いに燃えていた。リーダーを任せたのがこいつで本当によかったと思う。竹原も、それに付随してなのか、士気を上げている。桜井は、と不意に見やると、作業には集中出来ていないようだった。視線は、佐藤の方をチラチラと彷徨う。
「桜井、今はやる事をやろう」
「……うん」
チャイムが鳴る数分前、俺たちは、出来上がった原稿の前に立っていた。あたかも光を纏い、輝いているかのようだった。
「やった……遂に、遂に、完成だぁ!」と、金沢が快哉をあげる
「終わった……」俺は、疲れたため息と共に吐き出した
「大変だったね、みんな」と、竹原が皆をねぎらうと、桜井も「うん。……でも、やり切ったね」と呟いた。
「それじゃ、あたしは先生に原稿持ってくよ! みんな、戻ってて」
「了解」
「んじゃ、またな」
別れを切り出し、俺は席へと戻って行った。
「どう? 新聞」
「遂に完成したぞ。少しでも、クラスがマシな方向に行けばいいなって思ってる」
「おめでとう! ……ペンは剣よりも強し、とはよく言うけど、ホントに効くのかな、新聞」
「知らね。まあ、なんとかなるだろ。ただ、とにかく、やる事はやる。それだけだ」
「だね。出来る事をするしかない。それは、私たちも一緒だよ」
授業が始まり、そして終わる。その繰り返しの後、給食を食べ、掃除をし、下校の時間になった。いつものように、俺の家に集合して、作戦を練る――つもりだったのだが、岸原が唐突に言い出した。
「俺、ウワサを流した犯人だってこいつに疑われたんだよな。で、やってないんだけど、証明出来なくてさ。で、俺はこいつと一緒に証拠を探したいと思う。……っつーか、誰が犯人なのか、探す。本田、どうだ?」
「いきなりだな、えらく」
桜井、牧原は、少しだけ驚いた表情を浮かべたが、何も言わなかった。
「まあ」と俺は続ける。「永井説得班と犯人捜索班に分かれた方がいいのかもしんないな。共同でやる必要は、あんまりない。説得に、そんなに人員はいらんだろ」
「まあ、それもそうだね。よし、岸原君、その案乗った!」と、牧原が大声で言う。桜井も、納得したかのように頷く。
「んじゃ、俺らは行って来るわ」と、岸原が二人に別れを告げ、俺もそのまま一緒に別れた。
「んで、目星は付いてるのか?」
「うーん、お前じゃない。それを確定させたいのが俺の心境。だけど、重要なのは、犯人が誰かを確定させる事だからな……。とりあえず、今はなんもわかんねぇ」
「だよなぁ。一回整理しようぜ。お前の推理。どこが間違ってるのかわかれば、何かがわかるかもしれないだろ?」
「それもそうだな」
「まず第一に」と、俺は人差し指を立てる。「そもそも佐藤と永井の間のいじめを知っている人物に限られる」
「当たり前だよな」と岸原も頷く。俺は、中指を立てた。
「次に、最近になって、それを言う動機が出来た人物に限られる」
「え、なんでだ?」
「もしそれに当てはまらなかったら、今までしなかった理由がわからん」
「あーなるほど。で、その三は?」
「純粋に、佐藤を護りたい奴。くだらない理由だったらそれこそなんで今までしなかったんだよ、ってなる」
「ほうほう。それで?」
「最後に、桜井ではない。俺が理解した時、目の前にいて、走り出したから」
「……え?」
「予知夢でな」
「どう言う事だよ」
「だから、予知夢で桜井の目の前から走って犯人を問い詰めに行こうと駆け出してたのなら、違うって事になるだろ?」
「あー、冷静に考えてみろ。その結果俺って結果が導けるのはわかるよ。確かに俺は全部満たしてる。けどな」
ここで、岸原は咳払いをした。
「俺が違うとなると、駆け出した時のお前の推理は間違いになる。うーんと、要するに、走り出したがそのまま正解を解き明かしたにはならないんじゃね?」
「え……ああ、それはそうだ」
「……まあ、確かに俺だと思うわな」
「つまり、使える情報は、いじめを知っていた、佐藤を護りたい、最近知った、の三つか」
「知った、って言うかきっかけが出来た、って言うべきなのかもな。……ところで、佐藤から何かヒントはないか?」
「ヒント? うーん、なんだろ。力になるよって言って、その後猫二匹を……」
「二匹?」
「ああ、知らなかったっけ。アム以外に、もう一匹いてさ。そっちの方が先に出会ってたらしい」
「ふうん。……まあ、それはあまり関係ない、かな?」
「わかんね。でも、とりあえず、ずっとあそこで隠し通すのも厳しいだろうな。俺んちで飼えたらいいんだけど……」
「岸原んち、マンションだもんな。俺んちはアパートだけど」
「佐藤の家は一軒家だけど、飼えるならとっくに飼ってるだろうから、無理って事だ」
「そっちもなんとかしないとな。ペットってのは、時に人間を、何よりも励ませる」
「だな」
「桜井の家とかどうだろ」
「ああ、ありかもな。桜井が佐藤と仲良くなっておけば、何かがよくなるかもしれない」
「よし、そっちはそうするとして、問題は噂の出所だよ。……どうやって探そうか」
「人のつながりを辿る……のも、週末だと無理がある、か」
「……俺たち四人の中に、犯人がいる可能性も高い訳だけどな」
「いや、でも正直、俺たち四人の中で、誰かがそんな事をするとは到底思えない。牧原も、桜井も、そんな性格じゃないし、お前が犯人なら、お前は将来俳優になれる」
「……あり得るのが、お前ぐらいだと思ったが、違うとすると、最近動機が出来た、純粋に佐藤を護りたい奴……」
俺たち二人はうつむいて、しばらく考え込む。夕焼けに影が伸びている。辺りを見回すと、低学年の子どもたちが走り回っていた。そんな中で、俺たちの光景は、割と異常に見えるだろう。
そんな事を考えられるぐらい、何も思い付かなかった。
どちらからともなく、ため息の音が響いた。
「考えるだけで、どうにかなるもんでもないのかねぇ……」
岸原が、諦めたように呟く。
「ウワサの出所……純粋過ぎる善意、か」
俺の今の発言は、まとめただけだ。
「ま、お前のは善意は善意でも、純粋じゃな――」
「黙ってろ」
鋭いツッコミと共に、平手打ちが俺の頬を直撃した。
「……まずは、アムともう一匹の猫だな。とりあえず、もろもろの問題から片付けようぜ。何かヒントが落ちてるかもしれない」
「だな」
そう言うどうしようもない結論だけ付けて、俺たちは別れた。
とっくのとうに1年経っていて驚愕中の雪平真琴です。
遅筆過ぎてもはや笑えない……。