予感
俺は、やるべき事をある程度済ませると、ぼんやりと部屋に寝転んだ。
さっきの牧原の問い。人間と運命、どっちが先なのか。俺は、それに答えられなかった。口ごもっている内に、牧原は帰って行った。
一つため息を吐き、俺は思案を巡らせる。牧原の問いかけは、俺の心の水面に石を投じ、そこから広がって行く波紋は、捕らえようとすると薄れて消えて行ってしまうようだった。
俺は頭を振って、それを追い出す。どちらが先だろうと関係ない。重要なのは、自殺を止める事だ。例え運命が先に立っていようとも、俺たちがやる事は変わらない。
母さんが帰って来て、俺たちは飯を食い始めた。
「耕一、最近、なんか変わったよね」
「え、そう?」
「うん。心ここにあらずって感じだけど、成長はしてるのかな……。ごめんね、よくわからなくって」
「いや、別にいいよ」
投げ出すようにそう言うと、俺は食事をかき込んだ。
少なくとも、睡眠時間が前倒しになった、と言う点においては変わったと言ってもいいだろう。
しかし、こうも未来の日常ばかり見せられていると、飽きが来ると言う物だ。普通なら夢に関してそんな事を考えたりはしない。それは、例え他人の夢だろうと変わらないはずなのだが、少なくとも桜井の夢は例外である。正直、少し憂鬱ではある。だが約束を破る訳にもいかないし、こんな事を言って共有をサボった日に限って重要な情報が映ったりする事もあるのだから始末に負えない。
結局、俺はここでもため息を吐かざるを得なかった。
――
私が歩いている。横には、本田君がいる。
何やら話しているようだ。だけど、何を話しているのかはわからない。これはいつもの事だ。私の夢からは、音の情報が消えている。
何を話しているのか聞き取ろうと体ごと近くに寄ってみても――私の体は、いわば幽霊のようになっている――結局音は聞き取れない。
本田君が突然に走り出した。その表情には、どこか鬼気迫る物があった。私は追いかけようとしたけれど、そもそもの足の速さの問題で、追い付けるはずもなかった。
あたしは息切れしたように肩を上下に動かす。荒い息を吐く音が聞こえるようだ。
そんな所に、牧原さんがやって来る。私は何かを伝えた。だけど、牧原さんは首を横に振る。その姿はまるで、あたしでもわかんないよそんな事、と言っているようだった――。
――
そこで夢は途切れた。
「……サボらなくて良かった」と思わず言葉が漏れる。
明らかに、今度の事件に何かしらの関連がある夢だ。登場したメンツの時点でほぼほぼ間違いないと断定してもいい。
そして、俺の鬼気迫る顔。あれは、明らかに何かを思い付いて、だけど桜井には話したくない出来事だったと言う状況だ。そうとしか思えない。だとすると、それも充分事態の深刻さを伝えている。
俺は朝飯を済ませ、桜井の家に電話をかけた。
コールが四回鳴ったところで、電話がつながった。
「もしもし、本田です」
「もしもし」
女性の声。恐らく母親であろう。
「桜井葵さんはいますか?」
「ああ、葵の友達ね。葵ー! 本田君から電話よ!」
遠くで小さく、はーい、と返す声が聞こえる。
「いつも葵がお世話になっております」
「いえいえ」
「それじゃあ、変わりますね」
そう言って、すぐに桜井が出て来た。
「もしもし本田君? もしかして、今日の夢?」
「ああ。会って話せないか?」
「いいけど……本田君の家にもお母さんいるんでしょ?」
「だから、適当な公園にでも集まって。前行ったあそこでいいか?」
「でもさ……誰かいるよね、どうせ」
「だよなあ」
俺は少し考えを巡らせてみる。二人っきりになれる場所ならいくつか心当たりがある。しかし、俺以外に後何人か男子がいるならともかく、桜井だけを連れて行くのはあまり好ましくないように思う。そう言う暗い場所は、治安も悪いと言うのが常だ。迂闊には近寄りたくない。
「ねえ、もう私の家に来ない? 親もいるにはいるけど、踏み込んでは来ないし」
「大丈夫か?」
「うん」
「わかった。じゃあ、今からそっち行くわ。切るぞ」
「う――」
ここで声が途切れた。まあ、微かに「ん」とも聞こえたし、大丈夫だろう。
桜井の家に行く時に、絶対に忘れてはいけない物がある。
青井拓也のマンガだ。サインを入れてもらうための。
そんな場合ではないのはわかっている。わかってはいるが、しかしそれでも、少しは癒しが必要だ。そう自分を納得させると、母さんに断って家を出た。
桜井家の前にて、俺はインターフォンを押す。ピンポンと鳴り響くそれから、桜井の声が聞こえた。
「あ、本田君」
「桜井ね。あがっていいか?」
「もちろん」
扉が開かれる。そこから顔を覗かせた桜井は、いつもより少し、元気に見えた。家にいる時は、こんな風な顔をしているのかと少し意外に思う。まだ少しはねた前髪が、くつろぎ具合を教えていた。
「今日はちょっとだらしないけど……まああがってよ」
「ああ」
部屋は、それでも片付いていた。俺が来るから片付けた、と言う訳ではないのは、この前来た時にも片付いていた事からわかる。
「おーアムー。よしよし」
桜井がアムの首筋を撫でてやると、嬉しそうに首をゴロゴロ鳴らした。今、桜井の部屋には、俺、桜井、そしてアムの三……単位には悩むが、とにかくそれだけだった。そして、猫に会話を聞かれても一切の問題はない。実質俺と桜井の二人きりと言ってもいいだろう。
「で、今日の夢の事だよね」
「ああ。絶対普通じゃない。それと、たぶん佐藤の事件絡みの何かだと思う」
「だろうね」と桜井も頷く。
そもそもが、緊迫感からして違う。普段の夢では、桜井はあんなに焦ったりしない。声が聞こえないのをわかっていてそれでも桜井を聞こうと近付けさせる程なのだ。その事自体、ただ事ではないとわかる。
「俺が気になったのは、なんで岸原がいないのか。牧原は後から来たけど、そっちもいない」
「私たちだけで話していた理由……って事?」
「そう言うこった。ついでに、俺が見付けた何かは、お前にも話したくない内容らしいな」
「うーん」
慌てて走って来たはいいが、話すべき事が早くも思い付かなくなっている。正直、未来の事が見えるとは言え、断片的でしかも手掛かりすらロクにない状態なのだ。
結局、俺たちに出来る事は何もなかった。それを確認したはいいのだが、桜井の家に来て、それだけで帰るのも躊躇われた。結果として、俺たちは、とりとめのない雑談をして過ごす事になる。
「なんでアムって名前なんだ?」
「えっと、アムが家に来た時、私が、『あ、夢で見た事ある』って言って、あ、夢、あ夢、アム、になったらしいよ」
「予知夢か」
「うん。あの時も、音は聞こえなかったな」
「なんなんだろうな、その……音が聞こえないって」
「さあ、なんだろうね。ずっと、小さな頃からそうだったから、私にもわからないんだけど……」
「小さい頃から、か」
俺にもいじめと言うきっかけがあったように、恐らく桜井にも、予知夢の能力に目覚めるきっかけがあったはずだ。俺は密かに、その原因を、いじめに求めていた。だからこそ俺は自らの過去を連想した訳だが。
しかし桜井は、小さい頃からだと言う。
「なあ、アムを拾う前から予知夢は見てたのか? その……いじめられる前から」
「うん。物心が付いた時には」
困った。こうなると、原因がさっぱりだ。生まれつきの能力なのかもしれない。しかし、そんな事があるのだろうか。ある、のだろう。もしいじめを受けただけで超能力が発現していたとしたら、今のこの世は超能力者だらけになってしまう。俺にも元々素質があって、それが偶然開花した――してしまった、と考えるのが自然なのだ。
桜井の場合には、何もないのに発現していたのだろう。その点において、桜井の能力は俺より強いと言えるだろう。
それが幸せな事なのかは置いといて。
「でも私、嬉しかった。今更だけど、私たちが二人きりで話せるタイミングがあれきりなかったから、改めて言うよ。
私と、夢を共有してくれて、ありがとう」
一瞬家に来てくれて嬉しいと言っているのかと錯覚した。思考の世界から帰って来たその瞬間の発言だから仕方ないと言えば仕方ないのだが、それは少し傲慢が過ぎると言う物だろうと自分を諫める。
あくまで、桜井にとっての俺は、夢を共有してくれる仲間、であって、それ以上でもそれ以下でもない。友達とも少し違うし、恋愛などではあり得ない。仲間、と言うのが一番しっくり来る。そんな関係だった。
それで満足なはずなのに、どことなく感傷めいた気持ちになってしまう。頭を振って、雑念を追い払った。
俺は、笑って言った。
「大丈夫だっての。俺の能力が役立つなんて、お前みたいなのでもいなかったらまずない事だし」
「そう言ってくれるとありがたいよ。ホントにありがとう」
桜井は、目に涙を溜めていた。それを見て、俺は慌ててなだめる。ここで泣かれても困るし、そもそも俺の発言で泣きだすなんて思っていなかった身としては、ただただ困惑するばかりである。
「いや、泣くなって、頼むから!」
アムがやって来て、桜井の顔をペロリと舐める。桜井の涙に気付いて、励ますかのように。桜井もそれに答える。
「アハハ、ありがと、アム。いや、大丈夫だよ。私、嬉しいだけだから」
ニャーと鳴き声をあげるアム。俺は、なんとなく居辛さを感じ、一言断ってから部屋を出た。
居たたまれないと言うのももちろん理由にはあったが、それだけではない。手にはマンガ本。この家には、その作者。となると、やる事は一つだろう。
桜井の事はもちろん気になったが、恐らく俺がいるよりアムがいる方が、今は力になってくれる。動物には、そう言う不思議な力がある。辛い時に、心の支えになってくれる、そんな力が。
そうやって自分を納得させて、俺は青井拓也の部屋の扉を開き、声をかけた。
「あの、すいません」
「え、ああ、葵の友達か。いつもお世話になってます」
「いえいえ、特に世話してる訳じゃないですし」
「定型表現」
「知ってます。こっちも冗談です」
「あ、そうなのか」
「と、ところで……」
俺は思わず口ごもる。柄にもなく、緊張感が俺を襲った。
「ん? どうした?」
「あのいやその……サイン、してくれませんか?」
思い切ってマンガ本を手渡した。うつむけた顔を上げると、青井拓也さんの目は、大きく見開かれていた。俺が言った言葉が信じられないと言う様相だ。その口から言葉が漏れ出す。
「そ、それどう言う事だ?」
「だから、その……ファンなんです、青井拓也の」
少しぶっきらぼうに言い切ると、彼は「信じられねぇ」と呟いた。
「サインなんて、生まれてこの方初めてだわ。まさか俺のマンガにファンが、ねぇ……」
「いや、普通に面白いですよ、あのマンガ。絶対隠れたファンはいるはずです」
少し熱っぽく言うと、俺はその目を見据えた。彼は参ったなぁと言う風に頭をポリポリと書く。
「わかった。とりあえず、サインはするから……どこに書く?」
「あー、じゃ、表紙裏にお願いします」
「オーケーオーケー。にしてもビックリだわ」
そう呟きながら、さらさらとペンを動かす。それをじっと見詰めていると、拓也さんは話し始めた。
「葵、引っ込み思案だろ」
「え、ああ、まあ」
「……それが、男子を家に連れて来る、だもんなぁ」
「はぁ?!」
恐らく、拓也さんは誤解している。俺は、別に特別な恋愛感情を抱いている訳ではない。間違いなく、絶対に。太陽が西から昇るよりもあり得ない。牧原は「ここまで激しく否定するなんて逆に怪しい」とか言いそうだけれど、それも辞さないぐらいに断言出来る。
仲間、と言うのが正しいと言う結論は、さっき出たばかりだ。そして、積極的に拓也さんに会いに行ったのは、ただマンガ好きの血が騒いだだけ。
まあ、長々と考えては来たが、要するに俺は、否定した。全力で。
「ち、違いますよ! 俺はただの友達ですから!」
一瞬予知夢と夢共有の能力について言及しようと考えたが、さすがにそれは理性が押しとどめた。拓也さんがどこまで知っているのかわからないのだ。少なくとも、俺は母さんには話していない。桜井がそうである確率も充分高いように思えた。だから、迂闊に話さない方がいい。
けれど、一番肝心なその情報を欠いた説明に、説得力が伴うはずもなかった。
その事を失念していたのは、単純に俺のミスだろう。
後からマンガの事を言い繕っても、拓也さんは「ただの友達ねぇ」とニヤニヤするばかり。
「ほら、完了。葵の事、大切にしてやってくれよ?」
もう、俺は反論を諦めた。出来る事ならこのまま舌を噛みきって死んでしまいたい。
逃げるように桜井の部屋に退散すると、すっかり泣き止んだ桜井がアムを撫でていた。
「お帰り本田君。……でも今日はもう話す事もなさそうだよね」
先程のショックで俺の口は動かない。心の中で謝りながら俺は頷く。
「……どうしたの? なんか変だよ」
「……別に」
「……」
「……」
沈黙が二人を覆った。少し口周りを揉み、俺は言葉を発した。
「じゃあ、俺はもう帰るわ」
「うん。じゃあ、また明後日だね」
「またな」
再び、俺は逃げた。そして、ここで一切のフォローを入れなかった事を、激しく後悔する事になる。
翌日は、特に何もなかった。岸原はどうしているのか、それを心配しながら悶々と過ごす一日。
宿題のような義務だけは果たし、後は気を紛らわせるべく昨日書いてもらったサインを眺めながら過ごそうとしたのだが、どうしても付随する記憶の方に意識が向かってしまい、俺は自分の頭を殴り付けた。
そして予知夢の方も、特に進展はなし。変わった夢がまた見られるかと期待したが、無意味に終わる。
そのまま、月曜を迎えた。
今朝は珍しく、岸原と合流出来なかった。
いつも出会う辺りで異変に気付き、そのまま学校へ歩いて行ったが疑問は大きく膨れ上がるばかり。
教室に入ると既に岸原はいた。
「おう岸原、早かったな」
「ああ、まあな」
「で、どうだ――」
「本田君……」
唐突に割り込む桜井の声に、驚いて振り返る。そこには、鬼の形相の桜井が立っていた。
「お父さんに、何言っちゃってんの?」
「あっ」
全てを察した。俺は弁明を試みる。
「誤解だって誤解!」とここまで言うと声を潜めて、「お前の親、予知夢の事知ってんの?」
「え? し、知らないけど……」
「……バラしていいなら簡単に誤解は解けるぞ」
「……わかった。諦める」
「二人共何の話してんの?」
牧原が声を掛けて来た。どう考えても答えたら面倒になると思い、俺は岸原に問いかける。
「で、結局どうだったんだ?」
「え、ああいや……。とりあえず、俺が力になれる事ならなんでもするから。辛い事があるなら話してくれって言ったら、ありがとうって笑ってくれた。はっくし!」
唐突にくしゃみをする岸原。大丈夫かと聞くと、「なんか佐藤の家に行ってからずっとなんだよな……。カゼかなぁ」と返って来る。
「まあ、大した事じゃなさそうだけど、お大事にね。ところで岸原君、それから具体的に何したの?」
牧原が聞く。岸原はこう答えた。
「え、いやまあ……。今んとこは特に何もしてないけど、でも大丈夫だと思うぞ。見た限り」
そう言ってチラリと佐藤の方を見やる。その顔は、確かに、少し明るくなっているようにも見えた。
「うーん、とりあえず、あたしたちに出来る事はしばらくなさそうね」
「だな。相談に乗る体勢は整った訳だし、向こうからアクションを起こして来るのを待った方がいい」
「じゃ、今は解散で。岸原君、情報、逃さないでね。例の光景に行き付くまでの間に、どんなトラップが潜んでいるかわからないから」
しかし、トラップは、ほんのすぐそこまで迫っていたのだ。
評価等ありがとうございます。