過去
食事を切り上げ、風呂に入り、宿題を片付け、明日の用意を済ませ、布団に潜り込む。明日は金曜日。明日中に話を進めないと、土日はどうしても停滞してしまう。速く進むに越した事はない。問題は、牧原がどれだけ情報を掴んで来てくれるかだ。
少しだけ不安を覚えたが、すぐに打ち消し、桜井の事に意識を集中させた。どうせ大した事はないんだろうが、それでも予知夢には変わりない。桜井の不安が少しでも軽減されるなら、俺は退屈な未来でも目を向け続ける。不用意に過去を探ってしまった罪滅ぼしも兼ねてではあるけれど。
……
目が覚めた。
桜井が父親=青井拓也と何かを話しているのが見えた。が、何を話しているのかはわからなかった。たぶん、これからもわかる事はないだろう。理由は単純。そこに俺がいないから。
関係ないと断定し、俺はリビングへと出て行った。
「耕一、疲れ取れた?」
「ん、まあね。いただきます」
「今日はお母さん、早く出ないとだから、行ってきます」
「いってらっしゃい」
部屋に一人残され、俺は黙々とテレビを眺めながら食事を片付けて行く。時間が来るまでそのまま待機して、学校へと歩き始めた。
岸原と合流する。桜井の話は、口の端にも上らなかった。意識してかしないままか、どちらも避けていた。
「そういやさ」と岸原が言う。「牧原、どうなったんだろうな」
「上手く情報を集められてるって信じるしかねえよ」
「まあそうだな」
だが、正直そこはもうあまり心配していなかった。心配するまでもないと言う考えは元々あったが、考えれば考える程に牧原が失敗するビジョンが見えなくなって行く。牧原なら大丈夫だろう。そんな楽観に身を任せている訳だ。
もちろん、それが楽観に過ぎない事はわかっている。だが、その真偽がわかるのももうすぐだ。
「まあ、牧原なら大丈夫だろ」
俺はそう呟いて岸原を安心させようと試みた。
結局、俺の楽観は、裏切られる事なく終わった。
それは、教室に入った瞬間にわかった。
笑顔で俺を出迎えた牧原が開口一番言ったからだ。
「いい報告が出来るから、放課後集まるよ」
業間休みに新聞係で集まった。
こちらでは今、何も出来ない。情報が明らかに不足している。
「まずは新聞作る事から始めようぜ。佐藤の事は、思ったより根が深そうだ。忘れるとまではいかなくても、係の仕事もしないといけない訳だし」
「うーん、かなえの事は別口で対応しながら新聞は作るって事?」
「ああ」
こうやって別の事をここでしようなんて提案出来るのも、岸原たちと調べられるからだ。その事が、俺の――恐らく桜井のも――気持ちを幾分か軽くしていた。だが、あくまでも幾分、である。本気で気が楽になる程俺はバカではない。
「うーん、それでいいのかな……。かなえ、心配だけど……」
よくよく考えれば、金沢と竹原の二人は、これが自殺事件になりかねない事態だと言う事を知らないはずだ。だから、たぶん納得してくれる。その確信はあった。
けれど、それで二人が諦めるかと言うと、それはまた別問題。間違いなく、新聞係の方でも行動を起こさないといけない。
ただ、この場合、人数が多ければ多い程いいって物でもない。俺たちの夢の秘密を共有する人は、少ないに越した事はないからだ。結局、上手い事バランスを取って行かないといけない訳だ。
とにかく今は、俺も大した情報を持っていない。牧原だけだ。だから、夢の事を知らないと知れないような情報を流す心配も、今まで通りで事足りる。
これが来週からは増えるのだと思うと、憂鬱になりはするが、とりあえずは今を考えよう。
「何も出来ないのに無理矢理考えようとしても、それは自己満足でしかないと思う。考えてる自分が優しいって」
「ちょっ、本田君、そんな言い方ないでしょ」
「わかってるけど、でも実際そうなんだから仕方ないじゃん。何も、俺らが今そうだって言ってる訳じゃないし、対応はするよ。それは、係の仕事とは別口で。出来れば……クラスの雰囲気を変えられるような新聞にしたい。佐藤が、その気苦労を学校で晴らせるような、そんなクラスに」
「なるほど……。わかった。ペンは剣よりも強しって言うしね。よし! そうと決まれば、楽しい新聞を作ろう! で、題材は何にする?」
そこからは、ワイワイガヤガヤと議論が進んだ。楽しい新聞を作る。クラスの雰囲気を変えられる程。俺の発想力には限度があったが、三人、いや、四人寄れば文殊の知恵でいろいろと埋め尽くされて行く。
会議が煮詰まろうとするその瞬間にチャイムが鳴り響き、少し残念な雰囲気の中俺たちは各々の席に戻った。こうやって活発に議論をするのは、やはり楽しい。
「何? なんかさっぱりした顔してるけど」
「何でも。いや、本気で何にもないよ。普通に係の仕事してるだけ」
「ふうん」
この言葉に嘘はない。俺はただ、牧原の得た情報に期待しながら、明るい新聞を書こうとしただけだ。
「授業始まるぞ」
「そうだね」
給食を食べ終わった後の自由時間に、俺は岸原とトランプをしながら永井の方を見ていた。もちろん、一緒に遊ぶ友達には気付かれないように。しかし、彼女が佐藤に何かする事はなく――なにしろ、目を合わせすらしないのだ――当然そこから何か得られるはずもなかった。
その視線に気付いた岸原も、俺とのアイコンタクトで何もわからない事を伝えた。
牧原は、何を手に入れたのだろう。
掃除の時間にその疑問をぶつけてみた。が、上手くはぐらかされてしまう。
まるでどこぞの名探偵気取りだ。そんな事をする理由なんて、恐らく名探偵を気取るため以外に何もないだろうし、牧原はそう言う奴だとため息を吐いて、俺は掃除に集中する事にした。
そして授業も終わり、放課後。
俺は、岸原と二人、自宅に向かう。桜井と牧原は別行動だ。必然的に、俺と岸原は会話する事になる。
「なあ、なんだと思う? 牧原がゲットした情報って」
そう問う俺に、岸原も首をかしげる。まあ、当然だ。何も情報がないのに、推測しろだなんて嫌がらせにも程がある。
「焦ったら負けだろ」
「だな」
わかるのはもうすぐだ。そんなに息せき切って考える必要もない。
自宅に帰る。ただそれだけの、もう飽きる程に繰り返してきた行為が、今更ながらに果てしなく長く感じられた。
「おじゃましまーす」
「お、おじゃまします……」
女子二人も遅れてやって来た。牧原の顔は、今から行う名探偵的行為に期待を膨らませているのか、明るく輝いていた。桜井の表情に目を移すと、何やら苦い顔。どうしたのかなと思っていると、「これで、助けられるのかな」と不安気な声が聞こえ、納得した。おかげではっきりする。
自分は本当に運命に抗えるのか、ついにわかり始めるのだ。怖くないはずがない。何も変えられなかった時、桜井はそれに耐えられるのか。俺にはわからなかった。
「で、さんざん焦らしてきたけどよ、牧原。どんな情報なのか早く教えてくれよ」
そんな苦悩を察しようともしない岸原。まあ、それも無理はないように思う。実際に予知夢を見るのは岸原ではないのだ。未来が生々しく見えるあの感触は、体験しないとわからない物だろう。そしてそれは、そのまま牧原にも当てはまる訳で、彼女も笑顔で応じた。
「いいよ。そろそろ黙ってるのもしんどいしね。まあ、焦らすのも楽しかったけど」
「バーカ」
「何よ本田君! いいじゃないの、調べて来たのあたしなんだし」
「そういう問題じゃないっての。まあいいや、とっとと話してくれ」
「何よその態度。ま、いいや。七瀬弥生、面倒だからこっから普通に弥生って呼ぶけど、弥生から入手した情報ね」
まとめると、こうなる。
佐藤かなえ、永井香、七瀬弥生。この三人は、小さな頃から同じピアノ教室に通っていた。
七瀬は気楽にやっていたようだが、佐藤、永井の二人は本気だったそうだ。そこにかける熱量は、半端ではなかった。
そして、そのピアノ教室には、元原幸人と言う男子がいた。そして、佐藤、永井の二人は、幼心にこの元原幸人に恋していたそうだ。
「ちょっ、始まってもない恋愛がもう終わりを告げたんだけど」
「お前はちょっと黙ってろ岸原」
この元原幸人も、ピアノはかなり上手かったそうだ。いや、敢えて言い切ると――七瀬はそう言ったらしい――教室の中で一番上手かったそうだ。七瀬曰く、二人の恋愛感情は、この憧れにも関係があるんじゃないかな、との事らしい。
そして、迎えたピアノの発表会。元原が金賞、佐藤が銅賞を取り、永井は惜しくも賞を逃した。
「あたし? 全然駄目だよって、弥生は笑ってたけどね」
その帰り、佐藤と元原は、並んで歩いていた。永井は、悔しさから先に帰ってしまい――付き添ったあたしが言うんだもん、間違いないよ、と七瀬は言ったらしい――元原と佐藤は、二人で帰っていた。
元原、佐藤双方の両親ともに、その日は発表会を見に行く事が出来ない用事があったらしい。
それがなければ、誰か一人でも大人が付いていてくれていれば、今でも四人仲良くピアノを続けられた。そう言って笑った七瀬の顔は、しかし暗かったと言う。
元原が、交通事故に遭った。
永井も、そして佐藤自身も、佐藤の事を責めた。
あんたがしっかりしてれば幸人は無事だった。
私がしっかりしてたら事故なんて起きなかった。
見ていて危うい程だったと言う。
永井は、それがきっかけでピアノをやめた。ピアノをしていると、どうしても元原を思い出してしまうから。けれど、佐藤は続けた。いや、続けさせられたと言った方が正しい。母親の過剰な期待。原因は当然これだ。そして、元原の事を忘れてはいけないと、そう思ってもいるのだろう。ちなみに、七瀬は一度やめたが、再び戻ったと言う。理由はわからないが、なんとなくとの事だ。
そして、それからと言う物、佐藤と永井の間の溝はどんどん深まり、今では会話をかわすどころか目を合わせる事すらしないと言う。いや、ここは俺が断言出来る。
あの二人は、目すら合わせない。俺はここ最近あの二人をずっと見ていた。それでも、二人が目を合わせると言った瞬間は、皆無だった。
「以上、あたしが弥生から入手して来た情報でした、っと」
「なるほど……」
「なんか、さっきは茶化したけど、そんな雰囲気じゃねぇな……」
桜井は、何も言えずにうつむいている。
俺は、少しばかり考えを巡らせてみた。
佐藤が自殺する原因を探らないといけない。ここまで辛い過去があるなら原因はこれだと断定しても良さそうな気もするが……いや待て、俺。今まで耐えて来たのに、それがなんでいきなりこのタイミングで自殺に走るんだ?
そんな俺の思考をぶった切るように、岸原が叫んだ。
「って言うかさ、いつまでもうだうだと根に持ちすぎだろ、永井も。まあ、そら責める気持ちもわかるが、こんな事があったからっていじめが許される訳じゃねえだろ」
「無視をいじめに含めるのなら、ね」
「俺、明日佐藤の家に行って来る。行って話がしたい。なあ、頼むから、俺一人で行かせてくんねぇかな」
「なんでだよ」
岸原は、押し黙ってしまった。自分の中のもやもやした感情を、言葉に変換するのに時間がかかるのだろう。
「俺は……佐藤の事が好きだ」
「えっ、そうなの?! 知らなかった。いい事聞いた」
「だからちょっと黙ってろ牧原」
「だから、ずっと見てた。見てたのに、気付けなかった。俺、そんな自分が許せなくって。だから、俺が、一人で決着を付けたい。頼む」
「……まあ、佐藤の事一番わかってんのはお前だしな」
「ちょっと本田君!」
「なあ牧原、俺からも頼むよ。こいつに、行かせてやってくれ」
「……私には、よくわからないけど、だけど、どうせ最後に助けるのは岸原君なんだし、いいんじゃないかなって」
「あーもう、多勢に無勢ね。わかった。岸原君、人一人の命がかかってんのよ。責任は大きいわ。その覚悟はある?」
「当たり前だろ」
「わかった! じゃあ、任せた! 本田君、時間も時間だから帰らなきゃだけど、明日明後日ここは……」
「あっと、確か母さんいるはずだ」
「ならここは使えないか。うーん、まあ、月曜まで待てるか。連絡取れば……って、あたしたち葵んちの電番わかんないんだ」
近年、連絡網は、自分が属さない部分の電話番号が書いてある部分を切り落とし、必要最小限の物しか掲載しない。例えば、俺、本田と牧原は出席番号が近い都合上同じ紙に家の電話番号が載せられているため互いに連絡を取り合える。が、岸原や桜井は出席番号が離れているため配られる紙に載っていない。しかし、長年の付き合いがある以上俺と岸原は互いに互いの電話番号を知っていて、岸原は桜井と出席番号が近いからこのラインも連絡可能だ。つまり、今必要なのは、俺と牧原が桜井の番号を、岸原と桜井が牧原の番号を知る事だ。
四人の連絡先を交換して、俺たちは別れを告げた。
「んじゃ、月曜」
「頑張れよ、岸原」
「そ、それじゃあね」
「おうよ桜井」
「……ねえ本田君」
二人が帰って行き、残された牧原が俺に声をかけて来る。
「ん? どうした」
「本田君ならわかってると思うけどさ……」
「なんだよ」
「なんで今になって自殺なんだろうかって」
そう言われて思い出した。確かに、そこは俺も疑問に思っていた。けれど、俺は原因までは特定出来ていない。もしわかっていると思うなら、それは買いかぶり過ぎだ。それを伝えるべく、言葉をまとめだした所で、牧原が説明を始めた。
「今までは危うい釣り合いをなんとか保って来た。だけど、今こうして、あたしたちが首を突っ込んでいる。それが、どう作用するのか。もしかして、あたしたちのこの行動が、釣り合いを壊して、かなえを自殺に追い込んでるんじゃないかって」
「……お前、原因まで考えてたのな」
先程のような事を考えていた身としては、どうにも肩透かし感が否めなかった。けれど、それはどうでもいい事だ。
「かもしれねぇな」
「あたしはやめるつもりはないよ。だけど、もしそうだとしたらって考えると、ちょっと怖くって」
「だけどさ」
考える前に、口が動いた。
「どうせ自殺しようとする未来が変えられないんなら、せめてその後の未来を良い物に変えないと駄目だろ? いつまでも引きずってる訳にはいかない。いつかは、乗り越えて行かないといけないんだ。
だから、だから俺たちが関わって、それで、二人が少しでもいい方に変われるなら、それは意味がある事だろ。それに、自殺は絶対岸原が止める。あいつは、やる時にはやる奴だ。寸前で、しっかり手を掴んでくれる」
「そっか、そう言う見方もあるのか。それにしてもさ……何をどうしても自殺は起きる、ねぇ」
そう言うと、牧原は息を吸い込んだ。
「運命と人間の行動って、どっちが先なんだろうね」