いつかのあの日
日が昇って間もない頃、朝霧に紛れて走る影が1つあった。大きさは子どもとわかるほどのものだ。
それは、視界が霧で悪いにも関わらず、スイスイと木の根が飛び出している土地を走り抜ける。長年の経験のおかげである。
しばらくまた走るとドドドドと水の落ちる音が響く。目的地は近いと確信し、スパートをかけた。
目的地は川であった。その頃にはもう霧が晴れ、周りもよく見渡せられる。
川の水を手ですくい、口に含むとうがいをした。ガラガラぐちゅぐちゅと、滝と川のせせらぎの音以外ない空間に響く、それを吐き出すと、新しく水をすくい口に含む。ゴクリと一口で飲み干し、喉を潤した。
清い水面、そこに映るのは幼さが残る整った顔立ちの少年であった。その髪は燃えるように赤く、目もまたそうであった。歳は12、3ほどであろう。
少年は来た道を戻り、1つの小屋に帰ってくる。少年はそこで師匠と呼ぶ老人と2人で暮らしていた。
少年は6年ほど前からあの道を走り、師匠と武術の修行を積んでいた。
帰ってきたのはいいのだが、師匠が見当たらない、どこに行ったのかはわからないが、自分が今やることは1つである。
少年は小屋の小さな調理場に向かう。そこにある金属でできたフライパンを火場所に置く、その下にある火魔結晶に魔力を少し与え、火を出す。鍋が温まったのを確認し、その辺にある山菜などを入れる。ある程度したら、これまたその辺でとった調味料を入れて完成。これがなかなかに美味いのである。
師匠の分をしっかりとわけて、朝食を1人で食べる。
それを食べ終えた頃だ。足跡が遠くから聞こえてくる。それもひとつでは無く、3人ほどであった。しかし、1人は師匠のものであった。
ガチャ、と扉が開く。外からは師匠のものではない声がヒソヒソと聞こえてくる。
最初に入ったのは見慣れた老人、師匠であった。次に入ってきたのは、長い黒髪を背の中ほどまで伸ばした人物であった。そして、続くように、人物と背丈も雰囲気も歳が近いような人物が入ってきた。
この時、少年の胸はこれまでにないこと興奮していた。
「おかえりなさいませ、師匠」
「勝手に出掛けててすまんのう、ちと用事があっての」と、いつもの風景には無い、2人の美しい人物の方をチラリと見て言った。
「初めまして、私はクロノと言います。よろしくね」と背の高い人物が挨拶をする。
「よ、よよよ、よよ……」と少年がモゴモゴとしている所を師匠がガンと叩く。すると少年は正気に戻ったのか、挨拶を再開した。
「おお、俺、は、イグニスだ、よよ、よろしく」
「ほっほっほっ、色気付きおって、こやつ、女を見るのが初めてでのう、まぁなんせ、わしの腕ひとつで育てたからの」と老人がそれを見て言った。
するとクロノが
「仕方ないですよ、お義父さん。初めてのことには緊張するものです。ほら、あなたも挨拶をなさい」と、イグニスを見ながら言うと、後ろをみた。
「私はクロア。よろしくね」と、クロノの後ろから少女でて挨拶をした。
「よ、よろしくな」
少年も慣れてきたようである。
その後、師匠は自分の作った料理を温めなおし食べていた。
クロノとクロアにも食べるか聞いてみたが、ここに来る前に食べてきたらしい。
師匠とクロノは奥の部屋に行き、何かを話してくるらしかった。その間、クロアとは適当に話していたが、お互いに初対面のせいか、話しを切れ切れになり、イグニスは話している部屋に向かった。
部屋の前にいると、少し声が聞こえてくる。
「まだ……が……苦手で、いや出来ない……」
「……大丈夫じゃろう……そこまで……ないわい」
「……そうね。……は帰りますね。短い間ですが、クロアのことはお願い致します」
「任しておれ」
最後の方はよく聞こえた。
椅子と床の擦れる音、人の立ち上がる音を聞き、元の部屋に戻る。しばらくすると、2人が戻ってくる。
すると、クロノはイグニスの方を向き、短い間だけど、クロアと仲良くしてねとお願いされた。
そうして、クロノはこの小屋を去って行く。
その後、師匠の修行が始まる。そこには、いつもとは違う景色が写し出されていた。クロアも修行を受けるのであった。
少しの変化がありながらも、ほとんど同じ景色が流れていた場所には、2ヶ月程、違う風景を写しだしていた。
そして時は流れる。少女は迎えにきた母、クロノに連れられ、どこかに帰って言った。
その帰り際だ
「イグニス! 約束は覚えていてね。私も頑張るから!」と、元気な声を残していった。
それに応えるようにイグニスは腕を上げた。
「若いのぅ。ほっほっほっ。ほれっ! ぼうっとしてるな、修行を始めるぞ!」
「はい!」
山にはいつもの風景が少し悲しげに映されていた。
そして、数年後、赤子は少年となり青年となっていた。
今、青年の前には老人が倒れている。青年も片膝立ちになり、息を荒げていた。
「よくここまできたのう……教える事はもうない、あとは己が進む道を進むが良い」
「師匠、ありがとうごさいました」
少年は老人をベットに運んだ。しばらくすると寝てしまったが、またしばらくして起きてくる。すでに夕食の時間のため、そこには料理が並べられていた。
それを片付けると、青年が後片付けをした後、老人と青年は床についた。
そして、青年は目覚める。そこにはいつもの風景が映っている。ただ違うのは師匠がいないことくらいであろうか、だが、昔にもそんな事があったなぁと、懐かしく思っていた。その思い出の中にはある少女が強く残っている。
寝室を出たイグニスは食卓の上に長方形の物を見つける。
その中身を見た青年の顔には涙が浮かんでいた。