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8話:先生 1

 待ちに待った夏休み。セミがうるさいのが悩ましいところですが、夏だと思えば当たり前の事です。

 しかし、いくら夏だといっても、納得できないことがあります。例えば……この課題の山。大学生といえば、恋に遊びに勉強に、と有意義なキャンパスライフをイメージしていましたが、現実はやはり甘くありません。

 本当は、先生と二人で会う時間もほしいのですが、立場上わがままはいっていられません。

「あぁー、もういや……。」

 真夏の午前11時、古谷鈴音、挫折。

 真面目な学生を称して先生の研究室に入り浸り、コツコツ課題もこなす予定でしたが、敵がこんなにも多いと不戦敗です。人生あきらめが肝心。勉強は気が向いたときにやってこそ初めて意味があって、はかどるものなのです。

 立ち上がり、コーヒーをグラスに注ぎ、シロップとミルクを少々。ほろ苦い香りにしばし癒しの時間。こんな何気ない時間が最近は宝物のように思います。先生の影響でしょうか、のんびりと物思いにふけるのも有意義に感じます。

 そうはいっても脳裏に浮かぶのは先生の事ばかりですが……。そういえば、先生、かかって来た電話をとって外にでたきり帰ってきませんが、どうしたんでしょうか?

 心配になってふと時計を見ると、同時に珍しく不機嫌な先生が姿を現しました。

 いつもの机に向かうなり、携帯電話を放り出して「充電切れた。」の一言。ブラックコーヒーを用意して差し出すと、一口飲んで、今度はため息。本当に珍しい光景です。

 そんな時間もほんの一瞬。顔を上げた先生は、いつもの笑顔を浮かべていました。

「課題、はかどりましたか?」

 相変わらず先生は痛いところを突くのが得意です。私は苦笑するしかありません。

「休みに入ってまだ3日でしょう?気長に進めればいいじゃないですか。それより、予定とか無いんですか?」

「予定……全然無いんですよ。みんな何かと忙しそうですし。先生こそ、毎日学校で暇なんじゃないですか?」

「仕事ですからね。」

「休み無いんですか?」

「もちろんありますよ。」

「じゃあ遊んでくださいよ。」

 先生と付き合い始めて二ヶ月、食事などには数回行きましたが、それ以外は無に等しいのです。私はそれが不安で仕方ないのです。ほら、今みたいに難しい顔をすると余計に。

「そうですね……、今週末は空いてますか?日曜日。」

「私は大丈夫ですけど……その日は、先生が忙しいんじゃないですか?」

「知ってたんですか?」

「はい。井上先輩が楽しみにしてましたよ。」

「そうですか。まぁ、それなら話は早いですね。勉強してください。」

 そう言って先生はチラシを一枚差し出しました。その紙面には先生の名前も印刷されています。井上先輩いわく、大学生などを対象にした化学に関するフォーラムがあって、先生は発表者として参加するそうです。他にも、様々な企業や大学から研究者が集まるらしく、こんなチャンスは滅多にないとか……。私にはよくわかりませんが。

「さっきは気長に進めればいいって言ったのに、結局、勉強ですか。」

「強制はしませんよ。あくまでお誘いです。」

「……行きますよ。ところで、この坂上っていう人、有名なんですか?私、全然知らないんですけど、井上先輩が一番楽しみにしている人みたいで。中島先輩も喜んでましたけど。」

 チラシから目を離して先生の顔を覗き込むと、いつになく曇った瞳がありました。

「先生?」

「……有名、ね。確かに有名ですよ。」

 先生は何かを押さえ込むように声を発すると、それを残して、また、部屋から姿を消しました。




 約束の日曜日、幸か不幸か晴天となり、今日もセミの鳴き声がうるさい一日になりそうです。

 と言っても、うるさいのがセミだけならまだましです。先生の車の後部座席に座る中島先輩と井上先輩、どこからその元気が出てくるのか疑問です。話の内容は本当に様々。真面目な話をしているかと思えば、いきなり昨日のテレビ番組の話になるし、盛り上がったと思ったら話が食い違ったりするし……。不思議としか言い表しようがありません。

「で、中島先輩?最近、春恵さんとはどうなんですか?」

 井上先輩が当たり前のように急に話を変えると、中島先輩は黙り込んでしまいました。

 私が高校でとてもお世話になっていた春恵先輩はしかっりもので優しい人なのですが、意外にも中島先輩と付き合っていたのです。最初にそれを聞いて以来、その後の話はほとんど聞いていませんが、もしかしてあまり良くない状態にあるのでしょうか。そうだとしたら、かなりの確率で中島先輩が悪い気がするのですが……。

「うり坊、それ、本気で聞いてるのか?」

「え?なんかまずいこと言いました?」

 中島先輩の声はなんだかかすれています。

「俺はな、本当ならここにいなかったんだよ。本当なら……」

「今頃デートだったのに。残念でしたね。自業自得ですよ。」

 今にも泣き出しそうな中島先輩の言葉をつなげたのは、先生でした。

「ざきっち、助けてくれよぉ。この悲しみわかってくれるだろ?おれもさぁ、ウサギと一緒で寂しいと死んじゃうんだよ……」

「先輩のどこがウサギなんですか?」

「リンちゃんまで……。」

「一回自分がやったこと、考え直してみたらどうですか?」

「…俺、悪いことしたかなぁ?」

「わからせてあげましょうか?」

 先生の言葉に、中島先輩が不思議そうな顔をしてうなずきます。

「じゃぁ、古谷さん、この話、よく聞いてくださいね。中島が彼女の家へ行ったときに、すごく感動した本がある、と言われてそれを借りることになったんです。その本はドラマなどにもなっている人気の恋愛小説。表紙は女性読者をターゲットにした雰囲気で、中島は全く興味がなかったそうです。内容は実話を元に作られていて、主人公の女の子の彼氏が最後に病気で死んでしまうという物です。それを借りて数日で読み切った中島はそれを彼女に返すときに感想を一言言いました。中島、何て言いましたか?」

「やっぱり俺はミステリーのが好きだなあ。って言った気がする。もしかしてそれがまずかった?」

「古谷さん、どう思います?」

「中島先輩、やっぱり女心がわかってませんよ。」

「うそ、なんで!?」

 こんな風に考え込む中島先輩は見ていてちょっと楽しいです。かわいそうではありますが、このまま頭を抱える先輩を観察するのもいいかもしれません。井上先輩も少し楽しんでいるような。

「先輩、こんなこと僕でもしませんよ。考えてみてくださいよ。たとえば先輩がお気に入りの本を貸したとして、つまらないって言われたら、なんで?って聞きたくなるでしょう?それと同じです。共通の話題がほしいとか、いろいろあるじゃないですか。そういうとこきちんとわかんないと駄目ですよ。」

 井上先輩の言葉に、中島先輩はどんどん落ち込んでいきます。でも、これくらい静かな方がいいような気もしてしまいます。

「もう少し、大人になるべきですよね。」

 不意に先生がそんなことをつぶやきました。

「先生は、十分大人ですよね。」

 私が答えると、先生はいつものようにほほえんでいました。

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