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3話:見たもの 見るもの

 焼肉パーティーから数日後、西田先輩は研究室に来なくなってしまいました。学校には来ているようなのですが、学内でも一度も会っていません。気になった私はそのことを先生に聞いてみましたが、授業も普通に受けていると言われただけでした。

 放課後、今日はどうだろうと思いながら研究室に向かういつもの廊下を歩いていると、こちらに向かってくる西田先輩の姿が見えたので、私から声をかけました。

「先輩、お久しぶりです。最近見なかったんで心配してたんですよ。」

 いつものように声をかけた私に返ってきたのは、いつもと違う反応でした。普段は感情を顔に出さない西田先輩ですが、その瞬間、明らかに不機嫌ととれる表情をしたのです。

「聞いてない?研究室かわったから。」

「え?」

「嫌なんだよ、ああいうふざけたの。矢崎先生も真面目な方だと思ったのに、やる気無さそうだし。正直がっかり。それだけ。」

 返す言葉が見つかりませんでした。西田先輩の言うことに納得したわけではありません。ですが、私の胸の奥につっかえている何かが、頭の動きを邪魔しているように感じました。西田先輩の見下すような冷めた視線が妙に怖く感じ、私は耐えきれずに、うつむき、唇をかみしめました。

 そんな私を無視するように、西田先輩は、またゆっくりと歩き出しました。後方からはその足音が、一歩、また一歩とはっきり響いてきました。

「先生の事、悪く言わないで下さい。」

 私は振り返り、不意にそんな言葉を発していました。

 西田先輩の反応は全くなく、その姿はどんどん小さくなっていきました。

 わからないことだらけでした。

 西田先輩の考えていたこと、いること。

 私の中でつっかえている何か。

 静かな廊下の真ん中で、一人取り残されたかのような寂しい感覚だけが堂々と存在していました。



 研究室に入ると、いつものようにデスクに向かう先生と課題をこなしている中島先輩がいました。先生とさっきの話をしたかったのですが、今は無理だと思い、できる限り普段通りに振る舞うようにしました。考え事や悩みがある時の私は、それがすぐ顔に出るので、それによって気づかれたくないと思ったのです。

「こんにちは。」

「こんにちは、リンちゃん。どした?なんか元気ないぞ?」

 焼き肉パーティーの後、私にもニックネームがついて、リンちゃんと呼ばれるようになりました。私の名前が鈴音なので、鈴の音からリンになったそうです。

 それにしても中島先輩は鋭い。

「そうですか?いつも通りですよ。」

 気持ちを落ち着かせながら答えました。

「ならいいけど。あんまり無理しちゃ駄目だぞ。ストレスとか睡眠不足は肌にも悪いから。」

 そういいながら笑う中島先輩は、さっきまでの不快感を忘れさせてくれるほど楽しそうな雰囲気でした。いつも暖かいく、すべてを肯定的に見つめるかのような中島先輩の瞳は、誰もを安心させるような力があるように感じました。それは先生の優しい瞳とは少し違いますが、私にとってとても心地よいものに代わりありません。

「こんにちはー。」

「うり坊!遅い!待ってたぞ!!」

「え!?あー、すみません……。」

 井上先輩が入ってきたと思ったら、余計元気になった中島先輩がその腕をつかんで研究室の外に引っ張り出そうとして……、

「え?ちょ、ちょっとなんですか?」

「今日は新作ゲームの発売日!行くぞ、うり坊!!」

「は?何で俺まで!?」

「金、貸して?」

「……」

結局井上先輩は中島先輩に強制的に連れて出されてしまいました。あの二人がいるとすごく騒がしい研究室も、いなくなった途端にしんとなってしまいました。中島先輩は、井上先輩のことを猪突猛進な性格だから、と言ってうり坊と名付けましたが、どちらかと言うと中島先輩の方がその言葉に合っているような気がして仕方ありません。まあ、今はそんな先輩のおかげで先生と2人きりになれたわけですが……。

 こういうときは意識すればするほど気まずくなってしまって、まともに話ができないものです。私はどうしていいかわからずに距離を置いたまま、先生を見つめていました。窓から注がれる一筋の午後の光が、ちょうどペンを走らせる先生の手を照らしていました。そのなめらかな動きに見とれていると、急に先生はこちらを振り返りました。

 目が合ったのは、鋭く冷たい目。

 しかしそれはほんの一瞬。

「あれ?古谷さん、来てたんですか?」

 先生が声を発したときはもう、いつもの優しい目でした。

「こんにちは。気づいてなかったんですか?」

「すみません。集中していると、どうも周りが見えないもので。」

「その集中力羨ましいですよ。」

 心臓がいつもより素早く運動するのを感じながら、頭の中では冷静さを意識し、先生に笑顔を返しました。

 続けて世間話などをしながら、先生は作業していたものを片付けだし、私はいつ話を切り出そうか考えていました。

 会話が一度途切れたところで、私は頭の中を整理して、重たい口を動かしました。

「先生、さっき西田先輩に会ったんですけど……研究室かわってたんですね。」

「そうみたいですね。」

 先生の返事はとても簡単でした。

「先輩と何も話さなかったんですか?」

「ええ、事務的な文書が届いただけですから。」

「その後も、何も?」

「はい。」

 予想外でした。先生は西田先輩と一度くらい、少なくとも連絡程度の話はしているものだと思っていました。そのくらいの話はする人だと思っていました。

「彼と話しをすることに何の意味がありますか?」

 私の意中を見抜いたように、鋭い言葉が向けられました。先生の雰囲気も、いつもよりよっぽど堅いものでした。あの時の不快感に似た何かが、また私の脳の働きを邪魔しました。

「気にいらなかったんでしょう?研究室の雰囲気とか、人間関係とか。僕は彼に視野を広げなさいと言いました。でもその気はなかったようですし。」

「止めようとは思わなかったんですか?」

「止めることに意味は有りません。別にこの研究室に彼が必要なわけでもありませんし、それは彼にとっても同じ事ですよ。」

 先生の言うことは、実際、間違ってはいないとは思いますが、何かが腑に落ちないのです。胸の奥でもやもやしたものがいっそう大きくなって、不安な気持ちがあらわになってきました。きっとそれは顔に出ていたでしょう。泣きたいような苦しい感じがしました。

 また私は言葉に詰まり下を向きました。

「誰でも合うあわないはありますよ。水と油です。無理矢理一緒にしてもすぐにまた分かれてしまうでしょうね。でも、つながりはあります。境界があるということは隣り合っている、ということです。今はそれで十分だと思います。」

 不意に先生の言葉が降ってきました。それはさっきまでと違う、包むようなよりいっそう優しい声でした。

 なんだか急に気持ちがすっきりして、肩の力が抜けました。安心感、それに近い気がしました。

 顔を上げると、いつもの笑顔がそこにはあります。

「先生、私も視野を広げて、成長しないといけませんね。」

「もちろんです。日々、勉強ですよ。」

「ただいま帰りましたーっ!!」

「中島先輩!?」

 ほほえむ先生の優しい瞳が驚きのそれに変わると同時に、勢いよく入ってきた中島先輩と井上先輩。さっきまでの雰囲気が嘘のように急に騒がしくなってしまいました。

「ちょっと、中島先輩!人のお金使ったうえ、課題さぼってゲームなんてしていいと思ってるんですか!?」

「いいのいいの、学生のうちしかやりたいことやれないんだから。心配しなくても終わったらうり坊にも貸してやるから。」

「その前にお金返してください!」

 小学生か、良くても中学生レベルの言い争いで盛り上がる2人。これで本当にトップレベルの学生なのだから驚きです。

「先生?これも社会勉強でしょうか?」

「反面教師、ですね。」

 言いながら先生も私も笑い出しました。

 先生と二人きりの時間が終わってしまったのは残念ですが、やっぱりこの研究室は騒がしいくらいがちょうどいいようです。

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