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19話:さようなら

 少しずつ春の訪れを感じ始め、桜の開花もそろそろかと感じる三月の今日、ついに、中島先輩が大学を卒業する日がやってきました。

 先輩には一年間とてもお世話になったというか、お世話をしたというか。とにかく、今日が私にとっても記念日であることに変わりはありません。

 先輩の卒業をお祝いしようと、アイドルの出待ちをするファンのごとく、会場前で待機中です。会場に入れるのは卒業生のご家族のみ。在校生は式を終えた先輩方が会場から出てくるまで待つことになっています。式終了まであと10分以上はあるのですが、すでに沢山の学生が集まっていて、記念撮影のためにカメラを用意している人もいれば、花束などのプレゼントを準備している人もいます。中島先輩には大変申し訳ないのですが、私はなんの準備もしておりません。と言っても、春恵先輩から「花や物をあげるより、エサをあげた方が喜ぶから、みんなでパーティーしよう」と言われているからなのですが。決して祝う気がないわけではありません。

 春恵先輩や井上先輩も来ているはずなのですが、なかなか見つかりません。入学早々、私が迷子になったほど広い学校なので、学生もかなりの人数です。式の終了予定時刻が近づき、どんどんと人口密度が上がってきて、先輩達を探すのも一苦労です。

「古谷ー! こっち、こっち!」

「春恵先輩!」

 全く検討違いのところから、先輩の声が聞こえました。大きく手を振る先輩の姿は見えているのに、満員電車のごとく、移動は困難です。人をかき分けやっと合流することが出来ました。

「ありがとうございます。思った以上に人が多かったので、見つけられないかと思ってました」

「ひとつしかない出入り口にみんな集まるからね。卒業生も多いし、出てきた中島君見つけるのも一苦労だと思うよ」

「卒業式ってそんなに体力いるイベントでしたっけ?」

「まぁ、お祭りみたいなものだから」

「井上先輩も見つからないのですが」

 辺りをきょろきょろと見回しても、それらしい姿は見つかりません。

「うり坊なら帰省中だから、実家から車で来るって言ってたけど。渋滞でもはまっちゃったのかな? もしかすると、学校の駐車場使えなくて困ってるのかも。連絡してみるよ」

「お願いします」

 春恵先輩がメールを打ち始めると、少しあたりが騒がしくなり、会場から式を終えた卒業生が出てきました。袴を着た女性が次々と出てきて、その華やかな衣装に、私は完全に見入ってしまいました。大輪の花が描かれたものや小花をちりばめたもの、その花も様々で、桜、椿、梅……成人式も経験していない私は、こんなに沢山の着物を見ることも初めてで、とても楽しくなってきました。

「古谷。着物に見とれるのもいいけど、中島君探してあげないと。すねると後が大変だよ?」

「すみません」

 当初の目的を思い出した私は、会場出口に意識を集中させて先輩の姿を探しました。

 会場から出てくる袴の女性は減り、ビシッと決めたスーツの男性が増えてきました。どうやら、工学部の卒業生が退場を始めたようです。

「似たようなスーツばっかりでわかりにくいなぁ。中島君のことだから、袴とか着てそうだけど」

 春恵先輩の言葉に待ってましたと言わんばかりに、袴姿の中島先輩が出てきました。

「探す手間が省けましたね」

「中島くーん!」

 二人して手を振ると、すぐに先輩は気がついた様子で、こちらに向かってきました。でも、心なしか慌てているように見えます。

「リンちゃん、なんでここにいるの?」

「なんでって、先輩のお祝いに決まってるじゃないですか」

「せっかく後輩が駆けつけてくれたのに、その言い方は冷たいんじゃないの?」

「でも、ざきっちが……」

「先輩、リンちゃん!」

 後ろから呼ばれて慌てて振り返ると、そこには井上先輩がいました。走って来たのか、息が上がっています。

「そんなに慌ててこなくてもいいじゃない。中島君は逃げないわよ」

「春恵さんがメール返してくれないから走ってきたんだよ。中島先輩はどうでもよくて、リンちゃんがいることが問題なんだよ」

「どういうことですか?」

 さっきから中島先輩も井上先輩も、まるで私がここにいてはいけないような言い方です。私は訳もわからずに二人の顔を交互に確認しました。中島先輩は珍しく怒っているような難しい表情を、井上先輩は悲しそうな表情を浮かべていました。

「何も知らないんだね?」

 井上先輩の問いかけに、私はゆっくりとうなずきました。

「うり坊、車まわしてこい」

「わかりました」

「中島君、どういうこと?」

「ざきっちに会いに行く」

「どうして車が必要なの? 矢崎も会場にいるでしょ?」

「ざきっちは今、空港にいる。数時間後には、日本にいない」

 私はまだその意味が理解できませんでした。

「とにかく空港に行こう。話せることは、車内で話すから」



 井上先輩の車に乗り込み空港へ向かって走りはじめてから三十分、車内の空気は重苦しく、ほとんど会話は無い状態です。先輩たちは未だになにも説明はしてくれません。窓の外は次々と景色が変わり、徐々に住宅街から離れて、海沿いの工業地帯が広がってきました。ここを過ぎれば、埋め立て地に造られた空港もすぐそこです。

「いい天気ですね」

 沈黙に耐えきれず、浮かんだままの言葉を発しました。 外は快晴。よく晴れた爽やかな春の日はいつもならば心地いいはずなのに、その青が今日は憎らしく感じてしまいます。

「この天気なら、離発着の遅れも無いだろうね。でも、時間は十分にあるから」

 井上先輩が視線を前に向けたまま、返答してくれました。

「ねえ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない? 二人の慌て具合を見てたら、よくない状況だってことはわかるんだけど、意味がわからないのよ。古谷も不安でしょう? 中島くん、知ってることを教えて」

 春恵先輩の言葉に、私は強くうなずきました。中島先輩は数秒間目を閉じて考えると、どこまでをどうやって説明するのがいいかはわからないけど、と口を開きました。

「ざきっちは今日、アメリカに旅立つ。しばらく帰ってこない。日本のある企業とアメリカの大学チームとの共同開発事業が進められていて、その研究員の一人としてざきっちが参加することになったらしいんだ。坂上先生って覚えてる? あの夏のフォーラムの時にいた大物っぽい先生。坂上先生がうちの大学にいた頃は、そのチームと協力していたらしいんだ。で、そのときの研究生の一人がざきっち」

「坂上先生の話は、私も少し聞きました」

「もしかして、論文の件も知ってるの?」

「はい」

 先生の研究成果が全て坂上先生の研究として、共同研究者にはあのチームのメンバーの名前を並べ発表されたこと。それが先生にとって、今も忘れられない裏切りであったことを私は聞いていました。

「ざきっちの研究テーマって、実は今も同じなんだよ。坂上先生は日本でのその研究の第一人者と言われているけど、現役を引退していてそのチームからも外れている。ざきっちからしたら不本意なんだろうけど、坂上先生の後継者というような位置づけで、参加することになったらしい」

「なんだか複雑ですね」

「でもね、ざきっちはアメリカで最先端の研究に携わることが夢だったとも言っていたよ。あれでいて意外とロマンティストなんだよな。いつだったか、海の向こうには何があると思いますか? なんて聞かれてさ。陸って答えたらため息つかれて。そんでもって正解は、夢、だとさ。今度はこっちがため息つく番だよ。今時、小学生でもそんな答え笑うに決まってる」

「でも、本気だったのかもしれません。先生は海が好きみたいで、必ず真剣な眼差しで地平線を見つめては、物思いにふけっていましたから」

「そうなんだろうね。こうやって本当にアメリカに行っちゃうくらいなんだから」

「矢崎の夢なんてどうでもいいけど、それと古谷を放っておくことに何の関係があるの? ちょっと旅行に行くのとは訳が違うのよ? 彼女に何も言わないで海外に行くなんてあり得ないでしょ!」

 春恵先輩が突然、強い口調で発言したので、井上先輩がびっくりしたのか車が左右に揺れました。

「うり坊、安全運転で頼むよ」

「すみません」

「話そらさないで。大切なのはそっちよ」

「春恵、落ち着いて。ざきっちは無くしてしまうのが怖かったんだ。大切なものを」

「大切なもの? まさか、それって……」

「先輩、それ以上は話しちゃ駄目です」

「すまん、すまん。俺とうり坊はざきっちと約束してるからな。納得いかないかもしれないけど、いろいろと考えた結果なんだよ、これが。不器用なざきっちなりに。でも、さすがにリンちゃんに何も言わずに日本を離れるとは思っていなかった。だから、リンちゃんにはざきっちと直接会って話をしてもらいたい。俺たちは約束を守るためにも、ざきっちの決意を見届ける必要がある」

「先生と話が出来るのも、これが最後かもしれないんですね?」

 誰の返答も得られないまま、車は空港に到着しました。



「国際線の搭乗口はこっちです。先生のことだから、余裕をもって手続きをすると思うので、少し急ぎましょう」

 私たちは井上先輩の案内で国際線出発ロビーまで向かいました。先生が手続きを終えて中に入ってしまえば、もう追いかけることはできません。先輩たちも飛行機の出る時間は知らされていないようで、ここまで来ても会える可能性は百パーセントではないようです。それでも今は信じるしかありません。

 ロビーには、大きな荷物をもって今から出国する人、それを見送る人が多数集まっていました。おみやげ物や日用品などを取り扱う売店もいくつか並んでいて、広さもかなりあるようです。その中から、私は先生を見つけなければいけません。四人それぞれに別れ、私は一人一人の顔を確認するようにしながら歩きまわり、必死で先生を探しました。それからどのくらい探していたのか、何度も何度もロビーや売店等を回り続けました。

 間に合わなかったのかもしれない。そう思いながら、出発口の外から中の様子をうかがっている中島先輩に声をかけました。

「先生は、今頃飛行機の中でしょうか?」

「リンちゃん、大丈夫。自分を、ざきっちを信じてあげて」

 もうダメだと思った時、フロアの中央に位置するエレベーターから、見覚えのある人が降りてくるのを見つけました。

「菊地さん!」

「誰? 知り合い?」

「先生の後輩の方です」

「と言うことは……」

 先生は近くにいる。私は確信しました。

 菊池さんに続いて数人がエレベーターから降りた後、最後に鞄ひとつと言う身軽な格好の先生が現れました。二人で話をしながら歩いていて、私たちには全く気づいていません。

「リンちゃん、深呼吸。力抜いて、ね?」

 中島先輩に言われて、初めて全身に力が入っていたことに気がつきました。先生との距離はどんどん近づいていきます。でも、何を話したらいいのか、どんな顔をすればいいのか、何もわからなくなって、早鐘を打つ心臓に余計と緊張が増していきます。深呼吸をしてみてもそれは変わらなくて、訳もなく涙がこぼれそうになるのを我慢し、下を向きました。

 カツカツと二人の足音が近づき、やがて一人の足音がピタリと止まりました。

「どうしたんですか、矢崎先生?」

 菊池さんの問いかけに、先生は無言です。顔を上げると、先生の瞳は、しっかりと中島先輩をとらえていました。

「何でこんな所にいるんですか? 式はどうしたんです? まさか、途中で抜けてきたなんて言わないでしょうね」

「卒業式にはちゃんと出席した」

「そうですか」

「矢崎先生の研究室の子たちですか? せっかく見送りに来てくれたのに、先生も冷たいですね。もしや照れ隠し?」

「菊池、僕は彼らに出発時刻を教えてはいませんよ。むしろ、見送りすら頼んでもいない。来るなとは言いませんでしたけどね」

 私は何を伝えるべきなんだろう。何を聞きたいんだろう。

「先生、アメリカに行っちゃうんですね」

「ええ」

 わかっていることなのに。

「そんな少ない荷物で、とてもそんな風には思えませんよ」

「必要な物は全部送ってありますから」

 続ける言葉が思いつかない。

 沈黙が続く中、私たちに気づいた井上先輩と春恵先輩が慌ててこちらにやってきました。

「あなたたちも一緒でしたか。それならさっさと中島を連れ帰ってください。式の後は謝恩会じゃありませんでしたか?」

「恩師がいないのにそんなの出たってしょうがないだろ?」

「何を言ってるんですか。自分がどれだけの相手にお世話になってきたか、わかっていないんですか? 礼を述べるべき相手は大勢いるでしょう」

 私がこんなにも動揺しているのに、先生の口調はいつもと全く変わった様子がありません。

「そんなことより、リンちゃんに言うことはないのかよ?」

 少しいらだったような中島先輩の様子に先生は困ったような顔をしましたが、一度ため息をついてから真っ直ぐな視線を私に向けました。

「忘れてください。全部」

 全く予想していなかった言葉。じわりと、涙が浮かびました。

「ずっと考えていたんです。僕のような人間が、古谷さんのように未来ある学生を束縛していていいものかと。教師と学生と言う話ではなく、人間対人間の関係として。古谷さんはまだ若い。この先、大学生活を送る中だけでもたくさんの発見があるだろうし、出会いもあると思うんです。僕と一緒にいることで、狭いフィルターを通したような偏った見方をしてほしくはないし、すべきでもない。それにもう、古谷さんは僕を必要としていないでしょう? 現に僕が距離を置き始めてからも古谷さんは充実した学生生活を送っていたようですし、成績は見違えるように良くなったそうですね」

「先生と別れることが私のためだと、そう言いたいんですね?」

「ええ。その通りです」

「私のためかどうかは、自分で決めます」

「それなら、これは僕のため、と言えば納得してもらえるんでしょうか? 今回、僕は自分に巡ってきたチャンスをつかむことが出来た。いや、まだ何も始まっていませんから、本当につかんだとは言い切れないのかもしれませんが。でも、僕は自分の夢を叶えることが出来ると思っています。そのためには最高の環境で集中して研究に取り組みたい。このまま古谷さんとだらだらと関係を続けるのは、僕にとって最善とは言い難いのですよ」

 淡々と告げる先生の言葉は冷たくて、涙がどんどん溢れそうになりました。それを必死で我慢して出来るだけ平生を装うように声を絞り出しました。

「わかりました。先生のためだと言われたら、引き下がるしかありません」

「ありがとうございます。わかっていただけて何よりです」

 先生がいつものようにほほえむので、私はそれに答えたくて、袖口で涙をぬぐい、出来る限りの笑顔を作りました。

「そろそろ時間です。僕はもう行きますから、これ以上皆さんに迷惑をかけないようさっさと学校に戻ってください。それから、古谷さん……さようなら」

「さようなら」

 たぶん私は笑えている。涙でぐしゃぐしゃの顔をしているかもしれないけど、きっと。

 出発口へと入っていく先生を見送って、私は帰路へつくため歩き始めました。先生が前へ進むというのなら、私も立ち止まっているわけにはいきません。

「学校に戻りましょう!」

 そのあとすぐ、家に帰って泣きたいだけ泣けばいい。涙と一緒に全部流してしまえば、明日からまた、新しい気持ちで前に進めるから。

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