11話:先生と中島先輩
フォーラムから約一ヶ月、やっとあの暑さも落ち着いてきて、過ごしやすい時期がやってきたと思ったのですが、世の中そう甘くはないようです。
放課後、いつもなら先生の部屋に中島先輩も井上先輩もいて騒がし過ぎるくらいなのですが、今は、私と先生の二人だけです。きっと、今までの私なら、これほどうれしい時間はないのですが……。この雰囲気。あり得ないほどの圧力におそわれているようなものです。
全ての原因は、あのフォーラムの帰り、見事なまでに失恋した中島先輩にあるのです。
何度もメールや電話を試みたようですが、相手は、春恵先輩。相手にもしてもらえないようです。春恵先輩は私の高校時代の先輩で、とってもいい人だというのはよくわかっているのですが、その反面、正義感が強く、一度決めたことは覆さないという強い意志を持つ方であるのも事実です。こういっては失礼ですが、最初から私は、なんでこの二人が付き合っているのか不思議で仕方ありませんでした。中島先輩は春恵先輩と違って、自分に甘い部分がある気がするのです。現に今も……。「失恋したから勉強する気にならない。」なんて言って、卒業研究をサボり続けてるのです。出席日数の関係で授業は出ているようですが。
もちろん、そんな態度に先生はご立腹。最初はあまりの落ち込みように同情して大目に見ていたようですが、さすがにあれから一度も顔を出さない中島先輩に先生の怒りも爆発寸前、と言ったところです。
一方、井上先輩はと言いますと……この現状に耐えきれず逃走中、だそうです。逃げ出したいのは私の方ですよ。まぁ、必要もないのに先生の部屋にいる私が悪いんでしょうけど。
先生も先生で、けんかした後の子供みたいに機嫌悪いですし。もう何が何だかわかりません。
「先生、あの……」
「何ですか?」
「えっと、……今日も先輩達来ませんね。」
「あんな研究生いりません。」
「……。」
会話、続きませんよ。むしろ逆効果?
何か話のきっかけと話題を……。
ひとまず、先生に落ち着いてもらおうと、いつものようにブラックコーヒーを入れ、先生に。
先生は「ありがとう」と言いながらいつもの笑顔。一応、笑ってはくれるんですね。
「冷房つけたままで換気してないと、空気も悪くなりますし。少し窓開けときますよ。」
日差しを遮るブラインドの隙間から窓に手をかけ開けてみると……雨。じめっとした空気が入り込み、この何とも言えない気まずさ。
かと思えば、焦る私を見て先生はなぜだか楽しそう。不本意ながら、これは状況改善となったのでしょうか?
「ねぇ、古谷さん。週末、暇ですか?」
「へ? はぁ、まぁ。」
「どっちなんですか?」
「買い物に行くつもりだったんですけど。」
「一人で?」
「えぇ、ふらふらーっと行こうかなって。」
「じゃぁ、同行させてください。」
「は?」
「僕はかなり暇なんです。」
ノーと言わせいないその表情、いつもよりプレッシャー二倍増しです。
「嫌ですか?」
「いいえ、そんな!是非!」
古谷鈴音、今日も先生に惨敗です。
約束の週末、私はいつもより洋服に気を使い、化粧もしっかりとして、気合い十分。何と言っても念願のデートですから。
肝心の先生はといいますと、至って普通。予想していた結果ですが。
もともと、私の気晴らしの買い物だったためか、先生は文句一つ言わずに私の買い物に付き合ってくれています。その上進んで荷物持ちまで……。駅近くのショッピングモール。洋服やアクセサリーを買いに来た女の子にとってはとっても楽しい場所ですが、男の人はふつう、その買い物に付き合わされるのが嫌いだったりするんですよね。なんだか先生の笑顔がパワーダウンしてますし。
「先生? 実はつまらないとか思ってません?」
内心、心配なのですよ。
「いいえ、別に。あえて言わせてもらうと、けっこうおなかが空いています。」
「えっと……。……は?うそぉ!?」
携帯電話を取り出してみると、サブディスプレイに表示された時間は13時40分。とっくにお昼の時間は過ぎています。
「本当に女の人って買い物が好きですよね。古谷さんがあまりにも楽しそうなので止めなかったんですけど。そろそろ、ご飯にしませんか?」
「はい! もう、是非そうしましょう!」
すみません、先生。完全に時間の事なんて忘れていました。
「途中でオムライスのおいしそうなお店があったんですが、そこでもいいですか?」
「もちろんです!」
さっき歩いてきた道を先生について戻ると、おいしそうなにおいの漂うお店がありました。前を通ったにも関わらず、全く気づいていませんでしたよ。やっぱり先生は、よほどおなかを減らしていたのですね。もう食べるものまで決めていたみたいで、がらがらの店内の席に着くなり注文しちゃってますし。私はどうすればいいんでしょうか……?
「古谷さん? 電話、なってますよ?」
「へ!?」
あわててバッグの中を探し、震える携帯電話を手に取ると……
「中島先輩からだ。」
その言葉に反応した先生は、あからさまに不機嫌な表情を作ったかと思うと、私の携帯電話を奪い、勝手に通話状態にしてしまいました。
『リンちゃん!あのさぁ、』
ハンズフリー機能なんてついていないのに、中島先輩の声はまる聞こえです。
『今、うり坊と海にいるんだけど! リンちゃんもおいでよぉ!!』
「へぇ。よっぽど暇なんですね?」
『!? ざきっちっ!?』
「いいですねぇ、学生は。」
『え!? は!? なんでざきっちが? これ、リンちゃんのケータイだよなぁ? え? えぇ?』
「それがどうかしたんですか?」
『どうかしてるだろ? ちょい、リンちゃんは? リンちゃんは?』
「いますけど?」
『代わってくれよ。』
「嫌です。」
なぜ拒否するんですか? それ、私のケータイですよ! って言っても無駄でしょうね。
『わけわかんねぇし!』
「それはこっちの台詞です。」
むしろ私の台詞です。
滅多に機嫌を悪くしない中島先輩ですが、今日の先生の態度には不満爆発という感じです。
「いったいいつまでふて腐れてるつもりですか?」
『そんなんじゃねぇよ!』
「だから子供なんですよ。すぐ感情的になる。」
『ざきっちにはわかんねぇんだよ。』
「ええ、そうみたいですね。」
『だったらほっといてくれ。』
「そうはいきません。きちんとやることやってもらわないと、僕が困るんですよ。」
『俺には関係ない。』
「ふうん。じゃぁ、卒研の成績、欠点でいいんですね? 卒業できませんよ? 僕はもう一年君の面倒を見れるほど体力ありませんから。」
『それは……困る。』
「結局、どうしたいんですか?」
『あと、少しだけ待ってくれないか? ちゃんと卒研はやる。だから、夏休みが終わるまでは……。それまでには、きちんと自分の中で完結させとくからさ。』
「わかりました。しょうがないから待ってあげましょう。」
『マジで!? ありがとな、ざっきち!』
「ただし……、僕の貴重な時間を奪った罰として、おみやげを買ってきなさい。安物じゃ許しませんよ?」
『は!? 無理だって! 金ないし!』
「バイトでもしたらどうですか? それでは。」
ピッ。ツーツーツー……。
勝手に電話も切っちゃって、最後まで私には代わってくれないのですね。
「ありがとうございました。」
「はぁ。」
「腹が減っては戦もできぬって、こういう事なんですかねぇ? 怒る気もしませんでしたよ。」
「え? ……そうなんですか。」
あれのどこが怒ってなかったんですか? あからさまな表情していたじゃないですか。
先生の言葉にひっかっかりながらも、携帯電話を受け取って鞄の中へ。
なんだか、また、会話が無くなりそうな雰囲気でしたが、そこへ救世主のオムライス登場です。
ふんわり卵はいかにもレストランという感じ。見ているだけでも幸せです。
「では、いただきましょうか。」
長い時間待たされて、やっと「よし」と言われた犬のように、先生のテンションは最高潮。
「すみません。」
思わずこぼれた私の言葉に気づくことなく、幸せの味にしっぽを振る先生なのでした。