一つの救い
これは遠い過去の記憶。
ある国に存在した一つの村に、古ぼけた武具屋があった。
そこは品揃えが多くもなければ、良質な商品を多数売っているわけでもない。どこの村にでもありそうな武具屋である。
村には武具の簡単な修理ができる人物はいたが、それを造る職人はいない。そのため大きな街から品を仕入れ、村人に高くもなければ安くもない値段で売っている。
どこにでもある普通の武具屋だが、父から子へと受け継がれ、長いこと大切にされてきた。
現在の主である父もまた、祖父からこの店を継ぎ、いつかは自分の息子にと望んでいる。
そんな武具屋の家族に、一つの大事件が起こる。
息子が遊びの最中に友達へ大怪我を負わし、どうしたら良いのか解からず泣いていた。
店に置いてあった小さな短剣を無断で持ちだし、それを使って友達と遊んでいた。遊び道具として売り物を持ちだし、危険な刃物を遊びに使った。
父は息子を怒る。
怒られた息子は余計に泣く。
なぜ怒っているのかを、父は息子に説明する。説明を受けようと、幼い少年は泣き止まない。
怒られて頬が痛い・・・痛いから息子は泣く
売り物を持ち出しては駄目、刃物で友達と戦いの真似事をするのは駄目。
息子は友達と短剣で遊んでいた。友達を傷付ける積りなんてなかった。
喧嘩なら短剣なんて使わない。二人はただ、短剣で遊んでいただけだから。
父から受けた頬の痛みよりも、辛いことがあった。
友達を傷付けたことよりも、心の底が苦しかった。
息子は始めてみた。
父と母が友達の両親に謝っている姿を。己がしでかしたことの重さを、そのとき少年は本当の意味で知った。
武器の管理を確りしていなかった自分にも責任があると言って、父は必死に頭を下げていた。
悪いのは少年なのに、父と母が謝っている。
小さな息子には、泣く以外に方法はない。
謝ろうとしても、言葉が上手く口からでない。
怖くて怖くて、少年は泣き続けた。
ただ泣くことしかできない己を知り、息子は自分が一人では何もできない子供だと気付いた。
友達の家からの帰り道、息子は父と二人で歩く。
少年の父は魔力を持たないが、母は村でも指折りの炎使いである。今の時刻は既に夕方であり、母は夜間の仕事へと向かっていた。
父が先を進み、子はその後ろを泣きながら追いかけていた。
泣き止まない息子に視線を向けることもなく、ゆっくりと歩き続ける。少年の泣き声だけが辺りに響くなか、父は優しい口調で語り掛ける。
「もし悪いことをして、誰もそれに気付かなくても、天の雷はちゃんと見ているんだ。悪いことをすれば、それを誰も知らなくても、いつか人は神様に裁かれる」
息子は父の大きな背中を見詰めながら、ゆっくりと頷いた。
そんな息子に父は振り返ると、穏やかな笑顔を向けて。
「お前が確りと反省していれば、その姿も神様は空から見ているんだ。人は失敗をするし、時には間違った行いをしてしまうこともある。もし後ろめたい何かをしてしまいそうな時は・・・」
父は立ち止まり、静かに上を向く。
「この広い空を見上げるんだ」
それをすれば罪を犯す前に、きっと思い止まることができる。
今の息子と同じように、父も祖父から過去に同じことを学んだ。
なにが正しくて
なにが間違いか
難しいことは解からなくても、人として恥じない生き方を息子は両親から教わった。
子は父の真似をして、涙で滲んだ空を見上げる。
少年はその日見た空を一生忘れないだろう。
夕焼けの空は、本当に綺麗だった。
それからも少年は沢山のことを両親や村の人達から学んだ。
誰かの為になにかをすること素晴らしさを。
誰かに喜んで貰えることの美しさを。
誰かと協力することの大切さを。
何よりも・・・誰かと共に生きることの喜びを。
少年は両親の教えを胸に、少しずつ成長していく。
時は過ぎ少年はやがて青年となり、少しずつ大人へと近付いていく。
異性を愛し、異性に愛される恐怖を知った。愛から逃げ、その絆を切り捨てる弱さも覚えた。
自分がやりたいことも見つけて、父と大喧嘩をしたこともあった。
青年は焦らずに、ゆっくりと大人に成る。
大きな間違いを犯し、成長の速度を遅らせたこともある。それでもゆっくりと、青年は時間を掛けて大人になる。
息子は相棒と共に旅をする。それにより母を心配させようと、人として恥ない生き方を望んだ。
犯罪に手を染める一歩手前までいったこともあった。そのたびに空を見上げ、青年は自分を戒めた。
罪を犯さずに欲望を叶える手段を考えたり、馬鹿なことをやっては、相棒と大声を上げて笑い合った。
やりたいことを貫きながら、男は人として恥じない自分を誇る。
人は時と共に変化する。
この男もまた、時代の中で歳を重ねた。
武具屋の息子は若者とは呼べない年齢になり、想ってくれた父と母も既にいない。
今はこのような姿に変わり果ててしまったが、オルクは間違いなく、何処かの村に存在していた武具屋の息子である。
夜空に輝く月は、世界が完全な暗黒に染まらぬよう戦っている。
神が闇と戦っている世界でも、僅かな違いで人は人へ悪意を向ける。それもまた、自然な現象なのだろう。
互いに互いを認め合う。言葉ではこんなにも簡単だが、実際に行う場合はこうも難しい。
人間とはそういう生き物であり、己と違う者は決して認められないのだろうか。
正しさを求め、間違いを遠ざける。
この世界に人間として生を受けたその時より、私もまたそれを背負わされてきた。
人間の決めた法に従い、人として恥のない生き方をするよう、幼少の頃から両親に言い聞かされて育った。
悪いことをすれば叱られ、喜ばれることをすれば褒められた。
父の意に背く生き方を選んだ時も、犯罪に手を染めないことを条件として、両親は私の道を認めてくれた。
それからの私は造られた正義を絶対だと信じ、人として恥じない己を誇りとして生きた。
大声で笑っていたオルクは静かになると、空を見詰めるのを止める。
どこにでもいる初老の男性は砂埃を払いながら立ち上がると、懐から古い短剣を取り出す。
濁宝玉の火短剣。
この短剣だけは・・・捨てることができなかった。
名を捨てた男は、手に持った古びた短剣を黙って眺め続ける。
人として恥じない自分を誇りながら生きてきた。
しかし、私はやがて父と母の想いを裏切り、法を背くことになる。
悪となった後も、私はその所業が人として間違っていないものだと信じ、少しでも前に進もうとした。
辛くとも、幸せな日々は、色あせることなく。
犯罪を拒み、差し伸べられた手を払う、それでも前に進みたかった。
愚かな私は思い知らされることとなる。
造られた正義の力を。
・・
・・
・・
忌々しい世界へ
・・
・・
・・
法など所詮は人が創りだした理想だ、そんな物を私に押し付けるな。
なぜ人殺しが罪になる。
なぜ奪うことが罪になる。
なぜ罪を人が・・・ましてや神が決める。
なぜ裁くのが他者でなくてはならない。ましてや神に裁かれる筋合いなど、私には断じて無い。
なぜ決まりを人や神が創る。
罪を犯した本人が、それを罪だと認識しない限り、それは罪とはならない。
どれ程に小さな罪だろうと、本人がそれを罪だと望めば、それは絶対の罪となる。
憎むならば憎めば良い、許しなど私は腹の底から否定する。
私を憎むのなら殺そうとするべきだ。それこそが人間の姿なのだからな。
喩え相手が法だろうと、喩え敵が神だろうが、誰にも私を裁かせる積りは一切無い。
他人など知ったことか。私は己に正直な生き方をしているだけだ。何人たりとも私の邪魔はさせん。
美しい星空は、彼の瞳にはもう届かない。
オルクの眼に映るのは、闇夜に染まった醜い空。
死んだ人間を裁く神を、オルクは誰よりも拒んでいた。
許せん、人如きが己を裁くなど。
納得できん、神が己を裁くなど。
私はもう意味など求めない。神の存在を私は信じているが、神という存在を私は拒絶する。
正解か否かを決めるのは他者でもなければ自分でも、ましてや神でもない。
己を含めた誰にも決めさせん。
己が罪は己で決める。私の罰は私の意志で。
私に罰を下せるのは・・・私だけだ。
オルクが憎むのは自分でもなければ、他者でも人類その者でもない、神すら憎むことを彼は許されない。
憎むのは勇者でもなければ、治安維持軍でもない。
私が憎むのは・・・造られた正義。
この身が朽ちようと、私は神の下になど逝かないと決めている。
辺りは無音、視界は闇。
逝く先には一点の光も無し。
そこは道。
他者もいなければ、神すら存在は許されない。
それでもそこは道である。
いつかオルクは、その道を歩くだろう。
その道に存在するのは自分という己だけ。
その道を創ったのも己であれば、その道を終わらせるのも自分しかいない。
だが・・・私は終わらせない。
永遠とも言える時を、私は歩き続けたいと望む。
しかしまだ、私は生きていた。
この世界で生き続けなくてはならない。
何故ならば、それが私に残された・・・大切な家族との絆だから。
私は生きるだろう。
あの子と共に生きた、この愛すべき素晴らしい世界で
死ぬまで。
そしていつか
永久の救いを
これで外伝はお終いです。
お付き合いありがとう御座いました。
念のため書いときますが、自分は犯罪者にはなりたくないので、できる限り法律に従って生きて行きたいです。
次回からは本編に戻ります、なかなか上手く書けませんが、焦らずやっていこうと思います、
よろしくです。