【人】対【人】
グレン襲撃作戦について
刻亀討伐作戦が進行している現状を考えろば、一行はレンガに長く留まることはないだろう。
勇者一行がレンガを去るのは、恐らく第三陣がヒノキへ向かった数日後と予想する。
オルクは第三陣の出立までに、グレン襲撃の準備を完成させた。
工房からの帰り道に襲撃できるのが最善だが、武具の受け取りが日中の可能性もあるため、そこに拘り過ぎれば機会を逃すことになる。
もし襲撃する位置が時計台から近すぎれば、私が魔法陣を描く時間が足りない。
以上のことを考慮した結果、襲撃する条件は次の通りとなる。
夜間。
単独行動。
時計台、または仲間のいる宿に近すぎない場所。
これら条件を満たした時、作戦を開始する。
・・
・・
実際にグレンが工房へ現れたのは、第三陣がレンガを出立した二日後。
時刻は17時。
土の領域を展開させることにより、職人に信念旗の存在を気付かせ、グレンが工房をでる時刻を遅らせる。
オルクにとって最も理想となる形で、赤の護衛襲撃を実行することができた。
時計台
そこはレンガの誇り
そこはレンガの支え
そこはレンガの歴史
そこはレンガの中心
象徴である場所の警備を任されている者が、どのような人物なのかをオルクは調べていた。
一人は中隊長であり、部下である兵士たちには好かれていないが、確かな指揮能力を持っている。
一人は小隊長であり、部下である兵士たちの評判は良いが、指揮官としての経験は浅い。
一人は小隊長であり、部下である兵士に対し厳しいが、充分な実績と経験を具えている。
この三名の内、最低でも一人は常に時計台を警備している。
治安維持軍への救援を要請する為に、小隊長は兵士を三組に別けて支部へと向かわせていた。
本来なら土の領域を利用し、支部へ到達する前に一般兵を各個撃破できれば良い。しかしレンガという都市は道が入り組んでおり、三組の兵士がどのような経路で支部へ向かうのかを予測するのは難しい。
そのため三組の一般兵が支部へ到着する前に撃破する場合は、常に敵の位置を確認するために、土の領域を使用できる土使いが必要となる。
今回の作戦では貴重な土使いだけでなく、他の属性使いですらオルクの下に回せる余裕はなかった。
実行部隊の属性使いは多いといっても無限というわけではなく、このレンガに集めるだけでも手間は掛かっている。
街中での襲撃。信念旗の幹部は反対する者も多かった。
信念旗はなぜ、勇者を拒絶するのか。
当然だがこれまでに積み重ねてきた憎しみもある。中にはオルクのように信念旗を利用している者もいる。
そうだとしても・・・多くの者たちは、信念の旗に従って勇者を否定していた。
オルクはそんな信念旗の心を利用することで、街中での襲撃を幹部たちに認めさることに成功した。
その所業の必要性を示すのは本当に簡単だった。何故ならこの世界は今も、千年前と何一つ変わっていないのだから。
今回の作戦に納得していない者も多数いるが、幹部の許可が下りていたことにより、それなりの人材を集めることには成功している。
だからこそ最大の武器である協力者を、オルクは物として利用することができた。
一般兵より救援の要請を受けた治安維持軍の属性使いたちは、赤の護衛を助けるために、信念旗を捕らえるために時計台を目指す。
この瞬間に動かせる属性使いは偶然支部に居たのではなく、常に決められた人数が夜間待機していることになっていた。
治安維持軍は数十頭の馬を管理できる建物を都市内に所有しており、現場に向かうときは常にそれを利用している。
だが既にその場所は敵に手を回されていた。天敵と呼ばれる治安維持軍の中にも、信念旗の息が掛かっている裏切り者がいる。
馬は殺されていない。しかし移動手段として利用することが不可能な状況となっていた。
餌に毒を混入したのかも知れない。
馬を街中に解き放ったのかも知れない。
必要な数だけ馬を盗んだのかも知れない。
手段は色々と考えられるが、どのような方法を使ったのかは解からない。
止むを得ず十名の属性使いたちは、自らの足で時計台へと急ぎ走る。
彼らは少しでも速く現場に向かう必要があり、最短のルートを通る。
そこは石畳であり、馬を利用した移動の場合は負担が大きいため、普段ならば避ける道であった。
しかし自らの足で移動するのなら、この道さえ抜ければ大通りにでることが可能であり、時計台への近道となっていた。
焦る気持ちを抑えながら、十名の属性使いは魔力を纏い走り続けていた。
やがて道の中央に人影が現れる。
その者は彼らの行く手を遮るように立っていた。
この道に設置されていた照明玉具は破壊され、月の光だけでは明かりが弱すぎる。今はオルクの片腕だけが周囲を少しだけ明るくしていた。
十名の属性使いを指揮していると思われる中年の男性が、手を上げ部下に合図をだし、一度その場に立ち止まる。
暫く目前に佇む人物を睨みつけていたが、意を決し中年は語り掛ける。
「何者だ・・・そこを退いて頂きたいのだが」
炎使いは布で素顔を隠しながら、笑った口調で返事をする。
「本当は何者か解かっているのだろう? 今この場において、貴様らを足止めする必要があるのは、信念旗以外に考えられるのか」
オルクは懐に隠し持っていた宝玉具により、敵が展開していた土の領域から存在を隠していた。そのような行動を取っている時点で、オルクが敵であることくらい容易に想像できる。
中年は目前の敵を睨みつけながら一歩前に出ると、冷静な口調で語り掛ける。
「たった一人での足止めとは、俺たちも甘く見られたものだな。しかし・・・余程の自信があるからこそ、このような愚行にでるのだろう」
指揮を取っている中年は視線をオルクに向けたまま、背後の部下たちに向け。
「お前たちはその場に待機だ。俺を除いた二人・・・三名で奴の相手をする」
中年は共に戦う二名を選び、残った約七名の部下に指示をだす。
「見えている敵は一人だが、まだ物陰に隠れていると考えた方が良い。俺たちが戦っている間、お前たちは周囲の警戒を怠るな」
暗い夜道に一人佇み、炎の灯りにより意識を向けさせる。
オルクの足下には魔法陣と思われる模様が描かれており、属性使いたちの警戒を余計に煽っていた。
本来ならオルクと戦う三名の中に、指揮を取る中年が混ざるのは間違いだろう。しかし部下たちは彼の性格を理解しているのか、意見を述べることもなく指示に従う。
中年は雷使いであり、選んだ二名は四十歳手前の土使い(攻撃型)と、二十歳過ぎの水使い。
水使いは片手剣を鞘から払うと浅く構えを造る。
土使いは大降りのハンマーを両手に持ち、それを肩に背負う。
雷使い(中年)は素手だが、両腕に金属の肘当てを装備している。
待機させている部下の中には炎使いも存在していたが、魔法で周囲を明るくしないよう中年が指示をだしていた。こちらの正確な位置を敵の伏兵に知らせるのは、得策ではないと判断してのことだ。
しかしその判断は間違っていた。
この場に隠れている者など実際には一人も居らず、オルクは単独で治安維持軍の属性使いと対峙している。
中年は敵から視線を逸らさずに、水使いと土使いへ指示をだす。
「奴の足下に描かれている魔法陣に警戒した方が良さそうだ。取り合えず、接近戦はできる限り避けよう」
オルクが乗っているのは小魔法陣であり、回避に移れば陣から外に出てしまうほどの大きさ。あのような小型の魔法陣では、恐らくオルクは身動き一つ満足に取れないだろう。
敵であるオルクとの距離は30m。中心に雷使いが立ち、その両側に土使いと水使いが存在している。
オルクに向けて最初に走りだしたのは土使い、水使いが少し後を追う。雷使いは一番後方を進む。
敵との距離が15mを切った瞬間、土使いは石畳の地面に向けてハンマーを振り下ろす。
急停止した土使いを水使いは抜き去り、得物である片手剣に氷を纏わせる。
水使いが握っている片手剣の形状は、斬るよりも突きに特化したレイピアに近い。
敵との距離は10m、水使いは走りながらその場で突きを放つ。
片手剣はそのまま水使いの手元に残り、先の鋭く尖った氷だけがオルクの心臓を目掛けて飛んでいく。
弓は矢を放ち遠くへ飛ばすことを目的とした武器だが、剣は投げることはできても、それを目的には造られていない。
剣に纏わせた氷を敵へ放つ・・・これを実現させるには、最低でも水の宝石玉が必要となる。
レイピアによる突きの速さによって、氷が標的に向けて飛ぶ速度が変化する。
オルクは即座に炎の壁を造り、己に向けて放たれた飛氷剣から身を守ろうとした。
氷の矢ならば炎の壁で防ぐことができる。しかし氷の飛剣は氷矢よりも大きさ重量ともに増さっていた。
氷を融かすことができなければ、それは物理攻撃である。
明らかにオルクは判断を誤っていた。物理攻撃は炎の壁では防げない。
そのようなこと、炎使いでなくとも常識であった。
氷の飛剣は容赦なくオルクに迫る。当然だが今は殺し合いの最中であり、その攻撃には明確な殺意が込められていた。
それが炎の壁に接触した一瞬・・・その光景に水使いは目を疑う。
炎の壁は眩い光と共に小さな球体となり、氷の飛剣を飲み込むとそのまま消えた。
一体何が起こったのか水使いには理解できない。だがオルクは何事もなかったかのように、その場に佇んでいた。
オルクが使用した能力はただ一つ、死んだ炎を一部分のみ、蘇らせただけである。
実を言えばこの球体が火属性なのかすら、オルクにはまだ解明できていない。
これは過去に行った実験で、偶然に発見した現象であった。
しかしオルクは炎球体を使用したことにより、氷飛剣から身を守ることには成功した。だが、まだ敵の攻撃は続いていた。
土使いが地面にハンマーを叩き付けたことにより、オルクの左右後方に岩の腕が召喚される。
自身の三方向から出現した岩の腕は、容赦なくオルクに向けて三つの拳を一斉に振り下ろす。
水使いの攻撃を防いだことにより隙が生じ、オルクには回避する手段がない。
にも関わらずこの男は、肩を震わせながら、不気味な声を上げていた。
攻撃を仕掛けた岩の三拳は、直撃する寸前で崩れ始め、オルクの身体を土塗れにした。
当然だが土に帰ってしまえばオルクに痛みはない。
オルクは堪え切れず、終いには大声で笑いだす。
水使いは度重なる異常な現象に混乱していた。オルクの片腕に灯っていた炎は既に消え、視界は闇一色に染まっていた。
一寸先すら満足に見えない暗黒の中から、化物の不気味な笑い声だけが聞こえる。
水使いは背筋の凍りそうな恐怖に身動き一つ取れない。それでも彼はまだ、闇の中より聞こえてくる乾いた声の方向を睨み続けている。
その時だった・・・水使いの背後で雷鳴が響く。
一瞬だけど、音と共に白く光った。
水使いは白い輝きに希望を見いだし、オルクに背中を向けると中年を探そうとした。
そこには雷使いが立っていた。
中年の左腕には雷が纏わり付き、それが音を鳴らしながら点滅した光を造りだしていた。
大降りのハンマーは石畳の地面へ落ちている。
指揮官であるはずの中年が、右腕で土使いの首を絞めていた。
土使いは中年の右腕を自分の両手で掴み、苦しさに顔を強張らせながらも何とか解こうとしている。
足掻けば足掻くほど、中年の右手は己の首に減り込んでいく。朦朧とした意識の中、それでも土使いは同期である中年を見詰め続けていた。
水使いには理解できない。瞬きすら忘れ、無表情で部下の首を絞めている中年を眼に映していた。
何も解からない筈なのに・・・水使いの瞳からは、何かが止めどなく溢れでる。
土使いは魔力纏いすら行えなくなり、次第に意識が薄れ始める。
今まさに自らの手で死に逝こうとしている部下に対し、中年は感情の消えた声で感謝の言葉を送る。
「想い返せば、お前との付き合いが一番長いな。今まで・・・世話になった」
雷使いは土使いの心臓に向けて左手を添え、そのまま雷撃を零距離で放つ。
先程まで必死に足掻いていた土使いは静かになり、彼の両手は中年の右腕から離れ、指先が地面に向けて垂れ下がる。
雷使いは右手の握力を弱め、部下の首をそっと放す。土使いの身体は石畳の地面へと崩れ落ちた。
中年は土使いの死を確認すると、混乱している水使いに視線を向ける。
「未熟だなお前は。戦闘の最中に、敵へ背中を向けては駄目だろ」
その言葉を聞くと、水使いは急いで振り返えろうとした。しかし、水使いがオルクを再び視界へ映すことはなかった。
雷使いは両腕より雷撃を一斉に放つ。
水使いは土使いと同じように、石畳の地面へとその身体を横たえた。
信じられない。信じたくない情景に、待機していた属性使いたちは、中年とオルクを交互に見詰めていた。
静寂に包まれていたその場所に、オルクの乾いた笑い声だけが響き渡る。
「我らが所有する属性使い、それが実行部隊だけとは限らない。信念旗の協力者には、属性使いも存在している」
言い終えるとオルクは片腕に炎を再び灯し、それを前方にかざす。
オルクより放たれた飛炎は、通常では考えられない程の高速で雷使いの脇を通り過ぎた。
待機していた者達より少し手前の地面に飛炎は直撃し、その炎がロープへ燃え移り、闇に隠れていた中魔法陣が浮かび上がる。
今回の治安維持軍との戦いにおいて、オルクは二つの魔法陣を製作していた。
一つはオルクの足下に存在する小魔法陣。自身と共に陣へ魔力を纏わせて使用する。
そしてもう一つは、先ほど闇から姿を現した中魔法陣。
裏切り者は現れた中魔法陣に視線を向けながら頭を下げると、無情の言葉を部下たちへ送る。
「俺を憎んでくれて構わない・・・お前らに渡したのは、只の水だ」
治安維持軍の属性使いは、常に清めの水を所持することを義務付けられていた。
属性使いたちの殆どは、未だこの状況を把握できず、冷静な判断力を保てている者は少なかった。
オルクは静かに片腕を中魔法陣へ向けると、魔力をそこに送り込んだ。
中魔法陣を照らしている炎は小さい。しかし数秒後、明らかな異変が起きる。
炎の大きさからは考えられない程に、大量の煙が発生していた。
大通りは常に草原からの風が吹き渡っている。そしてこの道は、大通りを吹く風が入り込みやすい面し方をしていた。
風向きは予定通りの方角に吹き、中魔法陣より発生している大量の煙は、瞬く間に属性使いたちを飲み込んでいく。
中魔法陣の能力は、僅かな炎から多量の煙を発生させ、尚且つ煙による害を強化する。
王都から魔王の領域への間に生息する鳥型の魔物。その魔物が使用する黒魔法の炎は煙を発生させ、それによる強い被害を惹き起こす。
オルクはその死骸から羽や表面の皮を、己の白魔法で燃やすことにより灰を造り、それを油に混ぜた物をローブに染みこませていた。
下位に位置する魔物の炎には、白魔法と同じように煙を発生させるような力はない。しかし強力な魔物や魔族が使う黒魔法は、明らかに違いがある。
人間が高位魔法を使用するのに、例外も存在するが神言を唱える必要がある。当然だが、連中の使う高位魔法に神言などはない。
強力な魔法を使う場合、奴らは神言の変わりとして、全身に不気味な紋様が浮かび上がる。
恐らくだが、その黒い紋様に秘密が隠されているのだろう。
清めの水を使わずにこの煙を吸い込み続けろば、呼吸器に障害を及ぼし、分を待たずに窒息するだろう。
少なくとも、一度でもまともに吸い込めば、喉の激痛で満足に動くことすらできなくなる。
中魔法陣の炎は小さく、闇の中ではそこより発生している煙を直視するのは難しい。
それでも中年は煙を見詰めたまま、振り返らずにオルクへ語り掛ける。
「後悔はない・・・俺は元より信念旗の一員だ」
その表情に笑顔はなく、何かを堪えながら煙を睨んでいた。
信念旗上層部より命令を受けて十数年、彼は治安維持軍として生きてきた。
長い年月の中で、彼は徐々に知っていくことになる。
生活として、仕事として犯罪者を狙う者。
過去に犯罪へ巻き込まれ、その経験からこの仕事を選んだ者。
自分たちの行いに疑問を感じながら、それでも正しいと信じ戦う者。
中年はこの十数年で理解した、治安維持軍に所属する属性使いもまた、自分たちと同じ人間なんだと。
己の正体を隠しながら戦い続け、気付けばそのなりの地位を得ていた。沢山の情報を信念旗に流したことにより、これまで多くの者を死に追いやった。
果ては本来の同志である信念旗を、彼は自らの手で殺したこともある。
治安維持軍に存在する裏切り者は彼だけではない。会ったこともなければ、誰なのかすら知らないが、この都市には自分と同じ裏切り者がいると聞かされていた。
それでも中年は常に現場に立ち、仲間に真実を隠しながら共に戦い続けた。
部下たちは何も疑わず彼を信じ、仲間たちは彼を信頼し背中を預けた。
中年に取って、この十数年は余りにも長かった。
たった一人の同期が先ほど死に、この場では中年が一番の古株となっていた。
そんな状況に陥ろうと、この男は今でもまだ、信念旗で在りたいと望んでいる。
裏切り者は肩を落とし、情けない自分を同志に語る。
「しかしオルク殿・・・この虚しさは、俺には消せません」
雷使いは己の罪を噛み締めながら、前だけを確りと見る。
せめて煙から、己の罪から目を逸らさないように。
だがそんな中年の姿を見ようと、炎使いは何も感じない。オルクを同志だと思い込んでいるのは、この場に一人しか存在しない。
裏切り者の苦しみなど、この男に解かる筈がない。
オルクは中年の言葉を無視し、淡々とした口調で今後の指示を中年に伝える。
「後は私がする。貴様は治安維持軍の生き残りとして、ここに倒れていろ」
裏切り者は煙を見詰めたまま、オルクの指示を受けると静かに頷きを返す。
オルクは右手を中年の背中に向けて翳し、利き手である左手の指先を小魔法陣に向ける。
その指先は塗料もついていなければ、魔法陣に直接触れているわけでもない。小魔法陣には複数の能力が込められており、オルクは文字を書き陣を操作することで、能力を使い分けていた。
能力の切り替えを終え、オルクは右腕に炎を灯し、そのまま一点放射を放つ。
雷使いの背中に一点炎放射は直撃し、彼は地面へと崩れ落ちる。
炎は直ぐに消されたが、激痛が徐々に背中から広がっていく。
中年は顔を上げ、煙を見詰める。
愚かな男は煙に向け、己の手を精一杯に伸ばそうとした。
しかし裏切り者はその行為を思い留まり、その眼に水使いと土使いの姿を焼きつけると、中年は静かに意識を失った。
邪悪な炎使いは動かなくなった中年に向け。
「貴様がそれを罪だと受け入れろば、裏切りという行為は誠の罪となる。己の罪に耐え切れないのなら、全てを打ち明けて楽になれば良い」
選ぶのは貴様だ、私にそれを咎める権利はない。
オルクは非常の眼差しで煙を睨み付ける。
清めの水が無くとも、この煙から助かる方法はある。
化物は意識を失った中年を視界に入れる。
こいつの部下共は、ただの水を所持している。布に水を含ませ、それで鼻と口を塞ぐ。それだけでも煙が肺に入るのをある程度だが防げる。
もし岩の壁を召喚することに成功できたなら、壁と地面の間に口元を持っていけば、そこに煙の入り難い空間を造ることができる。
敵が煙の中でも生存していると予測し、オルクはそれに対処する。
片腕を前方に向けて翳すと、一点炎放射を何度も煙の中に打ち込み始めた。
・・
・・
やがて中魔法陣に送った魔力は消え、そこから発生していた煙もなくなった。
煙の消えたその場所には、属性使いたちの死骸が地面に転がっていた。
オルクの放った一点炎放射に命中したのか、一部焼け焦げている死体。
煙に含まれた毒で窒息したのか、両手を自らの首に当てている死体。
恋人同士なのか、互いに手を握り合ったまま、息絶えている二人。
だがオルクはそんな死体を見ようと、何も感じはしない。
己に飛氷剣を放った水使いはまだ微かに息があったため、オルクは炎放射で止めを刺した。
大振りのハンマーを得物とした土使いは、雷魔法で殺されたことが一目で解かる。
今回の作戦は裏切り者がいたからこそ勝利を掴めたが、敵にそれを知られるのは避けたい。
そのためオルクは土使いの亡骸も炎で焼く。
上手く行けば・・・単独でこいつらを殺したと、敵に私の実力を勘違いさせることができるはずだ。
オルクは時計台の方角に視線を向けると、精一杯の笑顔を造り、友に言葉を送る。
「私の役目は果たしたぞ・・・ガラン」
役目を果たしたのだから、何時までもここにいる訳にはいかない。
しかしオルクはこの現場を去る前に、直陣魔法の使い手として、魔法陣の研究者として行わなくてはならないことがある。
今回使用した二つの魔法陣。その中核に描かれた属性紋を完全に消しておく必要がある。
私が苦労して入手した属性紋を、容易く他人に渡して溜まるか。
オルクは道具を荷物から取り出すと、それを使い二ヵ所に描いた属性紋を消していく。
暫くの時が流れ、属性紋を消し終えると、最後の仕上げとして二つの魔法陣に液体を撒き散らす。
この液体は魔法陣を描いていた塗料を融かすことができる。魔法陣を使用した形跡は残ってしまうが、私の技術が外に伝わるのを防げろばそれで良い。
塗料を融かす液体は探せば売っているが、戦闘中にその液体を使われたら、魔法陣が使えなくなる。
そのためオルクの魔法陣は、彼が調合した薬品でなければ消すことはできない。
戦闘の後始末を全て済ませたオルクは、荷物を持つと己が殺した死体には目も向けず、何事もなかったかのように去って行く。
彼は人を殺そうと、一切の罪悪を感じない。オルクは己の中で、人殺しを罪として認めてはいなかった。
化物の足音は遠ざかり、その場には意識を失った裏切り者と、物言わぬ部下たちだけが残される。
中年が目を覚ました時、裏切り者は何を想うのか。
己の罪を背負いながら、これまで通り治安維持軍として生きるかも知れない。
己の罪から逃げ、治安維持軍で在ることを捨てるかも知れない。
己の罪に耐え切れず、やがて全てを世間に打ち明けてしまうかも知れない。
それでも一つだけ確かなことがある。
今後どの道を選ぼうと、中年は最後まで、信念旗で在りたいと望むだろう。
何故なら彼には、確かな信念があったから。
信念旗としての誇りを信じ、彼は今日まで生きてきた。
誰にでも、捨てられない物がある。
彼にも捨てられない物がある。
それは夢
それは理想
それは旗
太陽は男
月は女
男と女は自然に愛し合い
自然の世界を創造した
天は空が司り、広く世界を包み込む
土は大地となり、居場所と安心を
雷は罪を裁き、判決を下す
水は流れる川の如く、ゆっくりと時を刻む
炎は・・・
神々は穏やかに暮らしていた
その世界に変化はなかった
罪を犯す必要もなく
時を刻もうと死に逝く存在もない
ただ一つ、変ることのない安心があった
しかしそんな世界において、変化してしまった神がいた。
天を司る者は、永遠の時を刻む世界に絶望した
やがて愚かな空は自由を求め欲望を貫く
全てを捨てることで、決して変らない世界に、変化の風を吹かせた。
新たな風は世界を揺さぶる。
子供たちは大地に寄り添い、時を戻そうと水を頼る。
しかし水は・・・空の意志を無駄にするのを拒んだ。
風が吹く
その風が、白銀の髪を靡かせる
罪と罰を司る神は、始めて己の髪色を知る
雷は風により変化した
変ることの素晴らしさを理解した
雷は父に願う
天は私が自分の使命と共に背負うから、この息吹を消さないで
水は母に祈る
天を背負う雷を支えるから、空の笑顔を消さないで
父と母は優しい子共たちを信じ、ゆっくりと頷いた
この時より天空は青と白に染まり
空は風となり、欲望と変化を司る
信念旗は・・・そんな風を崇拝する。
だけど
我らには立場がある。
我らには恐怖がある。
我らには家族がある。
我らには限られた命がある。
全てを捨てるなど、情けない我らにはできない。
そうだとしても、我らは望む
勇者を憎み
勇者を退け
勇者を倒す
変化を
読んで頂きありがとう御座います。
最初に外伝が二話で終わりませんでした、御免なさい。
魔法陣についてと、オルクについてをもう少し書きたいです。
オルクはグレンよりも一段上の策士という設定を使っていますが、正直自分には荷が重いです。というか登場人物に策士がいる時点で、自分には重いです。
だけどオルクには、グレンの大きな壁として存在して貰いたいと思っていますので。
神話の始まりと、信念旗の理想の一部を書いてみました。
信念旗の考える勇者の危険性などは、まだ上手く纏まってないから、もう少し時間がかかると思います。
神話の続きも上手く纏まってないので、本編の方に持っていくと思います。
確り纏めてから書き始めることの大切さを、今になって思い知らされています。
それでは、もし宜しければ今後もお付き合い頂けると嬉しいです。