二十八話 俺の道
ログと別れレンガ大橋を渡り切った三人は、周囲の風景をただ見詰めながら静かに歩く。
アクアは無言に堪えられず、ミレイの方を向くと質問する。
「おじいちゃんは何で・・・ボクたちにあんなこと聞いたのかな?」
その問い掛けにミレイは悩みながら。
「ログさんと話すと、いつも似たようなことを尋ねてくる。今回は魔人だった、それだけだと思うな」
セレスは暗い表情を残したまま、恐る恐る声をだす。
「でもあのお爺さん、変な話し方だったけど、怒っているように聞こえたもん」
なによりも老人は悲しそうな眼差しでセレスたちを見詰めていた。
背の低い少女は足下の小石を蹴飛ばすと、青く澄んだ空を暫し見詰めて。
「でもボクはやっぱり、できるだけ魔人には関わりたくないよ。その人たちがどんな存在なのかを知っても、ボクは魔人を怖れると思うな」
魔人とは病気であり、何を原因とするのかも解明されていない。
彼ら彼女らが虐げられる一番の理由は、やはり人間の根本に存在する憎しみから来ているのだろう。
人間の心は複雑で確かなことは解からない。だが人類も本能として、闇の魔力を憎むようにできている可能性は否定できない。
現にログと同じように魔人の真実を知ろうと、それでも魔人を認められず拒絶する人間は存在していた。さらに言えば深く調べた上で、魔人をより危険視する者もいる。
ログには魔獣具職人という肩書きがあるからこそ、グレンという魔人と出逢い、その相手を心の底から認めることができた。だが彼にもしその肩書きが無ければ、ログは魔人を認め、そして受け入れることができたのだろうか。
光と闇 この二つの属性は根本で憎み合う定めとなっているのかも知れない。
夜という空間で、なぜ人間は白魔法を抵抗なく使用できるのか・・・それが月の加護だと伝えられていた。
月は夜の世界から人類を護る、母の偉光。
太陽は闇を退け世界を照らす、父の威光。
人類は光を心に宿し、闇と戦う。それがこの世界において自然な仕組み。
しかしそんな道理を覆し、闇と光を心に宿す異型の化け物が稀に現れることがある。人間がそのような化け物に恐怖を感じるのもまた自然だ。
魔人は絶対に起こってはならない突然変異であり、決して認めてはならない存在。
そこに魔人と成った理由や、魔人の心などは関係ない。魔人という存在が、無条件で危険となっている。
光と闇を心に宿せば死ぬのが当然であるこの世界に置いて、闇と光を持ちながらも生き続ける人外の存在。
どんなに相手を愛そうと、心の底に刻み込まれたその恐怖は消えないだろう。
魔人は自然界において、在りえるはずがない現象。魔族よりも危険な存在と唱える学者も多い。
魔族は人類を滅ぼすだけだが、魔人は自然を、世界を滅ぼすかも知れないと。
光の神々と闇の存在、万が一それらが交わってしまったとき・・・その魔人を中心に世界は破壊されるのではないか。
魔人について何も知らない人間は、闇の魔力を持っているという理由で魔人を憎み怖れる。
魔人について知識のある人間は、存在すら確証のない・・・灰色の魔法に恐怖する。
グレンには誰もが持っている人間としての欲が欠落していた。
本人が魔人の恐ろしさを学者ほどに理解しているのかどうかは別として、彼が家族を持つ資格などないと思っているのは、これらの事と関係しているのは確かである。
彼にも自分の子孫を残すために必要な欲はあるが、無意識にその欲望を抑えつけていた。
捨てようとしても捨てられないグレンの想い、その感情を彼が最も怖れている理由は、ここにあるのかも知れない。
セレスは泣きそうな表情を隠したまま、自分の想いを二人に伝える。
「魔人として生きるのはとても辛くて苦しいこと、そのくらいは私だって知ってるもん。だけど、それでも心の中で認められない私がいる」
アクアは視線を空からセレスに移し、頷きながら返事をする。
「何も知らないのに悪くなんて言えないけどさ・・・それでもボクは魔人が怖いよ。だけど魔人の何が怖いのかって聞かれたら、闇の魔力を心に宿しているからとしか答えられない」
ミレイは二人の想いを知ると、静かな口調でまとめに入る。
「魔人であることの苦しみは、魔人でない私たちには理解できないと思うな。だけど最後は、自分の意志で判断したい」
解かり合えなくとも、知ろうとすることは可能なはずだ。どれ程に誰かや己を憎もうと、憎い相手を知ろうとすれば、たとえ許せなくても・・・何かが変化するかも知れない。
だが今の時点でミレイには、確かなことが一つだけあった。
「このまま綺麗な言葉で終わらせたいけど、本心はやっぱり偽れない。私は知識を得た上で全てを知ったとしても、魔人よりも大切な人たち・・・家族を優先させると思う」
愛する人達が、護りたい人達が彼女には存在しているから、魔人と呼ばれる者達とミレイは関わりを持ちたくなかった。
アクアは彼女の本心に疑問が浮かび、ミレイに一つの質問をする。
「魔人ってさ、人々のなかに溶け込んでいるんだよね? もし気付かないまま魔人のことを好きになってたら、それで真実を知っちゃったら、ミレイちゃんはどうするんだい」
その問いにミレイは困った表情を浮かべながら、それでも自分の気持ちを確りと述べる。
「そうなってみないと解からない。だけど今の私ならその人よりも、きっと家族を選ぶ」
女手一つで育ててくれた大好きな母を。
父親の代わりとなって、色んな自分を犠牲にした長兄を。
とても頼りなくて、心配ばかりかける、どうしようもない次兄を。
ミレイは大好きな一人の兄を頭に浮かべながら、その感情が口から漏れる。
「兵士なんて・・・大嫌い」
歳の近い優しい兄が兵士になったことを、彼女は未だ許していなかった。
母も長男も認めていたが、ミレイだけは今この瞬間も、ボルガが望んだ兵士という道を否定している。
その兄がヒノキに向かうことにも納得せず、見送ることもできなかった自分に後悔していた。
セレスは心配した眼差しでミレイを見上げ。
「ミレイが何に苦しんでいるのか私には分からない。だけど何もできないのは、もう嫌だもん」
何もできないセレスはミレイに近付くと、彼女の手を自分の両手で優しく包み込む。
「悲しいときは笑えば良いんだよ・・・にへへ~」
勇者はミレイに笑顔を向ける。
それだけで皆は勇気を持てる。以前グレンがそう言ってくれたから、セレスは頑張って笑顔を造る。
ミレイはそれが造り物の笑顔だと気付いたが、自分を励ましてくれていると知り、嬉しそうにセレスへ微笑みを返す。
「変な顔・・・でも、心の奥底から元気が沸いてくる」
ミレイの言葉にセレスは頬を膨らませ。
「ぶぅ~ 変な顔じゃないもん」
アクアは笑いながら。
「駄目だよミレイちゃん、そんなこと言ったらグレン君と一緒になっちゃうよ。セレスちゃんの笑顔は素敵なんだ」
三人は笑い合い、軍所を目指して歩いて行く。
・・
・・
時刻は10時半を回っていた。
そこにはガンセキだけでなく、グレンもまだ到着していなかった。
恐らくガンセキはまだ軍所の中に居るのだろう。
アクアは少し怒った口調で。
「まったくグレン君は、ボクたちを待たせるなんてさ。相変らずダメダメだよ、これは怒ったほうが良いんじゃないかな?」
セレスはグレンの姿を思い浮かべると、アクアに返事をした。
「でもグレンちゃんのことだから、11時までに到着したら遅刻じゃないって言いそうだよ」
成る程とアクアは頷くと、今度はミレイに視線を向け。
「そう言えばさ、このままグレン君を待ってたら、また四人でお話しすることになるのかな?」
物事に絶対はないといって、ミレイとの約束をグレンは断っていた。
ミレイは時計台に目を向けると、今の時間を確認し。
「そうしたいのは山々なんだけど・・・そろそろ行かないと。家のお手伝いしなくちゃいけないから」
食事所にとって、昼時が一番忙しい時間帯であった。
ミレイの言葉にアクアは悲しそうな眼差しを向けながら。
「残念だけど仕方ないよね。ミレイちゃんと少しでも長く一緒に過ごせたことだけは、グレン君に感謝しないと」
セレスは別れの悲しみを抑え付けて、前向きな気持ちをミレイに送る。
「グレンちゃんが何と言おうと、私たちは絶対にまたミレイと一緒にお話ししたいから、レンガに戻ってくるもん」
アクアもセレスの気持ちに続く。
「そう言えばさ、ミレイちゃんは食事所で今後もずっと働いているのかな? もし他にやりたいことがあってレンガから離れてたら、ボクたちが戻ってきても逢えないよね」
心配そうなアクアの表情にミレイは笑顔を返すと。
「私にはやりたいことって特にないんだ。このまま何も見つからなければ、たぶんこの先も家のお手伝いしてるかな。一応私も属性使いだから、お兄ちゃんが兵士になる前は時間があるとき一緒に修行してたんだけど、魔法を使うような仕事は選ばないと思う」
ミレイは兄が兵士となった時を境に、ボルガとの関係が悪化していた。
「それに私は大切な人たちがいるレンガが大好きだから・・・どんな仕事を選ぶとしても、ここから離れないと思う」
将来について考えてはいなかったが、彼女は此処で年老いて行くことを望んでいた。
家族を愛し、この都市を愛する女性は二人から一歩離れ。
「正直言うと、私は魔物と戦う仕事を選ぶ人が嫌いなんだ。だけど二人は私の大切な友達だから、仕事で死ぬようなことは絶対に許さない」
セレスは太陽の光を浴びて、雲のように白い銀色を輝かせながら、レンガで出逢った友達に言葉を返す。
「私も本当は嫌いだもん。でも・・・必要としてくれる人たちが沢山いるから、この仕事を好きでいられる」
アクアは草原の風に青空色の髪をなびかせ、今の気持ちを友達に確りと伝える。
「大丈夫だよ、ボクたちには仲間がいるから絶対に死んだりしない。歩いて来た道を引き返さないで、一生懸命に進みながら、胸を張ってレンガに戻ってくるんだ」
少女の声は自信に満ち溢れていた。
ミレイは微笑を二人に向けて。
「私は何年でもここにいるから、その時はグレンさんも連れてきてね。今度こそ約束して貰わなきゃ」
勇者と青の護衛は力強く頷いた。
失敗や挫折などしなくても、人は出逢いだけで成長することもある。成長のしかたは数え切れないほどに存在しているのだから。
成長などしなくても、変化ができればそれで良いと考える者もいる。
変化などしなくても、好きなように生きられたら満足だと思う者もいる。
思うままに生きられたなら、その先に破滅が待っていようと、笑って進める馬鹿もいた。
歩き方や進む道を選ぶのは、他人であれ自分であれ、全て風のように自由である。誤った方法で失敗したのなら、それもまた一つの経験となるのだから。
失敗を恐れ地面を踏み固めるのも素晴らしい。何も考えず突き進み、命を落とせばそこまでだ。
道は無限に広がっている
失敗しても後悔しても
それもまた素晴らしい人生だと思いたい
ここに一人、思い込みの激しい男がいた。
彼は自分で他の道を全て切り捨て、限られた道だけを歩く者。
自分の為に生き、自分の為に死にたいと願う男。
そのために邪魔な感情は全て抑え付け、都合の悪い周囲の言葉は否定、または拒絶した。
人として成長したいという望みはあるが、道を歩くのに邪魔だと判断し望むのを止めた。
死ななければそれで良い、光を眺めていられるのなら・・・心の変化など必要ない。
生き続ける為に力を求め、望みを叶える為に人として誰もが求める欲望を殺そうとした。
己を完全に理解する自分など存在しない。
だが彼は人でありたいと望みながら、人間として誰もが持つ欲望を幾つか殺そうとしている。自分が解からないを通り越して、すでにこの男は自分を見失っていた。
指先すら見えない暗闇の中で、小さな点のような輝きに執着し、壊れかけながらこの道を進み続ける。
彼の名を・・・グレンと呼ぶ。
鎧の描かれた国旗と、時計台の描かれた都市旗は風に靡き、灰色の建物は力強くその場所に存在していた。
書官は見送りのために青年の前に立ち、彼の言葉を静かに待っていた。
思えばこの都市で、この人との想い出が一番多いな。
刻亀とは関係のない書物を頼んでも、書官さんは文句一つ言わずに用意してくれた。
最も重要な刻亀の情報は結局、資料からは得られなかった。だけどよ、多くのことを学ばせて貰った。
グレンは相手の目を見ないよう、僅かに視線を逸らしながら軽く頭を下げ。
「お世話になりました」
書官はグレンの礼に頷きを返すと、相手の瞳を確りと見詰め。
「視線を合わすのが苦手ならそれで良い、相手は逸らされているとは気付きませんからな」
戦いの中では敵や味方と目を合わしても平気なんだけどよ、普段の会話で目を合わせると緊張しちまって駄目だ。
全てお見通しの書官にグレンは苦笑いを返し。
「言葉に偽りはないんですが、行動で示せなくてすんません。人と話しをするのが苦手なんで」
短い期間だとしても、ほぼ毎日を共に過ごし、書官も多少はグレンという人物を理解していた。
「休めと言っても君が休息を取れない性分だとは知っている。しかし大丈夫ですかな・・・これから旅立つというのに、顔色が優れないようだが」
工房を去るとき、別れ際にレンゲが放った言葉でグレンの体調は悪くなっていた。
赤の護衛は左腕で利き腕を擦りながら。
「たぶん書官さんも知っていると思うんすけど、ちょっと前に襲われて怪我をしたんで、どうも調子が悪いんですよ。でもそのお陰で、何も考えないで休むこともできたから、何だかんだで問題はないです」
グレンの嘘に書官は表情を崩すこともなく、穏やかな口調で。
「時には使命を忘れて羽目を外すのも大切ですぞ。もし下らない何かをする時があるのなら、我を忘れて心の底から馬鹿に成り切るのを忘れてはいかん」
嫌なことを全て忘れて、何も考えず馬鹿になる。何となく解かるな、アクアと喧嘩しているときは、何も考えないでいられるからよ。
グレンは意を決し、ぎこちない動作で書官と目を合わせ。
「それじゃあ時間もないんで、そろそろ行きます」
苦笑いを浮かべながら別れを言う青年に、書官は穏やかな笑みを返し。
「また会おうとは言いませんぞ、グレン殿は約束を嫌がりますからな。だが、たとえ何事も上手く行かなくとも、全力で駆け抜けなされ」
できる限りそうしますと返事をすると、絆を繋がないままグレンは国立書庫から去っていく。
書官は赤の護衛が視界から消えるまで、その場に立ち続けた。
「我ら勇守会は勇者の味方とは言えぬかも知れません。ですが一個人として、グレン殿を・・・勇者一行を応援しておりますからな」
国立書庫の中に勇守会の協力者が存在する。それは詰まり、彼らは鎧国の機密情報すら握っているという事実を意味していた。
そして恐らく信念旗も勇守会と同等の協力者を持っている。そう考えたほうが良いだろう。
・・
・・
書官と別れたグレンは力ない足取りで大通りを進む。
昼時が近いため、少しずつ人間の数が増えていると理解できる。
人が多くて気分が悪い。周囲の人間が自分を見ている気がする。本当はこいつら、俺が魔人だって気付いているんじゃねえのか・・・気付かない素振りをして、俺を監視しているんじゃ。
大通りを歩く沢山の民たちが、自分を白い目で睨みつけてくる。
見るな、俺を見ないでくれ。
怖い・・・人が、怖い。
他人である民たちが、俺の行いを、俺の存在を非難している気がする。
俺が何をしたってんだ、そんな目で俺を見るんじゃねえ。
グレンの心は動揺に染まり、終いにはその場に立ち尽くしてしまう。
落ち着け、俺を見ている奴なんて誰もいないじゃねえか。全て俺の被害妄想だろ、気にするな、俺は俺なんだから。
俺が魔人だなんて解かるはずがねえ。俺に施された封印は完璧なんだ、気付かれる訳がない。
幸せなんだ。こんなに恵まれている魔人なんて、世界中探しても俺だけだろ・・・もっと苦しい思いをしている魔人もいるんだ。
そう考えれば良い。俺より不幸な者が存在しているんだから、そんな連中と自分を見比べたら、それだけで救いになる。
俺より不幸な奴がいるだけで、俺は気が楽になれる。
グレンは大通りの端を何とか歩き始める。
片側に建物の壁が在るだけで落ち着けるから、壁に護って貰いながら歩けば良いんだ。
それでも空は晴れ渡り、太陽が青年を容赦なく照らしていた。
くそ・・・光が強すぎる、俺には塗しすぎるんだよ。
太陽はグレンの心を徐々に蝕み、彼の身体を破壊する。
月が良い、あの光なら直視できるから。恐ろしい暗闇の中でも安心できる。
大通りを行き交う民たちは、グレンに気を止めることもなく、彼の横を通り過ぎていく。
誰も俺を見ていない・・・俺を魔人だと気付いている奴なんていないんだ。だから落ち着け、俺は太陽を怖れてなんていねえ。
それでも太陽は青年を照らし続けていた。
グレンは朦朧とした意識の中、空を見渡し時計台を探す。
時刻はもう直ぐ10時半を過ぎる、このまま歩き続ければ予定通り南門に到着できるだろう。
このまま進めば遅刻しないですむ。でも、体調の悪い自分を見られるのは御免だ。
心配されて迷惑を掛けるくらいなら、遅刻して迷惑を掛けよう。
その方が・・・俺は良い。
優しさに甘えて迷惑を掛けるくらいなら、迷惑を掛けて周囲に非難された方が良い。
グレンは休息を取ることに決め、休める場所はないか周囲を見渡す。
大通りの端に存在する建物の間に陰を見つけ、グレンはまるで闇を求めるように歩きだした。
その路地裏は少し肌寒く湿った薄暗い場所。使い道のない腐りかけた木材が置かれ、雑草が所々に生えていた。
青年は薄ら笑いと共に独り言を。
「こんな場所に安心しちまうとは、俺って・・・気色悪いのかな」
グレンは湿った木材に腰を下ろし、建物の冷たい壁に背中を預ける。顔を上げて空気を吸い込み、体中の力を抜く。
気分が少し落ち着くと、彼の耳に遠くから鉄を打つ音が聞こえてくる。
その音色に身を委ねながら、青年は目蓋を閉じる。
光は遮断され、グレンの視界は闇に包まれて行く。
暗闇は怖くて嫌いだ。
でもよ・・・塗しすぎる光は、もっと怖いんだ。
それでも進みたい道がある。破滅が待っていても、そこには俺の望みも待っているから。
自己犠牲なんてもんじゃない、俺が望むのは自己満足だ。
セレスの為に望めば自己犠牲、自分の為に望めば自己満足。
人間になりたい。
人間でありたい。
人間として見られたい。
誰の言葉にも揺るがない、そんな人間に成りたい。
好きなように我侭に生きたいだけだから、周りの存在を邪魔だと感じてしまう。そんな自分が嫌いだ。
それでも誰かの声が無いと寂しいと感じてしまう。そんな自分はもっと嫌いだ。
人の声を無視できる人間になりたい。
自分の望みだけを何も考えず求められる人間に。
どんなに望もうと、理想とする自分には成れそうにない。だけど・・・そんな自分に憧れる。
自分の為にと思い込めば、俺は笑いながら道を歩いていられるんだ。
そうか、笑いながら歩けば良いんだな。
何か自分なりの答えを見つけられたのか、グレンは立ち上がると、光に満ち溢れた大通りへと一歩足を伸ばす。
笑おう・・・笑っていれば、誰にも気付かれない。
青年は引き攣った笑みを浮かべ、無理やりに声を発する。
乾いた笑い声は薄暗く湿ったこの場所に良く似合っていた。
大通りにでると、再び太陽は青年の全身を照らす。しかし青年は笑っていた。
グレンは自分の為に一歩ずつ前へ進み始めた。セレスの待つ南門軍所へと、グレンは笑いながら歩きだした。
彼の消えた路地裏。その薄暗い闇の中に、獣の影が一匹。
犬は吼えることもなく、グレンが先程まで座っていた木材の傍らに身体を預け眠りだした。
・・
・・
・・
青年が軍所に辿り着いた時、既に責任者は勇者たちと合流していた。
ガンセキは無言でグレンを睨みつけ、アクアとセレスも心配そうにグレンを見詰めていた。
グレンはガンセキに近付き杭を渡すと、責任者から一歩離れ、ゆっくりと頭を下げる。
青の護衛がグレンを護るために間へ入り、再度事情を説明する。
「グレン君はボクたちのために別行動を取ったんだ、怒られるならボクとセレスちゃんもだよ」
しかしガンセキはアクアの言葉を無視したまま、グレンを睨みつけていた。
セレスもグレンを護るために責任者へ話しかける。
「私もアクアも、グレンちゃんの提案に賛同した。だからグレンちゃんだけを怒っちゃ駄目だもん」
ガンセキは溜息を吐き、グレンに質問をする。
「二人はこう言っているがどうなんだ? もしお前がアクアとセレスの為に単独で工房へ向かったのなら、今回のことは不問にしたいと思うのだが」
責任者はグレンの答えを知った上で、このような問い掛けをした。
赤の護衛は偽りのない本心をガンセキへ伝える。
「こいつらは俺の提案に賛同なんてしてませんよ、反対されたけど俺が無理やり押し切りました」
グレンは満面の笑みを浮かべながら発言を続ける。
「セレスとアクアの為に俺が単独行動をした? んなこと俺がする訳ないですよ」
自己犠牲ではなく、自己満足だとグレンは言い切った。
アクアは振り返りグレンを睨み付ける。
セレスは寂しそうに青年に視線を向ける。
責任者は拳を握り締め、赤の護衛に語り掛けた。
「ならば二人は関係なく、お前の独断と言うことだな」
グレンは頷きと笑みを造り返事をする。
「ミレイって女性に良い所を見せたくて、ちょっと格好をつけたいなと」
似合わない、その場にいた三人はグレンの言葉にそう感じていた。
アクアはグレンの目を睨みつけ。
「どうしてそんな見え透いた嘘を付くのかな?」
セレスがアクアの言葉に続く。
「折角できたお友達と少しでも長く一緒に過ごして貰いたかったから、グレンちゃんはガンセキさんとの約束を破ったんだよね?」
二人はグレンを護ろうとした、それでも彼は懲りずに笑いながら嘘を付く。
「背の高い女は好みでよ、だから格好をつけたんだ。あの女に良い印象を持たれたかったから、俺は一人で工房に向かうことにした」
青年の乾いた笑い声に、二人は怒りを露にさせ。
「君は最低だね。嘘だとしても、嘘だからこそ、その行いはミレイちゃんに失礼だと思わないのかい」
セレスもまた蔑むようにグレンへ怒りを向け。
「私たちの友達を、貴方は嘘の道具にした。どうしてそこまでして、グレンちゃんは自分を偽るの」
駄目だな、笑ってなんていられねえ。
最低な自分を・・・笑えない。
青年の顔に笑みは消え、隠していた顔色の悪さが浮き上がる。
天からの光と勇者の輝きに、魔人は心を蝕まれながらも、三人の仲間に自分を語る。
「最低な人間で良いんだよ・・・それが俺の生き方だ」
誰にも心を開かないグレンに、二人は言葉を失う。
ガンセキは責任を背負うために、どうしようもない青年へ罰を。
「グレン、荷物を置いて両腕を後ろに持っていけ。それが終わり次第、目を閉ざせ」
殴られるのか・・・それならそれで仕方ない。
責任者の言葉にグレンは頷きを返すと、言われた通りに行動する。
アクアは止めに入ろうとするが、ガンセキの顔を見て諦めた。
セレスは涙を堪えながら、グレンとガンセキを確りと見詰めている。
青年は目を瞑り、罰を受けるその時をずっと待っていた。
しかし痛みは来なかった。
ガンセキは穏やかな口調でグレンに言う。
「もう目を開けて良いぞ」
グレンの視界に映ったのは、己の荷物を抱えている責任者の姿であった。
ガンセキは自分の荷物を背中で背負い、グレンの背負い鞄を両腕で抱えている。
青年は今日一番の困った表情を浮かべながら。
「何をしてるんすか、自分の荷物くらい・・・自分で」
グレンは理解した、これがガンセキの用意した自分への罰だと。
「お前は俺に殴られるより、俺に荷物を持たれた方が堪えるだろ? だから今日一日は俺たちがお前の荷物を持たせて貰う」
そう言うとアクアとセレスに視線を向け。
「悪いがグレンの肩掛け鞄は、お前ら二人で交互に持ってもらうことになるが良いか?」
セレスはガンセキに太陽のような満面の笑みを浮かべ。
「はい、グレンちゃんの荷物はわたしが持ちます」
勇者は肩掛け鞄に駆け寄ると、それを大切そうに持ち上げて、元気にグレンへ語り掛ける。
「ミレイちゃんに御免なさい言わないと駄目だもん。ちゃんと謝らないと私がずっとグレンちゃんの荷物持っちゃうから」
グレンは呆気にとられ、思わず素直に返事をしてしまう。
「あ、ああ・・・悪いことをした。だからその荷物は」
俺に持たせてくれ。そう言おうとしたが、セレスの声に遮断される。
「駄目だよ、今日は私が持つから、グレンちゃんは確り反省して」
セレスの言葉にグレンは肩を落とし、力なく頷いた。
ガンセキは落胆する赤の護衛を確認し、仲間たちを見渡して。
「ではそろそろ行くぞ、朝にも言ったが今夜は野宿になるからな、無理して進まずにゆっくり行くぞ」
アクアとセレスは頷きを返し、少し遅れてグレンも頷く。
ガンセキは門に向けて歩き出す、アクアとセレスもそれに続く。
グレンは動けずに、その場に立ち尽くしていた。
動こうとしないグレンにアクアが気付き。
「ほらグレン君、速く並ばないと。何時までたってもレンガから出れないよ」
南門と北門は信念旗の件で通行が制限されていた、ガンセキが責任者である証明書を見せることで、通ることが可能となっている。
しかし一行の他にも旅商人などが列を造っている。この場合は鉄工商会が発行する許可証が必要に成るのだろうか。
恐らくこの程度では、信念旗も既に脱出していると考えた方が良い。
グレンは元気のない声で返事をする。
「今行きますよ・・ちくしょう」
しかし青年の顔色はガンセキの罰により、少しだけ良くなっていた。
太陽を直視できなくても、父の光はグレンと仲間たちを、人間をいつだって暖かく照らしている。
青年は振り返り、レンガを・・・この都市に住む人々を眺める。
その景色を確りと焼き付けると、グレンは仲間たちに向けて歩き出した。
遠くで鉄を打つ音が聞こえる。
6章 赤鋼 終わり