二十四話 夢が覚める前に
工房には太陽の光が射し込み、職人の肌を照らす。
職人は手と顔を水で洗い、着ている衣類もいつもほど汚れてはいなかった。
化粧など産まれてから数度しかしたことはなく、煤で顔を汚している時間の方が圧倒的に長いだろう。
それでも汚れていないその顔を見れば、職人が女性であることは一目で理解できる。
職人は椅子に背を預けながら息を吐き、一人の男性を想う。
今日・・・彼はこのレンガを旅立つんだ。でも寂しくはない、私たちは約束しているから。
強がりなのは分かっている、それでも自分に言い聞かせないと決心が鈍ってしまう。
私とガンセキには絆がある、約束が果たせなかったとしても、大切な絆はちゃんと残るんだ。
絆を誰かと繋ぐのは良いことばかりじゃなく、辛いことだって沢山あるよ。だけどね・・・私は相手がいなくても、絆はちゃんと残るものだと信じているんだ。
凄く辛いとき、とても悲しいとき、考え方を少し変えるだけで救われることもある。私の勇者一行は失敗に終わったけどね、そうやって考え方を変えることで、今ここに私は立っていられる。
レンゲは静かに椅子へ座ると、机の上に置いてあるカップを手に取り、ゆっくり口につける。
美味しくない・・・いや、不味いよこれ。
そもそも料理すらまともにしたことのない私が、お茶なんて上手に入れられる筈がないんだ。まあ、そんなこと分かっていたけどね。
不味いお茶を無理やり口の中に流し込むと、レンゲはそそくさと薄汚れた練習用のお茶セットを片付ける。
手馴れない動きでお茶セットを洗っていると、鼻歌と共に言葉が口から漏れる。
「グレンが来る前に急いで片付けなきゃ」
お茶を入れる練習をしている所なんて、恥ずかしくて誰にも見せられないからね。
レンゲは似合わないことをしている自分を軽く笑いながら。
やっぱり宝玉具を造っている方が私の性に合ってるね、何も考えないで没頭できるから。
辛いことから逃げるために宝玉具を造っているわけじゃないけど、やっぱり好きなことをしていれば、嫌な事を一瞬だけど忘れることができるんだよ。
それでもただ一つだけ、私の造った宝玉武具で人が死ぬかも知れない、それだけは造っている最中も忘れないようにしてきた。私個人としては、自分の造った武具で人を殺してほしくはない。だけど職人は使い手を選べないから、この仕事を選んだときにそこらへんは覚悟している。
職人になって10年が過ぎたけど、未だ私には武具とは何なのか明確な答えは見つかっていない。色々と考えたけど、結局最後は命を奪う道具って考え方に戻ってきてしまう。
武器で何かを護ることもできる、何かを傷付けることで何かを護るんだ。そこに使い手の善悪は関係なく、奪うことで使い手の大切な物や者を守ることができる。
10年以上職人を続けているくせに、私にはそんな当たり前の考え方しかない。しかも私は宝玉武具職人であるにも関わらず、自分の武具を魔獣具にしたんだ。
宝玉具は白魔法と強い関わりがある・・・それが何を意味するのか。
宝玉具職人ってのは、神と物凄く深い繋がりのある職業なんだ。当然だけど上位に位置する職人の中には、神官以上の地位を得ている人だっている。
そんな宝玉具職人である者が自分の造った武具に闇の力を加える・・・この国では罪にならないけど、間違いなく宝玉具職人としては褒められた行為じゃない。
駈けだしの頃は経験のために魔物具を造ることもあるけど、ある程度の腕を持ては、それをする宝玉具職人はほとんどいない。
でもね、もし武器は命を奪う道具じゃないと言ってしまったら、その時点で私はもう武具職人ですらなくなる気がするんだ。
レンゲが職人としての自分について考えに耽っていると、工房の扉を誰かが叩く。
開いてるよと返事をすると、良く似合う苦笑いを浮かべる青年が姿を現した。
嘗ての仲間に良く似た青年は、レンゲの顔を見ながら口を開く。
「どうも・・・まさかこんな簡単に返事が来るとは思ってませんでしたよ」
今まで一度のノックでレンゲが気付くことがなかったため、グレンは少し驚いていた。
レンゲはニッコリと笑うと、未だ苦笑いを浮かべている青年に言葉を返す。
「いらっしゃい、良く来たね。さあさあ上がって、水は出さないけど欲しかったら外に井戸が在るからね、遠慮せず汲んでくると良いよ」
グレンは苦笑いを一層に強めながら。
「お気遣いどうも、最初から期待はしてないんで気にしないで下さい」
そんな嫌味を言いながらも、グレンはレンゲのお言葉に甘えて工房の中に足を踏み入れる。
レンゲは客人に椅子へ座るよう促し、グレンもその言葉に従い素直に腰を下ろす。
椅子に座る前にグレンは左腕をレンゲに向け。
「これ外店のオヤジさんが一つ余分に作ってくれたんで、良かったらどうぞ」
何でもお別れの挨拶をしたら、内緒で一つ足してくれたらしい。
レンゲは嬉しそうな笑みを浮かべ。
「ありがとう、そう言えばご飯は朝から食べてないんだ。これけっこう好きなんだよね」
奪い取るようにグレンから薄パン肉野菜包みを受け取ると、お礼もそこそこにレンゲは食べ始める。
グレンは何気なくレンゲの豪快な食べっぷりを見ながら。
「なんか今日は随分と小奇麗な格好をしてるっすね・・・あくまでも普段に比べれば」
そりゃあ私はいつも小汚い格好をしている自覚はあるけどさ、面と向かって言うのは失礼じゃないかな。
彼は頭の中では気を使っている積りでも、思ったことを口にだしちゃう所があるようだね。自分は嘘つきだって言っているけど、どうしようもないほどに嘘を付くのが下手みたいだ。
レンゲは貰い物を容赦なく食べ終えると、グレンに再度お礼を。
「いつもご飯を食べに行ったり、保存食を買いだめに行くのが面倒でね、お陰で助かったよ」
そんなレンゲの言葉にグレンは苦笑いを造り。
「オヤジさんもレンゲさんの食べっぷりを見たら喜びますよ」
グレンは嫌味で言ったのだが、レンゲは気付かずに笑顔を返す。
・・
・・
その後、暫くは穏やかに会話をしていたが、時間の関係もあるため本題に移る。
レンゲは真剣な眼差しでグレンに語り掛ける。
「逆手重装について話をする前に、君に幾つか謝りたいことがあるんだ」
グレンは突然の申し出に困った顔を浮かべながら返答する。
「謝られる覚えはないっすけど・・・レンゲさんの気が済むなら好きなだけ謝ってください」
不器用な言葉にレンゲは頷きを返すと、職人として自分の犯した行為を謝罪する。
「依頼を引き受けた私は職人として君の武具を造った。前金を受け取っているにも拘らず、私情を挿み君に武具を渡すことを拒んだ。そのことについてまずは謝っておきたい」
レンゲはそういうと頭を下ろした。
気に入った相手にしか武具を造ろうとしない職人だって勿論いる、だけどレンゲは自分の考え方として、職人は使い手を選んではいけないと思っていた。
だからこそ彼女は通常どんなに頼まれても、直接の依頼は可能な限り断っていた。相手の人物像を知った上で、お客を選ぶことはしたくないから。
グレンと嘗ての仲間であるギゼルを重ね、レンゲは自分で造った職人としてのルールを破ってしまった。
それともう一つ、レンゲはどうしても謝らなくてはならないことがあった。
「私は君に自分なんて者は無いといった。でもさ・・・後になって冷静に考えてみると、自分を持ってない人間なんていないよね」
自分が無い人間は多分いない。昔のギゼルさんは自分が解からないから苦しんでいたんだと思う。
レンゲは顔を上げるとグレンの瞳を確りと見詰め。
「自分がどんな人間なのか簡単には解からない。でもまずは今の自分を認めないと・・・本当の自分を受け入れるのは、それ以上に難しいかも知れないよ」
正直言うと私自身グレンに何を伝えたいのか良く解からない。だけど今のまま最初から自分は屑だと否定しているのは、止めた方が良いと思うんだ。
その話しにグレンは左手で頭をかき、困惑しながらもレンゲに返事をする。
「今さっき魔獣具職人の爺さんにもそんなことを言われたんすけど、俺にはどうも意味が解かんねえ」
ログ爺がグレンに言いたかったことは、私にも何となく分かるんだけど・・・どうすれば良いのかな?
レンゲも困った顔を浮かべながら。
「ログ爺の言葉ってさ、滅茶苦茶で意味不明なことが多いんだけどね、一応全部意味はあるんだよ。私の予想を言っても良いけど・・・グレンが自分で出した答えが、君にとっての正解だと思うんだよね」
それにさ、私の予想は間違っているのかも知れない。下手にグレンに教えない方が良い気がするんだ。
だけど一つだけ、レンゲはグレンに言いたいことがあった。
「人からの目線では違うのかも知れない。でもね、自分で自分は屑だと決め付けたら・・・君は誰が何と言おうが屑になるんだ。もう少し自分と向き合ってからでも、結論をだすのは遅くないんじゃないかな?」
実をいうとこれが私の予想するログ爺がグレンに言いたかったことなんだけどね、ログ爺の言葉としてグレンに教えると、彼はこれを魔獣具職人の言いたかったことだと思ってしまう可能性がある。
私自身、ログ爺がグレンになんと言ったのか詳しく聞いてないから、違っているかも知れないんだけどね。
だからこそレンゲは自分の言葉としてグレンに予想を伝えた。
まあ私が言ったことをグレンができろるなら苦労はないんだけどね、どうも彼は自分に屑だと言い聞かすことで心を保っているみたいな所があるから。
見方を変えろば・・・それは逃げなんだろうけど。逃げてないと生き続けられない人もいるから、一概にそれを間違いだと言っちゃ駄目な気もする。そこらへんは難しすぎる問題だから、専門の知識がない私が触れることは避けたほうが良い。
グレンは外套から左腕をだし、それを見詰めながら口を開く。
「爺さんが言ってたけど、本当は自分の本質に俺は気付いているらしいです。でも、気付かない振りをして白を切っている。思うんすけどそれって裏を返せば、俺はその本質を認めたくないから、解からないと思い込んでいるんすよね?」
私が思うに彼の場合は二つの可能性がある。
・グレンの本質は実際に屑であり、彼は自分を本当は屑だと認めたくない。
・グレンの本質は屑ではなく、彼は自分を屑ではないと認めたくない。
レンゲは瞳を一度閉ざし、グレンに何と言うべきかを考える。
ガンセキ・・・君も大変だ。一見確りしている人ほど、心って脆いのかも知れないね。
目蓋を開きレンゲは相手の瞳を見詰める。
「いつか君は自分の本質に出遭うかも知れない」
グレンは相手から目を逸らさずに話を聞く。そんな青年にレンゲは想いを込めて己の考えを伝える。
「全てを知った上で、自分の本質を認めて受け入れるのも一つの答えなら、自分の本質を否定して拒絶するのもまた一つの答えだと思う。そこだけは誰かに任せちゃ駄目だよ、ちゃんと自分で考えて決めた方がいい」
自分という人間の本質、自分という人間の本心・・・この二つはもしかして別なのかも知れない。
グレンが心の奥底に潜ませる本性。
グレンが心の奥底に隠し続ける本当の気持ち。
この青年が今後どのような判断を自分に下すのか分からない。だからこそ旅立つ前に、職人としての私の想いを伝えなきゃ駄目だよね。
レンゲはグレンの逆手に視線を移し、武器について語り始める。
「君は逆手重装を手にしたことで、今はまだ魔獣具としてしか役に立っていないだろうけど、今後は更なる力をその身に宿していくだろう」
武器を手にする行為は、たとえそれを使いこなすことができなくても、見る者に大小の恐怖を与えることになる。
「力を手に入れるってことは、同時に何かを失う。それに抗うことは、多分だけどできない」
人類は道具を造るために身体能力を犠牲にした。
そして武器には、魔獣に関係なく呪いが込められている。
「手にした武具が優れていればいるほどに、人はその武器を使いたいという衝動に駆られるんだ」
だから武具を手にした者は、責任を背負わなくてはいけない。
「何の為に自分が武具を持っているのか、その理由を忘れたとき、人は少しずつ狂い始める」
季節を問わず繁殖ができるという最強の武器を手に入れた人類は、何かは解からないが、間違いなく物凄い代償を背負わされている筈なんだ。
レンゲは武具を造った者として、有無を言わせない強烈な眼光と共に、武具の使い手であるグレンに問う。
「赤の護衛としての使命だけではない、ギゼルさんの意志を受け継ぐというだけでもない、君が逆手重装という力を求めた最大の理由を忘れるな」
危険を覚悟してまで逆手重装を魔獣具にしてくれと、私に頭を下げた理由を絶対に忘れてはいけない。
「力を求めた理由を忘れたとき・・・君は絶対に狂いだすよ」
グレンは誰にも聞こえない心の声で。
《俺はその為だけに生きているんだ、忘れて堪るか》
勇者と共に戦い続け、彼女の成長を傍で見続ける為に、グレンは力を一途に求めた。
自分の欲望を叶える為に、何時か来るその時を只管に夢見て、彼は今日まで生きてきた。
彼は夢を見続けたまま、明日も生きていく。
そうすれば、もしもの時・・・勇者の重荷にならないで済むと信じて。
職人は使い手を選ばない、私はそう自分で決めて今日まで生きて来た。
使い手を選ぶようなことを私はしたくない、だって私にとって武具は・・・命を奪う道具だから。
職人が使い手を選んでも、私が相手の本性を見極めることができなければ駄目だ。
たとえ私が望む使い手であったとしても、その者が戦いに敗れ、殺した相手が新しい使い手になるかも知れない。
私はただ造るだけ・・・使い手を選ぶようなことをしたくない。
人間を選ぶようなことをしたくない。
誰にでも力を求める理由はあるから、それを否定したくない。
女を犯したいという理由で力を求める誰かもいる、本当はそんな人に私の武具を使ってほしくない。
そうだとしても私は一職人として、使い手を選ぶようなことをしたくない。
願うのは一つだけ・・・武具を命を奪う道具として扱って貰いたい。
もし観賞用に私の武具を持つのなら、命を奪う道具として、私の武具を見て欲しい。
命を奪う道具だからこそ、その武具には美しさが宿るんだと思いたい。
命を奪う道具とは別の目的で、武器を造る場合もある。だけど私は自分の武具を、命を奪う道具として造っているから。
レンゲは一人の職人として、自分の武具を・・・逆手重装の使い手を見る。
グレンは不器用な手付きでロープを使い、逆手重装を入れる手持ちケースを背負い鞄に巻きつけていた。
あまりにも酷い巻き方を見たレンゲは深い溜息を吐くと、グレンからロープを強引に奪い取る。
「見てらんないよ、ちょっと君は不器用にも程がある。ギゼルさんが前に罠すらまともに作れないって手紙に書いてあったけど、この手付きなら納得だね」
言い返すことができないグレンは肩を落とし不貞腐れる。
事実グレンは魔物狩りで罠を使い、戦闘を有利に進めようとしたことが何度かあるが、尽く見事に失敗していた。
作り方を教わり手順を確りとこなしてもなお、不出来な罠は効果を発揮しなかった。
火の玉や油玉は数をこなした事と一からの製作であったため問題なく造ることが可能だったが、それ以外の物作りは人の手を借りないと上手く行くことは滅多になかった。
レンゲはロープを手に作業をしながら、不貞腐れているグレンを見て。
私は今まで自分の武具を使う人から逃げていただけなのかも知れない。鉄工商会の依頼を受けたり、私が造った武具を売り込むだけなら、自分の罪から目を逸らせるから。
今までの考え方を変える積りはない。だけど自分の造った武具を使ってくれる人の顔が見れるって、なんだかんだ言って嬉しいことなんだ。
彼との出逢いにより、今まで貫いてきた職人としての考え方を破ってしまったけど、時にそれを壊すことで学べることもあるんだね。
それに一つだけ確かなことがある・・・彼は逆手重装を命を奪う道具として扱ってくれる。他の使い方ができるほど、器用な人間じゃなさそうだから。
武具を脅しの為だけに使う、それも間違いではないと思うけど、私にとって武具は奪わないと武具じゃないんだ。
逆手重装が悪銘として歴史に残るかも知れないって、君は気にしているのかも知れないけどさ、そんなこと私は気にしないよ。
その武具を命を奪う道具として扱ってくれて、その武具で勇者を一生懸命に導いてくれるなら、私だけだとしても君を心の底から褒めてあげたい。
私は一職人として・・・逆手重装の使い手である君を信じることに決めたよ。
・・
・・
一昨日の戦闘で発症した呪いについてや、逆手重装の使い心地をレンゲに説明している内に時間は刻々と過ぎていき、グレンと職人の別れは迫っていた。
それでもレンゲは笑顔を絶やさない。
属性使いだった頃の想いはガンセキだけに託す積りだったけど、結局グレンにも勇者を導いて欲しいってお願いしちゃったよね。
青年は荷物を背負い、扉の前に立っていた。
レンゲはグレンに一歩近付くと、責任者の杭を赤の護衛に手渡す。
グレンはレンゲから杭を受け取ろうとした・・・しかし、女の子はそれを離すことができないでいた。
赤の護衛は何も言わない、黙ってレンゲが杭を手放すその時を待っている。
製作者も分からない無銘の杭、属性使いだった頃の想いで、職人になってからの記憶。短かった彼との一年の中心であったこの杭には、彼女にとって人生と呼べるほどの全てが詰まっていた。
グレン・・・君は私とガンセキの関係について、最後まで触れようとしなかったね。
その行為が私との絆に繋がると思っているから、君は絶対に踏み込んだりしない。まあ私としては、もう確り君との絆は深めた積りだけど、君の中でそれを認めなければ、グレンにとってそれは絆とはならない。
レンゲはゆっくりと杭から手を放す。
グレンは杭の重さを左腕で受け止めると。
「それでは・・・レンゲさん、短い間でしたが有難う御座いました」
レンゲはグレンを見て、明るい笑顔を浮かべると。
「逆手重装は私でもどう化けるか予想ができないから興味があるんだ、全部終わったらまた寄ってくれると嬉しいね」
グレンはレンゲから少しだけ視線を逸らし。
「来れるなら寄りたいと思います・・・その時は茶くらいだして下さいよ」
レンゲはグレンの言葉を予測していた。
君は私とガンセキとの間に足を踏み入れない、それを私との絆を繋がない条件として決めているから。
だけどこのまま別れさせるほど、私は優しくないからね。
なんたって君は・・・私が始めて職人として信じた使い手だ。絆は互いにきっちりと結んで貰わないと気がすまないんだよね。
「残念ながら私はガンセキを工房に迎え入れるとき、お茶をご馳走する約束をしているからね。恋人よりも先に、お茶をご馳走する訳にはいかないから許してね」
この歳になって、こんな可愛らしい約束に胸を躍られる自分が恥しいけど、女は幾つになっても女の子だから仕方ない。
グレンは目を閉じると精一杯の溜息を。
「ガンセキさんを迎え入れるときは、もう少し綺麗な格好した方が良いんじゃないっすか? 化粧は女の嗜みってどこかの誰かが言っていた覚えが薄っすらとありますんで」
彼の表情は笑いながらも、その瞳はどこか眩しそうにレンゲを見詰めていた。
レンゲは悲しそうにグレンを見詰めながら。
「それでも着飾らない私が本当の私だから、ガンセキには煤に塗れた私を愛してもらう。あとね・・・どんなに捨てようとしても、捨てられない気持ちは絶対にあるんだよ。結局、私が女の子だったように」
あまりの眩しさに耐え切れず、男はレンゲに背を向けて扉を開き、頼りなく片足を一歩前にだす。
グレンは無理やり元気良く言葉を返す。
「俺が気付かない振りをしている本当の気持ちについては、夢が叶ってから考えようと思います。今はただ・・・逃げるだけです」
レンゲは優しくも責めるように、素直を拒絶するグレンへ語り掛ける。
「後悔するって分かってて、その上で夢を追い続けているのなら、もう私は君に何を言って良いのか分かんない。夢が覚めたら、何処かに消えていたとか許さないからね」
グレンの後姿は泣いているのか笑っているのか分からないけど、彼は数歩だけ足を前に進めると肩を震わせながら、少しだけ私の方を見て。
「目が覚めてみないと、何処にいるのかは分かんねえっすよ。まあ俺だって、消えたくないと思ってはいますが」
実際の所どうなのか、グレンの本心はレンゲにも分からなかった。たぶん彼自身も解かってはいないだろう。
それでも見送るレンゲの瞳に映るグレンの背中は、何故かとても小さかった。
私は不意にその背中を見て涙を流していた。
なぜ彼はこんな人間になってしまったのか、何もできなかった自分が悔しくて悲しくて堪らないよ。
オババしか知らない魔人としてのグレンは、魔人病患者としては幸せで、誰からも拒絶されることなく生きて来た・・・それが本当に幸せなのか。
虐げられる人生には、虐げられる苦しみが待っている。
受け入れられる人生には、誰も憎むことのできない、そんな生き方が彼には待っていた。
誰もが神を崇めるこの世界でそれを打ち明けることがどれ程に危険なことなのか、魔人が世間でなんと言われているのか、知ろうとはしなかったが彼は全て予想していた。
神への信仰がどれ程の力を持っているのか、それを嫌と言うほどに知っているグレンが、全てを打ち明けられるのだろうか?
同じ人間はいないと彼はよく言うが、個々によって異なる経験があるからこそ、個人や集団の中で異なる考え方が生まれる。理由は人によって様々だろう、彼が知られなければそれで良いという考え方を持ったのにも原因はある。
決して神を信じる気持ちが駄目だとはいわない。だが、この世界で誰一人見たことのない神こそが、捻じ曲がった考え方を彼に持たせた原因の一つだと言うことに間違いはないだろう。
勿論こんな人間になった責任は彼自身にもある。それでも己を憎み自分を屑と呼び、心を守り続けてきたそんな彼の生き方は、全てに置いて間違っていたのだろうか?
レンゲは小さな背中が消えると急いで工房の中に入り、潤んだ瞳を手首で擦りながら、女の子としての安らぎを求めて歩く。
悲しい気持ちを静める為に、手を伸ばし宝物を棚から取り出す。
可愛らしい木箱には、容器の中に保管されたグレンのボロ手袋と、花柄のお茶セットが大切にしまわれていた。
本番のときに使うお茶の道具、何も分かんなくて知識もなくて、どう使うのかも知らなくて。
練習用のお茶セットも買って特訓したけど美味しくならない、それでも花柄のお茶セットは大切なレンゲの宝物だった。
似合わないことは分かっているけど、命を奪う道具を造っている私が持つことは許されないと気付いているけど、それでも女の子である自分を象徴する宝物。
だけど私は女の子である前に職人で、勇者を護っていた黄の護衛で、なによりもガンセキの師匠だった。
一言も喋らず見送ることを覚悟していた・・・だけどグレンが私に杭を残してくれたから、ガンセキと話をすることができて幸せだった。
たった一人の喧嘩相手を護れずにレンガへ戻ってきたガンセキは、臆病な自分を殺したいと私に縋り付いた。
修行に逃げようとする彼に昔の面影はない、ガンセキは勇者の村には戻らずに、そのまま戦場に戻る積りだった。
一体でも多くの魔者と魔族を殺し、そして魔族か魔者に殺されることを望んでいたガンセキ。
それでもガンセキは臆病な自分を捨てることができなくて、いつしか女を捨てることができなかった私と惹かれあった。
私は後悔なんてしてない、ガンセキに生きる意味を持たせることができて、また故郷に帰らせることができたから。
ガンセキは戦場に死ぬために行くんじゃない、呪縛の信念を消しさり、嘗ての勇者と故郷でまた再会するために戦場に行くんだから。
彼はグレンとは違う、安心して死ぬために戦場に行くんじゃない。生きるために戦場へ行くんだ。
だから私は後悔なんてしない。ガンセキと本当の意味で二人で生きるために、私はガンセキの背中を押したんだから。
私たちは生きるために、二人でそれを決断したんだ。
自分が死に場所を求めていることにすら気付いてないあの青年に、私は何か残すことはできたのだろうか?
彼を救うことができるのは勇者だけなのかも知れない。だけど貴方ならできるはず、彼がその奥底で必死に隠している何かを見つけることができれば、グレンを助けることがきっとできる。
青の護衛という仲間がいる。旅の中で支えてくれる同志や友達もきっといる、救うことは出来なくても、支えられる仲間がいるのだから、絶対にグレンを救うことができるとガンセキは信じなきゃ駄目だ。
グレンが救いなど望まなくても気にする必要なんてない、彼は自分の本心すら気付こうとしない卑怯者なんだからね。
だから少しでも速く・・・彼の目標が
夢が・・・覚める前に。
6章:二十四話 おわり
お久しぶりです、前にも後書きで書いてますが、しつこいかも知れませんが、主人公と作者は別人です。
作者は駄目人間ですが、間違いなく人間なので、自分が嫌いではありません。
自分は主人公に感情移入して執筆しているんですが、主人公を立派な人にすると、作者が立派な人ではないんでボロがでますね多分。
こうなりたい自分、憧れる自分、そんな得体の知れない自分は作者には上手く想像できません。憧れの形は色々ですんで、憧れても決してそうはなりたくない憧れの対象だってありますんでね。
俺が物凄く立派な人を書こうとしても、立派な人であろうともがいている人になってしまうと思います。
周りの期待に押し潰されたり、立派であろうとして暴走したり、人望だけ高くて仲間は言うことをなかなか聞かなかったり。
立派ではない主人公でも、心理を上手く書けているとは思えませんけど。自分はこんな主人公のほうが好きなんです。
武器は命を奪う道具、武具職人は使い手を選ぶべきじゃない。これはレンゲという職人個人の考え方です。違う考え方を持った宝玉武具職人もいれば、同じ考え方を持った宝玉武具職人もいると思います。
ただ彼女は個人として、この考え方で今まで武具を造ってきた、見たいな感じです。
自分は職人ではないし、実際の武器を造る職人さんが、何を思い武器を造っているのかも良く分かっていません。ドキュメント?見たいなものを見たことはありますが。
ですがこの物語の中で、武具職人として武器を造っている職人さんが、どんな考えで武器を造っているのかを書いては見ましたが、これが正しいのか間違いなのかは分かんないです。答えをだしたいとも思いませんが。
とりあえずこれからもネットの片隅でひっそりと投稿して行きたいとは思っています。投稿速度は遅いですが、宜しければ今年もよろしくお願いします。
それでは失礼しました。