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炎拳士と突然変異  作者: 作者です
6章 赤鋼
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二十二話 またのお越しを

レンガでの最後となる朝を四人は迎え、いつもより速めの朝食を取っていた。


グレンは味気のないパンを具の少ない冷めたスープに浸しながら、ガンセキに質問をする。


「南門には何時頃までに行けば良いんすか?」


質問を終えるとスープに浸したパンをグレンは口に頬張る。


ガンセキは口内の食べ物を飲み込むと、グレンの問いに答えた。


「そうだな・・・昼前にはレンガを出たい、南門軍所に10時半から11時までの間には来てくれ」


グレンはガンセキの話を聞くと疑問を一つ。


「そんな遅い時間で大丈夫なんすか、日が暮れるまでにできるだけ進んだ方が良い気がしますけど?」


ガンセキはスープを(すす)るとグレンに返事をする。


「出立の時刻を速めようと、どちらにせよ今日は野宿だ。明日の夕方までに旅人の宿へ到着できればいい」


旅人の宿 ユカ平原を含め、世界各地に存在する旅人専用の宿泊施設。個人経営だったり組織経営だったりと様々だが、それら全てを一纏めにした場所を旅人の宿と呼ぶ。



セレスは話し合いをしているガンセキとグレンを見て、恐る恐る二人を注意する。


「朝ごはん中は・・・沢山お話ししちゃ駄目なんだよ」


夜の闇から護ってくれた母、それと夜を明けさせてくれた父に感謝の祈りを込めて食べるのが朝食。


決して一言も喋ってはならないということではなく、祈りを母と父に捧げながら食べろという意味だ。


晩飯を食べる前には、今日を無事に生き残れたことを神々に感謝して祈りを捧げる。食事中は夜の闇を少しでも払うために、できるだけ沢山の話をして、明日を思いながら食べる。


寝る前には、護ってくれる母を想い祈る。


俺はそういうことに詳しくないけど、セレスは神を信仰をしているから、結構そっち関係には拘っていたりする。


グレンは冷めた瞳をセレスに向けながら。


「黙って食うのは良いけどよ、俺は太陽にも月にも祈りは捧げないぞ。何を信じるかは俺の自由だ」


心の奥底では信じているかも知れねえが、俺はたとえ神が存在していようと、そいつらを信じないと決めているから。


神を信じないと言い張るグレンに対し、セレスは咎めることもなく。


「そうだね・・・でも、朝を迎えられたことの喜びだけは忘れちゃ駄目だもん。今日を迎えられなかった人が沢山いるから」


神とは関係なく、朝を迎えられたことを喜べ。


グレンは勇者の発言に頷くと。


「わかったよ・・・生きている今を噛み締めながら、飯を食うことにする」


その言葉を切欠に、朝食は静寂に包まれる。


レンガ滞在中は四人そろって食事を取ることは少なかった。



静けさのなか、アクアの独り言が響く。


「朝ごはん・・・美味しいね」


ガンセキはアクアの独り言に返事をする。


「ああ、美味いな」


決して美味しくはない昨日の残り物であるスープと、硬くなり始めたパンに気持ちを込めて食べる。


死んじまえば、こうやって飯を食うこともできねえ。


・・

・・


静かな朝食を終えた四人は、今までお世話になった自分たちの部屋を掃除する。


合間を見ては誰かしらが部屋を掃除していたから酷く汚れているわけではないし、俺も自分のベット周りだけは下手なりに掃除してたから、そこまで時間は掛からんと思う。


俺は荷物を整理するだけでも時間が掛かるから、昨日寝る前に整理しておいた。右腕を上手く動かせない上に左腕は逆手重装だから、余計に時間は掛かったけどよ。



ぎこちない動作で己の持ち場を掃除していたグレンは、鼻歌交じりに床を拭いているセレスを見て。


「お前は邪魔なだけで糞の役にも立たねえな、少し外に行って遊んでくることを俺はお勧めしたい」


水の入ったバケツを引っくり返したり、雑巾を洗わないから汚れを床に広げているだけだし。


心ないグレンの言葉にセレスは涙を浮かべながら。


「わたし・・・ウンチより役に立ってるもん」


うんこを馬鹿にするなよ、糞は醗酵すれば肥料にもなるし、少なくても世界には貢献しているぞ。そしてなによりも、彼は俺の最も尊敬する兄者だからな。


兄を馬鹿にしたセレスに対し、グレンは優しさの欠片もない返事をする。


「役に立っているどころか何なんだその鼻歌は、さっきから耳障りなんだよ。そうか、俺と兄者への嫌がらせか」


血も涙もないグレンの発言にアクアがセレスを護るように立つ。


「セレスちゃんは一生懸命頑張っているからいいんだよ。グレン君だってセレスちゃんのこと文句いってるけどさ、掃除ぜんぜん捗ってないじゃないか」


確かにグレンは真面目に掃除しているが、要領が悪いのか捗ってはいなかった。


セレスは先程までの泣き顔は何処へ行ったのか、満面の笑顔をグレンに向けながら。


「グレンちゃん昔からお家のお手伝いはしてたのに、どんなに頑張っても上手にならないもんね」


掃除に洗濯や料理、一通りオババから教わっていた。しかしグレンはどれも真面目に取り組むのに、必要以上の時間が掛かる。


昨日の荷物整理にも一時間以上かかっていたし、住んでいたボロ屋を掃除するのにも、かなりの時間を使っていた。


戦いに関してだけは修行するだけ技術は向上する癖に、それ以外のことは何度繰り返そうと上達はしなかった。


グレンは不貞腐れながらアクアとセレスに言葉を返す。


「うるせえ、下手でも時間かけりゃあ綺麗になるだろ」


魔物狩りで金を稼ぐことができるようになっても、その金で生活を上手く遣り繰りすることが彼にはできなかった。


平和ではないこの世界だからグレンを評価する人間もいるが、彼には戦う以外に評価される材料は殆どなかった。


それでも下手なりに掃除をしてたから、彼が住んでいたボロ屋は綺麗ではなかったけど、酷く汚れてはいなかった。


隙間だらけで雨漏りが酷い家だったけど、自分なりに工夫してボロ屋を修復していた。素人が完璧に直せる筈もなかったが、そのお陰で7年間住み続けることができた。


美味い飯は作れないけど、不味い飯は作れたから食事所に頼ることは滅多になかった。


手際が悪るくても洗濯は数日に一度はしてたから、彼の衣類はボロボロだったけど、驚くほど汚れてはいなかった。


魔物の攻撃や洗濯の失敗で衣類が破れたら自分で直していた。下手だから見窄らしい格好になったけど、寒さを防ぐことができた。


今までの自分を想い返し、グレンは先程の発言をセレスに謝る。


「邪魔だなんて言って悪かったな、下手なりに続けていればこの部屋だって多少は綺麗になる。真面目にやってりゃ、何時か誰かが褒めてくれるだろうよ」


珍しく素直に謝ったグレンに驚きながら、アクアは思ったことを質問した。


「でもグレン君は物覚え悪いほうじゃないよね? 真面目に取り組んでれば掃除やお料理だって上手くなるんじゃないのかな?」


戦闘に関しては昔から物覚えはそれなりにあったけど、生活面は最初から上手く覚えられなかった。


俺は時間を見つけては掃除や洗濯を続けてきたけど、その技術は何故か一向に上達しない。掃除や洗濯が上手な人に教えを乞えば少しは違ったかも知れない。


誰かに教えを受け、生活をする上での技術を手に入れろば、グレンはもっと余裕のある暮らしを過ごせていただろう。


それでも帰る家があって、不味い飯が食えて、着れる服がある。自力で金が稼げなかった時は辛かったし、そんな生活を幸せだとは思っていなかった。だけど自分で金を稼げるようになってからは、間違いなく生活に関してグレンは満足していた。


力が欲しかったから、今もグレンは力に執着している。だけどボロ屋での生活には満足していた。


生活に関する技術は下手のままで満足しちまったから、それらの技術が一向に上がらないのかも知れねえ。当然だがずっと続けてきたから最初の頃に比べろば、多少は向上していると自分では思っているけど。


ただでさえ村人に迷惑を掛けてたのに、料理や裁縫を教えてくれと誰かに頼むなんて、とても俺にはそんな行動はできない。



グレンは以上のことを纏め、アクアの質問に返答する。


「魔物狩りにはオッサンや婆さんの知恵を借りたけどよ、生活面は誰かの知恵を頼った記憶は殆どないな。だから上達しないんじゃないのか?」


俺一人だけで魔物の情報を完全に集めることは無理があったからな、何度か婆さんの知恵に頼った覚えがある。


婆さんから得た情報と、自分の足を使って調べた経験を合わせることで、一体の単独に関する情報収集は完了する。まあ、殆どの魔物は自分だけで調べたけど、婆さんから予め聞いていた方が確実だったな。


でも人から聞いた情報は気を付けた方が良い、相手によっては偽りの情報だったりするから。


世の中には俺みたいな嘘つきがいるからな、見抜ける技術を持ってないと危ない。俺もオッサンにそこらへんは教わっているけど正直自信はない。


アクアみたいな例外はいるけど、やっぱり経験だろ。実際に何度か騙されないと、そういう眼は持てないんじゃねえのか。


良い意味でも悪い意味でも、他者という存在がいないと身に付かない技術だろう。嘘か誠か、どちらにせよ最後に判断を下すのは自分だけどな。


俺は自分を評価するけど、それは表面的な部分だけだ。


そんな自己評価じゃあ、確かな判断を下せる自信は持てない。


誰かが俺を素敵な人間だといった、逆に誰かが俺を下劣だといった。どちらが真実の言葉だ、どちらも真実なのか、それともどちらも偽りなのか?


長年の友人だとしても、その人物の言葉は本当に信用できるのか?


浅い関係だからこそ、相手を気にせず思ったことを言うのかも知れない。絆が深まれば深まるほど、人間はその相手に本心だけを曝けだすのだろうか?


自分の評価だけじゃない、誰かの評価だって些細な切欠で変っちまう。多くの人間から支持を受け、偉業を成し遂げた者は、その時は間違いなく英雄だろう。しかしその者が未来永劫に英雄として語り継がれるとは限らない。


時代の流れと共に英雄の成し遂げた偉業は所業と変化し、悪名だけが未来に語り継がれるかも知れない。


英雄として現れた存在が、やがて暴君と変わり果てるかも知れない。


人の評価をそのまま自分の評価として受け入れるのか、それともその評価に納得できず受け入れないのか。最後に自分を決めるのは、やっぱり俺は自分なんだと考えている。


だってよ、大勢の人間から支持されるって、色んな意味で物凄く恐ろしいことだろ。少なくとも俺はそれが怖くて堪らない。


自分の考え方が絶対に正しいなんて思わない方が良いのかもな。その考え方でどんな偉業を成し遂げても、どんな努力を重ねようと、たとえ大勢の命を救えたとしても。


現在この世界で正しいと思われていることは、未来では間違っている考え方になっている可能性だってあるんだからよ。


俺は自分の考え方を正しいと証明させるくらいなら、最初から自分を屑だと思い込んだ方が良い。


己の行為が正しいと信じて進むより、間違ってないと信じて道を歩くほうがずっと楽なんだ。特に俺のような人間にはそのほうか合っている。



まあ結局よ、正しいか間違っているかなんて、どう足掻いても確かなことは分からねえ。


10年後・100年後・1000年後の人間が、どんな感性を持っているかなんて知りようがないから。自分の考え方が世界に認められようと、ふとした切欠で世界はそれを否定し始める事態も無いとは言えない。


自分の思想が正しいと信じているなら、自分の考え方が間違ってないと思い込んでいるのなら、その道を歩むべきだ。


もし道の果てに辿り着き偉業を成し遂げることができたなら、間違いなくその名は歴史に刻まれるだろう。


遠い未来・・・悪として己の名が残ったとしても、そこまで辿り付いた人間に後悔はないと俺は信じたい。


こんな考え方をしている俺は、本当は誰も信じちゃいないのかも知れない。




自分を信じる、勇者を信じる、仲間を信じる。人を信じるってのは本当に難しい。




それでも俺は彼女が何時か誠の勇者になると信じている・・・だけどよ、この気持ちに確証が俺は持てないんだ。


確証がないからこそ、信じるって言葉が生まれたんじゃねえのか、良く分かんないけど。



この世界に神が存在する確証なんてない。それでも信じているから人間は信仰する。


勇者一行が刻亀を倒せる確証なんてない。それでも倒せると信じているから作戦を実行する。


俺が人間だなんて確証は何処にもない。それでも人間だと信じているから、俺は己を屑だと言い切る。



自分を含めたこんな愚かな種が好きだから、グレンは人間であることに誇りを持っていた。


彼は人間が大好きだから、どんなに相手を疑っても、最後は信じようとしてしまうのだろうか。


彼は人間が怖いから、どんなに相手を信じようとしても、最後は疑ってしまうのだろうか。


・・

・・


三人は黙ってグレンのことを見詰めていた。


その目線に気付き、グレンは苦笑いを浮かべながら。


「いつも余計なことを考えちまうから、掃除が捗らないのかもな」


俺みたいに考え過ぎちまう人間が策に溺れるんだろうな。自分の策を完璧にするために考えすぎて、浅い見落としをしてしまう。


実際にそんな失敗を今まで何度もしてるからよ。失敗を忘れないってのは難しいことだ、普段は覚えているのに、肝心な時に忘れちまうんだ。



ガンセキは笑みを浮かべながら。


「グレン・・・お前また関係ないこと考えているだろ。そろそろ手を動かしてくれ、掃除が終わらんぞ」


アクアがガンセキの言葉に続く。


「無理にとは言わないけどさ、一人で考えるのには限界があると思うけどな。もし答えが見えなかったら、誰かに相談するべきだよ」


考えすぎる人間は策に溺れやすい、だからこそこいつが言うように他者の意見が必要なんだ。


グレンは息を一つ吐くと、頼りない笑顔をアクアに向けながら本心を吐く。


「お前の言っていることは間違っちゃいねえ。でもよ・・・分かっていても、それができない性格なんだよ」


性格ってのは表面を変えることはできても、根本を変えるなんて簡単にはできない。頭では間違っていると分かっていてもな。


それができれば、俺はこんな捻くれた人間にはなってない。


アクアは優しい笑顔をグレンに向けながら。


「グレン君が必要だと判断したことは、今までボクたちにも打ち明けてくれてたからね。グレン君が嘘つきで隠し事だらけなのもボクは知っているよ、それでもボクたちは赤の護衛を信じている」


優しい言葉にグレンは不器用な口調で返す。


「誰を信じるかは人の自由だ・・・でも、お前の期待に沿える行動を俺がするかは分かんねえからな」


セレスは暖かい眼差しでグレンに語り掛ける。


「私たちが納得しなくても、グレンちゃんは私たちの為に行動するんでしょ?」


誰の為でもねえ、俺は俺の為に行動しているだけだ。自分のことだけで精一杯なのに、誰かの為に生きるなんて、とても俺には不可能だ。


グレンはセレスの言葉を無視して掃除を再開させた。


二人は黙り込んだグレンに優しい笑顔を向けながら、自分たちも掃除を再開させる。



ガンセキはそんな三人の様子を一人外から見て、小さな声で。


「これはこれで、こいつらなりに纏まっているのだと思う・・・たぶん」


少なくとも、今のセレスはグレンに怖れず立ち向かっている。


アクアもガンセキもセレスも気付いていた。グレンは自分を憎んでも、余程のことがない限り、心の底から誰かを憎んだりしないと。


グレンが自分の為だと言い張る行動は、本人が望まずとも誰かしらの為になっている。



嘘に嘘を重ね続け、矛盾した感情を心に宿し過ぎたグレンは、もう自分では本心が理解できなくなっている。


それでも彼はただ一つの望み・・・誠の姿を一目みるという夢を叶えるため、自分が解からなくても赤の護衛として此処に立っている。


彼は自分の生き方を簡単に捨てることはできないだろう。誰がどう見ても、それが間違った生き方だとしても。


なぜならグレンは、そんな自分の生き方が間違ってないと思い込んでいるから。


それが彼にとって、自分が望む正直な生き方だから。


この生き方を変えることができるのは、恐らく一人しか存在しないだろう。


理由は簡単だ、彼の夢を叶えることができるのは一人だけであり、彼にもう一つの生きる意味を持たせることができるのは一人だけだから。


・・

・・


少しの時が流れ、簡単にだが掃除は終わった。


ガンセキが宿主に掃除道具を返しに向かったのち、四人はレンガから旅立つため、それぞれに用意された専用の服に着替える。


アクアとセレスはそのまま部屋を使い、グレンとガンセキは一階に存在する男便所にて着替えをする。



かなり臭う便所の中でグレンは溜息を吐きながら。


勇者一行が便所の中で着替えをするってどうなんだ? 俺は間違っているような気がするんだけど。


国とオババに文句を訴えながらもグレンは左右の腰袋をベルトに装着し、一通りの準備を終わらせると男便所をでた。


グレンは便所からでると、既にガンセキが着替えを終えてグレンを待っていた。


土の服は俺やアクアと製作者が違うから、見た目が俺たちとは異なっている。だけど見てくれが違うから、何となくガンセキさんが責任者だと、知らない人でも一目で理解できるような気がする。


昨日の戦闘により身体を上手く動かせず、着替えるのに時間が掛かってしまったことをガンセキに謝る。


「待たせてすんませんね、予想以上に逆手重装が邪魔で着替えるのに苦労しました」


アクアが顔に似合わず裁縫が得意で助かった、簡単にだが火の服を逆手重装ように改造してもらった。


ただ上着の左腕側を切って整えて貰っただけだけど、俺にはそんな技術はないからな。あいつに借りを作るのは嫌で堪らないが、お礼は口だけでも言っておかなくては。


ガンセキは相変らずなグレンを注意する。


「お前は全ての行いに対して迷惑を掛けたと思い込むのは止めろ、少し待たされた程度で迷惑だと思うほど俺は心が狭くないぞ」


ゼドさんなら怒りかねないが、確かにガンセキさんの言う通りだ。


ガンセキは苦笑いを浮かべているグレンに対し、そのまま言葉を続ける。


「俺は確かに責任者で立場はお前よりも上かも知れん。だがお前は俺の部下ではなく仲間なんだ、アクアやセレスを少し待たせたくらいで、お前は二人に謝ったりしないだろ?」


あの二人とは長年の付き合いだし、確かに多少の迷惑を掛けた程度では謝ったりしない。


自分の言葉に頷いたグレンを見て、ガンセキは己の気持ちを伝える。


「これからも長い付き合いになるんだ、普段から俺に気を使っていたら身が持たんぞ」


歳が近いせいなのか、ボルガとは僅かな期間で気を使わなくなった。それでもグレンはイザクに対してはガンセキと同じように接している。


「人を選んでいる訳でもないんですけどね、頑張っては見ますけど期待はしないで下さい」


やはり敬語は使ってしまう。


ガンセキはグレンが何を思っているのかを読み取り、首を左右に振りながら。


「敬語を使うのを無理に止めなくても良い、ただ小さな迷惑を俺に掛けたくらいで、それを迷惑として受け止める必要はないということだ」


一々謝られても逆に困ると最後に付け加えると、ガンセキはそのまま歩き始めた。


グレンはガンセキの背中に向けて分かりましたと返事をし、その後姿を追って行く。




二階の廊下を歩きながら、ガンセキは隣を歩くグレンの姿をみて。


「火の服は黒と赤が基準だから逆手重装とも合っているが・・・しかし、あれだな」


言葉に詰まるガンセキ。


アクアにも言われたから何となく想像は付くけどよ。


グレンは嫌味な口調で言葉を返す。


「自分でも何となく気付いているんで言わないで下さい」


とても勇者一行の姿とは思えない・・・物語の典型的な悪役を思わせる風貌だった。


苦笑いを浮かべながら歩いていると、前方よりこの宿を利用している客が二人へ接近してくる。擦れ違った旅人風の客は、奇怪な眼差しでグレンを見詰めていた。


完全に不審者だ、なんか恥しくなってきた。



頬を赤く染めながらグレンは何とか部屋の前まで辿り着き、扉に手を伸ばした瞬間であった、ガンセキがグレンを叱る。


「お前な・・・自分の姿が恥ずかしいのは分かるが、女性が入っているんだぞ」


幾ら無神経なグレンとはいえ、まだ着替えているかも知れないのに扉を開けようとした自分の行為には反省するしかない。


グレンは己の行いに罪悪感を感じながら、照れ隠しで頭をかくと扉を数回だけ軽く叩いた。



二人の許可を頂くと、色んな意味で赤くなった顔を何とか素の状態に戻し、慎重に部屋の中へ入る。


アクアとセレスは時が止まったかのように動かなくなり、部屋に入ってきたグレンを呆然と見詰めていた。次の一瞬、二人は大声で笑いだす。


「グ、グレンくんっ 一体何があったんだい、昔の君はそんな姿じゃなかったよ」


セレスは笑いすぎて涙を流しながら。


「グ~ちゃんが悪者になっちゃったよ、それでも私は見捨てないから安心して。うん・・・慣れればその姿も格好良いもん」


人が気にしていることを大声で笑いやがって。何時か見てろ、俺もお前らを笑ってやる。



グレンは小走りで自分の荷物に駆け寄ると、オバハン特性の外套(マント)を取り出し上半身を隠す。


アクアは未だ顔をニヤケさせながらグレンに近付くと。


「凄く似合ってたじゃないか、マントで隠しちゃったら君の魅力が半減しちゃうと思うな」


グレンは顔面を引き攣らせながら。


「部屋に入った瞬間に人のことを容赦なく笑いやがって、当分俺に話しかけるんじゃねえ」


そんなグレンの儚い願いをアクアは無視して話しかける。


「君は勘違いしている、とても似合っているんだよ。ボクは君の格好が似合い過ぎていたから笑っちゃったんだ」


笑うほど似合っているってどういう意味だ、馬鹿にしやがって。




その後、グレンは顔面をピクピクさせながら、痛みの残る身体で己の荷物を背負う。


アクアとセレスは興奮が覚め遣らぬ状態のまま、各々の荷物を持つ。



ガンセキは既に支度を終え、廊下へと続く扉の前で三人に声を掛ける。


「気持ちは分からんでもないが、人を見て笑うのは良くないぞ。俺は先に宿主の所へ行っているからな、お前らも速くしろよ」


そう言うとガンセキは部屋を後にした。


ガンセキさん・・・あんたは俺の姿を見て、こいつらが笑う気持ちが分かるのか?


しょぼくれて肩を落としているグレンをセレスが励ます。


「にへへ~ どんな姿になっても、グレンちゃんは私の勇者様だから大丈夫だよ~」


励ましになってねえよ。あとそれを言うなら王子様だ、勇者はお前だろうが。


アクアはニヤケた顔でグレンに語り掛ける。


「グレン君、まだ一昨日の戦闘で受けた傷が痛いんだよね? なんならボクが君の荷物を一つ持ってあげようか?」


なんだこいつ・・・気持ち悪いな。


「魔力纏って行くから結構です。それとアクアさんは似合わないことを言わないで下さい、正直とても気持ち悪いです」


グレンの丁寧な断りを聞いてもアクアは怒らずに。


「遠慮しなくても良いんだ、君の肩掛け鞄はボクが持ってあげるよ。あ、それとレンガ内は暖かいからマントも持ってあげるね」


アクアの企みを理解し、グレンは今まで抑えていた怒りを開放する。


「いや、俺の外套と鞄は小柄なアクアさんには大き過ぎます、貴方にそんなご迷惑をお掛けすることなどできません。俺なんかを気に掛けて頂き有難う御座います、しかし小さいアクアさんは自分の荷物だけで精一杯だと思いますので、そのお心遣いだけを受け取らせて頂きたいと思います」


滅茶苦茶だけど精一杯の敬語をアクアに使ったにも拘らず、何故か彼女は怒りを露にし。


「駄目だよ!! 人が気にしていることを言っちゃ!! ボクはまだ育ち盛りなんだ、何時か誰よりも大きく成長して、君を心の底から鼻で笑うんだ!!」


グレンはアクアの理不尽な発言に口調を荒げながら。


「うるせえ!! お前が先に俺が気にしていることを言ったんだろうが!! それと今ここで断言する、お前の成長は数年前から既に止まっている、俺が永遠にお前を見下ろしてやる!!」


二人の口論は次第に熱くなる、セレスは何故か冷静に。


「宿の中では静かにしなきゃ駄目ってガンセキさん言ってたもん、それに速くガンセキさんの所に行かないと怒られるよ」


こんな時ばかり正論を翳しやがって、言い返せねえじゃねえか。


グレンは肩を震わせながら黙り込み、溜息を一つ吐くと。


「そうだな・・・他の客もいるんだ。こんな朝っぱらから叫んじまって悪いことをした、こりゃあ反省しねえと駄目だな」


その言葉にセレスは嬉しそうな笑顔を浮かべる。


セレスの笑顔を見て、アクアも反省する。


「セレスちゃんの言う通りだね、ボクが間違ってたよ」


何時も俺とアクアは喧嘩してばかりだけど、場所を考えて喧嘩しねえとな。



グレンは扉まで足を進めると。


「それじゃあ・・・俺もガンセキさんの所に行ってるな」


そう言葉を残し扉を開けようとしたグレンをセレスが呼び止める。


「グレンちゃん待ってよ、お世話になったお部屋にありがとうを言わなきゃ駄目だもん」


セレスの提案にグレンは素直に頷きながら。


「たった数週間だけど・・・世話になった部屋だからな」


アクアとセレスも扉へと移動し、世話になった部屋を三人で見渡す。


使い古された木製の机と椅子、身体を休めさせて貰った年代物のベッド、外がぼやけて見える薄汚れた窓。


短い期間だけど、俺の住んでいたボロ屋ほどではないけど、こうやって見ると愛着が湧いてくる。


アクアは綺麗になった部屋を見て。


「ボク・・なんか少し寂しいよ」


グレンもセレスもアクアの気持ちが何となく理解でき、黙ったまま自分たちの部屋を見詰める。


男女同部屋はどうかと思うけど、同じ部屋だからこそ勇者一行として、この場所が想い出になるのか。


三人は心の中でお礼をいう。




ありがとう、なんだかんだで楽しい日々を過ごせたよ。




扉は閉まり、鍵を閉める音が鳴る。


今まで住んでいた者達は消え、空になった部屋は新たな客を待つ。


・・

・・


ガンセキは階段を下りながら一方を眺めていた。


グレンは結局一度もシャワーを使ってないな、まったく困った男だ。こんな感じでこれからも損を引いて行きそうな奴だからな。



次にガンセキは浴室から視線を外し、今度は全体を見渡す。


俺が護衛に失敗し、再び赤鋼に戻ったとき、俺はこの宿を使わなかった。当時の仲間との想い出が詰まっているから、この宿を使えなかった。


勇者一行は今から大体50年ほど前からこの場所を毎回利用している。


勇者が利用した宿だと宣伝すれば物凄い儲けとなるだろう、しかし先代の宿主はそれをしなかった。そのお陰で50年間、勇者一行はこの宿を利用させて貰えた。


でもその所為で彼らは、俺達の故郷に住む村人と同じように・・・見送り続ける定めを背負ってしまった。


先代はまだ良い、全てを理解して勇者一行を受け入れてきたのだから。




ガンセキはカウンターに到着し、自分と目を合わせようとしない宿主を視界に映す。


勇者という存在が何処に向かい、何をするのか知らないまま、5年に一度現れる勇者一行と子供だった彼は絆を深めていた・・・かも知れない。


しかし時は流れ全てを知ってもなお、この人はレンガに滞在中の勇者一行を支え続けた・・・かも知れない。


見送って、何度も見送って、諦めず見送って。



二階より聞き覚えのある二人の叫び声が聞こえる。ガンセキは苦笑いを浮かべながら。


「何時も煩くしてしまい申し訳ありませんでした」


宿主はガンセキの言葉に返事をせず、顔を上げると三人がいる部屋の方角に視線を向ける。


暫しの沈黙が続き、彼は静かな口調で声を発する。


「苦情はありませんでした、お客様も最近は少ないので」


本来なら客がいなくても注意をしなくてはいけない、でも彼にはそれができなかった。


諦めず見送り続けた所為で、彼は勇者一行と関わることができなくなった。だから彼は勇者一行に対し注意ができないのかも知れない。


他の客と勇者一行を区別してしまう行為が宿主失格だと分かっていても、彼は自分の宿に勇者一行を泊めてしまう。


オババは宿主の気持ちを知り、一度この宿を利用することを止めようとしたことがあったとする。それでも彼は勇者一行を受け入れたいと望んだ。


喩え勇者一行との関わりを拒もうと、今までの勇者一行との絆を彼には捨てることができなかった。


これは俺の推測だから、事実は違うのかも知れん。



宿主は優しい視線を二階に注いだまま一言も喋らない。


ガンセキもただ黙って彼との一時を過ごしていた。



少しの時が流れ、階段より三人の姿をガンセキは確認した。


喧嘩しているとばかり思っていたが、一緒に来るということは既に仲直りしているということか。


こいつらは喧嘩ばかりして困るが、後に響かないのは正直助かる。俺とカインも喧嘩ばかりしていたから人のことは言えんが。


ガンセキはカウンターから離れ、三人の下へ近づくと、人数分用意されていた部屋の鍵を受け取る。


話をそこそこに切り上げ再びカウンターに戻ると、ガンセキはできるだけ宿主の顔を見ないようにそっと鍵を置く。



顔を伏せている宿主に、ガンセキは頭を下げながら。


「今までお世話になりました、これで最後にしてみせます」


宿主は黙ったまま表情を上げると、ガンセキに向けて頷きだけを返す。


それは今までの全てを込めた無言の言葉。




『お願いします・・・終わらせて下さい』




ガンセキは彼の想いを受け取ると、仲間たちに向けて歩きながら一言を伝える。


「・・・外にでるぞ」


アクアはガンセキの表情から何かを感じ取り。


「ボクたちも宿主さんに挨拶するべきだ、このまま行くなんて嫌だよ」


ガンセキは真剣な表情のまま、アクアだけでなく三人に述べる。


「あくまでも俺の推測であり、その理由をお前達に説明することを彼は望まないだろう」


今後一切の隠し事はしない、宿主に対し失礼な行為だとしても、この約束をガンセキは守らなくてはならない。


「それでも知りたいと言うのなら、俺は自分の予想をお前達に伝える。知ってもなお、彼に挨拶をしたいというのなら、俺に止める権利はない」


アクアは何も言わず、グレンが返事をする。


「俺は聞きたくないです、誰にだって知られたくないことはありますので。彼に許可を得ず、ガンセキさんの予想を聞く権利は俺たちにもありません」


セレスとアクアも、今回のことに関してはグレンの意見に賛同した。




四人はカウンターを通り抜ける、アクアとセレスは宿主の方に視線を向けながら歩き、グレンとガンセキは目前に存在する外への出入り口だけをじっと見詰めながら進む。


宿主は勇者一行を見ないよう顔を俯かせていた。


勇者一行は宿から出て、気持ち暖かい外気を吸う。場の空気は沈んでいた。


たとえ無言だとしても、彼は俺たちを見送らなくてはいられない。だからこそ、宿主は何時もあの場所に座っていた。


ガンセキは立ち止まり、気持ちを切り替えるために両手を合わせ音を鳴らす。そのままセレスの方を向くと、腰に差していた杭を一振り手渡す。


「万が一に備え、信念旗に襲われたときは魔力を杭に送れ」


昨日の今日で襲撃を受けるとは考えられないが、昨夜の話し合いで信念旗に襲われるものとして行動することに決まっていた。


本当は四人で動くべきなのだろうが、俺はどうしても速めに軍所へ向かい、ゼドさんと今後の打ち合わせをしなくてはならない。


それに・・・工房に俺が行くような真似をすれば、レンゲさんに殴られる。



ガンセキは無理に元気な口調で三人に声を掛ける。


「それでは俺は行くからな。今日は遅れては困るぞ、11時までには南門軍所に来るように」


そう言葉を残し、三人からガンセキが離れようとした瞬間だった。宿の出入り口が開き、宿主が四人の前に姿を現す。


宿主の肩は震えていた。それでも何とか昔のように、優しい声で彼は四人に見送りの言葉を述べる。





「またのお越しをお待ちしております・・・次は勇者一行ではなく、お客様として」





宿主は精一杯の笑顔を四人に向けると、そのまま逃げるように宿の中へと戻って行く。


突然の出来事で呆然としていた一行は、気を立て直し笑顔と共に宿へ頭を下げる。









この宿に再び泊まれるかどうか、そんな確証は何処にもない。


だけどよ、もし来ることが出来るのなら、次は普通の客として来たいと思う。









6章:二十二話 おわり





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