十七話 偉大なる拳士
ガンセキを先頭として走っていた三人は、速度を落とし徒歩になる。
勇者一行の三人が歩いている道は坂となっており、時計台が近くなっていることが分かる。
大通りから時計台に向かう道とは違い、幅も広くなく地面も荒い、目を凝らせば雑草が道の端に生えていた。
足元が石畳だと杭を使い難くなる、だからこそ俺たちはこの道を歩いていた。
敵は確かに俺達の行く手を塞いでいるが、戦う場所はこちらで決めることができるんだ。
ガンセキたち三名がこの道を進んだことにより、七名の敵も移動をする必要があった。
まず俺たち三人で七名の敵と戦い、目的の物を手に入れなくては。その物を敵が持っていれば、俺たちの作戦はより完璧となるだろう。
もし敵が俺たちの望む物を持ってなかったとしても作戦は実行できるが、そのぶんアクアの危険が増す。
ガンセキは後方を歩くアクアに向けて一言。
「アクア・・・危険を感じるようなら無理するな」
実戦経験は少ないが、それを補えるだけの何かをアクアは持っている。
戦闘に置いて冷静な判断能力と、何事にも標準を一歩上回る万能さをガンセキは高く評価していた。
抜きにでたものはないが、その万能さが最大の武器とも言える。アクアは弓士だが弓の修行に重点を置いていただけであって、短剣や爪などの接近戦も心得ている。
ガンセキの言葉にアクアは笑顔を返しながら。
「ボクはできないことはしないよ、ガンさんがボクならできるって判断したから一生懸命やるだけさ。危険を感じたら無理はしないから大丈夫」
こいつは己の評価に他者の評価を入れ、最後は自分で判断している。
もしグレンにこれができれば、あいつは見違えるほど成長できる筈なんだ。もっとも、俺自身それができてないから偉そうなことは言えないが。
ガンセキは最後の最後で自分を信じ切れない、レンゲやオバハンにカイン、他者の評価を信じて此処まで来た。
臆病な本性を隠しながら、ガンセキは一言も喋らないセレスに向けて語り掛ける。
「雷撃を敵に放つとき、お前は一瞬だが躊躇するだろう。その迷いが危険を呼ぶ・・・低位魔法を中心に戦え」
戦いは直ぐそこまで迫っている。セレスはガンセキの言葉に頷きで応えると、息を吸い込み落ち着こうとしていた。
俺は魔王の領域で魔者を相手にし、人間の屍も見慣れるほどに沢山みてきた。そのお陰で人間が相手でも大きな動揺は示さないだろう。だが三人は違う、この世界では人を殺すという行為は罪であり、人を殺せば罪悪が残る。
あの場所にいた所為で俺の感覚は麻痺しているが、三人にとって人間を相手に殺し合いをするのは強い抵抗があるんだ。
事実この世界では場合にもよるが、人を殺せば治安維持軍に追われるからな。そして彼等に追われるということは、犯罪者として生きるということだ。
遥か遠い昔、ある神話を受け入れなかった国々は滅びの道を歩み、ある神話を受け入れた国だけが脅威と戦える力を得た。
人類の希望である勇者を否定する・・・どのような理由があろうと、それは罪。この世界の神を否定する行為と同じく、無条件で重罪だ。
信念旗の理想に賛同するだけで犯罪者として扱われ、思想を唱えようものなら歴史の闇に捨てられる。だから彼等は犯罪組織なんだ。
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時計台へと続く整備されてない道の両端には建物が押し詰められるように並んでいた。
俺達の行く手を塞ぐのは七名。
この周辺には民家も在るが、雑貨や武具などの室内店も多い。
完全な街中。ここを戦場とするのは気が引けるが、グレンを助けるには進むしかない。
ガンセキは口調を強めながら、仲間である二人に話しかける。
「見ての通り街中での戦闘だ・・・だが、お前達は何も考えなくて良い。その責任は後で俺が取る」
責任を取るなんて偉そうに言っているが、俺にできることなんて近辺の住人への謝罪くらいだ。
それでも謝る相手が居るというのは幸せなことだ。
俺は父を憎んでいた・・・家族を犠牲にしてまで、その道を歩んだあの男を。
そんな俺が今、責任者としてこの場所に立っている。
俺は母を憎んでいた・・・父は自分達を捨てたのに、それでも父を愛し続けたあの女を。
勇者一行として旅立つことを泣いて拒んだこの俺が、また勇者一行となっている。
謝る相手は居なくても、感謝の気持ちを送ることはできるんだ。
これから先も多くの失敗はするだろう、そのたびに臆病な俺は逃げだそうとする筈だ。
親父、お袋、見ててくれ。
俺はもう・・・逃げないぞ。
ガンセキは心の恐怖を想像の水で薄める。
恐怖を捨て去ることはできなくとも、隠すことはできるんだ。
沢山の人たちが、俺の背中を押してくれる。
支えてくれる人達がいる限り、俺は震えながら立ち上がる。
臆病な責任者は仲間に叫ぶ。
「自分だけで何とかできると思うな!! 無理なら仲間を頼れ!! 恐ろしいなら仲間に縋り付け!!」
今までの経験を、今までの情けない自分を、今までの想い出を・・・ガンセキは全て吐きだす。
「必要なのは一言だ!! 助けての一言で、仲間はお前らを、同志は俺達を助けてくれる!!!」
グレン・・・助けてのたった一言すら叫べないお前を、なんで俺達が助けに向かうのか分かるか?
お前は同志と仲間を別者と考えているようだが、俺たち三人からすれば、同志も勇者一行も変らないんだ。
たとえ同志を犠牲にしたとしても、助けたい対象で在ることに変らないんだ。
共に同じ場所を目指す仲間なんだから。
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戦いが始まる。
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目の前に立ち塞がる敵は七名、アクアとセレスが本来の力を発揮できるのなら、決して多くない人数だ。
だが人間を相手に本来の実力が発揮できない以上、強敵であることに違いはない。
七名の敵はその場から動かず、岩の壁を使い俺達の退路を塞ごうともしない。
相手の目的は足止めであって、俺達を殺すことではない。だが、三人の中で狙われるのはセレスだろう。
敵に向けて走っていた三人の内、アクアとセレスは接触する手前で立ち止まり、ガンセキだけがそのまま走り続ける。
今から敵が持っているであろう物を手に入れる策を実行する。
戦いの最中に倒した敵の懐を探るのは無理だ、この策を実行しても、目的の物を手に入れられなければ諦めるしかない。
ガンセキは左腕に杭を持ち、右腕にハンマーを握っている。左手に持った杭を己の前方足下に投げ放ち、そのまま走り抜けながら、地面に突き刺さった杭を引き抜く。
一気に近付いて来たガンセキを見て、二名の雷使いが片手剣を翳し、そのまま一斉に雷撃を放つ。
地面から引き抜いた杭は岩の盾と成り、即座に造りだした盾で二重の雷撃を防ぐ。
二重の雷撃を防いだことにより、岩の盾は土へと帰り始めた。
崩れだした岩盾で身を護りながら、ガンセキは敵中へと特攻を仕掛ける。
勢いを落とさずに向かってくるガンセキを見て、敵の土使いが岩壁を召喚し、ガンセキの進路を塞ぐ。
ガンセキは盾を構えたまま敵の召喚した岩壁に衝突した。
岩の壁に衝突したことにより、ガンセキの盾は完全に破壊される。だが岩盾は杭から造られた魔法であった。
敵の召喚した岩の壁に黄鋼の杭が突き刺さる。突き刺さった杭に、ガンセキは勢いをつけてハンマーを打ち付けた。
黄鋼の杭・・・隠された能力の一つ、敵が召喚した同属性の魔法を奪い取る。魔力を纏わせた杭をハンマーで打ち込んだ瞬間に、杭に纏っていた魔力を敵の魔法(岩壁)に流し込むことで成立する。
奪い取った岩壁をガンセキは岩の腕へと変貌させる。岩の腕は即座に前方にいた雷使いを掴み取る。
岩の腕に掴まれた雷使いはもがいて岩腕の拘束を解こうとするが、そう簡単に解けるはずがない。
その瞬間、ガンセキはアクアに叫ぶ。
「行くぞ、アクア!!」
ガンセキは岩腕を動かすと、掴んでいた雷使いをアクアとセレスに向けて投げ飛ばす。
投げ飛ばされた雷使いは地面を転がりながら二人の目前で停止する。
停止したその時を見計らい、アクアは水の塊を雷使いに落下させた。
アクアは雷使いをずぶ濡れにさせると、隣に佇む勇者に目を向けた。
セレスは片手剣を握っていない左腕を雷使いに向けたまま動こうとしない。
何度もグレンに向けて放っている筈なのに、セレスは電撃を放てないでいた。
アクアは必死の声でセレスに叫ぶ。
「今は迷っちゃ駄目だよ!」
それでもセレスはその一撃を放てない。
目の前に倒れていた雷使いは、痛みに耐えながらも立ち上がろうと地面に両手を付ける。
その行動を見たアクアがもう一度大声で叫ぶ。
「セレスちゃん!!」
アクアの声で我に返り、セレスは目を精一杯閉じながら顔を背け、電撃を雷使いに放った。
雷使いは立ち上がった直後に電撃に直撃した。全身が濡れていた所為で、その威力は上増しされていた。
倒れた雷使いにアクアは接近し、その懐を探る。
ガンセキは雷使いを岩の腕で投げ飛ばしたあと、すぐさま己も岩腕の掌に跳び乗る。
敵の中に投げナイフを得物としている者がいた。ナイフ使いはガンセキが岩の腕に跳び乗った一瞬を狙いナイフを飛ばす。
だが、ガンセキの動作が一歩速かった。岩腕に着地した瞬間にガンセキは膝を曲げ、自らの意志で岩腕を動かすと己を仲間の下へ投げ飛ばす。
タイミングを見計らいガンセキは膝を伸ばしながら岩腕を蹴り、空中で一回転しながら地面へと着地した。
ガンセキは着地に成功すると、即座に地面へ手を添えて六名の敵と自分達の間に横長の岩壁を召喚した。
自分が岩の腕で投げ飛ばした雷使いを見て、ガンセキはアクアとセレスに声を掛ける。
「後悔は後でしろ・・・二人とも、良く頑張った」
アクアは苦笑いを返し、セレスは小さく俯く。
横長の岩壁により、向こうの様子は分からない。だが敵は自分達から仕掛けてはこない。
奴等の同志を一人こちらの手中に収めているし、そもそも連中の目的は俺達の足止めだ。人質を取る積もりもないが、取った所で時間が経過し不利となるのは俺達だからな。
ガンセキは四振りの杭を地面に突き刺しながらアクアに尋ねる。
「どうだ・・・目的の物は見つかったか?」
アクアは気絶している雷使いから手を放すと首を振りながら返事をする。
「ガンさんが言っていたような宝玉具は持ってないよ、残念だけど土の結界は使えないかな」
他属性に土の結界を施す能力を持った玉具、俺たちはこれを手に入れようとしていた。
これから実行するグレンを助けるための策は、その玉具が有るだけでアクアの安全が大きく保証されるからだ。
以上のことから分かるように、俺はアクアだけを増援として時計台に一足速く向かわせる積りであった。
ガンセキはアクアに視線を向けながら口を開く。
「玉具を手に入れられなかったからには、お前の危険は増す。だがこの状況でグレンを助けるには、危険を承知でお前に頼むしかない」
そう言うとガンセキは次にセレスに問う。
「アクアが時計台に向かった場合、俺とお前だけで六名の敵を迎え撃つ必要がある」
六名の敵が二手に分かれ、グレンの増援として時計台へ向かったアクアを追う可能性がある。そうはさせないよう俺が手を打つ。
「そうなれば、敵は真っ先にお前を狙うはずだ」
敵の狙いはグレンであり・・・セレスでもある。
ガンセキは二人に向けて頭を下げながら。
「お前達を危険に晒すことになる。だが、グレンを助けるには、他の方法が俺には思い付かなかった」
情けない責任者は、頭を下げながら言葉を続ける。
「頼む・・・お前達の力を貸してくれ」
二人に対し真実を隠した俺の決断は裏目にでた。
今回の事態は俺の判断により、少なからず悪化している。
セレスは少し怒った口調でガンセキを叱る。
「ガンセキさん、今はそんなことを言ってる場合じゃないですよね。私達は一刻も速く仲間を助けに向かわないといけないんですよ」
アクアもセレスの言葉に続く。
「まるでボクが本当はグレン君を助けたくないって言っている見たいじゃないか」
そう言うとアクアは顔をニヤつかせながら。
「ボクは嬉しいんだよ、グレン君に大きな貸しを作れるからね」
ガンセキは二人の言葉に下げていた頭を上げながら。
「有り難う・・・お前達の言う通りだ」
緩みそうな涙腺を絞め直すと、ガンセキはアクアの目前に岩の腕を召喚する。
アクアが身軽な動作で岩腕に飛び乗ると、ガンセキはアクアに向けて言葉を掛ける。
「危険を感じたら俺達の元へ戻ってこれるよう位置を確認しながら動き回れ、少しでも時間を稼げれば大丈夫だ、一般兵が大通りに集結しているのを領域で確認している」
あともう少し時間を稼げれば、時計台へ五十名近くの一般兵が突入するだろう。
ガンセキの言葉にセレスが続く。
「アクア、グレンちゃんをお願い!!」
仲間たちの声に青の護衛は満面の笑顔で応えると、アクアは元気良く大きな声で叫ぶ。
「ボクは鳥になるんだ!!!」
意味不明の言葉を聞くとガンセキは岩の腕を操り、アクアを高く飛ばした。
ガンセキもセレスに負けないくらいの大声で叫ぶ。
「グレンはまだ健在だ!! 頼んだぞアクア!!」
時計台へと続くこの道には、両端に建物が所狭しと並んでいる。高さは均等であり、屋根の上を移動するのもアクアなら可能だろう。
アクアは屋根への着地に成功すると、不安定な足下をものともせず走りだした。
どうやら時計台でグレンと戦っている敵にも余裕はなさそうだ、ここに存在する六名の意識を俺達に向けさせることに成功すれば、アクアは問題なく作戦を実行できるだろう。
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一方時計台では、赤の護衛の戦いが続いていた。
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腹の底から叫んだことにより、グレンは何故か冷静さを取り戻せたようであった。
異常な程に落ち着きを取り戻した状態で、一度周囲を見渡す。
敵の増援として現れた三名の属性使い。
最悪だ、よりによって炎使いとは。
この世界に存在する炎使いは離れた場所から敵を狙う遠・中距離タイプの者が多い。
その理由はロッドという宝玉武具の所為だ。あの武具に埋め込まれた宝石玉と記憶された魔法陣により、近距離で戦う炎使いが殆どいなくなった。それ程にロッドは強力な宝玉武具と言うことなんだ。
変な話かもしれないが接近戦を得意とするグレンにとって、同じ属性使いである炎使いこそが、最も厄介な相手となっていた。
水・土・雷の属性使いは接近戦を仕掛けてくる者も多いが、炎使いはほぼ全てといって良いほどに距離を置いて戦う奴らしかいない。
グレンも油玉と火の玉という中距離攻撃手段を持っているが、はっきり言ってこの二つは飛び道具としてはあまり使えない。相手に油玉と火玉を計二回ずつ命中させる必要があるからだ。
だから近距離で油玉を命中させ、接近して直接素手から着火するという手段が主となっていた。
奴らを倒す為に俺が接近しようと、逃げ回られるだけだ。その隙を突かれて他の三名に狙われる。
俺がまず最初に狙うのは雷使い(女)と川に落下させた水使いだ。俺も人のことは言えないが、あの二人は既に限界が近付いている。
次に狙うのが体術使いだ。
こいつらと戦っている最中に距離をおけば、ここぞとばかりに炎使いに狙われる。
グレンは二名の敵に向けて走りだす。
雷使い(女)と水使いとの戦いに時間を掛ければ、体術使いの妨害が入る。この二名との戦い、時間が掛かった時点で俺の負けは確定する。
大声で叫びだしたかと思えば、突然二人に向けて走りだしたグレンに、体術使いは一歩踏み出すのが遅れた。
右腕を動かせない現状・・・どうやって雷使いと水使いを相手に戦う。
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敵である赤の護衛が雷撃の射程に入った瞬間を狙い、雷使いは片腕をグレンに翳し雷撃を放つ。
グレンは雷使いが自分に向けて手を翳した瞬間を見計らい、走りながら片足で地面を蹴り、少し横に跳ぶことで走る進路をずらし回避に移る。
横に少し跳んだ瞬間であった、グレンが先程まで走っていた進路を雷撃が通った。
雷撃は放たれてから回避行動に移ったんじゃ遅いんだ、俺に向けて敵が手を翳し、雷撃を放つ一歩手前に回避行動を実行する必要がある。
雷使いの放った雷撃を回避したグレンは、そのまま走り続け水使いに接近する。
先に雷使い(女)を狙えば、水使いが捕縛の氷で足止めしてくる。
自身に向かってくるグレンを見て、水使いは水の領域を展開し、グレンの靴底が領域に侵入した瞬間を狙い捕縛の氷を発動させた。
止まっている対象なら捕縛できるだろうけど、走っている対象の動きを封じられるほど、こいつの領域に熟練は備わってないと俺は読んでいる。
グレンの読み通り、靴底が地面から離れた瞬間に捕縛の氷は発動していた。
動いている対象の動きを封じる場合、先を読んで捕縛の氷を発動させなくてはならない。
だがグレンは水使いに先読みさせないよう、速度を緩めたり急激に加速したりを繰り返しながら走っていた。
速度を緩め、再び加速するたびにグレンの右肩は悲鳴を上げている。だがここで痛みに耐えなくては、生き残ることはできない。
目前まで迫ってきていたグレンを捕らえることは不可能、そう判断した水使いは氷の盾を前腕に召喚し防御体勢を造る。
雷使いはグレンに向け再度雷撃を放とうとしたが、照準が定まらない。
護りに入った水使いを確認すると、グレンは速度を上げて水使いの懐に入り込んだ。
防御へ移るのが速すぎだ、その所為で隙が大きいが威力の高い蹴りを実行できる。
敵の手前で左足を地面へ叩き付けグレンは急停止する。急停止した反動を利用して身体を回転させながら右足の踵で盾ごと水使いを破壊した。
「グッ!!」
敵に攻撃を加えるたびに激痛がグレンの右肩を襲う、思わずその痛みが口から漏れてしまった。
グレンが水使いに隙の大きい攻撃を仕掛けたとき、雷使い(女)はその瞬間を狙って雷撃を放つことができない。水使いの近くにいたグレンを雷撃で狙い撃てば、水使いに雷撃の電気が移ってしまう可能性が高かった。
水使いの全身は川に転落した所為でずぶ濡れであった。魔力纏いにより抵抗を上げていようと、全身が濡れた状態で雷撃の電気に当たれば命を落としかねない。
まずは一人、残り五人。
このまま雷使いを狙いたいが、そうも行かない。
体術使いが直ぐそこまで迫っている現状、雷使いをこのまま狙えば妨害が入る。
止むを得ずグレンはその場から離れる。
右腕さえ動かせればもう少し戦えた、あのとき油断さえしなければ。
グレンが雷使いと体術使いから距離を取った瞬間だった。
少し離れた場所より炎使いの一人がグレンに向けてロッドを構える。
ロッドの先・・・宝玉に炎が灯り、その炎が放射された。
素手から放たれる炎放射とは違う、一点に集中した放射。
通常の炎放射は敵のほぼ全身を焼くのに対し、ロッドより放たれる炎放射は細く鋭い。
一点に集中されたぶん、炎の熱量は通常の炎放射より断然勝っていた。
だが通常の炎放射は長時間の放射を可能とするのに対し、宝石玉のロッドだと一点炎放射は三秒ほどしか放射ができない。
グレンは敵の放った炎放射に気付き、炎の壁を造り防ごうとする。
一点炎放射を炎の壁で受け止めた瞬間、グレンは感じ取った。
俺の炎の壁では、完全に防ぎきれない。
炎の壁で受け止めてから一秒が経過したとき、一点炎放射はグレンの壁を突き破った。
だがその一秒でグレンは横に跳び、一点炎放射の回避に成功した。
回避のため横に跳んだグレンは芝生の地面へと転倒した。倒れこんだことにより右肩の激痛が身体を走ろうと、グレンはすぐさま立ち上がった。
グレンが倒れこんだ場所を狙い、別の炎使いが再び一点炎放射を放ったからだ。
倒れこんでから立ち上がったのが速かったことが幸いし、二撃目の一点放射は回避に成功した。
一点放射がグレンのいた地面に当たり芝生が燃える。だが、燃え広がる可能性は低いだろう。
三人の炎使いは順々に一点放射をグレンに放つ。
クソ、捌ききれない!!
炎使いの攻撃を鎮めるには、体術使いと雷使いに接近して戦うしかなかった。
次々と飛んでくる炎放射を避けながらグレンは体術使いに向けて走る。
体術使いに近付こうとするグレンを見て、雷使いは雷撃を放つ。
グレンは放たれた雷撃を炎の壁で防ぐと、何とか体術使いの下まで辿り付いた。
体術使いは身構えると、間合いに入ってきたグレンに向けて拳打を放つ。
グレンもまた、体術使いに向けて走撃打を打ち込んだ。
逆手重装とガントレットが互いに衝突する。
だが体術使いが放ったのは拳打ではなかった、拳打ではなく掌でグレンの走撃打を受け止めていた。
次の瞬間であった、体術使いは己の右腕とグレンの逆手重装を凍り付かせる。
逆手重装を封じられたグレンの腹部に、体術使いは左腕で拳打を打ち込んだ。
グレンは咄嗟に片足を上げ、体術使いの拳打を右膝で受け止める。
利き手ではなく、尚且つ充分な体勢から放った拳打ではなかったため、グレンの右膝で受け止めることができた。
体術使いはグレンに向けて語り掛ける。
「いい加減、倒れたらどうだ・・・化け物」
グレンは満面の笑みを体術使いに向けながら。
「俺の走撃打を受け止める時点で・・・充分あんたも化け物だよ」
布により表情は分からないが、体術使いもグレンに笑みを返した気がした。
体術使いは息を一つ吐くと、グレンに言葉を返す。
「どうやら時間切れのようだ」
グレンの右膝に己の左手を当てながら、体術使いは異常な程に肩で息を吐いていた。
「お前は気付いて無いのか・・・君の増援は、数分前に到着していることに」
何を言っているんだ?
そう思った瞬間であった・・・グレンの頬に、恵みの水滴が落ちた。
雷使いは疲労感に襲われ、肩で息をしながら自らの両膝に手を添えていた。
新たに増援として現れた三名の属性使いもまた、雷使いほどではないが疲労が伺える。
高位中級魔法 体力奪いの雨。
魔力奪いの雨は高位下級魔法であり、たとえ魔力を奪われようと、属性使いは魔力が尽きるまで戦うことができる。だが体力を奪われろば、疲労により動きは鈍くなる。
疲労感だけでなく、脱水症状も引き起こされていた。
アクアは時計台には足を踏み入れず、少し離れた場所からこの魔法を使っていた。
光魔力同士の乱戦状態ならば判別は難しいが、護るべき相手はグレンのみ。当然だがグレンという名を知っていれば、素顔も知っているアクアにとってそれは難しいことではない。
時計台で戦っていた六名の敵が二手に別れてアクアを倒しにいけば、グレンを倒すことが難しくなる。
それ以前に、既に土使いはグレンにより戦闘不能となっていたため、土の領域でアクアの位置を探ることもできない。
体術使いは、雨に気を取られていたグレンの隙を突き投げ飛ばす。
敵の炎使いは投げ飛ばされたグレンにロッドの先を向けた。グレンは何とか立ち上がり身構える。
だが予想を反し、体術使いが炎使いに向けて叫ぶ。
「もう時間がない!! お前達は倒れている同志を担いで即座にこの場を離れろ!!!」
長年の経験・・・場の空気が敵に傾いているのを体術使いは感じ取っていた。
大勢の一般兵が数分もしない内に時計台へ雪崩れ込んでくることを。
だが敵の炎使いはそれを拒む。
「命など、どうなろうと構いません!! せめてこの化け物をこの場で!!!」
炎使いは次々とグレンに倒されていく同志たちのようすを、仲間の土使いより聞き続けてきた。
赤の護衛を討ち取れる所まで追い詰めているにも関わらず、引くことなどできないと。
そんな炎使いに向け、体術使いは怒声を上げる。
「愚か者が!! 我等の使命を忘れたのか、生きて情報を持ち帰れ!!!」
叫び終えると、体術使いはその表情を隠していた布を取り去り、何を思ったのか素顔を露にした。
その行為が何を意味するのか・・・敵である炎使いは肩を落としながら、体術使いの言葉に頷いた。
グレンの掌波により地面に打ち付けられた土使い(A)は、ボロボロの身体を必死の形相で起き上がらせながら。
「ふざけるな・・・そんなこと、僕は」
だが痛みに耐えられず、土使いはその場に転倒した。
転倒しようと、地面を這いながらでも体術使いに近付こうとする。
女性の雷使いは覚束ない足取りで土使いに駆け寄り、何かを語り掛ける。
雷使いの言葉を聞いた土使いは、声を殺しながら泣き始めた。
土使い(B)は土使い(A)の泣き声に目を覚ましていた。
体術使いが素顔を露にしているのを見て状況を把握し、土使い(A)に不器用な口調で語り掛ける。
「泣く暇があったら、さっさと立てよ」
そう言うと痛みに耐えながら立ち上がる。
体術使いはそんな三人を無視し、炎使いたちに向けて再び声を荒げる。
「分かったのなら一刻も速く動け!! 時間が無いと言っているのが分からんのか!!」
その言葉を聞き、三人の炎使いは倒れている同志に向けて走りだした。
・・
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グレンの増援へアクアが向かい、その場に残ったガンセキとセレス。
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・・
アクアは人間を相手に戦った経験がない、グレンと共に時計台で戦うよりも、雨魔法を使い後方で支援したほうが効果は大きいだろう。
だがその為にも、ここに残る六名の敵が二手に別れ、アクアを追わないようにする必要がある。
ガンセキはセレスに語り掛ける。
「ここからが俺達の本番だ、悪いがお前には囮となってもらうぞ」
敵の狙いはグレンであって、セレスでもある。
セレスはガンセキの言葉に頷きだけを返す。
「全身が濡れた状態で電撃を喰っても、その雷使いは死んでない。お前は俺が護る・・・グレンなら大丈夫だ、青の護衛を信じろ」
ガンセキの励ましにセレスは頑張って笑顔を造り、深呼吸をすると一言を返す。
「私は私にできることをします、ガンセキさん・・・私は戦います」
勇者は瞳に覚悟を宿し、片手剣を構える。
その覚悟を聞き、ガンセキは祭壇の中央に立つ。
「それでは壁を壊すぞ」
六名の敵と自分達の間を塞いでいた横長の岩壁をガンセキは破壊した。
ガンセキとセレスは六名の敵と対峙した。
突然破壊された横長の岩壁を見て、六名の敵は一斉に身構える。
まだその場に残っていた岩の腕を使い、地面に倒れていた雷使いを向こうに投げる。その動作を終わらせると、ガンセキは岩腕を土へ帰した。
この雷使いを助けるために、敵が俺に接近してくると困るからな。
敵を二手に分けさせない為に、ガンセキは予め考えていた策を実行に移す。
俺は高位攻撃魔法を殆ど使えない、だが・・・大地の巨椀以外にもう一つ、修行を続けてきた攻撃魔法がある。
地の祭壇は共鳴率を異常な程に高めるだけでなく、同時魔法補助という能力も備わっていた。
その能力を知ってから今日まで、ずっと修行を続けてきた高位攻撃魔法だ。
ガンセキは祭壇の中で方膝を付き、左腕を地面に添える。
杭が一振り足りないが何とかしてみせる。
右腕に握っていたハンマーを大きく振り上げると、そのまま勢いをつけて地面へと叩きつける。
次の瞬間であった、ガンセキの少し前方の地面が盛り上がる。一ヶ所ではない、一斉魔法により三ヶ所の地面が盛り上がっていた。
その盛り上がりは次第に大きくなり、やがて人間と同等の大きさとなる。盛り上がった土の中から人型の鎧らしき物を纏った存在が現れる。
高位下級魔法・大地の下級兵 ガンセキが敵と認識している相手に対し攻撃を仕掛ける兵士。
はっきり言ってこいつらは弱い、丸腰で相手に殴りかかるだけだ。
しかし・・・相手からすれば、敵の人数が増えるのは脅威なんだ。
ガンセキはハンマーをもう一度振り上げると、先程と同じように地面へ叩きつける。
それも同時魔法により、次々と敵が増えて行くさまは恐ろしい者だ。
大地の下級兵が六体となり、その後も次々と数が増えていく。
犬魔戦の時は相手の数が多いから使えなかった、だが今回の相手は六名。
こちらの戦力を増やすことにより、敵にアクアを追わせる余裕を無くさせる。
下級兵十五体の召喚には成功した、だがこれ以上は厳しいか。
最後の仕上げとして、ガンセキはもう一度ハンマーを地面に叩き込む。
その動作を終えた次の瞬間、今度はセレスの両脇に三ヵ所、地面より兵士が現れた。
だが、その兵士は下級兵と違いがあった。二体が剣を持ち、一体が盾を持っていた。
大地の中級兵(剣) 得物としているのは片手剣であり、岩の剣と同じで刃は付いていない。
大地の中級兵(盾) 岩盾より小振りの盾を持ち、味方の護りに入る。
レンガでの数週間、俺はセレスとアクアに修行を付けていただけじゃない、自分の修行だって怠ってはいなかった。
十五体の下級兵を召喚しながら三体の中級兵を召喚する・・・かなり厳しいがこれが修行の成果だ。
この三体には予めセレスの手助けをするよう指令をだしている、俺は防御型の土使いだから盾を持っている方が、剣を持っている中級兵より強い。
ガンセキはセレスに声を掛ける。
「下級兵が敵をかく乱し、中級兵がお前の手助けをしてくれる・・・できるだけ俺を護りながら戦ってくれ」
杭がもう一振りあれば自分の身も何とか護れると思うが、手元にないのだから仕方ない。
セレスは真剣な表情で頷くと、三体の中級兵に声を掛ける。
「よろしくね」
当然だが三体とも物言わぬ無口な兵士である、それでもセレスは三体に笑顔を向けていた。
ガンセキは片膝を地面から離し祭壇の中央で立ち上がると、ハンマーを前方に振りかざしながら。
「・・・掛かれ!!」
その声を合図とし下級兵たちは前方に突撃を仕掛けた。
・・
・・
予想以上にガンセキの作戦は効果を上げていた。
確かに下級兵は弱いが、敵属性使いに破壊されるたびにガンセキは再度召喚をしていた。
この魔法は兵士を召喚するのに魔力はそこまで使わない、召喚した兵士を存在させ続けるのに多くの魔力を必要とするんだ。
敵を指揮していると思われる属性使いが叫ぶ。
「責任者を狙え!! 奴を倒せばこの人形共も消えるはずだ!!」
両脇に建物が並んでいる道・・・この戦場が幸いした。
最前線で六名と戦う十五体の下級兵。
その中間でセレスと三体の中級兵。
だが、敵を押し戻すことはできていなかった。
六名は属性使いであり、下級兵はそこまで強くない。この戦況を有利に進めるには、下級兵の数を増やす必要があった。
最前線を抜け、二名の属性使いがセレスに接近する。
一人はナイフを得物とし、もう一人は岩剣を手に持っていた。
セレスに向けてナイフ使いは走りながら刃物を投げる。セレスは片手剣を動かすと飛んできたナイフを払った。
ナイフを払われた瞬間、ナイフ使いは前方に手を翳し雷撃をセレスに放つ。
だが事前に中級兵(盾)がセレスの前方へと回り込み盾で雷撃を防ぐ。雷撃に直撃したことで、中級兵の盾は破壊された。
盾を破壊された中級兵はそのままナイフ使いに特攻した。
土使いは岩剣を中級兵(剣)に向けて振り下ろす、中級兵は剣を構え防ごうとしたが岩剣の重量に負け、己の剣ごと中級兵は破壊された。
だが次の瞬間であった、中級兵(盾)によりナイフ使いの雷撃から護られたセレスは、土使いに向けて電撃を放っていた。
中級兵(剣)を破壊した瞬間を狙われ、土使いは電撃に直撃した。
電撃により動きが鈍った所を残ったもう一体の中級兵が狙い剣を振り下ろした・・・だがナイフ使いの雷撃によりもう一体の中級兵も破壊された。
しかしガンセキにより、既にセレスの下には新たな中級兵が三体到着していた。
それを見たナイフ使いは、土使いをつれて最前線へと撤退した。
勝利したはずのセレスは、表情がどこか暗く、僅かに涙ぐんでいた。
そんなセレスを見てガンセキが叫ぶ。
「そいつ等は死んだ訳じゃない、土に帰っただけだ!!」
分かってはいたが、自分を護って破壊されていった彼等に申し訳なく思ってしまうのがセレスであった。
・・
・・
それから数分後、七名の敵は本当の意味で何処かへと撤退した。
・・
・・
先程まで激しい戦闘が繰り広げられていた時計台は静まり返り、弱い雨が二人の男を微かに濡らしていた。
雨魔法の雨は意識しないと気付かないほどの小降りなんだ。
そりゃあ空気が湿っている訳だから多少の抵抗はある。だけどよ、炎魔法を使う分にはそこまで困らない。
どちらかと言えば橋の上で川へ落とした大火玉の炎、それを消さないようにする方が難しい。
雨が魔力や体力を奪っている訳じゃねえ、雨という空間が・・・雨の領域が魔力や体力を奪うんだ。
事実、俺の前に立っているこの男は、肩で息をしている。
顔色も悪くて、今にも倒れそうだ。
グレンは背の高い男性を見上げながら、珍しく相手の目を確りと見詰めて。
「あんたは・・・残ったのか?」
体術使いの年齢は四十半ば、素顔は目が細くてまるで笑っているようで、優しい顔をしていた。
頭髪は薄くなり地肌が見える。その優しい顔に似合わない深い傷跡が頬に。
髪の色は白髪が混じりの黒。
確かに大きいが、こうやって良く見ると背が高いだけだ。筋肉質って訳でもなさそうだな。
唇の色素は薄く、頬は痩せこけていた。
グレンの問いに体術使いはその姿とは似合わない重く深みの在る声で。
「少し君と話をしたいと思ってな」
体術使いの言葉にグレンは鼻で笑いながら。
「そんな暇ねえだろうが、グズグズしてたら一般兵が来るぞ」
挑発とも取れるグレンの口調を聞こうと、体術使いは微動だにせず落ち着いた口調で。
「我等の情報収集が甘かったようだ、あの油断がなければもっと戦えたはずだ」
こいつは・・・何をしたいんだ。
グレンは身構えながら体術使いに返事をする。
「あんたがいなけりゃあ、もっと楽にことは運べたがな」
痛む右肩に意識を向けながらの嫌味だった。
だが体術使いはその言葉に始めて表情を崩し、苦笑いを浮かべながら。
「無駄に生き残り続けただけだ・・・俺は怒り狂う同志を止めることすらできない」
こいつは俺の挑発にただ一人だけ乗らなかった。
「そう仕向けたんだよ、もっとも俺は本心を言っただけだ」
怒り狂い我を忘れた者に、言葉だけで止めれる奴なんていてたまるか。
グレンの言葉を聞くと、体術使いは首を振りながら。
「それは違うな、我等の信念を侮辱したとき、笑みが消えた君の表情は苦痛に染まっていた。心にもないことを言っていると気付いたからこそ、俺は君の挑発には乗らなかった」
体術使いの言葉に思わずグレンは顔を逸らしてしまう。
その瞬間を体術使いは狙った。
しまっ・・・た。
気付いたとき、グレンの腹部には体術使いの拳打が減り込んでいた。
だがその拳打に吹き飛ばされはしなかった。体術使いは武具の能力を使用せず、己だけの拳打をグレンに放っていた。
グレンは両膝を地面に落とし、そのまま蹲る。
喩え宝玉具の力に頼らずとも、その拳は本物であることに違いはない。
体術使いはグレンから一歩離れると、冷静な口調で語り掛ける。
「覚えて置くと良い、君は人間に対しての憎悪がないようだ。だからこそ・・・一瞬の油断が生じる」
そう言うと体術使いは向きを返し、大通り側の出口に向けて歩きだした。
こいつは・・・なんで俺を殺さない?
グレンは腹の底から何とか声を絞りだす。
「ま・・て・・・そっちは・・」
その道を進めば、待っているのは死だ。
その擦れ声を聞くと体術使いは歩みを止める。
「赤の護衛よ、我等信念旗は負けてない・・・喩えこの先に死が待ち受けていようと、俺の志を受け継ぐ者達が存在する限り」
重い、その声は想い、それ程に重く想い。
体術使いは、己が信念の旗を語る。
「我等が信念を諦めぬ限り、信念旗は勝者でもなければ敗者でもない」
そう言うと体術使いは足を一歩前へ踏みだす。
「拳士グレン・・・見事生き残った貴様を称え、一つの情報をくれてやる。
あの男に生きる希望は無い
あの男に望みは無い
あの男に居場所は無い
あの男に楽しみは無い
あの男に安らぎは無い
あの男に・・・信念は無い
勇者への憎しみが
勇者への恨みが
勇者への絶望が
勇者への全ての憎悪が、あの男を生かしている。
救いの形は一つとは限らない、だがあの男には一つの救いしか残されてはいない」
オルクは勇者を憎んでいる。
体術使いは最後に一言を残し、その場を去ってゆく。
「頼む・・・俺の友を救ってくれ」
・・・
・・
・・・
・・
ふざけるな、このまま消える積りか。
グレンは全身ボロボロの身体で立ち上がる。
全身が痛い
右肩が痛い
腹が痛い
それでもムカついてムカついて堪らない。
グレンは一歩を前にだす
グレンはもう一歩を前にだす
グレンは歩き始める。
・・
・・
・・
・・
痛みは消え、意識が遠のく。
兵士たちの罵倒が俺の耳にだけ入ってくる。
俺はまだ立っている。
兵士たちをここで足止めしなくてはならないから。
体術使いは三人の仲間を想う。
何時も怒鳴ってばかりだった。内心嫌われていると思っていたんだがな。
それでもお前は俺の為に泣いてくれた。
時の流れは速いものだ・・・少女だった彼女は、今や立派な女性になった。
思えば随分と支えられたな。
お前の不器用な性格は相変わらずだが、それでも素直になった方だな。
だが、何時も俺の味方をしてくれたな。
後悔はない・・・と言えば嘘になるか。
だが、若者たちが俺の遺志を継いでくれる。
地面に大量の血が滴る、体中から血液が溢れ出ていた。
あの青年がお前を救ってくれる筈だ。
友よ・・・俺は先に逝くぞ。
似つかわしくない深い傷痕を頬に宿す男は、全ての同志に向けて届かない言葉を残す。
「信念の旗を・・・掲げよう」
体術使いはゆっくりと地面へ吸い込まれてゆく。
「そうすれば・・・何時かきっと、道は開かれる」
・・
・・
・・
・・
グレンは坂を下る。
逃げてきたこの道を逆に進む。
あいつに文句がある、それを言わねえと怒りが収まらない。
下り坂を歩くのが難しくて、何度か転びそうになる。
やがて一般兵達がグレンの視界に映る。
グレンの姿を見た兵達は、その不気味な姿に驚き剣を向ける。
誰かの叫び声が聞こえる。
「馬鹿者!! その方は赤の護衛だ!!」
でもそんな声は関係ねえ。
グレンは一般兵を押しのけながら、文句を言うために男の下へ進む。
兵士たちの集団を抜け、グレンの視界に入ったのは血塗れで倒れている体術使い。
別にこんな屑が一人死のうがどうでもいい。
それでもグレンは文句を言うために体術使いの下まで歩く。
血塗れの汚い物体を見下ろしながら、袋から取り出した油玉を手に持ち、体術使いに向けて容赦なく投げ付ける。
油玉が命中した体術使いは血を吐き出しながら息をする。
敵が生きていることを確認すると、グレンは体術使いを蹴飛ばして仰向けにした。
蹴飛ばした所為で、グレンも地面へと転倒してしまう。
地面を這いながら体術使いに乗っかると、胸倉を掴んで敵の上半身を持ち上げる。
「何勝手にくたばってんだ、俺の用件はまだ終わってねえぞ」
グレンの声に体術使いは薄く目蓋を開く。
肩で息をしながら、グレンは擦れた声で体術使いに文句を叫ぶ。
「人に頼みごとする時は!! 名前くらい名乗るのが礼儀だろうが!!」
その叫びに体術使いは口元を緩めると、最後の力を振り絞り名前をグレンに教える。
グレンはその名を心に刻む。
「あんたの願い・・・確かに受け取った」
その言葉を聞くと、体術使いは静かに息を引き取った。
このまま犯罪者として、治安維持軍に遺体を引き渡す訳には行かない。
信念旗は魔法を使っている、だからあんたも文句はねえだろ。
グレンは神言を唱える。
「紅蓮の炎よ、天へと熱く燃え上がれ!!」
炎は燃える、偉大なる拳士ガランを乗せて。
6章:十七話 おわり