十二話 力の代償
一定のリズムで刻む呼吸法は体力の減少を抑える、青年の足音はレンガの静かな夜を彩る。
グレンは全力ではなく、遅すぎず速すぎずの速度で走っていた。
敵は自分たちの存在が俺に気付かれることを前提に土の領域を展開したんだ。
そして俺が工房から北東に逃げることを予測し、その方面に9名を隠した。
俺がそいつ等と戦っている内に、東と北の計10名が俺を目掛けて来る。
だが俺は北東の9名を敵の予想より速く突破する、9名は3人1組に別れているんだ。3人を俺が撃破す場合はかなりの時間を要するが、突破するだけならそれ程の時間はかからない。
逆手重装があれば、撃破するのにも時間はかからないかも知れないが、相応の何かを覚悟しておく必要もあるか。
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俺が杭に魔力を注いだのは、工房をでる直前だ。なぜもっと速く危険をガンセキさんに知らせなかったのか。
あくまでも俺の予想だけど、宿屋にもガンセキさんに気付かれないよう、信念旗の見張りが付いていると俺は考えている。
杭を使って危険を離れた場所のガンセキさんに知らせることができるように、もし宿屋に動きがあった場合、その情報を工房の周りで俺を狙っている輩に知らせることが出来るかも知れない。
ガンセキさんが俺の増援として宿をでたという事実を知れば、俺を狙う連中が問答無用で工房に踏み込んでくる可能性も否定できないからな。だから俺は工房をでる直前に危険をガンセキさんに知らせた。
距離から考えて、俺はこのまま時計台に向う積りだ。
時計台に到着してもガンセキさんが居なかった場合、俺だけで多人数と戦う必要がある。
正直嫌で堪らないが、街中を戦場にする訳にはいかない。
時計台を人質に取ることで、信念旗が引き上げてくれることを願うしかない。
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グレンは時計台へ向かう最短ルートではなく、多少到着までの時間は遅れるが、入り組んだ狭い道を縫うように走る。
その道は石畳ではなく、地面は土がむき出しになっていた。
もし敵に前方を取られた場合、その方が戦い易いという理由もある。だがそれだけではない、土の領域ってのは建物までは把握できないらしい、入り組んだ道を走っていた方が敵は俺を捉え難いんだ。
しかしその方法でも、相手はグレンの居場所を把握している。
だからこそ、いつかは敵に進路を妨害されることを覚悟しておく必要があるんだ。
狭い道、そこから相手がどんな手段を要いるのかを予測する。
グレンの息遣いは安定していた、全力で走っている訳でもなく、冷静を保っているからこそ体力の消費を抑えている。
左腕は常に魔力を練り込んだ状態を維持させてある。
暫くして敵と思われる三名の人影がグレンの視界に映る。隠れていたようで、どうやら待ち伏せされていたみたいだ。
服装は旅人風だが、表情は布に覆われ素顔を隠している。
横一列に並んでいる訳ではない、二人が前方に存在し、30mほど離れた後方にもう一人の計三名。
後方の一人が地面に手を添えると、己の後ろに岩壁を召喚する、それにより俺の逃走経路を塞がれた。
俺の後方にも岩壁を造れば完全に逃げ場はなくなるのに、敵の土使いはそれをしてこない。
岩の壁を同時魔法で召喚してしまえば、後衛の土使いは身動きが取れなくなる、そんなところだろうか?
二人だけでは俺に負ける、敵はそう考えている。
後衛の土使いが使っている得物は短剣、前衛の一人は同じく短剣で、もう一人は両手剣。
敵がどのような戦方を取ってくるか、大体の予想はしていたんだ。一人が少し離れた場所で岩の壁を使い、俺の逃げ道を塞ぐだろうと読めていた。
そのため俺は先に2名を相手に戦わなくては行けない。
後衛の土使いは短剣を地面に突き刺し岩剣を造りだすと、前衛の二名と合流する為に走り出した。
グレンは予め考えていた策を実行に移す。
俺が全速力で走っていなかったのは、相手に俺の全力を把握させない為だ。
敵が集めていた情報の中では、俺の走る速度は物凄く速いって程度だ。実際に俺が走っているところを見た者は殆どいないだろう。
今俺が走っている速度は、物凄く速いでも通用する。
グレンは前衛の二名と接触する一歩手前に左腕の魔力を右腕に移動させ、再び左腕に魔力を練り込むと、そのまま速度を上げて走り出す。
前衛の二名は異常な速度に変わったグレンに動揺を示す。
俺の考えなんだが、逃走経路に敵が現れた場合、誰でも一度立ち止まり戦いをする体勢を整えるものなんだ。
その考えをグレンは逆手に取り、突如にして全速力に移る。ただでさえ速かったグレンがより速度を上げた所為で、二名は混乱状態に陥る。
俺は短剣を持っている方に向かって走る、両手剣を持っている方では俺の策は失敗する可能性があるからな。
俺の考える人間の心理として、自分が混乱している状態で敵が己に向かってそのまま走り抜けようとした場合、攻撃を加えるより先に空いている手で相手を掴もうとする。または俺の速度が異常に速いから、それに怖れて手を前に向けるか守りの姿勢を取るかのどちらかだ。
両手剣の場合は両腕が塞がっている所為で、俺の攻撃から身構えようと防御体勢を取られる可能性が高い。
グレンは速度を落とすことなく走り続け、短剣を持っている敵の脇を走り抜けようとする。
短剣を持っている属性使いは、予想通り己を突破しようとしたグレンを片腕で捉えようとした。
捉えようとした敵の片腕を、グレンは逆に掴み返すと、そのまま自分の意志で転倒した。
俺は人間の骨を折った経験がない、だから転倒した時の衝撃を利用する。
それは凄く嫌な音で、グレンは軽く動揺を示したが、レンゲの言葉を思い出し直ぐに立ち直る。
腕を折られた短剣使いは悲鳴を上げながら地面をのた打ち回る。
動揺をしたのも束の間、なぜかグレンの心に本人でも気付かない程の喜びが生まれる。
グレンが地面に方膝を付いて体勢を転倒から立て直した瞬間だった、後衛にいた土使いがグレンの直ぐ傍まで迫っていた。
岩の剣を手にした土使いは容赦なく、グレンに向けて岩の剣を振り下ろす。
それと時を同じく、両手剣使いもグレンに向けて剣を振り下ろしてきた。
グレンは冷静に判断し、両手を交差させながら左腕で両手剣を握り締め、右腕で岩の剣を受け止める。
岩の剣は打撃だから地面に流す事が可能だが、現在のグレンは片膝を付いている所為で、靴底が片方の足しか地面に接していない。その体勢は地流しとの相性が悪く、完全に威力を地面へ流し切れず多少の痛みが片足に残る。
グレンが敵の両手剣を逆手重装で握り締めた瞬間だった、敵は剣に雷撃を纏わせる。
並位中級魔法・雷剣 物質を破壊する能力はないが、決められた物質(鉄や胴など)を電気を通す。宝玉武具でなければ、使用不可能な魔法。
雷剣は逆手重装を通り、グレンの左腕に襲い掛かる。
だがグレンの左腕は極化状態であり、そのため抵抗が極限まで高められ、グレンの体を流れるのは微量だった。
あくまでも抵抗を上げているだけだから、俺の左腕が電気を遮断している訳ではない。
使用する宝玉の違い、または職人の腕次第で雷剣の状態から雷撃を放つことができる。剣から雷撃が放たれた瞬間に、物質破壊能力が追加される。
雷剣を喰らっても平然とし、重量のある岩剣を受け止められた二名の敵は、驚愕と恐怖の表情をグレンに向ける。
その隙を突き、グレンは極化された己の握力で両手剣を折ると、そのまま立ち上がりながら土使いの腹部に右腕を添える。
逃げ場を塞いでいた岩壁に向けて狙いを一瞬で定めると、グレンは掌波で土使いを吹き飛ばす。
その瞬間だった、雷使いは折れた両手剣でグレンに突きを仕掛ける。
グレンはその突きを逆手重装で払うと、右腕で拳打を雷使いに打ち込む。
掌波の所為でグレンの右腕は極化状態から解かれていた、そのため拳打の威力を抑えなければグレンの拳は壊れてしまう。
だが威力の低い拳打でも、敵は魔力を纏っていたが、それなりのダメージを与えることは出来たようだ。
グレンは一度全身に魔力を纏い直すと、そのまま敵の頭に向けて蹴りを放つ。
雷使いは地面に崩れ落ちたが、意識は失っておらず、頭に手を当てながら何とか立ち上がる。
土使いが衝突した岩の壁はヒビが入っていたが、召喚者である土使いが気絶した為、岩壁は土へと帰り始めていた。
グレンは雷使いにもう一度軽い拳打を食らわせると、そのまま壊れかけの岩壁に向けて走り出し、逆手の走撃打で岩壁を完全に破壊する。
流れ作業でそれらの動作を終わらせ、呼吸を整え時計台を目指して逃走を再開した。
多少の痛みは身体に残っているが、逃走に支障はなさそうだな。
戦いは敵の予想を反し、短い時間で勝敗が決した。
その場所に残ったのは、腕を折られた短剣使いの唸り声と、去ってゆくグレンを睨み付ける雷使いの視線だけだった。
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グレンの心は喜びに支配されていた。
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走りながらグレンは己の身に起きた異変に動揺を隠せなかった。
なんで俺は、躊躇うことなく、人間にあれだけの攻撃を加えられた?
なんで俺は、自分を殺そうとする人間と戦うことを楽しんでいるんだ?
なんで俺は、人間を傷付けることに喜びを感じているんだ?
今まで感じたことのない己の気持ちに、グレンは冷静を失っていた。
この感情は一体何なのか、グレンは考える。
そうか、何となく分かった・・・これはお前の気持ちなんだな。
グレンは理解した、これは逆手重装の呪いなのだと。
走りながら逆手重装に視線を向ける。俺とお前の心が繋がっている証拠なのか、この気持ちがお前の感情なのか。
でも、人間に対しての憎悪は感じてない、俺にあるのは喜びの感情だけだ。
大好きな人間を傷付けたのに、俺はそれが嬉しくて堪らない。
グレンの動揺は次第に大きくなっていく。
落ち着け、これは俺の気持ちじゃない、クロの気持ちだろ。俺は人間を傷付けることを喜んだりしてない。
今は戦いの最中だ、このことは終わった後に悩めば良い、今考えることじゃねえだろ。
俺は俺だ、今は生き残ることを優先させろ。
グレンは自分にそう言い聞かす、今の戦いに集中しろと。
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無我夢中で呼吸法を取り、少しだけ落ち着きを取り戻した。
先程の戦闘を振り返ることで、完全な冷静を自分の中に呼び戻す。
土の結界は自分にしか使用できない魔法であるにも関わらず、3人の中に雷使いが混ざっていた。
俺はそのことを始めから予想していたんだ、レンゲさんの話で土の結界を他人に使用できる能力を持った玉具が存在していると聞いていた。
土使いが玉具に土の結界を発動させる、その玉具を雷使いに渡し、雷使いは玉具に魔力を送り続ける。これだけで別属性でも土の結界を利用できるんだ。
ただし他属性の魔力からなる土の結界は、使用する宝玉によって差がでる。
宝石玉を使用した玉具ならば、熟練された結界を使用できる土使いさえいれば、誰にも見抜けない結界を他属性に纏わせることを可能とする。
一つの宝玉から、五つくらいならこれ等の能力を宿した宝玉具を造りだせる。
それともう一つ、敵の属性を判断するのに役立つのが相手の得物だ。
ガンセキさんのように、靴底で地面を踏むだけで魔法を発動させられる土使いは殆どいない。土使いは両腕を地面に添える必要があるから、両手剣を使うような土使いは考え難い。
多くの土使いが好むのは、ガントレットや短剣などのように、かさばり難い武器なんだ。
それを逆手にとって両手剣を得物に選び、自身の属性を隠す土使いも居るだろうけど、一度属性を知られたらもう終わりだからな。
雷使いは片手剣や両手剣を使う連中が多い、剣からでも雷撃は放てるし、素手よりも命中率が上がる能力もある。剣撃を敵に防がれた瞬間に、雷撃を使用することもできるしな。
電気について詳しく分からないけど、鋼は普通の鉄より電気を通し難いらしい。
先程戦った三名の敵について分析してみる。
彼らの攻撃に躊躇いは見られなかった、人間を殺すことに抵抗は感じてないようだ。
だけど暗殺者ではない・・・だってよ、腕を折られたくらいで戦闘不能になるとは思えないからな。
任務遂行の為なら、腕を斬り落とされようが続けるのが本物じゃねえのか? そんな人間にあったことがないから分からないけど。
腕を折った土使いは多分戦闘は続けられないだろう、だけど残りの二人は今まで通りとは言えないが戦えるはずだ。
走りながら敵について分析していたお陰で、だいぶ冷静を取り戻せた。
次に目指す場所は橋だ、そこで敵を迎え撃つ。
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足音は先程よりも間隔が短くなり、グレンが速度を上げていることが分かる。
敵もそれには気付いているだろう、それが連中に混乱を起こさせているかどうかは分からないが。
橋といっても大通りに架かる爺橋ではなく、レンガに数多く架かる幅の狭い橋。
そこを通るとき、一つの策を用意してある。
土の領域について、レンゲさんに聞いていたからこそ可能な策だ。
土の領域は建物を把握できないが、川や地の高低なんかはある程度分かるらしい。
敵は俺の魔力と心でグレンという人物を把握する。俺は連中に完全な敵対心を向けているから、連中は俺を敵だと把握している。
自分を殺そうとしている相手に、僅かでも敵対心を向けない人間は多分いないからな。
また名前を知っているだけでも把握し易くなる、俺の素顔を知っていればより把握は容易となる。
同じ光魔力でも人によって多少の違いがあり、熟練によって見分けをつけることも可能。
魔法には・・・使用者の魔力が宿っている。
俺の炎には、俺の魔力がこもっている。
これらを利用して土の領域を逆手に取った策を、今から橋で実行しようと思う。
相手は人間、これまで戦ったどの魔物より知能は上だ。だが知能が高い所為で、人間は悩んでしまうんだ。
俺は策士・・・策は必ず成功すると信じるんだ、自分を信じられなくても、俺の策を信じるんだ。
大嫌いな俺自身が考える策は、今まで俺を生かしてくれたという自信が在るんだから。
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敵に遭遇することなく、グレンは橋に辿り着いた。
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転落防止の柵はなく、木製の歴史を感じる橋。
試したことは一度もない、だけど失敗する訳にもいかない。
橋にグレンは足を踏み入れる。
俺は橋の南側から進入し、北側へ向かって走る。恐らく敵は先回りしているから、北側から現れるはずだ。
数分後、橋を渡りきる手前でグレンは立ち止まると腰袋から油小瓶を取り出し、己の周囲に油を撒き散らす。
その作業が終わると、再び腰袋に手を入れて、今度は火の玉を2つ取り出す。
工房より拝借した細い鉄線を利用し、2つの火の玉を重ねて大火玉にする。
グレンはそれに炎を灯し川に投げ捨てると、即座に橋に撒いた油に炎を着火し、川に投げた大火玉と橋に燃える炎の火力を上げる。
間を開けず、グレンは橋を塞ぐ炎の中に身を隠した。
左腕の魔力だけを練りこみながら自分が熾した炎の熱に耐える・・・いや、俺は炎に成る訳だから熱いのは当たり前だ。
今からグレンという存在を、一時だけこの世界から消す。
俺は自分がグレンという人間ではなく、グレンという炎使いが熾した炎だと思い込む。
一点に集中する、自分は炎だと。
俺は炎だ・・・グレンという炎使いが熾した炎なんだ。
橋を塞ぐ為に今俺は燃えている。
この古い橋を燃やしながら、俺は今燃えている。
俺を造り出したグレンという炎使いは、川に飛び込み水路を使って逃走した。
俺は敵の足止めの為に、橋を塞いでいる。
橋を燃やしながら俺は大きくなる、橋を燃やしながら俺は大きく燃え上がる。
俺は橋と同化している、俺は炎であり・・・橋だ。
長い年月、この場所に存在しながら、人に踏まれてきた。
そのために産まれ、そのために此処にいる。考えなんてない、何も考えない木製の橋だ。
熱い・・・誰かが俺(橋)に火をつけた、俺の身体が燃えている、俺を燃やしながら炎は大きくなる。
誰かが燃えている俺(橋)の上に乗った、二人の重さを俺は感じる。
二人は俺の、橋の燃えている場所へゆっくりと足を進めてきた。
消してくれ、俺を燃やす炎を消してくれ、このままだと俺は焼け落ちてしまう。
俺が焼け落ちてしまったら、人を向こう岸へ渡らせることができなくなる。
いや、違う・・・俺は橋じゃない、グレンだ。炎を消すのは・・・俺だ!!!。
グレンがそう思った瞬間だった、橋の上には登らずに、二人から離れた場所で様子を見ていた土使いが声を上げる。
「罠だ!! 炎の中に隠れているぞ!!」
だが既に時は遅かった、グレンは指を鳴らすと橋を燃やしていた己の炎を消し、そのまま近くに立っていた二人の敵に接近する。
敵の位置はすでに把握している。橋の上に存在している敵の内、一人は片手剣、もう一人は投げナイフを得物としていた。
突然炎の中から出現したグレンに二人は対処できず、そのまま接近を容易に許してしまう。
グレンが最初に狙ったのは片手剣士であり、低い姿勢からの体当たりで片手剣士の両足を掴むと、そのまま転倒させる。
転倒した片手剣士の腹に向け、魔力を纏った状態で本気の拳打を放つ。
グレンは属性不明の片手剣士を戦闘不能に追い込んだ。
それと時を同じく、ナイフ使いがグレンに向けて刃物を投げる。
屈んでいたグレンは立ち上がりながら、自身の右腕で飛んできたナイフを掴む。
グレンの右腕は素手であり、刃の部分で掴んでしまった場合、怪我をしてしまう恐れがあった。
そのため左腕に練りこんだ魔力を頭に移動させ、動体視力を極限まで高めた状態でナイフの柄をつかむ。
握り止めた刃物はとても冷たかった。グレンはとっさにナイフを足元へ投げ捨てたが、すでに遅く右腕は凍りついていた。
それだけでなく、己の足が捕縛の氷で動けなくなっている。水使いはグレンに向け、再びナイフを投げようとした。
だがグレンは冷静だった。頭部の魔力を胴体に移動させると、左腕の魔力を一瞬で練り込む。
この人内魔法を試した経験は一度もない、だが感覚としての自信があった。
何者かの意識がグレンの脳裏に響いていた、成功する、必ず成功させると。
逆手重装の掌をナイフ使いに向けると、グレンは胴体の魔力を左腕に移動させ、左腕の魔力と合わさった一瞬を狙い掌にそれを凝縮させた。
ギゼル流魔力拳術・初歩・二段掌波 離れた対象に向け、吹き飛ばすだけの衝撃波を与える。
グレンとナイフ使いの距離はさほどない、二段掌波の射程は長くはないが充分命中を可能にしていた。
二段掌波に直撃したナイフ使いは橋から吹き飛ぶと、大きな水しぶきと共に川へと転落した。
その瞬間、己の動きを封じていた捕縛の氷に亀裂がはいる。
鉄が橋の一部をこする音が聞こえた。周囲は暗くなっていたが、そちらに意識を向ける。
腹に拳打を喰らわせた片手剣士が、倒れながらもグレンに剣先を向けていた。
恐らく雷撃を俺に放つ積りだろう・・・そうはさせないけど。
グレンは足下に落ちていたナイフを逆手重装で拾うと、片手剣士の顔面目掛けて投げる。
だが狙いは外れ、ナイフは片手剣士の肩に突き刺さった。
水使いが川へ落下したことにより、捕縛の氷はすでに効力を失っている。グレンは足元に纏わりつく氷を完全に取り払うと、片手剣士の下まで歩き、靴底で何度も踏みつける。
気付いたら、片手剣士はすでに気絶していた。
グレンは凍りついた右腕に炎を纏わせると、残る一人の獲物・・・橋の先に立ち尽くしていた土使いに向け、無言のまま歩き出した。
先程まで辺りを照らしていた橋を燃やす大きな炎は消え、今の暗闇を照らしているのはグレンの右腕だけ。
本人は気付いてない、グレンの表情は己の炎に照らされながら、狂わしい程に笑っていた。
右腕の炎がグレンの狂面に影を造り、それが炎と共に揺れる。
闇と炎の灯火が造りだす異常な姿は、ただの人である土使いを恐怖に染める。
土使いは後方に一歩、また一歩と下がるが、グレンは笑いながら少しずつ近付いてくる。
敵の顔は布に隠れ、感情を掴むことは難しい。だが土使いの全身から、確かな恐怖が滲み出ていた。
まるで闇に縛られたかのように、逃げようとしても土使いは動きだせず、終いには足を躓かせて尻から倒れこんでしまう。
声もない狂った微笑みを残したまま、青年は橋を渡りきった。グレンは土使いの前に立ち、歯茎を剥き出しにした状態で見下ろす。
土使いは叫ぼうとした、だが声がでない。恐怖に喉を押し潰され、一言すら発することはできない。
グレンは何もしない、黙って土使いを見詰めていた。
静寂が闇となり一人を包み込む。
沈黙を打ち破ったのは、化け物の絶叫だった。
殺せ
殺せ、殺せ、殺せ
殺せ
殺せ、殺せ
殺せ、殺せ
殺せ
殺せ、殺せ、殺せ
殺せ
殺せ、殺せ
殺せ敵を、殺せ。
人間を・・・敵を殺せ。
頭のなかで響く何者かの声に反応して、自分は目前の敵を殺そうとしている。
その声を必死に振り払うかのように、グレンは無我夢中で叫ぶ。
人間を殺そうとしている自分への罵倒。
人を傷つけることに喜びを感じている自分への恥。
人類を痛めることを楽しんでいる自分への戒め。
グレンは必死に叫ぶ、俺は人間だと、己へ言い聞かせているかのように。
青年の喉は潰れ、水分が声から無くなろうと、彼はただ叫び続けていた。
その瞳孔は開かれたまま、網膜は充血とは思えないほど、赤く不気味に光っている。
あまりの恐怖に土使いはその場で失禁し、意識を既に失っていた。
グレンは意識を失っている土使いを容赦なく蹴り飛ばす。少しでも自分から遠ざけなくては、気を抜けば殺してしまいそうだから。
俺は笑いながら、この土使いを本気で殺そうとしていた。
土使いだけではない、片手剣士もナイフで殺す積りだった。
人間を殺すことを怖れていたはずなのに、俺はなんでこんなに喜んでいる。
土使いを遠ざけたことで、グレンは意識を取り戻していた。
しかしその所為で、人を笑いながら殺そうとした自分に恐怖を感じ、体中が異常なほどに震えていた。
全身を震わせながらも、グレンは考える。
場合にもよるが、何かを考えていれば落ち着くことができ、冷静を取り戻せる。
思考に囚われて余計混乱することだってあるけど、俺は考えるのが好きだから、考えるだけで落ち着くことができるんだ。
グレンは考える、この得たいの知れない感情について。
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・・
新たに芽生えた恐ろしい感情、その正体が何となく分かった。
力を得るには犠牲が必要なんだ、強力な力なら、その代償はさらに強大だ。
実戦に使ってみて、魔獣具としての逆手重装は非常に強力だと良く分かった。
これが力。
これが代償。
気を抜くと人間を殺してしまいそうだ。速く、この場から離れないと。
土使いのためにも、俺自身のためにも、一刻も速く逃走を再開しなくては。
今の俺に立ち止まっている余裕なんてないのに、少しだけど時間を無駄にした。
このまま川に沿って走れば大通りに出るだろうけど、そのルートだと僅かな時間で敵に捕捉されるな。
今いる場所から北に向かえば鉄工街にでる、鉄工街から大通りにでる道は結構入り組んでいたか。
考えている時間はない、俺の近くにいる敵は残り三名だ。このまま川にそって時計台を目指そう。
まだ完全に冷静を取り戻せていないけど、走りながらでも何とか元の状態に戻してみせる。
この程度どうってことない、俺はまだ戦える。
誰を蹴落としてでも、生き残ってみせるさ。
6章:十一話 おわり
読んで頂き有難う御座います。
電気については間違っているかも知れません、無知ですんません。
分かり難い戦闘描写があったらすんませんでした。