十話 自分
いつの間にか辺りは暗くなり始め、工房内にも闇が迫っていた。
鉄工街の煩さは消え、辺りは静まり返っている。
なぜ鉄工街なのか・・・大鉄所で造られる武具は、一応だけど鍛えられている。
だが武具ではあるけど、鉄所で造られている武具は量産目的だから、あそこは鉄工街と呼ばれているのだろうか?
確かに宝玉武具の職人が持つ武具を造る技術は、本物の武具を造っている職人に比べれば劣る。それでも逆手重装の金属は、丁寧に鍛えられ鋼となっていた。
薄暗くなった静かな工房を、赤いガラス球の火が照らしていた。
ガラス球の火を使ってレンゲはランプを灯す。その後、時間の経過と共にガラス球の火は少しずつ小さくなり、やがて音もなく消えた。
どうやらこの火を造りだす玉具は放出型のようだ。
古代種族・・・本当に謎だらけだよ、連中の持っていた技術はあまりにも異常だ。
そして彼らはまるで、人類を魔族と戦える状態にする為だけに歴史の表舞台に現れた、そんな気がする。
俺には分からないことが多すぎる、もっと知識を・・・情報を集めたい。
・・
・・
逆手重装を装備しただけで俺は強くなった、そんな風に思っては駄目なんだ。
レンゲさんの言う通り、俺には特殊な能力があるのかも知れない。だけどその能力が分からない限り、俺は今まで通り炎を飛ばせない炎使いであることに変わらないんだ。
逆手重装を手に入れた現在、今までの俺と比較してみた方が良さそうだな。
今の俺を一度見詰め直してみよう。
まずは斬撃に対する防御手段を手に入れた、打撃の場合は地流しで何とか素手でも受け止めらるが、失敗の可能性は否定できない。
魔獣具としての能力により、ある程度実戦でも魔力練り(極化魔法)を使うことができる。
俺の極化魔法には20秒という制限時間が存在している。だが黒手になった左腕だけは、極化状態を維持できる。恐らくクロが補助してくれてんだと思う。
どうやら左腕から魔力を移動させた時点で、カウントが始まるみたいだな。
だがこの能力を実戦で使用する場合、何かしらの呪いが発祥する恐れがある。今の内にそれを覚悟していた方が良いか。
逆手重装の攻撃形態である赤鉄を使用することは、今の俺が持つ技術では不可能。
こうして考えてみると、やはり高位魔法を難なく戦闘に組み込める3人と比べれば、差が縮まった程度だな。
そもそもセレスは片手剣で物理を防ぐことが出来るし、ガンセキさんとアクアは魔法で物理を防ぐことを可能にしている。
雨魔法は個人の力というより、強力なサポート魔法だからな。俺が人内魔法を使える代わりに、3人は高位魔法を使えるんだ。
魔獣具としての能力がなければ、逆手重装を装備しても俺の防御機能が向上しただけで、後は今までとそこまで変わらない。
火玉の命中率が下がる訳だし、俺としては少し心配だ。
オッサンの玉具を本当の意味で使いこなす、予想はしていたけど難しそうだな。
左腕に纏っていた魔力を練り込む訳だから、その動作をした後は左腕に纏っていた魔力はなくなっている。練り込んだ後に、もう一度魔力を左腕に纏わせないといけないってことだ。
今の俺では魔力練りをしながら炎を灯すことすら出来ないんだ、魔力練り・魔力纏い・炎魔法、この三つを同時に左腕で実現させる・・・必要なのはコツだな。
熟練を上げるのは確かに時間が掛かるけど、修練を行い続ければ結果は必ずでる。だけどコツを見つけだすことで、熟練の上達を速めることができる。
もっとも、そのコツを見つけだすのが物凄く難しいんだけど。
魔力練りは黒手の能力で何とかなっている。
魔力纏いは今までの修行でそれなりの自信はある。
炎魔法、俺は一応炎使いだから修練はして来た。
以上のことから、この三つの熟練は多分大丈夫だと思う・・・残る修行はそれらを同時に発動させる修行だ。
どれだけ速くコツを掴めるか、それによって刻亀討伐作戦までに赤鉄を習得できるかどうかが変わってくる。
・・・
・・・
そこまでの説明をグレンから聞いたレンゲは笑みを浮かべながら。
「君たちの責任者が誰だったか忘れたのかな? 私が知っている中で彼ほどの修行好きは、ガンセキを含めて二人しか知らないけどね」
そんな無類の修行好きであるガンセキが、修行の中で最も得意としているのが、コツを見つけだすことであった。
ガンセキは魔法を覚えても、その魔法を直ぐに実戦で使えるほどの才能はない。その代わりにコツを見つけだし、熟練を上げるのが物凄く速かった。
個々に合った修行方法を編みだすことも出来るだろう。
黄鋼の杭とハンマー、本来なら一年であそこまで使いこなせる武具じゃない。私の言葉から自分にあった独自の修行方法を編み出したことにより、ガンセキは杭とハンマーを己の物としたんだ。
あの杭とハンマーっていう玉具は、元の持ち主である私ですらその全貌を掴めていないんだ。ガンセキにこそ相応しい武器だと私は思っている。
地の祭壇は魔力の質を高めるだけじゃない、同時魔法を異常な程に高められるんだ。それが何を意味するのか、ガンセキなら気付いているよね。
ガンセキの話しをしているレンゲの顔は、少し幸せそうに見えた。
レンゲの話を聞いたグレンは頷きながら。
確かにガンセキさんなら、良い修行方法を編みだしてくれるかも知れないな。
グレンは苦笑いを浮かべると、レンゲに質問する。
「ガンセキさんと同等の修行好きがこの世界にいるンすか?」
正直信じられない、だってあの人の修行好きは病気だぞ。
グレンの言葉を聞くと、レンゲも苦笑いを返しながら。
「ガンセキと違って独自の修行方法を編みだす才能はなかったけど、何時もなにかしらの修行をしてた・・・修行好きはガンセキ以上だったよ。寝てる時間が勿体ないとか言って、寝ながら修行して寝不足になってたこともあったね」
ガンセキさんを遥かに越える修行好き・・・末期だな。
レンゲは話を続ける。
「彼の修行好きには困ったけど、尊敬できる人だった」
だった、か・・・その人はもう、この世にはいないのか。
レンゲは懐かしそうに笑いながら。
「自分の息子には父親らしいことは何も出来なかった。何時もそう言ってたけどね、私達を誰よりも支えてくれた人だった」
父親か、俺はもう顔と声すら覚えてないけど、奴との想い出だけは何となく覚えている。ろくな内容じゃねえけどよ、今想えば幸せな記憶だ。
グレンは何気なく、口を滑らせてしまう。
「その人に、恩は返せたのか?」
敬語も使わずに、ふと口からでてしまった声に、レンゲは当時を思い出しながら答える。
「どうかな、迷惑なら沢山かけたけど、特にこれと言って恩は返してないね」
その返答にグレンは・・・そうか、と言葉少なく返した。
レンゲさんは俺の言葉に笑いながら。
「その息子には私から彼の教えは伝えたよ、寝たり仕事する暇があったら修行しろってね」
ああ、そう言うことか。確かガンセキさん、旅立つ前は仕事もしないで修行してたんだよな。
父親の教えか、だけど俺には奴から教わったことなんて無いんだけどな、いつも喧嘩してた記憶しかねえ。
強いて上げるとすれば・・・口の悪さかな? お陰で人を怒らせる技術は向上したな。
尤も、こんな技術は誰も喜ばないと思うけどな。だけどそこまで無駄でもない、日常では使えないけどよ、戦闘では挑発として利用できるんだ。
でも俺はよ、二人に孝行する積もりなんて微塵もねえ。だってそんなことしたら、罪が消えちまう気がするんだ。
罪が消えちまったら、絆が切れちまうだろ。
自分でも何でそう考えているのか分からない、だけど俺は・・・大罪が消えたら歩けなくなる気がするんだ。俺は歩き続けたいから二人に孝行はしない。
俺は死ぬのが怖い、だけどそれ以上に怖いことがある。
想いでだけの存在になるのが怖い、それならいっそ、記憶の中から消して貰いたい。
俺はセレスと共に育って来た、あいつに対して劣等を感じているのは確かだ。
才能って言葉は人によって考え方が違うけど、劣等を感じ続けてきたから、俺には俺なりの考え方を一応持っている。
評価はあくまでも評価だ、誰かの評価がどんなに悪くても、自分のなかで役にたっている才能も存在している。
過去の歴史、誰からも認められないで、孤独のまま何かを成し遂げた人もいた筈だ。俺はいたと信じたい。
いや違う・・・全ての人間に受け入れられる考え方はないように、誰にも受け入れられない考え方はないんだ。オルクを認めた誰かもいるだろう、だけど人の世はオルクを決して認めはしなかった。
確かに自己評価よりも、他者の評価の方が参考になることも多いし、的確な言葉もくれる。
特に俺の自己評価なんて酷いもんだ。だけどよ、自己評価が無駄だとは思えない。
自分なりに自己評価をして来たからこそ、俺は今日まで生きて来れたんだからな。
俺に出来ることを考えて、俺には出来ないことを考えて。短所を道具で補って、魔物に勝つ為の策を考え続けて。
他人の評価を当てにしたことは俺には一度もない、だけど本当は他者の評価と自己評価を比較してこそ、何か見えてくることもあるかも知れないな。
それに己を評価できるってのは、一種の才能だと俺は思っている。他者の評価を受け入れ、最後に己を判断するのは自分自身だからな。
だけどさ、誰かがどんなに高い評価をくれても、俺は自分のことを屑と呼び続けると思う。
屑ってのは自分を憎み続けるのに必要な言葉なんだ・・・己に屑だと言い聞かせることで、俺は自分を憎み続けられるんだ。
俺は俺のことが嫌いだから、自分で評価すると短所ばかり見てしまうのは確かだ。でも長所を見つけることだってある。
その長所を・・・考える力を信じながら、それにしがみ付きながら俺は進んできた。
支えならちゃんと在る、過去の大罪と自分への憎悪が、俺を崩れさせないように確りと支えてくれている。
才能に対しての考え方は人それぞれだ、俺の考え方が正しいとは言わないが、間違っているとも思ってない。
そもそも才能に関係なく、人の考え方に正しいも間違えもない。相手の考え方を否定すれば、返ってくるのは更なる否定。
人によって成る程なと頷ける考え方から、否定したい考え方まで色々と在るだろう。そんな考え方に至る歴史がその人には存在しているから。
その全てを否定してしまえは、その人の生き方すら否定した気がするんだ。それが争いの始まりなんだと思う。
俺は誰かに嫌われるのは御免だから、自分とは違う考え方も一つの考え方なんだと思うように心がけている・・・けど、それが全然上手くできないんだ。
納得できないことが世界には多すぎる、世間が持つ魔人への認識から、信念旗が掲げている誰も知らない理想。
でも魔人は悪だと俺は認めている、世間の多くが悪と認識している存在は、俺にとって全て悪なんだ。
世間が俺を悪と言っている、だから俺は悪で良いんだ。
でも俺は自分を悪だと誰にも知られたくないから、周りから悪と見られたくないから真実を隠しているんだ。
人間は生きる上で何かを求める、未知を求める者に賛同する人間もいるが、そうでない人間もいる。それは危険な道であり、それは一種の孤独かも知れない。だがそんな者が新たな風を人類に吹きかけるのだろうか?
その風を受け入れる者もいれば、拒む者もいるだろう。同じ人間なんていないのだから。
人によって考え方は異なる、それは素敵なことだと思うんだ。
そんな人間が大好きだから、俺は最後まで人でありたい。
人間だなんて根拠はもちろん何処にもない。でも俺が魔人だと誰かが知れば、どんなに俺を受け入れてくれたとしても、その人は心のどこかで魔人として俺を見ているんだ。
魔人として俺に接する婆さんの悲しそうな瞳を、俺は一生忘れられない。そんな婆さんに何としてでも恩を返したかったんだ。
婆さんの金は、俺にとってたった一つの確信できる支えなんだ・・・俺は婆さんに恩を少しだけど返せた。
ただ一人俺の真実を知っている人に、俺は恩を返したんだ。
俺が人間ですら無くなったら、自分の何を好きでいたら良い?
それが俺にとって最後の一線なんだ、その線を越えたら・・・憎しみで自分を殺しそうだ。
どんなに素晴らしい考え方が在ろうと、俺は自分の考え方は絶対に譲らない。
俺の考え方は捻くれていて腐っていると自分でも思う。でもそんな腐った考え方を含めて俺なんだ。
だから屑で良いんだよ、俺は屑で調度いいんだ。
自分を屑だと言い聞かせている内は、俺は人間だ。
俺は好きなように、自分勝手に生きて行く。
それはとても素晴らしい人生だ。そう考えていれば、どんな人生だって幸せなんだ。
俺より辛い人間なんてこの世には沢山いる、ガンセキさんも爺さんもレンゲさんもオバハンもオッサンも。アクアもセレスも婆さんも軍人さんも・・・ゲイルさんだって、皆それぞれの苦しみを抱えているんだから。
自分だけが辛いわけじゃない、その日その日を全ての人は懸命に生きているんだ。
俺は俺であり他の誰でもない、自分の思うままに、生きたいように生きていく。
オルクは最後まで、そうやって生き抜いたんだ。俺にだって必ずできる。
幸せなんだ。そう思っていれば、俺は死ぬまで生きて行けるはずだ。
俺は生きたいんだよ、此処にいる意味が無くなるまで、死ぬ訳にはいかないんだ。
生きている意味が此処に在る限り、俺は生に執着する。
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人で在りたいと考えている時点で、彼は・・・
・・
・・
レンゲはグレンの表情を見ていた。この青年が何を考えているのか正確には分からない、だけど本当に良く似ていた。
弱者だった彼は必死に力を求めた。理由は簡単だ、幼き頃より共に遊んできた二人の友人に並ぶためだ。
二人の友人は属性使いとしての才能に恵まれていた。幼少の日々・・・彼が感じていた2人への劣等は計り知れないだろう。
天才、果たして彼は天才なのか?
彼は少しでも二人の友に追い付きたくて、その方法を探し続け、それにより考える力を手に入れた。
道具に頼った、体術を身に付けた、彼は強者に成ることを諦めなかった。
二人に追いつくために、遊びもせず修行に励んだ。力を求めて無我夢中で魔物を狩り続け、気付いた時には二人の友人は、恋人として結ばれていた。
これは私が戦場にいたころ、ギゼルさんから聞いた話しだった。
今考えたらそれは、彼が私に言った最初で最後の弱音だったのかも知れない。
『俺は天才なんかじゃねえ・・・馬鹿なだけだ』
才能というものは絶対にある、どんなに努力しようと超えられない才能という壁は絶対にある。
ギゼルさんは自分には才能があると信じていた、属性使いとしての才能は無くても、戦う才能は絶対にあるって諦めなかった。
諦めの悪さ、力への執着こそが、彼の持つたった一つの才能なんだ。
天才・・・この言葉がギゼルさんを苦しめていた。執念で手に入れた力を、一文字で表されることではない。
産まれながらに天より才を与えられた者は、間違いなくこの世界には存在している。だからギゼルさんはこの言葉に苦しんでいた。
彼は天才と同等の力を持っていたけど、その心までが天才ではなかった。
だってあの人は自分が弱者だと思っているのに、周囲は彼のことを天才だと期待していた。
『俺は天才じゃない』
その言葉に私が気付いて、ギゼルさんは天才ではないと認めてあげることが私にできていたら、それだけでも彼の心は救われていたかも知れないのに。
私は彼の弱音に気付くことができなかった。ギゼルさんは勇者に頼ろうとはしない、赤の護衛を支え続けたあの人はもういない。
ギゼルさんはそれから暫くして、非常の策に手を染めた。
彼の心が弱かった所為もある、だけど彼に頼り続けた私達の所為でもあるんだ。
だってギゼルさんは赤の護衛であって、勇者じゃないんだから。
どんなに非難を浴びようと、彼は決して戦うことを止めなかった。セリアさんとの約束を護るために、勇者を無事に故郷へと帰すために。
壊れながら必死に戦った、そんなギゼルさんを認める人は殆どいなかった。
・・
・・
私は助けを求めるギゼルさんの声に、気付くことができなかった。
・・
・・
レンゲはグレンの両肩を掴むと、声を大きくして語り掛ける。
「誰でもいい、君には弱音を吐ける人がいるか? 一人じゃ駄目だ、頼れる誰かを一人でも多く増やすんだ」
ギゼルさんは人に頼ることができたけど、恐らく彼は誰にも頼ろうとしないだろう。
レンゲが突然放った言葉にグレンは表情を歪めると、なるべく感情を表にださないよう、慎重な口調で声を発する。
「必要があれば俺は誰かを頼る、命に関わる危険な頼みだってしてますよ」
だがグレンの言葉に、レンゲは首を大きく左右に振りながら。
「それじゃあ駄目なんだ、君は必要がなければ誰にも頼らない。それが出来なければ・・・君はいつか絶対に圧し潰される」
鬼気迫るレンゲの声に、グレンは無意識の内に握っていた杭を強く握り締めていた。
レンゲはグレンが行ったその動作を見逃さなかった。
「君たちは戦争をしに行くんだ、ガンセキが・・・」
次の言葉を発しようとしたレンゲは堪え切れず視界が滲む。
「・・・君の前から消える可能性だって有るんだよ」
レンゲはグレンの両肩から手を放すと、そのまま背中を向けて滲んだ瞳を腕で拭う。
グレンに背中を向けながら、レンゲは細く小さい声で。
「君は頼れる人を、絆を少しでも多くの誰かと繋ぐべきだ」
少しの間を挟み、レンゲは強い視線をグレンへ向ける。
有無を言わせないレンゲの眼差しに負け、グレンは額の冷たい汗を拭いながら視線を逸らす。
だがレンゲは容赦なく、グレンに止めの一言を。
「そうしなければ君は・・・いつか絶対に外道へ堕ちる」
残酷なレンゲの言葉に、グレンは目蓋を閉じる。
・・
・・
青年は瞳を閉じたまま動かない。
・・
・・
絆を繋げば俺が背負う罪は、それに合わして増えていくだろう。
誰かに頼るだけで、俺は迷惑を掛けたことにしてしまう。
迷惑を掛ければ、それは罪となる。
罪を背負い続ければ・・・大罪が消えちまう。
大罪が消えたら俺は、護りたい絆を失い、自分を魔人だと認めてしまう気がする。
身も心も魔人と成った俺は、自分の何を好きでいれば良いんだ?
絆を造るのだけは御免だ、多くの絆を誰かと繋ぐくらいなら。
真剣に自分を思ってくれたレンゲに対し、グレンは正直に己の思いを打ち明けた。
「絆は重い、重くて重くて、俺には重すぎて耐えられません」
痛々しい苦笑いをレンゲに向けながら、グレンは言葉を続ける。
「人の優しさが重い、人の心は重い、人の温もりが重い・・・人の生は俺には重すぎる」
多くの誰かと絆を造らなければ、俺はいつか壊れる。
だけど絆を造り続けても、どちらにせよ俺はやがて壊れるんだ。
「どうせ壊れるのなら、多くの誰かと絆を繋ぐくらいなら・・・俺は外道を歩んだ方が、多くの誰かに憎まれた方が幸せです」
グレンは笑顔を絶やさなかった。
・・
・・
・・
彼は既に壊れている。
壊れているのに無理やり立て直して、壊れるたびにまた直す。
私には分からない、なんでギゼルさんは今まで彼を救おうとしなかったのか。
レンゲは静かに瞳を閉じる。
ギゼルさんなら、彼を導ける言葉を用意できる筈なのに、何であの人はグレンと深く関わろうとしなかった。私はその理由が分からない。
私には彼をこのまま放って置くことなんてできない、彼をギゼルさんのように外道へ落とすなんて・・・私にはできない。
レンゲは目蓋を開けると、静かな声でグレンに問い掛ける。
「なんで・・・旅立つことを決めた。君には目的があるはずだ」
多くの誰かと関わる覚悟をしてまで、君が勇者と共に旅立つ理由を知りたい。
グレンの表情から苦笑いが消え、次第に顔から感情が無くなる。
「俺は勇者と共に旅立ちたかった、誰の為でもない、全ては俺の為に戦うと決めたんだ」
勇者と目標には関わりがある、それを達成するには勇者が必要なのかな?
そこまで考えたレンゲは、グレンに容赦ない質問をする。
「もし・・・その目的が達成されたら、君はどうする?」
その質問に青年は答えようとしない、無言が彼の答えだった。
レンゲは怒りを言葉に乗せながらグレンに放つ。
「随分と自分勝手だね、達成できたら想い残すことはない。そんな馬鹿なこと考えているでしょ」
グレンは何も言わない、黙ってレンゲの言葉を聞いている。
「君は本当に良く似ている、生きた死人だった頃のギゼルさんと・・・今の君が宿す濁った眼光はそっくりだ!!」
そもそもギゼルさんは、私達の勇者がもし魔王討伐を達成していたら、その後はどうする積もりだったのか?
私達の勇者が無事に故郷へ帰ることができていたら、彼はそのまま何処かへ逝く積もりだったのかも知れない。
死に場所だけを求めていたギゼルさんの濁った眼光、二度と見たくないその瞳を宿す青年をレンゲは睨み付ける。
「そんな眼をした人間に、勇者を導くことなど不可能だ・・・」
怒りに拳を握り締めながら。
「・・・今ここで死に場所を求めるのを止めると約束するんだ、でなければ逆手重装を君には託さない」
グレンのような人間は、重い約束を簡単にはしない。なぜなら約束を破れば、約束した相手に迷惑を掛けるからだ。
今後セレスとアクアに隠し事をしない、グレンはこれにも明確な約束はしていなかった。
『命じるのはガンセキさんだけで良い、責任者がお前の意見を承諾すれば、必然的に俺の拒否権はなくなる』
所詮は言葉かも知れない、だけどグレンはこの約束を拒絶している。
この約束を責任者が承諾したから、グレンもできる限り約束は守る積りでいる。だけど今後、場合によっては2人だけでなく、ガンセキにも真実を隠す積りでいた。
グレンは卑怯で最低な人間だった、知られなければ悪には成らない、知られなければ嘘にはならない。本気でこのような考え方をしている。
第一にグレンは約束をするような相手を、自ら望んで造らない。
・・
・・
グレンは無意識の内に、自分でも気付いていなかった本性を表していた。
「俺の目標が達成すればセレスは誰にも負けない、あんたの望みは叶うはずだ」
レンゲは怒りに震えながら。
その眼だ、私はその眼が嫌で堪らない。己のことを塵屑としか思ってないその眼を、私は絶対に許せない。
「壊れた人間に、勇者を導けるはずがない・・・ギゼルさんは勇者を護れなかった!!」
グレンはその言葉を怖れない、淡々と返事を述べる。
「あんたは俺に言ったことを忘れたのか?」
自分でも知らなかった、誰にも見せたことのない、本性の笑顔をレンゲに向けながら。
「俺がどんなに壊れようと・・・自我を保っていれば、己の勝利を掴むことができる」
その顔には闇が射し、笑顔を化け物の表情に変貌させる。
君にはそんな者は無い、ギゼルさんにもそれは無かった。
レンゲは確りとグレンの眼を睨み付けると、声を荒げながら一言を述べる。
「君には自我なんて・・・自分なんて最初から持ってない!!」
誰かの為に戦ったことなんて一度もない、俺は俺の為に戦っているだけだ。君が今さっきいった言葉、昔のギゼルさんも良く言っていた。
でも今の私なら良く分かる、その言葉はまるで、自分に言い聞かせているみたいだった。
荒げた口調を一変させ、レンゲは静かな声で。
「誰かの為に戦うのと、自分の為に戦うこと・・・同じ意味だと私は思うんだけどね」
グレンにはレンゲが何を言いたいのか良く分からない、だけどハッキリとグレンは違うと述べる。
青年は声を濁らせながら、本心をレンゲに伝える。
「誰にも認められなくても、俺には俺だけの、俺だけが望む勝利があるんだ」
それに俺は死に場所なんか求めてねえ。
グレンはその思いを濁った眼でレンゲに語る。
「俺は死なない、喩え誰を蹴落としてでも生き残ってみせる」
死にたくない、セレスが俺を必要としなくなるまでは、死にたくない。
だってよ、俺が一番怖いのは・・・お前の重荷になることだから。
その後のことは、その時が来てから考える。
今は考えたくない、そんなことは考えても仕方ない。
その時が来るまで、俺は戦い続ける。
その日が来るまで、俺は何かから・・・逃げ続ける。
俺の夢が叶ったとき、そこに何か答えが在るかも知れない。
答えが分かったのなら、その答えに俺の全てを否定されても、俺はもう満足だ。
先程まで化け物の表情をしていたグレンは、幸せそうな笑顔を浮かべていた。
・・
・・
・・
ギゼルさんが何で、彼を救おうとしなかったのか分かった。
私が彼に何を言ったところで、グレンは考えを変えることができない。
心が死んでいたからこそ、あの人は分かっていたんだ。
だから戦う以外のことを、グレンには何も教えなかった。
グレンとの絆を繋がないよう、最低限のことしか教えなかった。
やっぱり彼は天才じゃなかった、ギゼルさんは馬鹿なんだ。だって2人は、既に固い絆で結ばれているから。
彼には何かがないんだ、誰もが持っている何かが、グレンには欠落している。
ギゼルさんを救ったのがグレンであるように。
グレンを救うことが、彼の心に命を吹き込むことができるのは、一人しかいない。
でも、これだけは言わせて貰う。
レンゲは溜息を一つ吐くと、優しい瞳をグレンに向けながら。
「君の死を悲しむ人は当然いる。だけど壊れた君を見て、悲しむ誰かも必ずいるんだ」
本当は多くの誰かと絆を繋ぎ、頼れる誰かを一人でも多く造らなくては駄目なんだ。
それでも君には、それができない。
優しい瞳はグレンの心を苦しめる、それを知りながらもレンゲは言葉を続ける。
「自ら望んで外道に堕ちるような真似だけは絶対にしちゃ駄目だ、もしその時・・・君の傍に誰か頼れる人がいたのなら、一言で良いから助けを求めるんだ」
ギゼルさんは自分の評価しか信じていなかった、そんな彼が私に言ったんだ。
『俺は天才なんかじゃない・・・馬鹿なだけだ』
己の自己評価を信じていたからこそ、どんなに周囲が褒め称えようと彼はそれを否定した。
だけど、その所為でギゼルさんは苦しんでいた。
自分の評価を、彼は私に認めて貰いたかったのに、それでも私には彼を馬鹿だと認めることができなかった。
ギゼルさんの発案した修行方法で、いつも特攻していた性格を私は克服した。
そんな私にとって、彼は紛れもなく天才だった。
彼が弱音を吐ける人間は、私しかいなかった。ギゼルさんの自己評価は間違ってなかったんだ。
だからこそ本当は、頼れる誰かが一人でも多く必要なんだ。
それでもグレンは自分の考え方を変えることができないから、せめて誰かに頼らせる約束をさせないと。
だから何がなんでも、私は彼に約束させる。
自ら望んで絆を造らなくても良い、だけど自分を支えてくれる誰かがいたのなら、その誰かに助けを求めること。
「これを約束するのなら、私は君に逆手重装を・・・炎拳士の想いを託す」
完全に壊れる前に、もし頼れる誰かが傍に居たのなら、その誰かに弱音を吐く。
グレンは思う、約束なんかしたくないと。冗談半分の約束なら別にいい、重い約束だけはしたくない。
卑怯者は言葉ではぐらかす。
「約束しても良いっすけど、俺は嘘つきだ。約束しても破る可能性が高いですよ」
それは卑怯な言葉、破ることを前提にした約束。
レンゲは優しい瞳を崩さずに、グレンを見詰めながら。
「君は重い約束を破らない・・・いや、破れない」
グレンにとって重い約束を破るという行為は重罪に等しく、それでも破る時は、その約束が目標の妨げになった時だけである。
君は簡単に重い約束を破ったりしない、どんな約束であろうと、一度約束させればそれでいい。
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・・
逆手重装、これが有るか無いかで俺の生存確率が大きく変わるだろう。
約束さえすれば良いだけの話だ、でもその約束をしたくない。
それでもグレンは逆手重装を諦める訳には行かなかった、セレスと共に戦い続けるために。
最近ますます板に付いてきた苦笑いを浮かべながら。
「約束を護れるかどうか分からない・・・それでも良いのなら約束します」
本当に辛いとき、誰かに弱音を吐くことをグレンは約束した。
レンゲはグレンの言葉に笑いながら。
「まったく、君は男らしくないな。男ならキッパリ約束するって言わないとね」
それでもレンゲはグレンの約束に納得した、約束すればグレンはそれを簡単には破らないと分かっていたから。
・・
・・
・・
大体の話を終えたグレンは、逆手重装の簡単な手入れ方法をレンゲから教えてもらう。
「手入れって行っても殆どすることが無いんだけどね」
そう言うとレンゲは手紙と2枚の設計図をグレンに渡す。
「まず壊れる心配は無いけど、もしもの時は各町の職人か武具屋に逆手重装と一方の設計図を渡して。その設計図なら応急だけど修理はできると思うから」
そこまで話すと今度は手紙を見ながら。
「その手紙ともう一方の設計図は戦場にいる私の師匠に渡して」
定期的にレンゲさんの師匠に見て貰うことが、逆手重装の手入れらしい。
そこまでの簡単な説明を終えると、レンゲは少し躊躇いながら
「まあ逆手重装は魔獣具だからね、まず壊れる心配はないよ」
魔獣具はこれまでの説明から分かるように、生きているといっても過言ではない。
生物が傷を負えば自然に治癒するように、魔獣具にもその機能が備わっていた。
「だけど呪いの発生条件には、魔獣具が自然治癒を何度も繰り返すってのもあるんだよね」
金属にできた傷とかが治るのか? 正直信じられないな。
レンゲの言葉に苦笑いではなく、笑顔でグレンは返事をする。
「できるかどうか分かりませんが、俺は呪いごと受け入れます。奴と向き合う覚悟は一応できてますので」
そりゃあ怖いに決まっている、怖いけど俺は魔獣具の使い手だからよ、クロから逃げる訳にはいかねえ。
レンゲはそんなグレンを見て、懐かしそうな表情を浮かべていた。
やっぱり君は良く似ている、見た目じゃない、考え方でもない。
諦めが悪いギゼルさんは、ただ一つだけ諦めていたことがあった。
彼は自分の人生を諦めていた気がする。
勇者の為に己を犠牲にしている訳じゃない、目標・・・自己満足の為にギゼルさんは自分を犠牲にしたんだ。
自己満足こそが、自分が自分であるたった一つの証明だから。
でもねグレン、今のギゼルさんは違うよ。
少年と出逢ってからのギゼルさんは、自分の人生を諦めてない。
誰かの為に生きたいから、道具屋を第二の人生に選んだんだと思う。
今の彼は戦場に心が縛られていても、本当の意味で自分の為に生きている。
貴方たちの勇者がきっと、グレンに本当の自分をいつか与えてくれる。
そのためにもガンセキ、君が彼を支えるんだ。
君は仲間の命を必死に護るだろう。だけどその中に、君の命は・・・
ガンセキは死んじゃ駄目だ。仲間のためにも、グレンのためにも、君は絶対に生き抜くんだ。
私の為にも。
6章:九話 おわり
読んで頂き有難う御座います。
ええと、書くべきかどうか悩んでいたんですが、今更ですが書かせてもらいます。
主人公と作者は別人です、生きる意味みたいなものは自分は持っていませんが、作者は自分のこと駄目人間だとは思う事が多々ありますが、自分を屑なんて思っていません。
どうしても似てしまう所もありますが、自分とは別の人物として主人公を書いています。
主人公の心理は自分でも上手く把握できていなくて、しつこい感じになってしまっていますが、申し訳ありません。もう少し上手く纏められるとは思うんですが、作者の技術不足です。
それでは次回も宜しくです。