一話 優しい人
そこは静かだった。
街は眠り、人は朝を待ちながら思い思いに過ごす。
星に包まれた空は高く、心まで広くなった気がする。
空はこれほど美しいのに、俺達が立っている大地は危険を伴う。
ガンセキは一人・・・三人の仲間を思う。
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合体魔法 それは共に想像し、互いの魔力を混ぜあって一つの魔法を創りだすこと。
初めの内は手を触れ合い、相手を感じることで魔力を混ぜあうのだが、真に知り合う二人となれば身体の一部を接触させなくとも可能となる。
必要なのはお互いを完璧に知り合う仲ではなく、互いのことを知ろうとする意志。
グレンとセレスはお互いを完璧とは言えないが知り合っている。だがグレン自身がセレスを避けている時点で、合体魔法は成り立たない。
あいつは今まで人付き合いというものを苦手としており、本気で人間を怖れてるくせに、それでも人が嫌いではないようだ。
グレンは産まれる筈が無い時期に誕生した炎使いだ。
勇者の村の長い歴史の中でも、そのような赤子が産まれた記録は残ってない。
それはとても奇妙なことで、それは物凄く不気味な事態で、グレンは間違いなく不吉の象徴だった。
だけど勇者の村はそんなグレンを受け入れたんだ、俺の故郷でも在るあの村は、気の良い連中が沢山いるからな。
勇者の護衛に失敗した俺に、非難の声を浴びせる人間なんて一人もいなかった。
誰かがもし、俺に非難を浴びせてくれたなら、その時は傷つき塞ぎ込んだと思う。
だけど故郷の人々は優しくて、最初から俺のことを許してくれた。
村人が俺を許してくれた時は本当に嬉しかった、だけど時が流れるにつれ、ふと想う・・・俺は誰にも謝ってないと。
謝りもしない内に許されてしまった俺は、周囲の人々が俺を受け入れてくれているのに、何時の間にか居場所を失ってしまうんだ。
仲間に迷惑を掛け続けた俺だけが生き残り、誰にもそのことを咎められない。
俺のことを憎んでくれた方が、その後の日々はどれほど楽だったか。
俺を罵ってくれた方が、どれほど生き易かったか。
相手がお前を罵ってくれたなら、お前はその相手を憎むことができたよな?
己は罪人だと想っているのに、相手が簡単に許してしまえば、本当の意味でお前は救われない。
おばさんは俺を心の底から想ってくれた、おばさんの優しさに俺は心の底から救われた。だけどそれと同時に、罪悪感が俺の心を支配した。
優しさと憎しみは紙一重だ、相手が自分を殺したいほど憎んでいるということは、殺したいほど相手は自分を大きな存在として認識しているんだ。
両親が死んだことを、グレンは自分の所為だと思っている・・・かも知れない。
あいつに取って、それが己の犯した罪なんだ。だけどグレンを咎める大人は誰も居なかった。
全ての大人がグレンを許した・・・あいつは自分を許すことができない、許す訳にはいかない。
あいつが自身の大罪を許した時、グレンは呪縛の信念から解き放たれる。
だがその信念から開放されたと同時に、あいつは音も無く崩れて逝く。
これが俺の導き出した結論だ・・・グレンに信念を捨てさせようと、救ったことにはならない。
昨日グレンに怒りを向けて、俺は何かを確信した。
グレンは一本の細い柱で己の全てを支えている、普通に考えれば何時崩れてもおかしくない。
目標があいつを崩れさせないように、確りと抱えているんだ。
グレンの目標はなんだ?
セレスと戦い続けることか?
セレスの傍に立っていることか?
セレスを見守り続けることか?
セレスを信じ抜くことか?
グレンの目標が分からなければ、奴を救う手段は考えられない。
間違いなくセレスと何らかの関係がある筈だ。
グレンを救えるのは彼女だけだが、セレスだけに任せていては、俺が此処に存在する意味が無い。
もしこのままグレンが目標を達成してしまえば・・・それだけは絶対に防がなければ。
俺は何をしたら良い、何を考えたら良い、方法は必ず存在しているはずだ。
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ガンセキは西側の壁上から草原の景色を眺めていた。
決められた間隔で設置されている松明はどこか美しく、草原を吹く風に炎は揺れていた。
眺めていると言っても、考え事をしながら視線だけを夜のユカ平原に向けている。
考えている内容は、共に旅をしている三人のことだ・・・俺は責任者として、一つの失敗を犯した。
アクアは今、物凄く怒っている。
俺とグレンが、セレスとアクアに幾つかの隠し事をしていることに対して。
刻亀討伐の真実を俺が隠していたことを筆頭に、信念旗のような重要な情報も俺は二人に隠していた。それらをアクアは薄々と感付いていたんだ。
それでもアクアは怒りを隠していた・・・昨日の一件を引き金に、アクアが抑え付けていた感情を爆発させた。
グレンが誰にも頼ろうとしないことに、俺がグレンだけを頼り続けたことに、アクアは物凄く怒っている。
それでも俺は自分の決断を曲げる訳にはいかない、喩えアクアに嫌われようと、自分の意志だけは貫き通す。
仲間と勇者を失うくらいなら、嫌われた方がましだ。
迷惑を掛けることの辛さ、俺は嫌というほど記憶に残っている。
今は自分の決断を正しいと、これが誰一人欠ない道だと信じるしかない。
迷えば焦りを生む、焦りは恐怖を露にさせる。
恐怖が仲間を殺すんだ、俺の恐怖が仲間を殺したんだ。
誰も死なせない、誰も殺させない・・・もう、誰も。
許しは時に、恨み以上の苦痛となる。
救いは時に、憎しみ以上の凶器になる。
ガンセキの脳裏に、あの言葉が響き渡る。
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『罰を望め』
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思考の闇に飲み込まれていることに気付き、ガンセキは気持ちを切り替える。
大きく息を吸い酸素を身体に満たす、息を吐くことにより思考を一時中断させた。
今は仕事中だ、余計なことを考えていては駄目だな。
ガンセキは気持ちを切り替え、軍での仕事に付いて考え始める。
この都市で兵士がどれほど危険な役割を担っているのか予想はしていたが、分隊長の話しでは業務内容にに無理がある。
完全に兵士不足だ、レンガという都市はここら一帯を治めている。
赤鋼は志願制で正規兵を集めているから、徴兵制に比べれば集まる人数は少ないだろう。
だが国とレンガから与えられる給金は高額だ。
貧困に苦しむ村が少なくないこの国では、出稼ぎで兵士になる者も多い。
属性使いであれば貰える給金は一般兵よりも多くなる。それなのに属性兵が足りてない現在の状況、やはり属性兵は一般兵よりも、戦場に向かわされる可能性が高いのか?
ガンセキは隣に立っていた分隊長に一つ質問をする。
「急な話で申し訳ありませんが、レンガでは兵の募集は年に何回ほどですか?」
仕事中に聞くような内容ではないが、少し気になってしまった。
イザクは嫌な素振りを見せず、考える姿勢を造るとガンセキの質問に答える。
「そうですね・・・半年に1回から3回、数ヶ月の訓練を終えると各小隊ごとに編成されます」
各分隊は10名前後、新人が入り増えた分の何名かが王都に向かうのか。
ガンセキは続けて質問する。
「戦場に向かうように命令された場合、断ることは可能ですか?」
恐らく無理だろう、それが許されてしまえば、殆どの兵士は辞退する筈だ。
ガンセキの予想通り、イザクは首を左右に振る。
「断るのは当然として軍を辞めることも許されません、契約書にサインをしてますので。中には姿を消す方もいますが、殆どの兵士は王都に向かいます」
正確には王都の近くに造られた演習施設だが、そこで大軍を想定した訓練をする。
数ヶ月の訓練を終えると、最終段階として国軍から勇者同盟へと移る契約書にサインをしなくてはいけない。
ここでサインを拒み、国軍(レンガ軍)を辞めることも可能らしいが・・・殆どの兵士はこの時すでに、戦場へ行く覚悟を決めている。
軍での階級に応じて、勇者同盟に移った時の地位も変わってくる。
ガンセキは質問に答えてくれたイザクに礼を言う。
「仕事中に関係のないことまで教えて頂き有難う御座いました、しかし・・・この街を護るのは、予想以上に楽ではないですね」
イザクはガンセキに言葉は返さず、気にするなと笑顔で返事をする。
グレンが言っていた通り、人の良い分隊長さんだな。
俺たち勇者一行と違い、兵士たちは上からの命令で半強制的に戦場へ向かわされる。勇者候補は辞退することも許されているんだ。セレスのように断れない場合もあるが、殆どの村人は自分の意志で決断し、オババからの要請を受け入れている。
臆病風に吹かれて断ろうとするのは俺くらいだ。
多くの村人は勇者候補に選ばれる意味を知っているにも関わらず、それでも家族は涙を隠しながら、旅立つことを祝福するんだ。そして候補に選ばれた者は、誉れとして喜ぶ。
魔族が現れるよりずっと昔の伝承で、勇者の儀式と良く似た風習を読んだ記憶がある。
厄災に襲われたある村が、救いや許しを神に求め祈りを捧げる・・・中には作物を神に供える村もあったらしい。
さらに少ない例として、神に人を捧げたという記録も残っている。
生贄に選ばれた者は村を救う英雄と祭り上げられ、生贄に選ばれた者もそれを誇った。
確かに勇者の儀式と生贄は似ているが、まったくの別物だ。神が魔法と呼ばれる力で既に人々へ協力している。それ以前に勇者は1人で魔族と戦う訳じゃない、仲間と沢山の同志がいる。
何よりも・・・魔王さえ討ち取ることができれば、勇者は生き残ることができるんだ。
ただし、それが出来た勇者は誰一人いないが。
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時刻は19時を回っていた、ガンセキは黙って目前に広がる薄暗い平野を眺めていた。
何もなければこれ程に楽な仕事はないだろう、だが笛の音色一つで仕事の過酷さは断然に増す。
こうやって立っている今の状況で気を緩めていたら、いざと言う時に気持ちを切り替えられない。
長い年月の中で積み重ねられたレンガの指揮系統でも、一瞬の気の緩みが大惨事を引き起こす可能性があるんだ。
グレンから聞いた話では昨日牛魔が出現したらしく、このイザク分隊も増援として草原に足を下ろした。
ガンセキはそのことでイザクに話を聞く。
「昨日の牛魔戦で、この分隊にも被害はでたのですか?」
俺は牛魔と呼ばれる魔物はそれなりに詳しい・・・その強力さも嫌というほど知っている。
「あの魔物は平原のような広い場所に生息する種です。狭い場所ではその力を発揮できない分、相応の広さがあれば縦横無尽に駆け抜ける、突進系では上位に位置する魔物であることに間違いありません。ユカ平原では最強の部類に入ると思うのですが」
イザク分隊はヒノキ山に向かわなくてはならない、その直前で被害が出てしまうのは痛手だ。
俺の質問に分隊長は丁寧に答えてくれる。
「最大の被害はデニム分隊です。デニムさんは昨日重傷を負い、今も生死の境を彷徨っています。彼の分隊、その数名は残念ながら・・・」
犠牲になった方々に何を言うべきか分からない、だがデニムさんは無事であって欲しい。
俺には彼との面識は一切ない、だがデニムさん・・・貴方と酒を飲むのを楽しみにしている男がいるんです。貴方が居なくなってしまえば、あの人が愚痴を言える相手は俺しか居なくなる。
正直に言わせて貰うと、あの人の愚痴は何時も同じ内容の繰り返しでしんどいんだ。その愚痴を嫌がらずに聞いてやれる相手は、俺の予想だとデニムさんしかいない。
それに俺はあと数日で、レンガから旅立たなくてはいけない。
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イザクは先程ガンセキが言った質問に疑問を感じ、一つ質問を返す。
「随分と牛魔に詳しいようですが、戦闘した経験があるのでしょうか?」
ガンセキは出来るだけ表情から感情を掴まれないように、浅く首を縦に振ると応える。
「5年前にレンガを出発したあと、牛魔と戦う為に仲間達と日中のユカ平原を探したのですが結局見つからず・・・牛魔は諦めて次の目的地へ向かった経験が在ります」
その言葉でイザクは理解した。
牛魔は強力な魔物で素材も高額で売れるし、かなりの闇魔力をランプに詰めることも出来る。
だが牛魔自体の数は少なく、近隣の村を襲うことも滅多にないため、討伐ギルドに依頼されることはまずない。
第一に牛魔を狙う場合は痛手を被る覚悟をする必要がある。
ガンセキが勇者一行だとイザクは知っていた。そして彼が言った5年前の仲間も一行であると容易に想像できた。
勇者一行が牛魔との戦闘を望む理由・・・イザクには一つしか思い浮かばなかった。
「本命と戦う前に、練習として牛魔と一戦交える必要あった。そう言うことでしょうか?」
イザクは十代半ばで戦場の土を踏み、二十代半ばで戦場から逃げ出した。
一年を目的もなく放浪し、やがて何気なくレンガに辿り着いた。
この都市に到着したとき、赤鋼の音色を気に入りレンガで生きることに決めた。
鉄を打つ音は僕に安らぎをくれた、その音が乾いていた僕を潤してくれた。
日常に居場所を探すことが出来ず、存在を見失いかけていた僕にとって、鉄の街は救いだった。
此処にいれば僕は壊れない、日常でも生きていけると思ったんだ。
今から6年前、僕は軍の募集を受けて兵士となる。
僕が新人として草原側の夜勤外務をしていた頃、平原から少し離れた場所で、猛威を振るっていた魔物が存在した。
ユカ平原から北に勇者の村、南に向かえばやがて海に辿り付き、港から王都が存在する陸へ向かう。西には魔獣王の領域。
東には広く深い緑に覆われた大森林と呼ばれる一帯。
大森林には森の民と呼ばれる者達が幾つかの集落を造り、森と共存しながら細々と生活を営んでいたが、ある時その大森林に一体の魔物が確認される。
その魔物は次々と集落を破壊し、溜まらずに森の民はレンガに向かい、なけなしの金で討伐ギルドへ依頼をした。それから幾つかの登録団体が大森林へ足を運んだが、帰って来ない者や重傷を負い引退する属性使いが続出した。
討伐ギルドは無事に帰って来た者達から魔物の姿形を聞いた結果・・・大森林に現れた魔物は魔獣であると認定した。
白い一本角の牛に似た姿、恐らく牛魔から産まれた突然変異。
親に見捨てられ、逃げるようにユカ平原を離れ、大森林を住処とした魔牛。
その魔獣を討伐したのが・・・5年前の勇者一行だった。
イザクは当時のことを思い出したあと、ガンセキに言ってしまった事を後悔した。
当時の一行は白い魔牛の討伐には成功したが、それは二人の犠牲により手に入れた勝利であった。
恐らく彼にとって触れて欲しくない話題だろう。
それでもイザクは言ってしまったことに対し、謝らずにはいられなかった。
「軽はずみな考えで質問をしてしまいました、配慮をせずに言ってしまったことを謝らせて下さい」
イザクは素直に頭を下ろす。
ガンセキはイザクの態度に驚き、慌てて言葉を返す。
「気にしないで下さい、確かに苦い経験ですが・・・逃げてはならない想い出です。白い魔牛と戦闘した経験が在ったからこそ、そのあとは短い期間でしたが、魔王の領域で戦い続けることが俺にも出来ました」
イザクは言葉をガンセキに送る、出来るだけ綺麗事に成らないように、慰めの言葉にならないように。
「今の貴方を見れば、死んで行った仲間たちは喜んでくれるはずです。彼らの期待を裏切らないよう、貴方は今の仲間を全力で護って下さい。それが・・・貴方が彼等にできる唯一の恩返しです」
戦場で誰一人死なせない、これしか前回の仲間に恩を返す方法は無い。
僕の言葉が正しいかどうか分からない、逆に彼を追い詰めてしまうかも知れない、それでも僕からはこの言葉しか送れない。
そして何よりもガンセキに伝えたい言葉を、イザクは心を込めて声にする。
「僕は勇者様と青の護衛殿に会ったことはありませんが、グレンさんとは同じ分隊の仲間として共に戦いました。彼が今後ただ一人、心の底から尊敬して、誰よりも頼りにするのは貴方だけです」
グレンさんが僕を頼ったとき、彼の表情は苦痛に染まっていた。
牛魔と戦う少し前、グレンさんはボルガから土使いとしての能力を聞き出していた。その時に彼が浮かべていた表情は、出逢って3日間の中で一番嬉しそうだった。
そのときイザクは気付いた、グレンには尊敬する土使いが存在していると。
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ガンセキは頭を軽く落とし、イザクにお礼の意思を伝える。
最近涙もろくなって駄目だな、少し感情が高ぶると涙腺が緩んでしまう。
優しい微笑を俺に向けてくれるこの人を、霞んだ瞳で視界に映す。
同年代の筈なのに・・・この人はまるで死を間近に控え、それすら受け入れてしまった者のように、優しさで満ち溢れている。
彼は今までどのような人生を歩んで来たのか、どんな道を歩めばこのような人間に成るのか。
誰にでも態度を変えず、誰にでも平等の優しさを送る。
彼の言葉は許しでもなければ救いでもない、そこに在るのは優しさだけだった。
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時刻はもう直ぐ20時を過ぎる頃。
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ガンセキは大切なことを忘れていたと気付く。グレンと共に戦ったのはイザクだけでなく、ボルガという土使いも存在していたことに。
グレンの話では腕の立つ人物らしい。
そのことでガンセキはイザクに質問する。
「ボルガさんと言う土使いにもグレンが随分と世話に成ったそうで、俺としましては一言挨拶をして置きたいのですが」
明日にはイザクを含め、ボルガもヒノキへと向かってしまう為、ガンセキとしては今日のうちに挨拶だけはする積もりだった。
イザクはボルガについてガンセキに一言。
「申し訳ありません・・・ボルガは休日のため明日はそのまま演習場へ向かい、レンガを立つことに成っていますので」
そうか、残念だが仕方ない。
ガンセキはボルガに挨拶するのを諦めて、イザクに語り掛ける。
「休みでは仕方ないですね、また機会があったら改めて、俺から挨拶に向かわせて頂きます」
その言葉にイザクは笑顔で返す。
「デマド村に数日滞在されるのでしたら、僕は油玉の件で本陣から離れられませんが、小隊の方はデマドから本陣への物資を輸送する役目を与えられる予定になっています。その時にボルガにも会えると思いますので」
イザクが言った油玉という名に、ガンセキは驚きを表さない。
ガンセキはそのことを昨日グレンと別れたあと、小隊長から簡単に聞いていた。
詳しい内容は今日の朝にグレンから話があり、大体の事情はガンセキも把握している。
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油玉に付いては俺から言うことはない。
道具の権利はグレンの物である。確かに何かをする時は相談をして貰う必要があるが、その事は昨日の一件でグレンには言ってある。
4人で旅をしているんだ、最低限の情報共有は大切だからな。だたし全ての情報を共有することにより、危険が生じると判断すれば、俺は責任者として隠すこともある。
イザクさんから聞いたが、グレンは無償で軍に道具の技術を提供したらしい。
軍での仕事を許す訳にはいかないが、あいつにとって貴重な経験であったことに間違いはない。
俺の前に立つ分隊長を見れば、容易に想像ができる。
そもそも油玉は大勢で使用することにより、本当の力を発揮する道具だとガンセキも前々から思っていた。
あいつが火玉と油玉にどれ程の想い入れがあったかは容易に想像できる。それでもグレンは無償で道具の制作方法を提供したんだ。
ガンセキの表情は沈んでいた、イザクは優しい眼差しで彼を見詰めている。
イザクの眼差しを視界に映したガンセキは、目の前に立っている分隊長に頭を下げ、一つの頼みごとをする。
「俺は立場として、グレンを許すことができません。できればグレンを・・・褒めてやってくれませんか」
無償で道具の技術を提供したことを本当は褒めてやりたい、だけどそれをグレンは軍での仕事中にしてしまったんだ。
だがイザクはガンセキの頼みを優しい笑顔で断った。
「褒めるのも貴方の役目では? 喩え上下関係はなくとも、責任者の立場は彼よりも上だと思います。怒るのも貴方の役目なら、褒めるのも責任者の役目なのではないでしょうか」
どのようにグレンを褒めれば良いんだ・・・未熟な俺には難しすぎる。
だがそれは簡単なことで、イザクには分かっていた。
「貴方とグレンさんの関係は責任者と赤の護衛だけですか? グレンさんは自分では認めなくても分かっている筈です。彼と出逢って僕はまだ日は浅いですが、僕の見立てでは他にも別の関係が有ると思うのですが?」
俺だってグレンと話すようになってまだ日は浅いが、それでも共に過ごした時間まで浅いとは言いたくない。
ガンセキは何となく、グレンに言うべき言葉を理解した。
それを確認したイザクは、暗闇に覆われた草原の一角を指差す。
イザクが指した方角をガンセキが確認すると、昨日の牛魔戦を想い出しながらイザクが口を開く。
「僕達が牛魔と戦っていた頃、この場所からも赤く燃え上がる草原の一角を目視できたそうです」
そしてイザクが小隊長の下を離れたあと、ガンセキが小隊長の前に現れたことにより、グレンが赤の護衛であると知れ渡ったのが事の決めてだった。
軍は油玉と火玉を受け入れた。
このまま予定通り話が進めば、イザクが油玉の製作を担当する可能性が高い。
実際に油玉の話を持ってきたのはイザクであり、実戦での使用経験があるのも彼だ。そして直接グレンから造り方の説明を受けたのもイザクだけだった。
グレンが本陣に到着すれば、イザクと二人で油玉量産の指揮を取ることになる。
そして俺達一行が本陣に到着するまでの間、製作よりも油玉の素材を本陣へ輸送する役目もイザク分隊を含めた小隊となる。無論油玉以外の必要物資も運ばなくてはならないが。
油玉を本格的に大量生産するのは俺達が本陣に到着してからであり、重要なのはそれまでに少しでも多くの素材を輸送できるかだ。鉄工商会の力が加われば、かなり期待ができるのだが。
そこまでの話を説明したイザクは、穏やかな口調でガンセキに話しかける。
「これが上手く行けば、グレンさんの手柄です。貴方に褒められたら、きっとグレンさんは喜ぶ筈です」
あいつは楽になることを怖れている、俺が褒めても喜ぶとは思えない。
イザクはそのまま言葉を続ける。
「彼は表には出さないと思いますが、喜ぶと断言できます」
ガンセキが知らなくとも、イザクは知っていた。
尊敬している相手に褒められたら、嬉しくない人間がいるはずがない。
多くの誰かに迷惑を掛けながら、グレンは今まで生きて来た。
時に誰かに心配されては肩を落とし、その度に己を憎み続けることの繰り返し。
グレンは誰かに怒られたこともなければ、誰かに褒められた経験も殆どなかった。
そんな男が褒められたとき、冷静を保っていられる筈がない。
そのとき始めて出逢うことになる・・・彼を支えてくれる、何かの存在に。
6章:一話 おわり
お久しぶりです。
グレン専用武具が完成するまで投稿して、残りは数日後になると思います。
五話までは1日一話で投稿できるかと。予定では六話でグレン専用武具が完成します。
それでは今後も宜しくお願いします。