五話 【魔拳】対【突進】
己の策を信じていた・・・策を幾ら信じようと、失敗する事も在る。
岩壁を破壊した所為で隙が生じている牛魔の左胴体に、グレンが走撃打を放つ。
だが、グレンの策は爪が甘かった。
魔拳を仕掛けて来たグレンに対し、牛魔は体当たりを仕掛けるのではなく、そのまま体をグレンに向け、野草の生い茂る地面に倒して来た。
体当たりをする場合には、一度姿勢を整える必要が在る。
ただ単にグレンの方向に巨体を倒すだけなら、姿勢を整える必要は無い。
読みが浅かった・・・牛魔の巨体に押し潰されるだけでも、下手したら俺は死ぬ。運が良くても重症だ。
だが走撃打は文字通り、走りながらその勢いを利用しての攻撃だ。
一度攻撃態勢に入れば、急に止める事は不可能なんだ。
駄目だ、間に合わない・・・押し潰される!!
グレンが死を覚悟した瞬間だった、岩の壁がグレンと牛魔の間に召喚される。
それにより、牛魔の圧し掛かりは不発に終る。
俺の命を救った恩人が、そのまま叫ぶ。
「グレン!! さっさと離れろ!!」
走撃打は、グレン自身が牛魔の圧し掛かりを避ける為に勢いを殺していた。
グレンの拳は岩の壁にめり込んでいたが、壁が破壊される事はなかった。
即座にグレンは壁から腕を抜き、牛魔から間合いを離す。
牛魔の攻撃は突進と体当たり、後両足蹴りと岩魔法だけだと思い込んでいた。
先程実行した策の失敗は、圧し掛かりと言う情報に無かった攻撃方法を、俺が予測できなかったのが原因だ。
予め情報にあった4種類の攻撃方法、それの特徴を探るのに集中し過ぎて、他の攻撃方法があるかも知れない、そう考える事が出来なかった。
牛魔は一度態勢を整えると、圧し掛かりを邪魔した岩の壁を体当たりで破壊する。
1人存在を牛魔から忘れられた剣士がいた。
殺気を身の内に隠し、己の居場所を影に落とした剣士。
剣士は音もなく牛魔に接近する。
牛魔の後足を狙い低い姿勢から斬り上げる。
夜の草原に牛魔の鮮血が飛び散る。
イザクの剣は魔物の血を浴び赤に染まる。
突進を武器とする牛魔には痛いだろう。だが、突進が出来なくなる程のダメージではない。
イザクは斬り上げが終ると追撃はせず、牛魔の後足蹴りを予想ししたのか、横に回転しながら距離を取る。
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後足を斬られた瞬間だった、始めて牛魔の咆哮が草原に響き渡る。
牛の鳴き声とは違う、それはまさに猛獣の怒声、怒りの叫びその者だった。
グレンは叫ぶ。
「イザクさん、距離をとって下さい!! 直ぐに攻撃が来ます!!」
次にボルガに指示を出す。
「ボルガ!! 最終手段に移るぞ!!」
イザクはグレンの叫びを聞くと、即時対応して牛魔から距離を取る。
ボルガの武器は一見、俺と同じ素手に見える。
だが正確には違う・・・土のガントレット(濁)を両腕に装備していた。
能力は魔力纏い強化だが、濁宝玉の武具である。
岩を持ち上げて飛ばす程の筋力を手にする事は出来ない。
しかし、ボルガ本来の筋力に加えて玉具の能力が合わさるんだ。そこから繰り出す石投げは、相応の威力を持っている。
相手が牛魔でなければ、かなり有効な攻撃なんだけどな。
だが、ボルガが石で狙うのは牛魔ではない。
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牛魔の怒りを一身に受ける剣士。
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イザクは戦闘に集中していた。
それが出来るからこそ、強い恐怖を感じない。
牛魔が怒りにより興奮状態であっても、冷静に対応すれば問題はない。
猛獣はイザクに向けて地面を駆ける。
狂気に満ちた怒りの突進・・・速度自体は今までと対して変わらない。
だが放たれる空気は違う、それが恐怖と感じるんだ。
怒りは殺気となり自然と体から飛び散る。
殺気は気配・・・その気配を感じ取り回避に役立てる。殺気が強ければ強いほどに、剣士に取っては回避が容易となる。
既にイザクは牛魔の飛び散らす殺気と突進に慣れていた、今の彼は小走りで動きながら飛躍して回避をする必要も無い。
イザクは自然体の構えを取る。
不動を崩さないイザクに、牛魔は容赦なく角を向ける。
牛魔の角がイザクに突き刺さる瞬間だった、イザクは余計な力を抜き、相手の殺気を感じ取りながら足を独自の歩法で動かし、寸前の所を避ける。
流れるような華麗な動きではない・・・修練から来る無駄のない確実な動き。
動作が少ない為、牛魔の突進を避けた後に斬り掛かる事を可能としていた。
だが牛魔も物凄い速度で走っている為、深い一撃を当てるのは難しい。
精々牛魔の下半身に、浅い斬り傷を付ける程度だ。
先程からイザクは殆ど動いていない・・・今の牛魔は突進を避けられると、前後両足で地面を削りながら急停止する。勢いを付ける事もなく、再びイザクに突進を仕掛ける。
数度かそれを繰り返すと牛魔は突進を止め、角を地面に突き刺す。
角を振り上げ中岩を飛ばすと、即座に自身も走り出した。
だがイザクは牛魔が角を地面に突き刺した瞬間、既に右側に走り出していた。
牛魔は角を地面に突き刺した場合、そのまま突進してくる事もあれば、岩を飛ばしてくる事も在る。
だがその場合、僕の姿は牛魔に映っていない。
恐らく牛魔は聴覚が優れているのだろう、だから視界に映っていなくても僕の位置が分かり、地面を角で削りながら標的に向かって走る事が出来るんだ。
しかし今の牛魔は怒りで我を忘れている・・・聴覚から僕の位置を予測するなんて出来てない。
牛魔が放った中岩は、イザクが先程まで存在した場所を通過し、その後を追って来た牛魔はイザクがいない事を目で確認すると、急停止して再びイザクに突進を仕掛ける。
僕からすれば、怒りに我を忘れる前の冷静な牛魔の方が、余程恐ろしい強敵だ。
今の牛魔は攻撃が単調で先を読み易い。
現に牛魔はイザクだけを狙い、グレンとボルガの存在を忘れている。
着々と2人が準備を進めているとも知らずに。
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イザクと牛魔が戦っている、その場所の近くにグレンはずっと立っていた。
彼はただの剣士なのか? 岩の両断はできなくても、飛んで来る中岩の軌道を逸らす剣技を持っている。
俺だって一応だけど体術は心得ているが、牛魔の突進をあのように回避する術は出来ない。
しかも回避をしながら牛魔に対し、浅いけど斬撃を与えている。
あの程度の傷では牛魔に取って大したダメージではないけど、それが牛魔の怒りを増加させ、イザクさんだけに意識を執着させている。
イザクさんが剣士だというならば・・・壊れた剣士は、どれ程の実力を持っているんだ。
グレンはボルガに視線を向ける。
ボルガは石を投げると、自分で造った小岩に衝撃を与えている。
その気に成ればボルガの石投げにより、岩の破壊も可能だと思うが、命中率を上げる為に力を抑えているのだろう。
小岩の上には火の玉が乗っている。
その小岩に石が衝撃を与える事により、火玉は地面に落ちる。
火の特徴は大きく分けて3つ。
熱さによる火傷。
燃え移る。
そして燃え移る事で【燃え広がる】
ボルガは石を利き腕に持ち、火玉の灯台に投げ付ける。
石は速度を上げながら小岩に激突するが、完全に小岩は破壊されない。
だが石の衝撃で小岩が揺れ、上に置かれていた火玉が地面に落ちる。
草原には一面に野草が広がっており、その野草の上に火の玉は落下する。
ここ数週間は雨は降っていない・・・季節が味方して野草は乾燥状態だ。
数十ヶ所に造り出した灯台は、瞬く間にボルガの石投げにより衝撃を加えられていく。
グレンは自分の炎なら、離れていても火力を調節できる。
ボルガが1つ灯台に衝撃を与えるたびに、グレンは地面に落ちた火玉の火力を炎まで上げていた。
僅かな時間で周囲は随分と明るく照らされている。
火玉は灯しているだけなら何もしなくても燃えてくれるから、魔力の消費は考えなくて済むんだけど、火玉全ての火力を並位まで上げると成ると、消費する魔力はそれなりに大きい。
ただ、一度でも地面の野草に燃え移ってくれたなら・・・後は野草が勝手に炎を広げてくれる。
草原て場所はよ、条件さえ揃えば火の領域になるんだ。
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よし、大体の作業は終ったな。
グレンは指を口元に持っていくと息を吸い込む。
赤く色付いた夜の草原に、甲高い指笛の音色が響き渡る。
イザクはグレンの指笛を聴くと、牛魔の突進を独自の足運びで回避し、振り向き様に剣ではなく油玉を投げた。
それが命中すると、イザクはグレンに向けて走り出す。
ボルガも指笛を聴くと俺に向けて動き出した。
戦いが始まる前から、イザクさんが狙われると分かっていたんだ。
俺がボルガに火の玉を草原に落とすように指示を出した場合、辺りは次第に赤く染まっていく。
ある程度炎が広がれば俺の指笛を合図として、イザク分隊は俺を中心に一ヶ所に集まる。
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位置的にグレンはイザクの近くに居た、そのため先に合流するのは分隊長だ。
グレンはイザクとの合流には成功したが、既に牛魔は彼に向けて突進を仕掛けている。
ボルガとの合流には、もう少し時間が掛かりそうだ。
俺は無理を承知で危険な願いをイザクさんにする。
「イザクさん一度牛魔の突進を避ける必要が在ります、それに成功したら近くの炎に身を隠して下さい」
俺の最終手段を実行するには、ボルガの魔法が無いと成功しそうにない。
ボルガが火の灯台を壊したお陰で、俺達の戦っている草原は炎で赤く染まり、今もその炎は広がり続けている。
その炎に身を隠すってのは、火の中に飛び込むって意味ではなく、牛魔の視界に映らないよう火に身を隠してくれって意味だ。
イザクさんは俺からの無理な頼みに対し、何時ものように笑顔を向けてくれた。
「分かりました、何とか避けて見せます」
牛魔の向かってくる方向を0時とすると、9時の方向に全速力でイザクさんは走り出す。
既に牛魔は最高速度に到達している、あれを避けるにはイザクさんも全力で走り、タイミングを計りながら、思いっきり飛躍しなくては成らない。
今までの突進の中で、最も危険な突進だ。
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牛魔はイザクさんに相当な怒りと憎しみを向けているようで、イザクさんに着々と迫っていく。
俺もイザクさんの後を追って走っていた。
後方よりボルガが俺に追い付いて来る。
グレンは走りながらボルガに叫ぶ。
「イザクさんが回避に成功したら、次は俺が牛魔の突進を受ける!! お前は牛魔が俺に突撃する寸前に、さっき見たいに岩の壁を奴の目前に召喚してくれ!!」
ボルガは心配した口調でグレンに吐き出す。
「本当に奴の突進を受け止められるのか!! おれはお前が死ぬ所なんて見たくない!!」
俺だってこんな所で死ぬ訳にはいかねえんだよ。
おっちゃんの話では、物凄い衝撃を受け止めるだけなら可能だ。ただし、かなりの危険を覚悟する必要がある。
全てはタイミング、それが重要なんだ。
牛魔の突進は極限まで引き付けてから跳んで避ける、これより数段シビアな条件だ。
だけど成功すれば、最大の隙が牛魔に生じる。
グレンはボルガにもう一度叫ぶ。
「このデカブツ!! 俺の心配なんてしている暇があったら、自分の役割を完璧にこなしやがれ!!」
グレンの言葉を聞き、ボルガはその巨体から声を荒げる。
「分かったからな!!! おれは完璧に役割を果たすからな!! おめえ、失敗したらただじゃ置かねえぞ!!」
安心しろ、失敗したら俺死ぬから。
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・・・
イザクは全速力で走っていた。
既に剣は鞘に帰し、ただ走る為だけに全力を注いでいる。
本当は剣を草原に手放した方がり速く走れるだろう。
僕は剣士だ・・・草原に剣を手放すくらいなら、牛魔に轢かれて死んだほうがマシだ。
大地を揺らすかのような、怒涛の足音が周囲に響き渡る。
それが確実に、僕の下へ近付いて来ている。
だがイザクは決して、牛魔の方に視線を向けはしない。
牛魔は僕を殺したい、そんな気迫を周囲に撒き散らせながら走っている。
それを僕自身が心に持つ、殺される事への恐怖を利用して感じ取るんだ。
敵の殺気を感じ取れたなら、それを回避に利用できるんだ。
牛魔に視線を向けていたら、僕の走る速度が減速してしまう。
今は僕が持っている殺気を感じ取る技術を信じるしかない。
敵の気を、魔物の怒りを感じるんだ。僕の恐怖で、死にたくないという弱い心で、牛魔が向けた人間への憎悪を感じ取るんだ。
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まだだ、まだ跳んでは駄目だ・・・もっと引き付けろ、牛魔の心を感じろ。
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イザクは草原を踏み締める、走る速度を殺さないように飛び上がり、地面を転がりながらイザクは停止する。
それは凄い衝撃だったが、牛魔の突進に直撃していたら、こうやって考える事はできないだろう。
牛魔の猛攻を凌ぎ切ったイザクは、草原に両手両膝を触れたまま動こうとしない。
彼の肩は震えていた。
死の危険が今さっき、僕の近くを通り過ぎて行った。
でも僕は死んでない、生きているんだ。
死なずに生き残った僕は、生きている事を実感する。
イザクの心に喜びが湧き上がる。自然と彼の口元は笑みに染まる。
喜んでいる筈なのに、彼の笑顔は何処か痛々しく、何故か苦しそうだった。
僕は死んでない、生きているんだ。
この瞬間だけが心を満たしてくれる・・・僕を活かしてくれるんだ。
牛魔は最高速度での突進だ、そう簡単に止まる事は出来ないだろう。
イザクは痛む全身を堪えながら立ち上がる。
痛みは多少あるが、歩けるから問題ない。
近くで燃えていた炎に向けて走り出し、その炎を跳び抜ける。
一度立ち上がり、牛魔の位置を確認する。
牛魔の身体は赤く燃えていた。
どうやら牛魔は僕に突進している最中に、全域に燃え広がっている炎の一部を走り抜けた所為で、油がかかっていた部分に引火したんだ。
イザクは静かにその場に座り込むと、今までと表情を変えて。
「グレンさん、僕の役目は此処までです」
ボルガ、彼を頼みましたよ。
そう言うとイザクは草原に座り込み、そのまま夜空に目を向けた。
神よ、彼らに祝福を。
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・・
イザクさんが牛魔突進の回避に成功した。
ボルガがは前方を走るグレンに問いかける。
「おい、牛魔が燃えてるぞ・・・おめえ離れていても火力の調節が出来るんだよな、ここから火力を上げて焼き殺せねえのか?」
もっと牛魔に近付かないと、剛炎まで火力を上げるのは難しい。
グレンは走りながら口を開く。
「今から全速力で走っても、牛魔の場所に接近する頃には炎を消されている」
牛魔は恐らく、炎を消す技術を持っている。
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俺の予想通り、牛魔は停止すると全身を揺さぶり、体内の魔力を一気に発散させて炎を消していた。
グレンは牛魔の20m手前で足を止めると、ボルガに指示を出す。
「お前はもう少し後ろに下がっていろ」
ボルガはグレンから少し離れると野草に両腕を沈め、地面に掌を添える。
牛魔は巨体を動かし、グレンの方に視線を向ける。
イザクさんは炎の影に隠れている、だから牛魔の視界に彼が映る心配はない。
俺の位置から正面、牛魔は0時の方向に20m、ボルガは6時の方向に10m。
グレンは一度身体の力を抜く・・・恐怖を和らげる呼吸を取ると、静かな心境で不動の構えを造る。
動かざる守りを意味する構え、その姿勢から回避に移るのは難しいだろう。
だが不動の構えは、物理攻撃を受け止めるには最適の構えだ。
牛魔はグレンの構えを見ると怒りを消した。
己の突進に受けて立とうとする、愚かな憎むべき人間が目の前に立っている。
その人間を視界に映した時、熱く燃え滾っていた怒りは消え、人間への憎悪だけが牛魔に残る。
牛魔は向きを逆に取り、走り出した。
ボルガは立ち上がる事なく。
「逃げたのか?」
違う、奴は俺の勝負に乗ったんだ。
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牛魔は本気の突進で俺を迎え撃つんだ。
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二角の猛獣は立ち止まり、再びグレンを視界に映した。
300mは離れているだろう。
二角の魔物はゆっくりと走り始めた。
徐々に勢いは増していく・・・真直ぐにグレンを目掛け、その足で轟音を響かせながら、燃え盛る炎に飛び込もうと、その勢いは段々と増していく。
グレンは叫ぶ。
「ボルガ!! 失敗した場合、その場所だとお前も直撃を喰らうぞ!!!」
ボルガは譲らない。
「だったら絶対に失敗するんじゃねえ!! おれはお前と死ぬのは嫌だからな!!!」
グレンは腹の底から叫ぶ。
「この無駄にデカイ糞野郎が!!!」
グレンは全身に出来る限りの魔力を纏う。
右腕の魔力を練り込む。
『喩え片腕に魔力を練り込んで大幅に筋力を上昇させようが、それを拳打に活かすのは不可能だ。拳打ってのはそもそも片腕で実行するもんじゃねえ。全身を使い、要所を捻りながら体重を操作し、これ等の動作から産み出した威力を、片腕に乗せて相手に放つんだ』
本気の拳打はその威力に伴い、避けられた時に生じる隙が大きくなる。
『練り込みは実戦には使えねえ、そりゃ間違いだ。拳打に魔力の練り込みを使えなくても、防御に使う方法は俺の頭に存在している』
魔力の練り込みにより、筋力を異常に底上げし、衝撃に耐えられるだけの頑強な片腕を造りだす。
『次にその片腕で受け止めた衝撃をどうするかが重要に成ってくる・・・片腕で受け止められたとしても、それ以外の体は魔力を纏った状態のままだ』
イザクさんが中岩の衝撃を剣で流して軌道を反らしたように、魔力を練り込んだ片腕で受けた襲撃を、何処かに流せばいい。
『問題はどうやって流すかと、何処に流すかだ。後はお前の頭で考えやがれ』
答えは簡単だ、受け止めた衝撃を地面に流す。
難しいのは地面に流す為の手段だ。
【魔拳】対【突進】
憎しみを全身に纏いながら、二角の猛獣は力の限りを草原に轟かせ、グレンに押し迫る。
グレンは利き腕を前方へ翳し、呼吸法の安定に精神を集中させた。
猛獣が放つ怒涛の咆哮が、赤い草原に鳴り響く。
牛魔の角がグレンに突き刺さる手前、ボルガが牛魔の前方に岩壁を召喚する。
突如現れた岩の壁に牛魔は二角を突き刺し、勢いをそのままに夜空に吹き飛ばす。
岩の壁の役割は、グレンが牛魔の突撃を防ぐ時、牛魔に二角を使わせない為だ。
俺に突撃する手前に岩の壁で牛魔に角を使わせた事により、牛魔の角に俺が殺られるのを防ぐんだ。
だが角を防がれても、牛魔の勢いは止まらない。
グレンは右腕を前方に突き出したまま、身動きは愚か瞬き一つせず不動を崩さない。
そのまま牛魔はグレンに激突する。
グレンは牛魔の額を掌で受け止める・・・以外にも無音だった。
受け止めた瞬間、グレンは右腕に練り込んでいた魔力を右肩、右肩から胴体、胴体から片足へ。
グレンが足で踏み締めていた地面が、突如クレーター状に轟音を響かせながら沈没する。
深くはない、浅い沈没だった。
それはグレンが牛魔から受け止めた衝撃を、魔力に乗せて足裏より地面に流したのが原因だった。
ギゼル流魔力拳術、初歩 不動の地流し。
地流しにより草原に出来た半径2mの浅い沈没により、牛魔は姿勢を崩す。
体勢を崩した牛魔の額には、グレンの掌が以前触れられたまま。
グレンは利腕の手首を逆手で掴むと、もう一度魔力を右腕に練り込む。
『防御には成功したとする、次は魔力の練り込みでどう攻撃をするかだ』
フェイントとして使う拳打は腕だけでも可能だが、本気の拳打は全身を使って撃つ必要が在る。
『魔力練りが片腕だけでも、相手を吹き飛ばす方法は在る。ただし、それで致命傷は与えられねえ』
グレンは練り込んだ右腕の魔力を、一気に掌に収縮させる。
次の一瞬だった、牛魔が後方に吹き飛び、地面に巨体が打ち付けられた衝撃で草原を揺らした。
魔拳初歩 掌波・・・練り込んだ右腕の魔力を、掌に一気に集める事で衝撃波を放つ事ができる。
ただし、吹き飛ばしたい対象に触れている事が条件で、少しでも掌から離れていると発動しない。
その上威力も低く、あくまでも吹き飛ばすのに重点を置いた衝撃波だ。
当然だが牛魔はまだ死んでない、その巨体をよろめかせながら、4本の足で立ち上がる。
グレンは即座にボルガに叫ぶ。
「俺の前方に中岩を召喚してくれ!!」
ボルガは信じがたい光景に身動きを取れず、今だ地面に手を添えたままだった。
我を忘れているボルガをグレンは急かす。
「速くしろ!! 牛魔が体勢を立て直すぞ!!!」
ボルガは我に返り、グレンの前方に中岩を召喚する。
グレンは前方に召喚された岩に左腕を添えると、魔力を自身の腕に練り込む。
中岩に向けて掌波を発動させる事により、中岩が物凄い勢いで牛魔に放たれる。
その岩は牛魔に激突し、砕け散る。
だがグレンの猛攻は終らない、右腰袋から油玉を取りだすと、腕を振りながら牛魔に投げ付ける。
油玉は倒れている牛魔に命中した。
牛魔は死に掛けの状態で在るにも関わらず、血に塗れた巨体を草原に起こす。
いい加減死にやがれ、お前の所為で分隊が一つ壊滅したんだ、顔も知らない誰かが殺されたんだぞ。
グレンは容赦なく、火の玉を牛魔に投げ付ける。
既にボロボロの牛魔に、火の玉を命中させるのは容易だった。
牛魔の巨体が再び赤に染まる。
炎を消す為に必要な魔力は残っていても、それを実行するだけの体力は残ってない筈だ。
だけど俺は油断なんかしねえ、確実にお前を殺してやる。
グレンは息を切らせながら両腕を星空に掲げ、止めの神言を口から吐き出す。
「人間を殺した魔物に憎悪の炎を・・・その巨体が燃え尽きるまで、紅蓮に灯せ!!」
牛魔に纏わり付いていたグレンの炎は、次第に火力を上げていく。
それでも牛魔は倒れない、人への憎しみだけが牛魔を草原に立たせていた。
一歩、また一歩とグレンに向け少しずつ前進していく。
死ねよ、速く死んでくれ、もう・・・辛いだけだろ。
何故そこまで人間が憎いんだ。
牛魔は倒れない、グレンにゆっくりと迫る。
たった1人で、お前は充分に戦った筈だ。
お前が死んでくれないと・・・俺は炎を消せないんだよ。
ボルガはグレンの様子に異変を感じ、その場から退くように言い聞かせる。
「離れろ!! 死に掛けでも、何してくるか分からねえぞ!!」
ボルガの言葉が耳に届いても、グレンはその場から動こうとしない。
グレンの目前に牛魔が到着するが、立ち尽くしているだけで何も仕掛けてこない。
牛魔の巨体に灯る憎悪の炎は轟音を響かせながら、未だ叫びを上げていた。
剛炎に焼かれても、牛魔の眼光は憎悪に染まりながら、何かをグレンに訴えている。
《我が誇りは怒涛の走り、それを受け止めた貴様の拳で、この戦いを終らせろ》
意識が脳裏に響いた訳じゃない。だけど牛魔は俺に、そう訴えたような気がした。
ならば俺の持つ最高の拳で、お前の命を奪ってやる。
赤く燃え広がる草原の中、グレンは姿勢を低く構え、腰を捻る。
右腕の肘を脇腹よりも後に下げ。
逆手の掌は牛魔の眼光に向ける。
足は野草を踏み潰し、靴底は大地を抉る。
右腕に全身の体重を乗せ、そのまま振り抜いた。
草原に音が鳴る・・・命が切れる虚しい音が。
命の灯火が消えても、未だ横たわる牛魔の目線はグレンを捕らえていた。
グレンは心ここに在らず、腕を下ろした状態で指を鳴らした。
戦いの後に残ったのは、黒く焼け焦げた平原の一部だけだった。
赤鋼の兵士たちは・・・こんな事を繰り返しながら、レンガを護っているのか。
5章:五話 おわり