一話 職人の想い
セレスとアクアが仲直りした翌日。
俺はレンゲさんの工房に向かっていた。
昨日、軍所から宿に戻る途中、俺の所為でまた空気を悪くした。
俺は19歳にも成るのに、誰かに心配されただけで取り乱すなんて・・・餓鬼だな。
セレスだって俺が心配されたら嫌がると分かっていたんだ。しかも自分は多くの人間が刻亀討伐に参加すると知り、俺を心配する余裕なんか本当はない筈なのに・・・それでも俺を心配したんだ。
昔の事を想い出すと直ぐ顔に表れるから、出来るだけ当時の事は想い出さないように心掛けていた。
よりによってセレスの前で想い出すとは、今後気を付けないと。
2人とも以前と変わりなく、俺に接してくれている。
だけどセレスは、少し様子が変だ。多分だけど、あいつは悩んでいる・・・付き合いが長いから、何となく分かるんだよ。
時間合わせて修行場にでも、今度様子を見に行って見るか。
・・
・・
グレンは宿を出発すると大通りに向かい、鉄工所を通らないルートで工房に向かっていた。
現在の位置は、大通りに架かる爺さんが釣りをしている橋だ。
正式名を知らないから、爺橋と勝手に名を付けた。
俺は爺橋の中央まで向かうと、最近の日課に成ってきた爺さんとの会話に入る。
グレンは人生の先輩に向かって、敬語を使わずに話しかける。
「どうだ爺さん、今日の調子は?」
爺さんは俺に顔を向ける事もなく。
「調子も何も、おりゃー何時だってジジイだ、身体の調子が良い訳がねえー」
あんたの体調じゃなくて、魚の釣れ具合を聞いたんだよ。
「相変わらず、あんたとの会話は噛み合わないな。 何時も橋の上で釣りしてるけどよ、釣った魚は自分で食うのか?」
爺さんは俺の質問に対し、あからさまに興味なさそうな感じで言葉を返す。
「お前さん、疑問に思った事はないか? 虫は大昔に滅んだのに、何で魚は滅ばんのか。 おりゃーよ、それが気に成るんだ」
虫は魔物が現れた時期から数年で絶滅した。虫みたいな魔物は存在しているらしいが、虫は絶滅したんだ。
グレンは頷くと、爺さんに質問する。
「魚は自然界にも残ってるな・・・なぜだ?」
家畜は残っている、だが自然界に生息している獣は殆ど残ってない。
魚だけは世界中の自然界に生息している。
爺さんはグレンの疑問に答える事もなく。
「釣った魚は、美味いからなー 晩飯の1つに加えてらー」
魚は何で絶滅しないんだ・・・多くの種が絶滅していく中で、何故魚だけが。
爺さんが最後の質問をする。
「ところでお前さん、犬は好きか?」
この質問に俺が答えたら、爺さんは次に一言放つ。その後に俺が何度話し掛けても、断固としてこの爺さんは喋らなくなる。
「犬は嫌いだな、俺の飯を奪いやがった」
爺さんは一言放つ。
「犬から食い物を奪ったのは何処の誰か、犬もお前を嫌ってらー」
これが終ると、俺は何時もこの場を離れる。
「それじゃ爺さん、ポックリ逝くなよ」
グレンは別れの言葉を放つが、爺さんは無言で釣りをしている。
本当に変な爺さんだよ、こう言う人間が変人と呼ばれるんだろうな。おっちゃんも何時か、この爺さんみたいに成るんじゃねえのか?
・・
・・
グレンは爺さんとの会話を終えると、レンガの西側に足を踏み入れる。
東側に比べると鉄を打つ音は大きいが、何度か鉄工街を通った経験が在る俺からしてみれば、大した音量ではない。
とりあえず、今からレンゲさんに魔力の練り込みの成果を伝えるから、頭の中で整理しておく。
基本的に魔力の使い道は3つだ。
魔力を神に捧げ、魔法を得る。
魔力を玉具に送り、様々な追加能力を得る。
魔力を全身に纏い、身体能力の底上げと魔法に対する態勢を上げる。
魔力練りは魔力纏いの上級技術だから、魔力を纏うよりも効果は断然高い。
俺が全身に纏った魔力を練り込めるのは、現状として体の一部分だけだ。
頭と首・右腕・左腕・胴体・右足・左足。
これら6ヶ所の内、どれか1ヶ所に魔力を練り込める。
拳打を敵に打つ場合、使用するのは相手に打ち込む腕だけじゃないんだ。
全身の筋肉を使いながら軸を利用し、体重を乗せながら打つのが拳打である。
尤もこれは本気で相手に放つ拳打だから、回避されたら大きい隙が生じる。
弱い拳打を相手に打ち込みながら、隙を見極めて本気の拳打を放つのが基本だな。
以上の理由で魔力練りは実戦では使えない・・・と思っていた。
魔力の練り込みを実戦で使う為の方法を、たった1人で編み出した変人がいた。
ギゼル流魔力拳術、略して魔拳らしい。何か魔族が使いそうな名前だよな魔拳って。
俺は一部の練り込みが出来るようになったから、現在次の修練に移っている。
簡単に言うと、練り込んだ魔力を移動させる修行だ。
例えば右腕に練り込んだ魔力を胴体に移動させ、胴体に移動させた魔力を左腕に移す。
これが可能と成るだけで、魔力練りを実戦に使えるらしい。
意外とコツさえ掴めば難しい技術じゃない。問題は一部に魔力を練り込むには、5秒間の精神集中が必要と成る。
その5秒間、俺は完全に無防備だから、仲間に護って貰う必要が在る。
これが今、俺が修練している魔力練りの進み具合だな。
練り込んだ魔力を移動させる技術は、何事もなければ数日で完璧とは言えないが、実戦でも利用できると思う。
だけど練り込むまでの5秒を縮めるには、まだ半年は掛かりそうだ。
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・・
・・
グレンは一度足を止め、レンガの中で一番好きな場所を眺める。
工房通り、ここに居ると何故か心が落ち着く。考え事をするには、この場所が俺には一番向いている。
だから俺は、何度か工房通りには足を運んでいた。
刻亀の情報を、俺は何か見落としてる気がするんだよな。
今まで誰かと会話した時の内容で、俺は重大な情報を聞き逃している・・・だけど思い出せない。
恥ずかしいけど、考える事には一応の自信が在る。
昨日の武具屋で行った口戦で、俺は自分の弱点を再確認した。
一つの物事に集中しすぎ、その所為で俺は広い視野が持てないんだ。
戦場に置いて、浅く広い視野を持ってないと痛い目に遭う。
今の俺が指揮できるのは分隊で精一杯、頑張っても小隊が限界だな。
それ以上大きくなると、俺は全体の指揮が取れない。
最近になって気付いたんだけどよ、戦場で命令ばかりしている彼らは、確かに命の危険は少ないけど・・・人の上に立つ、そんな重荷を背負いながら戦ってるじゃねえか。
策士の心得の中で、俺には納得できない心得が在る。
『敗北は無駄な犠牲だと思え、味方の屍を踏み潰した先にこそ、己の勝利が待っている』
敗北で失った犠牲は・・・無駄な犠牲なのか?
納得できなかった俺は、この一文を自分なりに解釈してみた。
敗北を乗り越えられるなら良い。
それが出来ないなら、その時だけでも感情を捨てろ。
後悔なんて後ですれば良いんだ、心を殺して貫いた先に・・・己が目指した何かが在る筈だ。
今から述べる説は、俺が考えた自説だから確証はない。
オルクは感情を捨てる事すら出来ない策士だった、心を殺せないから大声で笑った。
俺は同志が死んでも、笑う事なんて絶対にできない。
感情が表に出易いんだ、誰にも表情から心を読まれない方法を考えないと。
とまあ、刻亀の情報について考えていたら、何時の間にか変な方向に逸れてしまった。
グレンは気持ちを切り替えて、レンゲの工房に足を踏み出す。
・・
・・
扉を叩きながら以前のように声を出すが、予想通り返事は帰って来ない。
今回は躊躇する事もなく、工房に足を踏み入れる。
相変わらず綺麗ではない、だけどオッサンの道具屋を経験している俺としては、この程度は汚れている内に入らない。
「レンゲさん、約束通り一週間経ったんで来ましたけど」
職人は相変わらずの服装で、今度は分厚い本を朗読していた。
この人、俺の武具を造っているんだろうか?
レンゲさんは俺の存在に気付くと、来るの今日だっけ? とか言いながら立ち上がる。
「あれ、久しぶりだね。 暫く見ないうちに一段と性格が捻じ曲がったようだね」
俺の顔を見て、うんうんと首を動かしながら、嬉しそうに満面の笑顔を向けてくる。
「そりゃどうも、ところで俺の武具はどんな感じですか?」
辺りを見渡してみるが、それらしいのは何処にも見当たらない。
レンゲは一編を指差しながら、グレンの質問に答える。
「あの辺りとその辺り、今は細かいパーツを1つ1つ仕上げているんだ、それを大きなパーツにって感じで・・・詳しく言っても分からないでしょ?」
まあ興味は在るけど、本気で学ぶとなると他に手が回らなくなる。
「私はお金さえ貰えたら相応の仕事は必ずこなすよ。 心配なのは分かるけど、君の命に関わる武具を造っている職人なんだ。 信じて貰えると嬉しいんだけどね」
自分の逆手を動かしながら、グレンは何を今更と言った風に。
「変人が紹介した職人だ、最初から心配なんかありませんよ」
俺の言葉を聞いたレンゲさんはニヤニヤしながら。
「随分とギゼルさんを信頼しているようだね」
何かムカつく。
「人間性は信用してませんが、道具の開発だけならオッサンは1流ですから」
レンゲはそれでもニヤケ顔を止めず。
「まあ、そう言う事にして置こう。 確かにギゼルさんの道具は凄いからね、あの発想は私には真似できない」
それでも、1つ疑問が在るんだよな。
グレンはその疑問を口に出す。
「何で変人は武具の設計が出来るんですか?」
おっちゃんの道具を造り出す技術は凄いと思う、だけど道具と武具は別物だ。
自分では武具を造り出す技術がない、だからレンゲさんに依頼した。そうだとしても武具の設計図を作れるなんて、どう考えても変だと思う。
レンゲは笑顔を絶やす事もなく、グレンの疑問に答える。
「本当に変な所は鋭いね・・・ギゼルさんは過去に玉具を設計した経験が在るんだ。 その設計した玉具を造ったのは、私が戦場に居た頃に、宝玉武具の造り方を教えてくれた職人だ」
恐らく戦場に居る職人ってのは、最前線で破損した宝玉具を修復する人の事だろう。
その人から職人としての技術を学んだって事は、嘗てレンゲさんも戦場で戦っていた属性使いか。
「ギゼルさんが過去に設計した玉具は、グレン専用武具の試作型とも言えるね」
俺の武具に試作型が在るのか。
「因みに試作型はグレンには使えないよ、試作型はギゼル専用玉具なんだよね。 試作型がないと、ギゼルさんは満足に戦う事すら出来なくなる」
ギゼル専用玉具か、物凄く興味があるんだけど。
「どんな武具なんすか、試作型って?」
レンゲは人が悪そうな笑顔を造り出すと、それをグレンに向ける。
「それは君の武具が完成するまでの宿題にしようかな。 1から10まで教えるなって言われていてね」
あの変人、余計な事を手紙に書きやがって。
だけどヒントは貰えるようだ。
「試作型は戦う事を目的としているけど、武具とは言えない・・・戦える状態にする為の玉具だね」
そりゃヒントが簡単すぎだ、どんな玉具か分かっちまうじゃねえか。
オッサンが戦争の中で失った身体機能がある、それを補う為に利用する玉具だ。
レンゲさんは俺の表情を見ると、悔しそうにしながら。
「本当に可愛くない・・・あくまでも宿題だからね」
次に来る時に言わないと駄目らしい。
・・
・・
レンゲは突然思い出したかのように、グレンに言葉をかける。
「忘れてた、魔力の練り込みは出来てる? 君に渡す物が在るんだけど」
そもそも今回工房に足を運んだのはそれが目的だった、俺に渡す物ってなんだ?
「武具はまだ完成してないんですよね?」
レンゲは頷くと、工房の端に在る煤で汚れた机に向かい、その上に置いてあった物を手に持つ。
手に持った物を、意味ありげな表情でグレンに手渡す。
それは左腕に装備する手袋だった・・・ただ、指先から肩までの長さがある。
とりあえずレンゲさんは装備しろって言うから、羽織っていた上着を脱ぐと、煤で汚れた机に上着を置く。
少し慣れない手袋の長さに苦戦しながら、長手袋を左腕に装着する。
全体的に皮らしき素材を基準として出来ているが、所々に金属が取り付けられている。
皮らしき素材は伸縮性を持っており、それが俺の左腕に馴染む。
黒皮に銀色の金属。前腕に取り付けられている金属に、青い宝玉が埋め込まれていた。
恐らく水の宝石玉だな。
レンゲさんが長手袋に付いて説明してくれる。
「宝玉を練り込む事が出来るのは金属とガラスだけだから、皮や布が全体を占めている玉具は埋め込む事しか出来ないんだよね」
長手袋に取り付けられている金属は、何かを装着する為の形になっている。
「その長手袋は、私が別の職人に依頼した玉具だ。 それに私が造ったパーツを取り付ける事で、グレン専用武具の完成だね」
2つの宝玉具を同時に使う事で完成する宝玉武具か。
以上の事から分かるように、俺の左腕全体が宝玉具として機能する。
グレンは左腕を動かし、長手袋の感触を確かめる。
動きに今の所問題はないけど、この長手袋の上にレンゲさんが造ったパーツを取り付けた時、果たしてどれだけ自由に左腕を動かす事が出来るのか、それが心配だな。
グレンの左腕に装備されている長手袋を見ながら、レンゲは指示をだす。
「左腕に魔力練りをしてみてくれる? 魔力練りに反応した長手袋が、君の炎から来る熱を防いでくれると思うんだけど」
通常宝玉具を起動させるには、玉具に魔力を送る必要が在る。
レンゲさんの話だと左腕に魔力を練り込むだけで、炎の熱を長手袋が防いでくれるらしい。
グレンは左腕に精神を集中させ、魔力を練り込む。
「その状態で、炎を左腕に灯せる?」
魔力を左腕に練り込むだけで精一杯だ、それに加え炎を灯すなんて今の俺には出来ない。
だけど右腕なら炎を灯せる。
グレンは右手に炎を灯すと、左腕にその炎を翳す。
レンゲはその様子を見ながらグレンに問う。
「どう、熱は感じる?」
そりゃ熱いに決まってる・・・だけど熱をある程度防いでいると思う。
今使っている俺のボロ手袋より長手袋の方が熱くない、さすが宝石玉だな。
以上の事を正直に伝えると、レンゲは安心した表情をグレンに向ける。
「熱を防げるなら、練り込んだ魔力に宝玉が反応している証拠だよ・・・成功だね」
逆を言うと魔力を練り込まない限り、俺の灯す炎から熱を防げない事になる。
今まで使っていた水宝玉(濁)の手袋は、魔力を送る事で能力が発動し、炎の熱を防いでくれていた。
この長手袋に魔力を送っても、玉具として発動しない。
魔力を俺の左腕に練り込まない限り、長手袋の能力は発動しないんだ。
魔力練りは発動に5秒間の精神集中を必要とする、しかも練り込んでられる時間は数十秒が限界だ。
だから長手袋を実戦で使うのは、かなり難しい。
レンゲは真直ぐな瞳でグレンを見詰めると。
「君は自分の炎に対して、そろそろ真剣に向き合う時期じゃないかな? あの人は自分が灯す炎から、逃げずに立ち向かっていたからね」
手袋をしない状態で炎を灯す場合・・・火傷はしなくても、伝わってくる熱さは倍になる。
剛炎だと手袋をしても物凄く熱いけど、炎なら相応の熱を防いでくれる。
レンゲはそのまま話を続ける。
「今まで使っていた濁宝玉の手袋は長手袋と交換って感じかな」
俺は今日から手袋の力を借りず、自分の炎と向き合う必要が在るのか。
グレンは濁宝玉の手袋を外す。
この手袋と犬魔の塒に置いてきた火宝玉の短剣は、俺が仕事を始めた時に婆さんから祝いで貰った玉具だ。
最初の内は手袋が大きくて最悪の使い心地だったけど、7年間で随分と俺の手に馴染んだ。
短剣を使った時期は短い、俺の魔力に火の宝玉は反応しないからな。
だけど手袋の方は既にボロボロで、もう売り物にならないと思う。
レンゲは笑顔をグレンに向けると、ボロ手袋の今後を教えてくれる。
「君の手袋は知り合いの職人に修復を頼んで、また新しい使い手が買ってくれる」
それなら俺としては、心の底から嬉しい。
だけど俺の手袋と長手袋を交換しても、商売には成らないだろう。
長手袋に使われているのは宝石玉、難度の技術だって使われている筈だ。
対して俺のボロ手袋は濁宝玉、使われている技術は初歩的なものではないだろうけど、長手袋に比べれば断然劣るはずだ。
グレンは自分の手袋を握ったまま、それをしばらく眺めていた。
・・
・・
彼の性格は私だって知っている、ギゼルさんから送られてくる手紙は、いつも捻くれ者の話しが中心だったからね。
それに値段の事だけじゃない、彼はあの手袋と苦しくて辛かった日々を、今まで一緒に戦って来たんだから。
グレンのボロ手袋に対する思い入れは計り知れない。
だけど君は・・・もうその手袋に頼っていては駄目なんだ。
炎使いは自分の炎を直に感じてこそ、一人前だってギゼルさんが言ってたからね。
レンゲは本心をグレンに向ける。
「何か勘違いしているみたいだけど、君から受け取る45万の中に、長手袋の料金も含まれているんだよ。 まず第一に、純宝玉は単品で数百万の価値が在る、そして君の武具が魔獣具なのを忘れちゃ駄目だ」
グレンから受け取る45万の中には、私の技術料が入ってない。
「本来なら、その値段から私の持っている宝玉に関する技術、安く見積もっても20万は上乗せしたい所だけど・・・私は魔獣具に関する技術を持ってない」
君は呪いの恐ろしさを分かってない。
・・
・・
先程まで笑顔を絶やさなかったレンゲの表情は影を落とし、職人の眼差しに変わる。
「私はグレン専用玉具の全ては君に教えない、だけど君の武具は魔獣具でもある。 魔獣具としての能力はできる限りの内容を君に伝える」
俺の武具は宝玉具と魔獣具の2種類を併せ持った魔獣玉具だ。
魔犬の前足を調べた結果、判明したことをレンゲさんが教えてくれる。
「確かに魔犬は魔獣の一歩手前だけど、充分に魔獣具と成りえる素材だね」
黒い犬魔は固体の能力だけなら魔獣として申し分ない実力だ。
俺が魔犬に勝てたのは過去に一度戦った経験があり、魔犬の攻撃をある程度だが予測できたからだ。
だけど、群れを率いる魔獣が持つ最大の特徴は・・・群れその物を強力にする。
黒の魔犬はその能力が未熟なんだ。
「魔犬を倒して前足を手に入れた時に、頭の中に意識が入ってきたんだよね?」
レンゲの問いにグレンは頷く。
『人間なんかに借りを残したまま死にたくない』
これが奴を倒した時に、俺の頭に響いた意識だ。
職人はグレンから目を逸らさず、事実を述べる。
「その現象こそが、魔獣具の素材である証なんだ」
そう言ったレンゲさんは、魔獣具に付いて詳しい説明に入る。
まず始めに、宝玉武具と魔獣具の違いについて。
「宝玉には濁宝玉・宝石玉・純宝玉のように位が存在しているのは君も知っていると思う。 魔獣の素材は純宝玉と同列に位置する」
魔獣具より下位に位置する武具は、魔物の一部から造られた【魔物具】と呼ばれ、呪い等はない。
強力な魔物から造られた武具ほど、強力な魔物具と成る。
宝玉具の能力は職人が決められるのに対し、魔獣具や魔物具は元になった相手が身に付けていた力、それが武具の能力と成る。
「魔犬の前足に宿ってのは魔力纏いの補助なんだけど、それ以外の力も秘められている可能性が高い。 だけど私にはそれ以外の能力を見つけだせなかった」
俺は製作者の職人ですら、解明不可能な武具を使う事に成る。
レンゲさんは俺の心情を感じ取ったのか。
「魔犬の前足は既に加工して武具の一部に組み込んで在る。 残念だけど後戻りはできないからね」
最初から覚悟している、俺から無理を言って頼んだことだからな。
魔獣具には元になった魔獣の意思が・・・邪念が宿っており、使用者は魔獣具が選ぶ。
魔獣の素材から職人が魔獣具を創りだしたとしても、選んだ人間にしか魔獣具は能力を発動させない。
完成した魔獣具を装備した時、魔獣の意識が頭に響く。それが魔獣に選ばれた証に成っている。
討伐したからと言って、必ず魔獣が身体の一部を残すとは限らない。魔獣が素材を残す条件は、今のところ解明されていない。
魔獣を倒した時に素材を手にした者は、当然だが魔獣具に選ばれた人間に成る。
だとえ魔獣具に選ばれとしても、そこから来る力には相応の代償が存在する。
魔獣具に選ばれたという表現は間違っている。
正しい表現・・・魔獣具に呪われた人間だ。
呪いには様々な種類が確認されていて、弱い呪いから強力な呪いが確認されている。
・魔獣具が使用者の心を狂わせる。
・魔獣具に使用者は執着し、手放そうとしなくなる。
・魔獣具の力を発動させている間は、常に体力・魔力を奪う。
・魔獣具が体から外れなくなる。
・魔獣具を使い、闇魔力を持つ相手を傷付ける度に、激痛が使用者を襲う。
・魔獣具の使用者は夜間しか動けなくなる。
これが全てではないが、有名な呪いはこんな感じらしい。
レンゲは真剣な眼差しをグレンに向けながら。
「呪いは装備した瞬間に症状が現れる訳じゃない・・・魔獣具を装備して数年後、なんの前触れもなく発症したり、使用者の何かしらの行動が原因になって発症した例も在る」
使用者が気付かない間に呪われていることもあるらしい。
次にレンゲさんは、魔犬の前足に宿っている呪いについて説明する。
「武具の構造から考えて魔獣具が外れなく成ったり、魔物を傷付けると同等の痛みを伴う、これ等の呪いが込められている可能性が高い」
魔獣具の職人は呪いを消すことができなかったとしても、発症する条件を探ることができる。
宝玉武具の職人であるレンゲさんには呪いを消す技術は当然として、探る技術もないらしい。
例えば呪いが発症する条件が修行を怠る、だったとする。
数日修行を怠った所為で、使用者は太陽の光を避けながら、人生が終るその日まで生きていく。こんな呪いを背負う破目になる。
呪いの発症条件さえ分かっていれば、その条件を満たさないよう、上手に魔獣具と付き合うことができる。
レンゲさんから1つだけ、俺に伝えられる魔獣具の知識が在るらしい。
「魔獣具を装備しても、今までと変わらずに生きるのが大切なんだ。 呪いを恐れて身動き一つ取れなくなる、その状況こそが最も恐ろしい呪いだからね」
自分の生き方を曲げずに生きて行く。それができなくなったとき、魔犬は俺に爪を向ける。
グレンの額には冷たい汗が流れ、足が異常な程に震えていた。
逃げるな、この恐怖が・・・奴に対する俺の責任なんだ。
レンゲは震えるグレンをそのままに、職人としての誇りをグレンに伝える。
「私は魔獣具の呪いに関する技術を持たない。 依頼主に頼まれたからだとしても、その武具に技術料を要求するなんて、私には絶対にできない」
戦いに置いて命に関わる物を造る職人として、使用者を殺しかねない武具を造ること・・・それは宝玉武具の職人ではなく、武具を造る職人として許される行いではない。
この人は、それでも俺の願いを尊重してくれたんだ。
その後、数分の沈黙が工房を包み込む。
・・
・・
・・
グレンは右腕で掴んでいたボロ手袋をレンゲに渡すと、そのまま煤に覆われた机に向かい上着を手に取る。
長手袋を装着した状態で上着に袖を通すと、レンゲに視線を向け頭を深く下げる。
「それ・・・年季の入った手袋ですけど、宜しくお願いします」
レンゲは笑顔を浮かべると、グレンに語り掛ける。
「この手袋を修復する職人は、長手袋を製作した職人なんだ。腕は本当に良いから安心してね」
グレンは再度、レンゲに頭を下げる。
レンゲはガンセキのように両手を合わして音を鳴らす。それを合図にこの話を終らせる。
「それじゃあ、また一週間後に来てね。 君の武具を完成させて置くから」
火の宝玉が反応しない俺がなぜ、おっちゃんの設計した玉具なら使えるのか。その理由を聞きたかったけど、次の機会でも良いか。
情けないかも知れないけど、魔獣具の話を聞いただけで満腹だ。
レンゲは思い出したかのように、グレンに話しかける。
「そうだ、もう1つ宿題ね・・・君は属性使いとして勇者様ほどではないけど、ガンセキや水使いさんより優れている素質があります、それを次に来る時までに考えておいて。 それが多分、君が火の宝玉を使えない理由だから」
セレス程ではないけど、アクアやガンセキさんを凌ぐ素質・・・そんなのあるのか?
グレンは信じられない表情で、レンゲに口を開く。
「ヒントはないんすか?」
レンゲはグレンの頼みを聞くと、機嫌を悪くしながら断る。
「君にヒント何て言ったら、さっきみたいに簡単に知られるから駄目だね。 ヒントはなしで行って見よう!!」
とりあえず、今度考えて見るか。
グレンは工房の扉まで進むと、レンゲの方に視線を送る。
「ガンセキさん、一度は挨拶に来たんすか? あの人いつも忙しそうだし」
俺がそう尋ねると、レンゲさんは以前のように態度を硬くしながら。
「え・・・ああ。 多分だけど・・・その、来ないと思う」
前回もそうだったけど、ガンセキさんの話題になると態度が変なんだよな。
「ガンセキさんなら世話に成った人に挨拶くらいすると思いますけど、喧嘩でもしてるんですか?」
そんな感じではなかったけどな、ガンセキさん。
「いや、その・・・約束でね」
まあ、これ以上深く聞く訳にも行かないか、レンゲさんとガンセキさんの事情だろ。
グレンは向きを返し、扉の方を向くと口を開く。
「それじゃあ、一週間後にまた来ますんで」
そう言葉を残すと、工房を後にする。
・・
・・
工房を後にすると、俺はそのまま南門に向かう。
今日から軍での初仕事だ、炎の熱さに慣れておかないと。
グレンは手袋の無くなった右腕に炎を灯す。
何か変な感じだ、手袋しない状態で炎を灯した事ないんだよな。
あれ・・・何か、今までと変わらないな。そりゃ熱いけど、手袋をしてた時と変化がない。
寧ろ、素手の状態の方が落ち着く気がする。
これ以上は魔力が勿体ないか、もう止めておこう。街中で攻撃魔法を使うの禁止だし。
納得できない感覚に顔を歪めながら、グレンは南門へ向けて歩き続ける。
・・
・・
グレンが工房から出て行った後、レンゲはボロ手袋を眺めていた。
ボロ手袋に魔力を送る、予想通りの結果だった。
この手袋は玉具として、もう殆ど機能してないね・・・残念だけど修復は不可能だと思う。
濁宝玉の手袋が剛炎に耐えられる筈がない。
彼は知らない内に、炎の熱を直に感じてたみたいだね。それに気付かないなんて、少し抜けている所もあの人に良く似ている。
以前、純宝玉と偽宝玉との違いを君は見破った。多分それが、純宝玉なら君の魔力に反応する証拠だと思う。
さて、この手袋をどうするか・・・想いが沢山込められている物を捨てる訳にも行かないか、とりあえず保管しておこう。
それにしても、誰かさんと笑っちゃうくらい似てるね。
ガンセキと父親はまったく似てないのに、他人であるギゼルさんとグレンは本当に良く似ている。
レンゲはグレンのボロ手袋を、保管する場所を探す。
どこが良いかな、私の工房汚いからね・・・しょうがない、あそこしか保管する場所ないや。
レンゲは工房内を少し歩くと、自分の手を綺麗にして、それから可愛らしい模様の木箱を手に取る。
その中にはレンゲが以前買った宝物が入っていた。
ボロ手袋はボロボロで汚いから、このまま入れる訳には行かない。調度良い大きさの容器にそれを入れると、宝物と一緒に木箱の中にしまう。
私も乙女だねー こんな可愛らしい物を持っているなんて。命を奪う物を造っている職人の私物とは思えない。
・・
・・
それでは改めて、作業を始めますか。
造っている所を誰かに見せる訳には行かない。今日は彼が来ると分かっていたから仕事が進まなくてね、今夜は徹夜でお仕事しないと。
レンゲは炉に火を熾す、此処からは執念場。
誰にも邪魔されず、命を奪うだけの物を創り出す行為に没頭する。
旅の最中に宝玉具に取り憑かれて、私は生き残ったらこの道を歩むと心に誓った。
旅の間も知識を集めた、戦場で職人としての師匠に出逢う。
勇者の護衛としての合間を見ては、空いた時間を全て宝玉具に捧げた。
勇者を護れなかった時は、そのことを心底悔いた。
私が武具造りに没頭して、勇者の護衛を疎かにした所為だと。
このまま私だけ好きな事を続ける何て・・・死んで逝った仲間と同志達に顔を向けられない。
だけどあの人は、そんな私に好きなように生きろと言ってくれた。
誰よりも己の使命を貫いたあの人が、私にそう言ってくれた。
その想いを受け継いだ、青年の力に成れるなら。
私が創り出した生涯の傑作を・・・彼の逆手に灯してみせる。
5章:一話 おわり
お久しぶりです。
5章は長くなりそうなので、区切りの良い所まで投稿します。
七話か八話に成ると思います。
投稿時間は0時に投稿できるようにしたいのですが、自分は決めた時間を守れない駄目な作者なんで、信用しない方がいいです。
5章の残りは来月の、10日前後の投稿を目指します。
それでは、次回も楽しんで頂けたら嬉しいです。