七話 隧道到着
時刻は八時を過ぎた頃。内壁を守るその場所には、大型の魔虫が迫っていた。糸を使って沢と外壁を越えた様子。
ボルガ二体分の蜘蛛。
内壁、三方面は兵士が受け持つ。沢のあるこの方角は、一般の中隊長が指揮を採る。
壁下の土使いが叫ぶ。
「一点放射、きますっ!」
大蜘蛛は己の糸を衣のようにしてまとっていた。何らかの防御手段かと思われる。
中隊長が空を見上げると、複数の赤い線が通り過ぎていく。
「構え」
弓士たちは不慣れな動作ではあったが、矢の先を斜め上に向けた。
一点放射が蜘蛛に降り注いでから、少しだけ間をあけて。
「放てっ!」
蜘蛛は回避に移っていたが、間に合わず足をかすめる。貫通力に優れたその魔法は、糸の衣を突き破り、確かなダメージを与えていた。避けた直後、矢の雨が突き刺さる。
相手は傷を負ったものの、深手とは言えない。魔物防柵もないため、すでに一般兵たちは戦闘位置についていた。
目視は難しいが、紋様が浮かび出ているのだろう。蜘蛛は近場の兵士に向けて糸を放つ。片手剣で受けたことにより、巻きつかれはしなかったが、電を帯びた糸は触れた対象を痺れさせる。
分隊長は片膝をついた部下を守る位置に立つ。
「火属性は前に出ろ、糸を散らすぞ」
その者を含めた三名が手の平を蜘蛛に向けると、一斉に火を放つ。
「こいつはまだ動ける、背後に回り電撃を放て! 盾持ちは俺らを守れ」
それは支給品。玉具でもないため電糸が当たれば痺れる。地面に盾を固定して受けたことにより、動きは鈍っても構えた状態を保つことができていた。
火属性は盾持ちの背後に隠れながら、火を蜘蛛に放つ。糸の衣は燃えて散り、やがて地肌があらわになる。
背後に回った兵士の電撃も効果が出始めてきた。
頃合いを見計らい、分隊長は叫ぶ。
「放射に入る、背後の二名は側面に移動しろ!」
属性分隊をイザクが指揮することがあるのだから、その逆もありうる。分隊長は火力を上げると、神に放射を願う。
蜘蛛はその熱に焼かれ、炎が燃え移った。分隊長は後方に意識を向け。
「いまだっ!」
放射が止んだ瞬間を狙い、最初に電糸を受けた兵士が油玉を投げつける。
命中。続けざまに側面へ回り込んだ二名も蜘蛛めがけて肩を振る。
未だに蜘蛛は燃えていた。泥状の中身は熱を持つ。
痛覚。蜘蛛にそれらしき動作はみられない。
まとっていた魔力を散らせば炎は消えるが、泥状の液は対象を焦がし続ける。
今が攻め時。
再び魔力をまとう前に、戦いを終わらせる。分隊長は片手剣を鞘から払い。
「行くぞっ!」
油玉を投げた兵士は後に続く。
側面の二名も剣を抜くと、電撃を放ちながら蜘蛛に接近する。
火属性の兵士たちは、油玉が命中したカ所を狙って火を放つ。
盾持ちは回復を待ち、剣を抜く。
一名は距離を置いて土の領域を展開。
決着がついたと判断した中隊長は、壁下の土使いに外壁の様子を探らせる。
属性兵は個でも単独と戦えるため、できるだけ一般兵に弓の援護を。
土使いの発言を受けると、志願してくれた弓士数名をこの場に残し、別の場所に移動する。
中隊長はもう一度、空を仰ぐ。
戦いが始まって、もうすぐ三時間。
「若干だが、精度が落ちているのか」
放たれた一点放射のうち、いくつかは地面に向かわず、そのまま空に消えていた。
昼を過ぎるころには、魔法陣の修復作業に入る。先ほど情報兵より知らされていたが、正直もっと早いうちに教えて欲しかった。
「どうする」
何時ごろ皆に伝えるか。その判断は、前線を指揮する彼らに託されていた。
火炎団からすれば、長時間の直陣魔法に不具合がでるのは当たり前。
ホウドたちの認識としては、その場の応急処置で、なんとか夜までは保たせてもらう。
双方のわずかな連携ミスと言えばその通りだが、大きな失敗であることに違いはない。
・・
・・
勇者と団長の一行が隧道に到着した頃には、すでに朱火三班は持ち場についていた。
仲間からも人格を疑われていた彼も、ちゃんと役目はしていたようで。
「どうだい、見てくれたまえ。美しいものだろ」
褒めて良いんだよのポーズを決めると、土使いが掘った穴を皆に見せびらかす。
「苦労をかけた。穴くらい前もって、こちらで掘っておれば良かったんですがな」
山の開拓はそれだけで魔物を刺激する。刻亀の近場であるここに限り、手を加えるのは当日にすると判断された。
気にするなのポーズで気持ちを表すと。
「隧道内も一応の確認は終えてるよ。明かり火は手持ちしか設置できてないから、細かな所はそちらにお任せだね」
片目を閉じて、任せたよのポーズを決める。
小隊長の指示のもと、兵士たちは穴に黄土を入れ、土の領域連結玉具の準備をする。イザク分隊の面々はすでに役目を終え、休憩をしながら次の指示を待っていた。
「では、持ち場の受け渡しを頼む」
「承知いたしました。ではそこの君、こちらへ来たまえ」
呼ばれた副班長の土使いは、ため息をつくとレフィナドのもとに向かう。
ここを守っていた第二班は、隧道先の空洞上部を守ることになっていた。話し合いを始めた二人を余所に、朱火の副長は勇者・団長の一行に歩み寄り。
「お初にお目にかかる方もいらっしゃいますので、一つ自己紹介を」
少なくともグレン辺りは、この人物と接触してはいなかった。
木々の隙間から日のあたる位置まで進むと、全身に光を浴びせ。
「日輪の光を受けて今ここに立つ、サン・フラッシュのレフィナドです。以後、お見知りおきを」
胸当てや腕輪をしているが、どれも金色で魔物と戦うといった出で立ちではない。肩からは真っ赤なマントが風になびく。
「赤の護衛、グレンです。よろしくお願いします、なんか格好いいっすね」
「えっ そうかな?」
いつもなら、こういった登場を喜びそうなアクアだが、どうやら好みではないらしい。
黄金の甲冑をまとう名将もいるだろう、しかしそれとは絶対に違う。
火炎団の団員ではあるのだが、どこか良い所の我がまま坊ちゃんを彷彿とさせる。
クエルポは副長の背後から近づくと、マントの首元を掴み。
「本番の慣らしをしたいのよ。久しぶりに付き合いなさい」
「いえ、ちょっと。自分の班を指揮しないといけませんので」
相手の言葉を無視して、クエルポはそれを引きずって歩きだす。
「良いじゃない、どうせ面倒ごとは彼に押し付けてんでしょ」
「それなら、私もお願いしたいんだが」
ヘンティルの役割は後方支援なものの、必要とあれば前にでるかも知れないので、一度ちゃんと戦っておきたかった。
責任者と勇者の方を見て、意見をうかがう。
「大丈夫ですよ。それが必要だと感じたなら、きっとそうしといた方が良いもん」
ガンセキもセレスの言葉にうなずく。頭をさげると、続けてまっすぐにホウドを見る。
「すきにすれば」
「では、よろしく頼む」
お願いされた朱火の副長は、引きずられ踵で地面を削りながら。
「……え、やだ」
明火長と朱火長に囲まれて戦うのが辛いのだろう。涙目で土使いに助けをもとめ手を伸ばす。
一瞬目が合ったが、気づかない振りをして、彼は小隊長との話し合いに意識を戻す。
フエゴは隣の男を見て。
「お前はいかないのか。それ使うの、久しぶりじゃない?」
故郷奪還に向けて魔獣と戦う時、彼らだって玉具は用意していた。
本来右腕に装着されていたグローブは、左腕用の物へと変えられている。
「いらねえよ。大体、本番前の慣らしって、あいつ朝まで戦ってただろ」
職人にその作業を頼んだのは最近なのか、それともずっと前なのか。
なぜ今日まで使わなかったのか、フエゴには解らない。
「お前やあいつは簡単にやってるけどな、けっこう難しいんだぞ」
身体に巻き付けたベルトから、一振りのナイフを取りだして火をつけると、それを近場の木に投げつける。
左腕を燃えるナイフに向け、手の平を開くと同時に、魔力を手首の金属に送る。
「今までは左で投げた後に、右でこれをやってたんだ」
トントの左手に火が灯り、徐々に燃え上がって炎となる。それに同調したのか、突き刺さっていたナイフの火力は上がり、木そのものを焼き始めた。
「まあ使うってことは、ある程度ものになったんでしょうよ」
ずっと練習してきたのか、または最近になって練習を始めたのか。
レフィナドよりも、こちらのほうが好みだったようで。
「すごい! グレン君みた、ねえっ!」
アクアが目を輝かせて叫んだ頃には、もう炎は鎮まっていた。
「ふへ~ 玉具で着火眼を再現したのもあるんだねえ」
「純宝玉であれば、火種なしでの着火が可能かも知れんな」
セレスの特殊能力も、限度はあるが玉具での実現は可能だった。
「そのぶん手形や足型でやるとなれば、相応な技量が必要なんだな。とすりゃ、俺が純宝玉で炎放射をする場合も、普通よりずっと難しいってことか」
グレンは息をつくと。
「もしそういった隠し玉もってんなら、教えてくれないと困りますよ」
「悪かったな。使うかどうか悩んでたんだよ」
刻亀戦の組み立ては八人で行ったが、中心になっていたのはグレンだった。誰が何をできて、何ができないのかも聞いている。
「責任者の言った通り、こいつだと火種がなけりゃ火力は上げれねえし、お前よりも時間が必要だ」
「でも劣化版ってわけでもなさそうっすよ。俺の場合は二度手間だし」
どの面が当たっても、上手いこと対象に中身が振りかかるように設計されている。そのため油玉に火をつけて投げるには、制作の難度も格段に上がるので、不器用な人間にできる芸当ではない。
だから相手を油まみれにしてから、火の玉で着火する形になっていた。
「おいちゃんは好きに燃やせるから、完全に上位版なのよね」
えっへんと胸を張って言うが。
「ケッ」
トントがそう吐くだけで、皆が流した。
話し合いが終わったようで、小隊長と副班長がこちらに来る。
「申し訳ありません、うちの者たちが勝手をしたようで」
止めに入らなかったのは、恐らく自分が押し付けられると思ったからだろう。
「まあ明火長も行っちゃったくらいだから、責任は火炎団にあるんだろうよ。お前さんが気にすることもないさ」
その責任は誰が受け持つのか。今も今までも、トントがそれをフエゴに問うことはなかった。
小隊長は一同を見渡すと。
魔法は神に。
「互いの成功を神にでも祈りますかな。だとしても、実行するのはこちらの判断」
人は人に魔法を向けることもある。
ガンセキは痛む胃の辺りを強く抑えつけて、恐怖を想像の水で薄める。
「頑張りましょう」
そんな責任者の背中を眺めながら。
「無理してでも、踏ん張りどころっすね」
出入口は灯火で照らされていた。そこで待つ団員たちを見つめながら、セレスは深呼吸をする。
勇者。
「神に祈り、皆さんに願います」
同志。
「神に祈り、あなた方に願う」
アクアも勇者に習い、空気を吸い込んだのち、ゆっくりと吐きだして。
「共に戦おー!」
手を上げると、その場にいた兵士も団員も、皆が声を上げて天に突き出す。
勇者一行である二人は、なぜか疎外感が心に残る。
「じゃ、行こうか」
フエゴがグレンの肩を叩く。
「これまだ使えそうか?」
いつの間にか、木から引き抜いていたナイフをガンセキに見せる。
「たぶん大丈夫かと思いますが、消耗品ですし残数も気にしませんとね」
「一応予備も持って来たんだがな」
煙草だけでなく、ちゃんとそういった準備もしていたようだ。
「なにぶん大荷物は一人じゃ運べないからよ、手伝ってくれ」
予備のナイフは木箱に詰められていた。そこまで大きくはない。
両方に取っ手があり、片方をトントはつかむ。
「なんなら自分が運びますよ、あと少しですし」
「勇者一行にんなこと頼めねえよ」
そうですかと、ガンセキはもう片方の取っ手を持つ。
「けっきょく持たせてんじゃない」
「いつもなら、あいつにさせんだがな。もう俺の手下じゃねえ」
少なくとも此処までは、兵士に運んでもらっていたその荷物を、トントとガンセキは持ち上げる。
隧道の出入口には、第二班の団員数名を引き連れた、アクアとセレスがいた。
一方がこちらを向くと。
「二人とも、早くしないと置いてっちゃうよ~」
土使いが先導してくれるようだ。
もう一人は隧道の奥を眺めていた。
脳裏に過る。
『あぁ、そうだ……刻亀はね』
セレスは友を見て。
「どうしたの?」
首を傾げ。
「んー なんでもない」
手をつないで行こうと思った。今はダメだと、アクアは伸ばした指を引っ込めた。
刻亀戦がどんな感じになるか、まだまとまっておらず、苦戦するかもです。あっけなくならないようにしたいのですが。
刻亀はただの魔獣で、王様はヒノキそのものという設定なので、すでに魔獣王戦は始まっています。